最終話 女三の宮 ラスボスは虚無属性で全体攻撃
文字数 5,628文字
『源氏物語』を読もうとして、どれほど挫折した人が多いことか……。そんな皆さんのために、汀こるものさんの冴えわたるツッコミで、身も蓋もない王朝文学『源氏物語』の真実を楽しく分かりやすく解説してきたこのエッセイ。最終話に満を持して登場するのは、シリーズNo.1の破壊女王だ!
さあ最終回はこの人と決めていました。
1番最後に出てくるラスボス系ヒロイン、女三の宮。最後で最強なのは理由がある。
ここで源氏物語のレギュラーキャラを改めて紹介します。最終回なのに?
光源氏:この頃は准太上天皇の位を授けられて「六条院」と崇め奉られてイキっている40代
紫の上:光源氏の正妻格。ロリと持て囃されたのは最初の十帖くらい。もう20~30年も振り回されて苦労してきた
朱雀院:光源氏には勿体ないような控えめで優しい兄。この頃は自分の息子が帝やってる
頭中将:光源氏のライバル。太政大臣を致仕(定年退職)した
柏木衛門督:頭中将の跡取り息子でライバルキャラも引き継いでいるように見えた
藤壺中宮:光源氏・朱雀院の父・桐壺帝の皇后。光源氏の初恋にして最愛の人。紫の上からみれば叔母。とっくの昔に死んだ
これまでこの愉快なメンバーで三十四帖まで回してきました。ファストだからここで初めて紹介した人、多いな!
『若菜』あらすじ
光源氏の兄・朱雀院は病臥し、出家を考える。しかし母のない14歳の女三の宮の将来が心配だ。歳より幼い彼女は妙な男に誑かされたりはしないか。いっそ40歳の光源氏の妻としてはどうか。女三の宮の母が最愛の藤壺中宮の妹と聞き、光源氏はつい承諾してしまう。
だがこの縁組は大層、紫の上を傷つけることだろう。宮家の姫でありながら親に捨てられたも同然の紫の上、彼女より身分の高い皇女が光源氏の正妻になるのだから。
いざ降嫁してきた女三の宮は期待していたような才気が感じられない。すぐに光源氏は後悔したが後の祭り。女三の宮そっちのけで紫の上を気遣う光源氏だったが、ついに紫の上が病臥。出家を願うが、光源氏はよしとしない。
光源氏が紫の上を必死で看病しているとき、密かに女三の宮に近づく者がいた。柏木衛門督だ。彼は以前から女三の宮降嫁を願っていたが朱雀院に断られ、代わりに女二の宮を下されたが満足していなかった。いよいよ熱情を抑えられなくなって強引に通じ、女三の宮を懐妊させてしまう。
心当たりがないおめでたに光源氏は首を傾げていたが、女三の宮の部屋で柏木の恋文を見つけてしまった。不義密通があったのだ。だがそれはかつて光源氏が父帝の妃、藤壺と通じたのと同じ罪である。因果応報と思いつつも女三の宮を責めてしまう光源氏。
そんなとき朱雀院の五十賀の試楽が行われる。柏木は密通がばれたとびくびくしていると、光源氏がつぶやく。
「歳を取ると涙もろくなっていけない。柏木衛門督が笑っている、恥ずかしいな」
柏木はこれを聞いて光源氏の怒りを買った、自分の人生はお終いだと絶望し、病の床につく。
『柏木』あらすじ
女三の宮は男児を産んだが、産みの苦しみの中で死ななかったのを後悔していた。光源氏が赤ん坊に冷ややかなのを見て女三の宮は初めて決意する。
「尼になりたい」
勿論光源氏は承諾しないが、朱雀院が見舞いに来た折に出家させてくれとせがむ。薄々事情に気づいていた朱雀院は出家させてしまった。
その頃、柏木は危篤状態だった。せめて女二の宮に会いたいと願うが叶わず、夕霧に遺言を託す。
「妻を頼む。それと、光源氏さまのお怒りを買ったので詫びておいてくれ」
柏木は泡沫が消えるように息を引き取った。
柏木に長生きしてもらいたいわけでもなかったが、女三の宮はそれを聞いて流石に気の毒だと思った。
赤ん坊は五十日の祝いをした。光源氏は幼子に柏木の面影を感じ取った。
「あちらのご両親はせめて子供の一人も残していたら、と思っているだろうに」
前提:女三の宮降嫁は結婚と言うよりも、
「14歳にしてうっすら平安社会不適合者の気配のある女三の宮」
を
「朱雀院が選ぶ自分が女だったら抱かれたい男ナンバー1・光源氏」
に介護してもらう構想だった(本当にこの兄はよくこういう寝言を言う)
つまり光源氏と紫の上で
「宮さまかわいいー内親王殿下万歳ー」
と女三の宮を持て囃して邸のド真ん中で正妻として養ってもらい、光源氏が死んだ後は紫の上と一緒に尼になったりすればいいや、紫の上、百合営業頼むわ、という朱雀院にばかり都合のいい話だった。
