最終話 明石 まさかわたしが悪役令嬢で婚約破棄ですか

文字数 6,281文字

帰ってきたファスト源氏物語!

このコンテンツは、『探偵は御簾の中』の汀こるもの先生の独断と偏見でお送りします。
ちゃんと知りたい人は9月のNHK『100分de名著』のウェイリー版源氏物語とか見てください。

 これが最終回なのは恐らく大河ドラマを読み解くのに1番重要な回だからです。


第十二帖『須磨』 第十三帖『明石』 第十四帖『澪標』あらすじ


 世間の何もかもが嫌になった光源氏は職を辞して須磨に下ることになった。若妻・紫の上や幼い息子・夕霧を京に残していくことになり、親しい人々と涙の別れをして須磨に下った光源氏。

 すると前播磨守明石入道という人に誘われて、明石に行くことに。入道の娘・明石と結婚するように勧められる光源氏だが、京の紫の上を想うと気が進まない。それでも一応結婚すると、明石はたちまち子を宿し、美しい女の子を産んだ。宿曜の占いによると光源氏の子は生涯で三人、一人は帝になり、一人は国母になり、一人は位人臣を極め大臣になるという。帝は冷泉帝で大臣は夕霧で、恐らくこの女の子を育てれば妃となるのだろう。

 さて京では朱雀帝が眼病を患い、光源氏を粗略に扱ったせいだとして、彼を呼び戻すことになった。光源氏は明石と別れて帰京するが、返す返すも残念なのは宿曜の占いの子が紫の上ではなく明石のもとに誕生したことだ。彼は紫の上に明石のことを伝えて一刻も早く娘を京に引き取らねばならない。


 皆さん、光源氏が須磨・明石に「追放された」と思ってませんか?


 光源氏は自ら須磨に下った。


「正式な人事で太宰府とかに行けって言われたら屈辱だから先に仕事を辞めて何年か須磨に高飛びしてほとぼりが冷めるのを待った」


 太宰府に飛ばされるような覚えが?


「最愛の藤壺中宮が出家したのがショックでヤケになって右大臣家の姫・朧月夜と火遊びしてたら、葵の上が死んで正妻の座が空いたことだし正式に朧月夜を妻にしろとか右大臣が面倒くさいこと言い出したのシカトして、それでも朧月夜の部屋に忍び込んでハダカで寝てたら当の右大臣にバレた」


 ……右大臣は太宰府と言わず太刀を抜いてこいつを三枚に下ろして大路に晒してもよかったと思うよ。

 桐壺帝の御代なら怒られても朱雀帝の御代ならいけたって。

 これで皆と涙の別れしてる光源氏、ツラの皮が厚いにもほどがある。

「自ら職を辞する」のは「おれが朝廷からいなくなったら困るだろう。困ると言え。ひざまずいて謝るまで戻らないからな」という引き留められる気満々の平安貴族ならではのボイコット仕草で、自己肯定感がものすごく高い。

 藤原道長が三十代で3回辞表を出したのは、疫病で上流貴族がほとんど死に絶えた後に生き延びた年長の顕光殿や公季が使えなさすぎて、マジで道長1人がオーバーワークで内裏に泊まりっ放しで家に帰れずあらゆる生活習慣病が出て「いや、あの、この仕事量は本当に死ぬので何とかなりませんか、あの」で本気だったらしいが。


 理想の平安貴族である光源氏はそんな労働とは無縁なので須磨・明石で優雅に貴種流離譚する。


 さて。この時代に人気だった話。

『今昔物語』高藤の内大臣。


~その昔、内大臣藤原高藤が少年だった頃。

 鷹狩りに出て、急な雨で家来とはぐれ、山科の辺りで土豪の家に泊めてもらうことになった。

 高藤はその家の娘とねんごろになって翌日、家に帰った。

 娘のことを愛しく思っていたがいろいろあって何年か経った。

 高藤はやっと再び土豪の家を訪ねることができた。

 そこには成熟した美女と、幼い女の子が……あの夜に授かった子だったのだ!

