『それは誠』乗代雄介
文字数 1,973文字
本は友だち、人生の伴走者――。
本の森セルバBRANCH岡山店に勤務する現役書店員・横田かおりさんが、「あなたに届けたい!」と強く願う一冊をご紹介!
『それは誠』
(乗代雄介)
この夏、便りの代わりに貴方に送りたい一冊
この本を手に取った時、過ぎ行く夏をこんなにも特別に感じるなんて思ってもみなかった。
今回あなたに届けたい一冊は、乗代雄介さんの最新著書『それは誠』だ。
主人公は、高校二年生の佐田誠。誠が生まれてすぐに両親は離婚し、三歳の頃に母が病気で亡くなってから、祖父と祖母の三人で暮らしている。
親しい友人のいない誠は「書く」ことで言葉を世界に放出してきた。彼の相棒である古式のパソコンは、母の弟のおじさんが譲ってくれた忘れ形見だ。
おじさんは東京で一人暮らしていて、誠の母が亡くなった時、男手一つで誠を育てると言ってくれたらしい。
けれど、誠が知らなかったその出来事を、三年前のお正月に暴露されたことに激怒したおじさんとは、絶縁状態になっている。
誠はおじさんのことを忘れてなんかいなかった。
おじさんに会うために、誠は修学旅行を利用することを思いつく。
学校を休んだ日に決定していた、グループ行動の班員の顔ぶれは不自然なものだった。
スクールカースト上位の男子・大日向と、人気者の女子・小川楓とその友人。
いつも余り者になる男子の蔵並と松、そして誠の計七名だ。
中でも、吃音障害のある松がいることは問題が起きるリスクが高まる懸念事項で、誠がおじさんに会いたいと思う理由とも実はつながっている。
おじさんに会える唯一の可能性があるのは、自由行動の日だ。
その日は、ホテルを出発したのち、千葉県の新浦安駅から東京駅へと向かう。
東京タワーや新大久保といった観光地が候補に挙がる中、東京の外れ・日野市に向かうのは無茶な計画で、自分の勝手にみんなを巻き込むつもりはなかった。
誠は情報室のパソコンの画面に、家族のいきさつを打ち出していく。普段の彼なら絶対にしない告白は、班員の心を動かした。
小川楓の「会えるといいよね」の言葉はメンバーの総意のようで、松が「佐田くんの行きたいところ」と目的地を変更したシーンは、忘れがたい印象的な場面だ。
決行は、自由行動の前日に決まった。
唯一反対をしていた蔵並に突然の心変わりがあったのだ。
“普通”の人と同じように行動ができない松は、連れて行かない方が賢明だった。
バレたら特待生が解除されるという、蔵並の覚悟は相当なものだっただろう。
そして、男子のGPSを持った女子たちとついに進路が分かれる時、電車の扉の“こちら”側に大日向も付いた。
誠が一人で抱えるはずだった秘密の旅は、男子四人の旅になった。
日野駅に降り立ったのは正午前で、15時29分発の電車がタイムリミットだと蔵並が告げる。
駅から南へ1キロほど行った日野市役所のそばにある、おじさんの家に行くまでは長い上り坂になっている。「少し休めば、また歩ける」と珍しくスムーズに発声した松だったが、しばしば休憩を必要とした。
腰を下ろした公園では、園児と保育士がサッカーをしていた。
誠たちのすぐそばで、一人の女の子がケヤキの落ち葉をすくい投げ、舞う葉が陽光を受けてきらきら光る。日常とかけ離れた状況で目にした光景の、あまりの眩しさに胸がつまる。
こんな思い出も記憶も、私の中にあるはずもないのに。
おじさんとの再会を待つ時間は長く、彼らがともに過ごす時間は瞬く間に過去と呼ばれるものになる。
それは、互いの本音を引きずり出すほど特別で、鬱屈した部分や純真な所でさえ、見とめてしまうくらいには、濃密な時間だった。
高校生たちの無謀な旅には、人が人を想う純粋な姿が多く描かれている。
誠がおじさんを忘れられなかったのは、誠の知らないところでおじさんが誠を守ろうとしてくれた過去があったからだ。
四人でおじさんに会いに行くことになったのは、旅の高揚感だけではなく、心根に触れる場面を互いが見ることができたからだ。
奇跡のようなひとときが訪れる度に、心なんてたやすく震えた。
彼らの旅をたどりながら、私は離れた場所に暮らすあなたのことを思い出していた。
出会いがあれば必ず別れが来る。
なのに、たった一人の「会いたい」から始まった物語によって、私は自分の気持ちに気づいてしまった。
あなたがいなくなった日々は、ずいぶんさみしい。
言葉にすると重くなってしまうだろう。
だから私は、便りの代わりにあなたに一冊の物語を贈りたい。
この夏を特別なものにしてくれた、とびきりの一冊を。
横田かおり(よこた・かおり)
1986年岡山県生まれの水瓶座。本の森セルバBRANCH岡山店勤務。担当は文芸書、児童書、学習参考書。1万円選書サービス「ブックカルテ」に参画中。