朱雀院は中途半端な男を女三の宮と結婚させるとろくでもないことが起きる、結婚させなければもっとひどいことになると信じていた。最初から光源氏に丸投げしておけばそれ以上虫が喰うことはないだろうという結論に達した。RTA的発想。
そして光源氏は女三の宮が藤壺中宮の姪なので似てるかも、というだけでホイホイと引き受けてしまった。
男2人はこのシステムで紫の上の負担が1番大きいことに気づいていなかった。
紫の上自身も気づいておらず、最初は「また光源氏さまがおかしなことを言い出して。でも許してあげる」と笑っていた。
ここまでよその女が産んだ光源氏の娘を育てたり、大概な愛の耐久試験を受けていた紫の上。
それでもよその女が産んだ娘はその後、帝の皇后になって皇子さまを産んで、紫の上にも達成感があった。「わたしがこの子を立派に育てて摂関政治の礎になるのよ!」というモチベーションがあった。
結果:
「宮さまかわいいー」
と言うだけの生活を7年送っていたら紫の上がばたりと倒れた。
(※実際に21歳の女三の宮に話しかける言葉が小さい子供向けの赤ちゃん語だったりする)
「夫の兄に押しつけられただけで育てても何になるわけでもない女三の宮の世話」
は究極の耐久試験だった。
紫の上は自分より長生きする小娘を介護する果てしなさについに疲弊した。何となく自分でも言語化できない理由でいけ好かないのを我慢×7年!
精神強度が下がっているところに六条御息所の「死後強まる念」に触れてしまい、瀕死になって一時心肺停止に至った紫の上。
「光源氏が紫の上には教えてくれなかった秘伝の琴の弾き方を女三の宮には教えた」
などが累積ダメージになったと言われている。
つまり紫の上自身が女三の宮の存在の何もかもがストレスになる状態まで追い詰められているが、紫の上本人を妖怪化できないので六条御息所が憑いているということになった。
現実の全てに疲れ果てた紫の上。
「尼になりたい……」
(※この時代、女は厳しい仏教修業をしないので「離婚したい」「現役引退したい」の意)
光源氏はつきっきりで紫の上を介抱するが、女三の宮の虚無属性攻撃はスリップダメージではなく最大HP減少のステータス異常が次々つくタイプなので全然よくならない。
光源氏パパと紫の上ママにおんぶに抱っこの生活に甘んじていた女三の宮は、2人が機能しなくなった途端、重篤なセキュリティホールからストーカー野郎柏木のハッキングを受けて妊娠してしまう。
女三の宮の主観では。
「夢の中で魔物に襲われるような」
「つきせずわりなきこと(=無理)」
「その辺の男としては柏木もそれなりだが光源氏を見慣れてるとしょうもない部類」
「長生きしてもらいたいとも思ってなかったが本当に死んだと聞いたら流石にかわいそうかな」
何かを勘違いした侍女が連れてきただけで柏木の口説き文句とか全部聞き流している女三の宮。「返事をしてください」と言われるから相槌を打つ程度。
柏木は7年も前から「ぼくが先に好きだったのに」をやってて純愛アピールしているが、女三の宮には伝わっていない。
伝わらないのに子供だけできる。
深く考えると胸糞悪い話。
柏木は柏木で
「あの光源氏の妻をNTRってやったぜ!」
という達成感がない。
密通が光源氏にバレてビビリちらしている柏木と女三の宮のシーン、何を読まされているのかと思う。
それで紫の上がからくも復活した後に柏木がリタイア。
「光源氏のオーラで圧倒されたら負けた気になった」「死ねと言われたような気になったので死んだ」としか言いようがない謎の死に方。女三の宮にフラレてすらいないのに。挫折の本体を直視しないまま挫折する男。
しかしイケメンのまま、夕霧とBL営業しながら死ぬので読者に「あ、かわいそうなやつなんかな」という誤解を与えがち。
単に紫式部がイケメンの格好いい死に方を『宇津保物語』からパクってBLを足しただけだったと知ったとき、俺は「柏木てめえー!」と暴れた。
「光源氏にせよ柏木にせよ相手の女が子供を産むのに悲恋とか言うのよくわからん」とずっと思っていたが、「平安時代だから」ではなく「源氏物語が変な話だから」だった。
事情がわからないまま跡継ぎを亡くして、頭中将一家が精神的ショックで脱落。この後の話にも出番があるが影が薄い。
死因を作った光源氏が
「親不孝者のアホガキ」
と親友に少しも負い目を抱いていない。
……勝手に死んだと言われればそうだしお前がそういうヤツなのは知っていたが……あのさあ……