 高藤はこの女を妻として家に連れて帰り、娘はやがて宇多天皇の后となって醍醐天皇を産んだ。

 土豪の子から国母が生まれたのだ~


「身分がイマイチの冴えないわたしが高貴なイケメンとワンナイトラブ一発で授かり! 子供は大事にされてわたしは本妻でまさかの玉の輿です♪」


 ……いや、うん。言いたいことはわかるよ。

 でもそういう時代だったから。諦めてくれ。

 人類は千年で進歩したんだ。

 いにしえにはマレビトに娘を差し出して外部の貴種の子を授かり、イエを刀自が守る母系社会の仕組みが……


 ちなみにこの話のミソは、シングルマザーといっても上流貴族から見て蚊トンボみたいな役人の娘というだけで地元では喰うに困らないお嬢なので、乳母や子守りや侍女がいてワンオペ育児とはほど遠いところ。

 ワンナイトラブといっても家族公認で夜遊びとはほど遠いところ。


 ということで光源氏と明石も親公認のワンナイトラブで明石中宮を授かる。

 ワンナイトというほど短くないが。

「いや……頼まれて仕方なく……」と紫の上に言いわけしながら京に帰るギリギリまで明石の邸に入り浸ってたと思うが。

 母と娘で名前が同じでわかりにくい。

 これは紫式部が悪いのではなく、もうちょっと後の時代の人が読みながらあだ名をつけたのに「女の名前とかクソどうでもいい。母の方と娘の方でいいじゃん」という方針が……

 ていうか明石入道、祖父も同じ名前……


 ここまで数々のご無体を働いてきた光源氏が「いや、紫の上に悪い」と突然殊勝なことを言い出すので「何だお前、キャラ変か?」となる。

 明石相手だと動きが鈍る謎の光源氏。


 ワンナイトラブなら普通は正妻!

 なのだが明石が上京してきたら、そこには紫の上がいる。

 光源氏は「あのさあ。将来お后になるわたしの子をキミが育てるのはちょっと……こちらの宮家の女王、紫の上に育ててもらうから」と言いにくそうにしている。


 実は本筋はこっちだ。


 明らかにこの辺の紫の上は、

「亡き中宮定子が遺した敦康親王を育てている中宮彰子」

 の投影なのだ。


 一条天皇最愛の中宮定子が出産で若くして死んだ後に敦康親王を育てるのは、勿論乳母なのだが名義上の母親が必要だった。

 一条天皇は子だくさんではなかったので敦康親王が唯一の跡継ぎだった時期が10年くらいあった。

 そんでこの時代と言えども実際には13歳や14歳でポンポン子を産んでいる女はあんまりいなかった。

 中宮彰子は長らく授からなかったので「義理でも母親の名義があるとないとで大違い」で、藤原道長の指示で敦康親王の義母を10年くらいやることになった。


 去年、『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』メッチャ流行りましたね?

 水木が子育てをするほのぼの二次創作がどこにもあふれたね?

 ゲゲ郎・岩子夫婦がかわいそうだった反動だ。


 お産で死んでしまった中宮定子もかわいそうだ。

 中宮定子が死んだときに中宮彰子は「ヤッターラッキー!」なんて喜んでないし、敦康親王の養育も真面目にやっている。

『蜻蛉日記』作者の道綱母は兼家の妾の子供が死んだとき「ヤッターラッキーざまあ!」って言ってる。

 平安もいろいろある。


 事情があるので『源氏物語』作中で紫の上が育てる養子の実母がかわいそうであってはいけないのだ。

 生きているのに子供を横取りされるようなひどい目に遭ってもかわいそうに思わないキャラとは何か。

 令和なら迷惑系ユーチューバーか虐待親、その両方か。

 平安なら?


「高藤伝説以降、こういうワンナイトラブヒロイン多すぎだよね」

「飽きた。ウザ」

「身分がイマイチなのにイケメンの正妻とか生意気」


 紫式部の同僚である宮仕えの女たちより身分の低いぽっと出のワンナイトラブヒロイン!

