連載スタート!SATーlight 警視庁特殊班 /矢月秀作
文字数 7,440文字
SITやSAT(警視庁特殊部隊)よりも小回りが利く、「SATーlight(警視庁特殊班)」の面々の活躍を描く警察アクション・ミステリーです!
毎週水曜日17時に更新しますので、お楽しみに!
第1話は連載スタートを記念しての大、大、大増ページでお送りいたします!
プロローグ
坂井浩之は、吉祥寺駅を出てずっと、一人の女性の背中を追っていた。
女性は黒い帽子を深くかぶり、長い髪で顔を隠して大きなサングラスをかけ、うつむき気味に、細い体に不似合いの大きなキャリーバッグを引いていた。
坂井の目は、女性の背中だけを見つめていた。周りは見えていない。時折、人にぶつかるが、ぶつかられた人は坂井の狂気に満ちた目を見て、すぐに距離を取った。
「リリイ。僕が守ってあげる」
思いが口からこぼれる。
坂井が追っているのは、地下アイドルグループ、ツキノカガヤクヨルの黄色を担当しているリリイという女の子だった。
彼女に会ったのは2年前。まだ、コロナ禍でイベントが解禁されていない中、昔通っていたライブハウスの近くを通りかかった。
そこで、ツキノカガヤクヨルがデビューライブを開催していた。
制約だらけの時期にデビューイベントを開くなんて、どんなグループだろうと気になった坂井は、興味本位で入ってみた。
客は、坂井を含めて、3人しかいなかった。5人のグループに客が3人。なんとも寂しいライブだ。
坂井は新型コロナウイルスの蔓延でイベントが中止になる前は、何組かの地下アイドルを推していた。
個人ではなく、グループごと応援する、いわゆる〝箱推し〟というやつだ。
地下アイドルのほとんどは、賞味期限が過ぎると自然消滅していく。
それでも、長い人生のほんの一時期、輝こうとしている女の子たちを見ているのが好きだった。
坂井自身、35年の人生の中で、ただの一度も輝いたことはない。
小学生の頃から成績は中の下。運動もできず、音楽や美術も苦手。他人との付き合いもうまくなく、友達もいない。当然、彼女などいるはずもない。
家は幸い、親が建てた一軒家がある。今もそこで暮らしているが、両親からの風当たりは強い。
坂井は派遣登録をして、工場で働いていた。しかし、コロナの蔓延で労働環境はすっかり変わってしまい、今は無職だ。
父には正社員になれと言われ、母には早くいい人を見つけろとせっつかれている。
そんなことは言われなくてもわかっている。自分だって、正社員になれて、結婚できれば幸せだ。
だが、現代は、両親が生きてきた時代とは違い、持たざる者には世知辛い。
そんなぶつけようもない憤懣を紛らわせていたのが推し活だ。
両親から見れば、いい歳をした男がキラキラした服を着た少女たちに傾倒している様は不愉快だっただろう。
しかし、これといった趣味もない坂井にとって、推し活はささやかな生き甲斐だった。
今の推しや過去に推して消えていった彼女たちのグッズに囲まれた自分の部屋だけが、心休まる聖域だった。
が、それもまたコロナに侵された。
父が在宅勤務となったことで口うるさくなり、アイドルにうつつを抜かしている暇があるなら、資格の勉強でもしろと言い出した。
父の言っていることは間違いではないのだろう。
けれど、間違っていなくても、心身が拒否をして受け入れられないことはある。
これまで、機会を窺っては、就職活動をしたり、資格取得の勉強をしたりしてきたが、どれもうまくいかなかった。
失敗を繰り返していると、次第に自己肯定感は削られ、疲弊していく。
それでも……とがんばって、報われればいいが、報われなかった時は完全に自己崩壊してしまう。
今、坂井が動けないのは、動きたくないからではない。次に失敗すれば、自分が壊れるとわかっているから、身が竦むのだ。
それは自己防衛でもある。
自分を壊さないための──。
家に居づらくなった坂井は、就職活動と称して、コロナ禍の中、出かけるようになった。
何をするわけでもない。ただただ、人も日常も消えたゴーストタウンのような街を歩くだけ。
その風景は、自分の胸の内を映しているようで、身につまされつつも落ち着いた。
閑散とした街は、これまで自分のような人間を排除してきた人たちが、社会から排除されたようで、内心、ざまあみろと思うところもあった。
暗くなるまで街をうろついて、家に帰る。そうした日々を送っている時、ツキノカガヤクヨルのデビューライブに出会った。