葵の上を殺す夢を見ただけで伊勢に引きこもった六条御息所の生前本体はものすごい謙虚な人間だった。
そして子供を産んで一念発起して尼になる女三の宮。彼女としては
「光源氏が怒るのが怖すぎるので責任を取った。謝って許してもらえないなら尼になるしかないじゃん」
というつもりなのだが、尼になりたい希望を却下された紫の上に飛び火して更にダメージを与える。勿論、既婚40代子なしでセンシティブな紫の上には出産イベント自体もダメージ。
ついでにこの後『夕霧』騒動で
「娘を2人も尼にするとか朕には無理」
という形で姉・落葉の宮にも遠隔ダメージを与える。
更に父・朱雀院を巻き込んで出家することでシナジーが発生、光源氏の厚顔無恥バリアを突破して面目をハチャメチャに潰し、かつてない大ダメージを叩き出す。敵味方問わず過去方向・未来方向にも波及する超四次元全方位虚無属性攻撃が完成した。恐らくこの攻撃、30年くらい後の宇治十帖の結末にまで影響を及ぼしている。
朱雀院も大変だ。「案の定」「女三の宮がろくでもないことになった」(子供が産まれるのに誰も喜んでないので察した)
柏木のことまで知らないので娘が不義の子を産んだ怒りが全部光源氏に向かう。
「こうならないようにちゃんとしてって言ったよね!? 紫の上にかまけて放置してたんだよね!? こっちは出家させて落とし前つけるから今度こそ放り出したりしないで最後まで世話しろよ。子供いじめんなよ」
いや最初からお前の無茶ブリが悪いんやん……と思うが。
ファストでない全部読んでる真面目な読者はこのかわいそうな兄が、お妃候補を光源氏にNTRされたりしたのに
「彼、イケメンだから仕方ないよねー」
とか言ってたのを知っているので、こいつがこんだけ怒るの相当の相当やで、流石に謝ってあげなよ、となるのだった。
「いや……この女がいると紫の上にステータス異常が」
という言いわけは今更通らない。14の頃ならともかく23歳コブつき皇女を嫁にもらってくれる男はもういない。本来責任を取らせるべき柏木はなぜか瀕死。
いよいよ光源氏が本格的にこの厄親子を養うことになった。
妊娠・出産・出家で人間的に成長した女三の宮がやっと平安ツンデレ女の標準レベルに届いてそれらしい皮肉を言い始め、前より大分賢い美女に見えるようになったという最悪のオプションつき。
現代視点だと「朱雀院の教育不行き届きが半分、生まれながらのアウトローが半分」の女三の宮、皆の悪いところのしわ寄せを受けてこうなったので「よく考えたらお前は悪くない、偉い! 頑張った!」と思いたいところだが、この女はこの後パーフェクトな毒親になってもれなく地獄です。
冒頭に紹介したレギュラーメンバー全員が伏線もなくいきなり虚空から生えてきたぽっと出の女三の宮1人のために破滅しました。もう死んでる藤壺中宮だけセーフ。
いや、「最愛の藤壺中宮の面影を求めて」という源氏物語のテンプレ自体が「光源氏が自分を騙す言いわけ、欺瞞」だったことがこの三帖で判明し、彼女の存在は概念となって別の次元にシフトした。
この駄文は「現代の皆さんは光源氏をロリコンと言うが、ロリコンではない、言いわけがこんなにある」という第1回から始まったが、最終回、作中で30年経ってやっと最愛は普通に紫の上でもう年の差婚とか関係なくなってた、で終わりです。幸せの青い鳥はずっとそばにいたんだよ、そりゃそうだよ。
多分この頃、気を遣うべき一条天皇は生きていなくて中宮彰子は「この世をば」とか言ってた頃の藤原道長が大嫌いだったからメタ的にも言いわけはいらなくなっていた。
ここから光源氏が死ぬまで後五帖、二帖は夕霧回で一帖には何も書いてないので残り実質二帖です。最後の方ってこんなことになってたんですよ。
さあ駆け足で面白いところだけを紹介してまいりました。この後の宇治十帖も、男と女の厨二病が炸裂するのを京都人の世間体が半端にフォローしようとしてメッチャ面白いのですがあれこそ短くなるはずがないです。
機会があればまたいずれ。
汀こるもの(みぎわ・こるもの)
1977年生まれ。大阪府出身。追手門学院大学文学部卒。
『パラダイス・クローズド』で第37回メフィスト賞を受賞し、2008年にデビュー。以来、「THANATOS」「完全犯罪研究部」「レベル99」「探偵は御簾の中」シリーズ上梓のほか、ドラマCDのシナリオも数多く手がける。
Twitter:@korumono
平安ラブコメミステリー「探御簾(たんみす)」シリーズ最新作