 受領の娘なら関白家の姫だった中宮定子様とは似ても似つかない!


 ……この時代、ものすごい勢いで王朝恋愛小説が量産され、ものすごい勢いで火事で全部燃えて『源氏物語』と『枕草子』だけ焼け残った気配がある。

(※戦乱とかでなくても紙と木でできた家が簡単に燃える)


「異世界転生チート多すぎ」「スローライフってすぐ内政になるから嫌」「また悪役令嬢かよ」「いくら何でも婚約破棄しすぎざまあされすぎ。男はアホなのか」という現象が平安時代に既に起きていた。

 流行りを取り込むと、ネタが古くなったときに苦しくなる。

 しかしまさか『源氏物語』が千年流行ってるとは誰も考えなかった。

 ちなみに藤原高藤とその妻は紫式部の先祖(※道長の先祖ではない)


 ということで中宮定子からほど遠い女として「この世全てのワンナイトラブヒロインの業」を一身に背負った明石。

 しかし紫の上が彼女に嫉妬はしても、意地悪してはいけない。

 中宮彰子様は優しい御方だから。


 なので明石が勝手に「ああ、光源氏様はわたしなんかがお慕いしていい相手ではなかったのだ」と卑下して心が折れる。

 現代ティーンズラブならこのフリがきたらイケメンは

「わたしなんかって、おれを本気にさせたお前がそんなこと……言うなよ!(ガバッ)」

 と見せ場を作るところだが、紫の上が本命として存在する光源氏は歯切れが悪い。


光源氏「いやーあのーそれはそのーうちの母がその昔、宮中で身分の低い更衣としていじめられて……ということで将来、宮中で立派なキサキとしてナメられないためにこの子は紫の上が育てて経歴ロンダリングしなきゃいけないのでその、よろしく」


 タイトル詐欺だが実際の光源氏は「断罪」「ざまあ」「婚約破棄」まで強くは出られない。

 明石がかわいそうになってしまうと中宮定子様を思い出すので。

 これ、かなり変な話です。


 そしてぽっといきなり生えてきた設定。


「宿曜の占いによると光源氏の子は生涯で三人、一人は帝になり、一人は国母になり、一人は位人臣を極め大臣になるという」


 紫の上は子供が産まれなくてしんどい中宮彰子様の御心を慰めるために、こちらも子供が産まれない。

 それを紫の上のせいにしないための〝宿曜の占い〟。

 オカルトなら仕方ない!

 平安の女はやはり親兄弟に「御子を産め」なんて迫られたくないのだ。

 この占いの文言が『桐壺』じゃなくて『澪標』の帖に初めて出てくるの、びっくりするが……

 大和和紀先生でなくても書き写すときにこれ『桐壺』に入れようってなるじゃん……

 藤原定家は思ったほど何もいじってないのか?

 この順番、嫡男の夕霧がハズレ扱いなの何だかな。


光源氏「ああ、皇孫の女王である紫の上の子に生まれたならこの子はキサキとしてこの上ない姫だったのに、どうして明石に……」


 お前、仮にも子供産ませた女に対してお前、となるのだが中宮彰子サロンというものすごく狭い読者層にはこれがドッカーン!とウケた(推定)


