『星を編む』凪良ゆう

文字数 2,610文字

本を開けば人々の声が聞こえる、知らない世界を垣間見れる。 

本は友だち、人生の伴走者――。

本の森セルバ岡山店に勤務する現役書店員・横田かおりさんが、「あなたに届けたい!」と強く願う一冊をご紹介!

今回横田さんがお届けする一冊は――

『星を編む』

(凪良ゆう)

月の傍らに、寄り添うように輝く一粒の星。

その光景を見るたびに思い出す物語があった。


『汝、星のごとく』

同じような孤独を抱える少女と少年の出会いから終幕までを綴った物語は、恋愛小説の枠を超え、個々が自立することで、はじめて手にすることができる幸福の在り方を私たちに見せてくれた。

花火のように煌めきながら散った、二人の物語には完璧なエンドマークがあった。

なのに。

物語がまた差し出される日が来るなんて、思ってもみなかった。


『星を編む』は、暁海と櫂の物語以前の、北原先生の過去が描かれた「春に翔ぶ」

櫂の担当編集者だった植木と二階堂の今が描かれた「星を編む」

そして、櫂が不在の人生を歩む暁海と、北原先生の人生が描かれる「波を渡る」の三編からなる。



「月に一度、わたしの夫は恋人に会いに行く。」


『汝、星のごとく』の冒頭部分で、暁海が語る夫とは北原先生のことだ。

暁海と櫂の高校時代の恩師でもある彼は、結(ゆう)と名付けた娘と島で二人暮らしをしていた。北原が勤務する高校の生徒である菜々と北原の間に、生まれた子供が結なのだと多くの読者が思っただろう。

でもそれは、多くを語らない――語れない立場に身を置くという選択をした北原が、周囲の人間によって決めつけられた、事実とは異なるものだった。


つまびらかにされた北原の過去は、清廉潔白に生きる両親の善意による施しの陰で、ないがしろにされた子供の物語だ。そして、家庭の金銭問題が原因で、選択肢を奪われた子供の多くが辿る二極化された社会の暗い側面だ。

もう一人の主要人物である菜々は両親が経営する総合病院の一人娘で、何不自由なく育てられていると皆が思う家庭環境にある。

でもそれは、内情を知らないひとたちが一部の情報だけで判断したことでもあった。

羽ばたく前に翼をもがれた北原と、自由に翔ぶ権利を奪われつつある菜々は同じ苦しみを抱えていた。

凛とした背中に芯の強さが窺える菜々の美しさは、大輪の花のようにいつかきっと開花する。溢れんばかりの希望と多くの可能性を有した菜々の未来を、誰にも壊させないようにすることが自分の役割だと、北原は思った。

彼が一人で育てることになった小さな小さな命に、北原自身が救われることになるとは誰も予想だにしていなかった。



櫂と尚人が連載していたマンガの担当編集者だった植木と、週刊誌にでっちげられたスキャンダルによって潰された櫂に、物語の執筆依頼をしていた二階堂。

櫂が植木に最後のプロットを渡したとき、彼は「ええよ、別にどうしてくれても」と言って、残される者に重い荷物を背負わせなかった。

二階堂は病床の櫂の横で、容赦なく原稿に赤を入れた。

迫りくるリミットを前に泣いている時間など一秒たりともなかった。

今、完成させなければ、この才能が知られる機会は永遠に訪れないとわかっていた。


櫂が紡いだ物語を、ふたたび読者に届けていく。

二人が掲げた夢を実現させるためには、キャリアを重ね出世の道を邁進するしかなかった。

それは、植木にとっては家庭人としての自分を顧みないことであった。

二階堂にとって「女」だからと、正当な評価をされないことは日常茶飯事だった。

だからこそ、誰に何と言われようとも、自身の信念を貫く強さが要った。

二人が、絶対に手放してはいけないものは、作家が紡いだ物語を読者へ必ず届けるという編集者としての矜持だけだった。


仕事を信じた自分がいて、大切なものを引き換えにしても譲れないものがあって。

孤独を感じていたとしても、必ず支えてくれるひとがいた。

歯を食いしばりながらも前進し続けた、不器用な二人が見つめる星は、懸命に働くすべての人への勲章のように思えた。



櫂が旅立って五回目の夏。

暁海と北原先生の生活は穏やかに継続されていた。

北原先生は月に一度のペースを変えることなく菜々と逢瀬を重ねていて、成長した結との家族水入らずの時間へ見送ることにも慣れた。日常に刺激はなくとも「おいしい」と言い合える食卓に、ささやかな幸せを見出せるようにもなった。


北原先生と菜々の本当の関係と、結を育てることになった経緯の告白は、暁海に大きな衝撃をもたらした。

誤解や決めつけによる悪意の矢に、射抜かれる痛みを分かっていたはずなのに、ともに暮らすひとの一部だけを切り取り、事実を確かめようともしなかった。

今作だけでない、繰り返し物語に織り込まれてきた「事実と真実は違う」という言葉が浮かび、読者の胸に何回でも刻まれていく。


「普通」や「常識」から大きく外れたところから、始まった二人の物語だった。

櫂という唯一無二の恋人をなくした暁海と、過去の贖罪のように結を一人で育てる北原先生が選び取ったのは他者には理解できない関係だった。

でも、互いにとっては切実に必要なもので、細くとも、しっかりと結ばれた命綱だった。


年月を重ねるうちに、二人の間に愛としか呼びようのないものが育っていく。

それは、自分らしく自由に生きるため、ともにと踏み出した二人が信頼を積み上げてきたからこそのもので、フィクションの中でしか実現しないものだとは、どうしても思えなかった。



暁海と櫂が過ごした十五年。

それは、煌めきながら儚く散ってなお、永遠に消えることはない。

暁海と北原先生の二十年にも渡る物語。

瀬戸内の海のように穏やかで、凪いだ風はどこまでもやさしいものだった。


長いスパンで紡がれた物語には、出会うはずもないひとの人生が記されている。

彼女や彼らの物語を追いながら、何度も心は震え、零れた涙が幾たびも頬を伝った。

この震えを、私は生涯抱えていこうと思う。


別れたあなたがいなければ、出会えなかった人を想う。

今この時に言葉を交わせるあなたとの未来を願う。

そうして、差し出された二冊の物語とともに生きる、私の人生が紡がれていく。


星を見上げてしまうのは、あなたたちの物語を忘れないため。

あなたたちが見せてくれた物語と、私の人生を生きていくためだ。

横田かおり(よこた・かおり)

1986年岡山県生まれの水瓶座。本の森セルバ岡山店勤務。担当は文芸書、児童書、学習参考書。1万円選書サービス「ブックカルテ」に参画中。

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