チケットを買って会場に入ると、パイプ椅子が間隔を開けて置かれていた。それも20席あるかないかくらい。
前列に1人、真ん中あたりに1人座っている。大声は出せないので、マスクをして座ったまま、手に持ったペンライトを地味に振っていた。
楽曲のカラオケの音量も小さめで、ステージに立つメンバーたちの歌声も小さかった。
楽曲は良くもなく悪くもなく。メンバーたちの歌唱力もそこそこ。ビジュアルも特筆するほどのものでもなく……。
箱推し派だった坂井には、もう一つ響かないグループだった。
ただ、客が3人しかいないので、出るわけにもいかない。
坂井は最後列でステージを眺めていた。
終わるのを待つだけ。そう思っていた坂井だが、ふと向かって右端の黄色いスカーフを巻いた子に目が留まった。
小さくて細くて、髪の長い女の子だった。目鼻立ちも薄く、地味な顔をした子だが、自分がセンターに立った時は懸命に両眼を開いて、笑顔を作って、歌を届けようとする。その歌も決してうまいとは言えない。
ダンスもおたおたしている感はあるものの、一所懸命大きく踊ろうとしている。
不器用だけど、アイドルをがんばりたいという思いがひしひしと伝わってくる。
ライブが終わって、物販に赴くと、リリイは終始うつむいていた。他の2人が、よくしゃべる笑顔のメンバーへ語り掛ける中、坂井はリリイの前に立って、静かに声をかけた。
リリイはびくっとした。チェキの撮影をリクエストすると、リリイはうつむいたまま、撮影ブースに向かった。
リリイは遠慮がちに、坂井の腕に腕を巻いた。少し震えていた。そして、不安げに坂井の顔を見上げる。
その時の目に、坂井は胸を撃ち抜かれた。
雨に濡れた子犬のようだった。
すがるようなリリイの顔を見て、坂井は微笑みかけた。リリイがぎこちない笑みを返す。
守ってあげなきゃ。
坂井は思った。
その日以来、坂井はツキノカガヤクヨルのライブがある時は欠かさず出かけた。
ライブの予定を知らせてもらうために、リリイとも個人的にLINEを交換した。
リリイからは、ライブの告知以外にも、個人的な悩み相談なども来るようになっていた。
坂井は何時であろうと、何をしていようと、リリイから連絡が来たら、リリイの心に響くよう考えた即レスを返していた。
イベントへの制限が緩和されてくると、ライブに人が集まるようになってきた。多くはないが、それでもファンが増えると、グループは輝きを増してくる。
初めは、とても舞台に立てるような感じではなかったリリイも、ライブを重ねるごとに歌もダンスもうまくなっていった。
笑顔も増え、つたないものの会話もできるようになってきて、リリイ推しのファンも増えてきた。
最初の頃は坂井も、リリイがどんどん輝きを増してくる様子を喜んで見ていた。
一方で、リリイからの個人的な連絡は少なくなってきていた。
淋しかった。
わかっていた。
自分はリリイの恋人でもなんでもなく、ただの第1号のファンであることくらいは。
頭では理解していたが、感情は別だった。
これまでに感じたことのない、嫉妬心から来る怒りのような感情が沸き上がってきた。
坂井はリリイの気を引こうと、物販では誰よりも多く、リリイの物を買った。チェキの撮影も、何周も回って何度も撮った。
のめり込んでいくほどに、情動は抑えられなくなっていった。
そんなある日、ライブ会場の外で出待ちをしていると、リリイがスーツを着た男と出てきた。
最近、ライブ会場に顔を見せるようになった中年男性だ。リリイ推しで、いつも坂井の後ろに並んでいた。
リリイは男の腕に腕を絡め、男を見上げた。その時、リリイは坂井に見せたことのない笑顔を浮かべていた。
男がリリイのキャリーケースを持ち、二人が繁華街を抜けていく。
坂井は後を尾けた。
2人が立ち止まった。ラブホテルの前だった。入っていこうとする。
坂井の中で、理性が飛んだ。
2人の下に走っていき、男の肩口をつかむと、いきなり殴りかかっていた。
抑えられなかった。
倒れた男に馬乗りになり、何度も何度も顔面を殴りつけた。
何かを怒鳴っていた。リリイが何かを叫んでいた。が、正直、その時のことはあまり覚えていない。
駆けつけた警察官に逮捕され、拘留された。
傷害の罪に問われ、裁判となったが、リリイや男性が厳罰を望まなかったこと、坂井の両親が被害者に詫び、治療費もすべて肩代わりしたこともあり、執行猶予付きの判決となった。
