『福猫屋』刊行記念!猫エッセイ「ねここんじゃく」①/三國青葉

文字数 1,664文字

心温まる優しい歴史小説が話題の三國青葉さんの新シリーズ「福猫屋」が開幕です。

第1弾は、『福猫屋 お佐和のねこだすけ』

その刊行を記念して、猫好きの三國さんがとっておきの「猫エッセイ」をよせてくださいました!

豆知識から三國さんのおうちの猫さんの話まで、なるほど、あるある、と膝を打つあったかエッセイ「ねここんじゃく」です!

〈猫、町に放たれる〉/三國青葉

 最近は、猫を飼う場合『完全室内飼い』が奨励されています。うちの猫は保護猫で、譲渡の際に保護主さんと交わした書類にいくつかの約束事が記されていましたが、その中に『完全室内飼い』というものもありました。


 完全室内飼いが良いとされる理由はおもにふたつあります。ひとつは、外で猫どうし喧嘩をし、噛み傷から猫免疫不全ウイルス感染症(猫エイズ)などの感染症がうつってしまうリスクが避けられること。もうひとつは、交通事故にあわずにすむということです。獣医師会や行政や自治体、そして保護団体などにおいて推奨されている完全室内飼いですが、中には反対する人たちもいます。彼らの主張のひとつに、昔から猫は 外で暮らしてきたのだから自然のままにしたほうが良いというのがあります。


 ところがなんと! 昔、猫は放し飼いではなかったのです。室内でひもにつないで飼われていました。日本に猫がやって来たのは仏教伝来のころだと言われています。大陸から船で運んだ経典をネズミから守るために、猫が乗せられていたのです。猫たちは『唐猫』と呼ばれ、高貴な人たちの間で珍重されました。逃げていなくなってしまっては困るので、ひもにつないで家の中でペットとして大切に飼っていたというわけです。


 では、猫たちはいつ放し飼いになったのでしょうか? それは慶長7年(1602年)のこと。徳川家康の命で京都所司代が『猫放し飼い令』を発布したのです。京の都の人口が増えてネズミの害がひどくなったため、猫にネズミ退治をさせることにしたのです。こうして猫は町に放たれました。


 猫の活躍により、ネズミの害は激減したそうです。しかし一方で、迷子になって帰ってこなかった猫たちや、犬に襲われたり荷車に轢かれたり(交通事故!)して死んでしまった猫たちもいたそうです。いわば掌中の珠であった愛猫を、放し飼いにしなければならなかった飼い主たちの胸中はいかばかりだったでしょうか。もし、今、猫は放し飼いにしなければならないという法律が施行されたら、違反する愛猫家はたくさんいそうです(もちろん私もその中のひとりです)。

三國青葉(みくに・あおば)

兵庫県生まれ。お茶の水女子大学大学院理学研究科修士課程修了。2012年「朝の容花」で第24回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞し、『かおばな憑依帖』と改題してデビュー(文庫で『かおばな剣士妖夏伝 人の恋路を邪魔する怨霊』に改題)。幽霊が見える兄と聞こえる妹の話を描いた『損料屋見鬼控え』は霊感のある兄妹の姿が感動を呼んで話題になった。その他の著書に『忍びのかすていら』『学園ゴーストバスターズ』『学園ゴーストバスターズ 夏のおもいで』『黒猫の夜におやすみ 神戸元町レンタルキャット事件帖』 『心花堂手習ごよみ』などがある。

夫を亡くして塞ぎこむお佐和を救ったのは迷い猫だった。

彼女は恩返しに貸し猫の店を思いつき……。

江戸のペット事情を描く時代小説!


錺職人の夫を若くして亡くしたお佐和は仕事場を兼ねた広い家にポツンと一人取り残された。夫を追いかけたいと思うほど落ち込んでいたが、そこへ腹の大きな野良猫が迷い込む。福と名づけたその猫の面倒を見るうちに心癒やされ、お佐和は立ち直りを見せる。すぐに子猫が5匹生まれ、また、甥っ子の亮太や夫の兄弟子だった繁蔵もお佐和の家に立ち寄るようになり、お佐和の家はすっかり明るさを取り戻していく。そんなある日、繁蔵の長屋の大家から福に「ネズミ捕り」の依頼が舞い込む。江戸時代のペットショップ「福猫屋」が始まるきっかけだった……。

新シリーズ開幕記念!

初回限定 特製・猫しおりつき!

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