 そして明石の存在には嫉妬する紫の上だが、まだ乳幼児の明石中宮はあっさり彼女に懐いたので、まあかわいい子、と早々に馴染んで仲よくなる。

 紫式部が義理の息子を育てている最中の中宮彰子様に気を遣ってこうしている。

 ここで紫の上に変なリアクションしてほしくないので。

 ここで「ああ、こんなかわいい我が子を託してくれた明石の君。わたしがちゃんと育てますから」と入れた大和和紀先生は「現代の読者に気を遣って」こうしている。

 違うのはなぜか、考えてみよう。


 そして……


 バタバタと藤壺が死んで光源氏の興味が朝顔斎院に移り、夕霧と雲居雁の恋バナが始まり、玉鬘十帖が挟まって明石中宮の霊圧が消える。

 何じゃそら。

 いや明石と和歌を詠み合ったりしているのだが……


 どさくさに紛れて実家の太い明石は六条院に親父の金で蔵を建てていた。

 他は光源氏ハーレムでしか生きられない女たちで、実家と仲の悪い紫の上もここより他に行く場所などないのだが、明石にだけ妙に存在感の強い父親がいる。

 この時代のワンナイトラブの弊害として「早く父親を殺しておかないと舅の影響がいつまでも残る」がある。


 気づいたときには明石中宮は12歳になっていて東宮(朱雀帝の皇子)に入内することになった。

(※11歳や12歳で結婚するのは生まれた瞬間に政略結婚先が決まっているような最上流の貴族だけで、特に予定がなければ14、5、6。上流でも政局を見て勿体ぶってたら20超える)

 2~3歳から育て始めたので最大9年。

 しかも食事などの基本の世話は乳母がやる。


「12歳って子育てはそこからなのでは?」


 そこからは、明石が自分で後宮について行って面倒見る。

 光源氏の正妻格で女叙位を受けている紫の上が後宮の明石中宮に会いに行くと、そのたびにやれ牛車だ輿だ行列だとなって大袈裟なので、実母明石が側仕えの名目で常駐することに。


 ……1番かわいいところを横取りされたと言えばそうだが結果だけ見ると1番面倒くさい時期を代わってくれたとも言う。

「紫の上のほのぼの子育てノルマは果たしたから明石に返してもいいよね」という感じでもある。

 水木もそれくらいしか鬼太郎の世話しないで見捨てられたんじゃないのと思う。

(※各メディアのバージョンによって水木の運命は違います。ゲ謎の続きはホットケーキ屋)


 事実上、紫の上と明石の合作であるところの明石中宮が一人前になったところで『藤裏葉』、第一部完のクライマックス。


 何か明石は入内前のお香調合対決でいい点を出してくるし、この後、楽器演奏対決でも紫の上と張り合ってくるし、どうやら紫の上の「友情ライバル枠」に収まった。

 ヒロインはたくさんいるのだが「友情ライバル枠」は明石だけだった。

 現実では彰子は定子と戦うことは不可能だが、紫の上は明石が無限に相手をしてくれる。

 それもあっさり勝負がつくのではなく、かなりギリギリまでいい線を攻めてくれる。

 現実を創作で埋め合わせるとはこういうことである。

『藤裏葉』以降の紫の上はどんどん追い詰められるが、明石とのシスターフッドは残り、紫の上と明石中宮と明石という組み合わせで過ごしたりもした。


 やっぱりハーレム展開はシスターフッドに落ち着くしかないのだ。


 その後、紫の上が死んだ後も宇治十帖でも生きている明石。

 ヒロインとして「美しい死」がご用意されなかったがゆえの長生きだが、実際の中宮彰子は自分が産んだ子供たちより、紫式部より長生きをすることに。

 紫式部の生没年がよくわからないのだが中宮彰子と一緒にいた期間は12、3年程度。

 中宮彰子の享年は87歳。


「世にののしる玉の台もただ一人の御末のためなりけりと見えて明石の御方はあまたの宮たちの御後見をしつつ扱ひきこえたまへり」

(世間で評判の玉の御殿もたった一人、明石の御方の子孫のためのもののように見え、明石の御方は中宮が産んだ孫たちのお世話をして暮らしていた)


 何十年も同じ物語を読んでいられないが、

中宮彰子がふと振り返ったとき、そこには明石がいただろうか。

汀こるもの(みぎわ・こるもの)

 1977年生まれ。大阪府出身。追手門学院大学文学部卒。

『パラダイス・クローズド』で第37回メフィスト賞を受賞し、2008年にデビュー。以来、「THANATOS」「完全犯罪研究部」「レベル99」「探偵は御簾の中」「煮売屋なびきの謎解き仕度」シリーズのほか、ドラマCDのシナリオも数多く手がける。最新作は『紫式部と清少納言の事件簿』(星海社 8月28日発売予定)。

X:@korumono

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妻は隠れた名探偵。
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