当然、ツキノカガヤクヨルのライブには出入り禁止処分となった。また、他の地下アイドルの運営にも話が伝わっていて、数々の場所で会場入りを拒まれた。
そのたびに暴れては、警察の世話になるということを繰り返していた。
呆れ果てた両親は、坂井を家から追い出そうとした。しかし、坂井にあてはない。
居座っている間に、気がつくと、両親が家から出て行ってしまった。
独りになった坂井は、家にこもり、時々リリイにメッセージを送った。しかし、ブロックされていて届かない。
SNSでの接触も試みたが、やはりすぐブロックされた。
生きる希望を失った坂井は、食うや食わずでツキノカガヤクヨルの情報をネットで探っては寝るという自堕落な日々を送っていた。
すべてが嫌になっていた。社会も自分自身も──。
死がよぎり始めた時、ライブで知り合った昔の知人からメッセージが届いた。
ツキノカガヤクヨルなどを運営している会社に妙な噂が立っているという話だ。
運営は、いろんなアイドルグループを作る傍ら、そこへ応募してきた女の子に売春をさせているという話だった。
ふと思い出す。
自分が殴ったスーツ姿の中年は、ライブを楽しんでいるといった様子はなかった。いつも最後尾にいて、ペンライトを持つこともなく、ただただステージを見つめていた。
リリイは裁判で、男性は彼氏だと語っていたが、男性には妻子があった。不倫カップルだったのかもしれないが、あれが売春相手だった可能性も否定できない。
そういえば、ツキノカガヤクヨルのライブには、スーツ姿の中年男性みたいなのがちらほらと見かけられた。
あれが買春の客だとすれば……。
確かめたいが、彼らが運営しているライブ会場には出入りできない。野外ステージでも見つけられれば、警察に通報される。
警察には何度もお世話になっているから、今度逮捕されると、実刑を食らいそうだ。
何もできず、刑務所に入るのは嫌だ。
どうすれば……。
考えて考えて、ようやくある結論に辿り着いた。
坂井は、噂を教えてくれた知人にラインを送った。
僕がリリイを守る、と。
そして、家を出た。
その日、ツキニカガヤクヨルのライブが行なわれている会場近くで張り込み、リリイの姿を見つけ、周辺に気を配りつつ尾行した。
吉祥寺駅で降りるのは想定内だった。リリイの住まいはここにある。
商店街を抜けていく。通行人の陰に隠れつつ、少しずつ少しずつ距離を詰めていく。
坂井は上着の右ポケットに手を入れた。深いポケットの中に、折り畳みナイフを入れていた。
ポケットの中で刃を出し、グリップを握る。
リリイを守る唯一の方法。それは、リリイを傷つけ、売り物にならないようにすることだった。
商品価値がなくなれば、仮に売春が行なわれていたとしても、リリイが不特定多数の男のおもちゃにされることはなくなる。
もちろん、傷つけた責任は取るつもりだ。自分が一生をかけて、リリイを守る。
そうするしかない。
坂井は思い詰めていた。
風が吹いた。リリイの長い髪が揺れる。坂井の鼻先にリリイの匂いが漂ってきた。
ドクンと心臓が鳴った。
顔が熱くなった。脳みそがとろけそうなほどだ。
行く!
坂井はナイフを出した。前屈みになり、リリイに迫る。
リリイは気づいていない。
坂井はリリイに刃先を向け、突っ込んでいった。
リリイの背中に届く。
そう思った瞬間、目の前に影が差した。
カンと予想もしない音が立つ。坂井は顔を上げた。
何者かは黒迷彩の戦闘服を着ていた。分厚いベストが坂井のナイフの刃先を受け止めている。
戦闘服を着た何者かの左手が、ナイフを握った坂井の右の手首をつかんだ。
坂井の腕が外側に開かれた。瞬間、坂井の顎が強烈な掌底で弾かれた。
坂井の顔が跳ね上がる。戦闘服の何者かの先にリリイが見えた。リリイは別の戦闘服の何者かに肩を抱かれ、坂井から引き離されていた。
「リリイ!」
坂井が叫んだ。
戦闘服の何者かは、坂井の右手首を右手で握り替えた。右脚を引いて半円形に回ると同時に、右腕を背中にねじり上げながら左手で肘裏を押さえた。
何者かが左膝を落とし、左手に体重をかけた。
坂井の体が大きく前のめりになった。そのまま商店街の歩道ブロックに顔から突っ込む。したたかに顔面をぶつけた。折れた歯と血糊が口から噴き出す。
坂井の右腕は背中に回された。親指下のふくらみをつかまれ、手首を腕の方へ折られると、指が開いた。
何者かはナイフを取って、別の戦闘服の何者かの足下に投げた。
腕を捩じ上げられ、左膝で背中の中心を踏まれる。たちまち坂井は動けなくなった。
「1920(ひときゅうふたまる)、ターゲット確保! 対象保護完了!」
戦闘服の何者かが声を上げ、右手首に手錠をかけた。左手首も背後にねじられ、手錠をかけられる。
坂井はあまりに急なことで、自分に何が起こったのか、わかっていなかった。
「立て」
腰あたりのズボンとベルトを握って引き上げられる。坂井はふらふらと立ち上がった。
「なんなんだ、おまえら!」
肩越しに後ろを見て怒鳴る。
「警視庁特殊班だ」
「えっ! SATか?」
坂井が驚く。
「あっちは特殊部隊。俺たちは特殊班。SAT─lightと呼ばれている」
「サットライトだって? そんなの知らないぞ」
「おまえみたいな一般人が知っているわけがない。どのみち、おまえは刑務所送りだ」
「待て! 僕はまだ何もしていない!」
「銃刀法違反。殺人未遂も付くか」
「僕はリリイを殺そうとはしていない! 殺すわけがないだろう! リリイ! なんとか言ってくれ!」
坂井はリリイを見た。
リリイは戦闘服を着た者の後ろに隠れ、怯え、非難するような目を坂井に向けていた。
「話は署で聞く」
戦闘服を着た者は、坂井の腰あたりのズボンを強く握り、手錠の鎖を握った。坂井の踵が浮き、リリイとは反対の方向へ歩かされる。
「リリイ! 僕が守る! 僕が守る!」
坂井の声が商店街に響いた。
通行人は、坂井たちを遠巻きに見ている。
リリイを保護していた戦闘服の者が、リリイの肩をそっと抱いた。
「あなたにも事情を聞かなければならないの。一緒に来てくれる?」
女性の声だ。
リリイは小さくうなずき、戦闘服の者と共に坂井とは反対方向に歩きだした。
第1章
1
警視庁刑事部のフロアの一番奥にある部屋に、黒い迷彩服を着た者たちが戻ってきた。
「あっさりとしたミッションだったなあ」
小柄ながら筋骨隆々の男は、自席に座ると、迷彩服の前のジッパーを下ろした。
「まあ、うちのミッションはいつもこの程度のものだろう」
長身の男も自席に戻り、前を少しだけ開け、帯革に取り付けた特殊警棒や手錠などを外して、デスクに置いた。
少し遅れて、短髪の女性が入ってきた。
「お疲れさんです」
迷彩服のジッパーを下ろし、袖を抜いてTシャツ姿になった。
「保護した女の子の聴取は終わったのか?」
長身の男が訊いた。
「終わりました」
女性は帯革ごと装備を取り、デスクに置いて、座った。
「かわいそうに、終始震えてましたよ。ほんと、あの男、許せないですね」
口をへの字に曲げ、眉を吊り上げる。
「そう単純な話でもないかもしれんぞ」
口ひげを蓄えた中年男性が入ってきた。
「お疲れさんです」
長身の男が言う。
三人が立ち上がろうとする。中年男は右手を上げて、縦に軽く振った。三人が座り直す。
中年男は、三人の席が見渡せる窓際の自席に座った。
口ひげの中年男は、この部屋のボス、真田一徹。警視庁特殊班のチーフだ。
警視庁特殊班は、庁内では〝SAT─Light〟と呼ばれている。
SATは特殊部隊で、ハイジャックや重要施設占拠などのテロ事件、強力な武器を使用する組織的犯罪、立てこもり事件などに対処するため設置された部署だ。警備部の所属としている都道府県警が多い。
刑事部に所属するSIT、特殊犯罪捜査課と役割は似ているが、SITが人質の救出や犯人検挙に重きを置いているのに対し、SATは被疑者の制圧に主眼を置いているところに違いがあると言われている。
どちらも、特殊部隊であるため、一般に全貌は明かされていない。
特殊班は警備部にも刑事部にも所属しない独立した組織だった。
SATやSITが出動するまでもないが、場合によっては凶悪事件に発展しかねない事案や緊急を要する一般人の保護、武器使用が予測される組織などへの突入、犯人の検挙、制圧など、刑事課の刑事には危険だと判断される事案の対処を担う。
矢月 秀作(やづき・しゅうさく)
1964年、兵庫県生まれ。文芸誌の編集を経て、1994年に『冗舌な死者』で作家デビュー。ハードアクションを中心にさまざまな作品を手掛ける。シリーズ作品でも知られ「もぐら」シリーズ、「D1」シリーズ、「リンクス」シリーズなどを発表しいてる。2014年には『ACT 警視庁特別潜入捜査班』を刊行。本作へと続く作品として話題となった。その他の著書に『カミカゼ ―警視庁公安0課―』『スティングス 特例捜査班』『光芒』『フィードバック』『刑事学校』『ESP』などがある。