まだ見ぬ世界へ向かうには? 冒険心をくすぐるドラマのつくりかた

文字数 3,762文字

突然ですが、幼いころに「冒険」をしてみたくなったことはありませんか?


いつも暮らしている街を飛び出してまだ見ぬ世界に飛び込み、まだ誰も経験したことのないような出会いや体験をしていく……夜眠る前やふとしたとき、「ここじゃない世界へ旅に行けたら」と夢見ていたひとは多いのではないでしょうか。


そして、そんな冒険心を言葉にして、刺激してくれるのが小説です。昔からまだ見ぬ世界を目指して冒険をする人々を描いた小説は、数多く刊行されてきました。美しい世界観や未知の魅力に惹かれて、人気を博したものも多く存在します。いまなお、言葉の力によって「見たことのない世界」を創り出す作品は生まれ続けているのです。


今回はそんな「冒険」を描いた、幼い子ども二人が未知に立ち向かう新人賞受賞作を二作品紹介していきます。

~第7回~

まだ見ぬ世界へ向かうには? 冒険心をくすぐるドラマのつくりかた

鳥美山貴子『黒紙の魔術師と白銀の龍』


第62回講談社児童文学新人賞の受賞作。

物語の引き金となるのは、主人公の悠馬が黒爪山で見つけた真っ黒なトカゲ。確かに動いているところを捕まえたはずのそれは、友人らに見せると折り紙で作られた精巧なつくりものになっていました。

不思議に思いながら自宅に持ち帰ると、折り紙のトカゲはカサコソと動き始めます。不気味に思った悠馬はいつも教室で折り紙をしている小学校のクラスメイト、神木啓に案内されてトカゲを「おりがみ教室」に持っていき、その正体を明かしてもらおうとします。

しかし、黒いトカゲを預けていた九是先生は前触れなく行方不明になってしまいました。

そして悠馬と啓図で行方を追ううち、黒爪山から運び出してしまったトカゲは、祀られていた「黒紙様」だと判明するのです。

結界から解き放たれ、世界に災いをもたらそうとする謎の存在から先生を救うべく、悠馬と啓図は「入ってはならない」とされる黒爪山の奥へ踏み込んでいきます。


折り紙の折り目を「魔法陣」に見立てる発想から、折り紙でつくった動物に命を宿していく設定は、身近にあるものが突如として魔法の道具になったような神秘さがあり、子ども心をくすぐるものになっていました。

そして、その神秘さを更に強固なものとしているのが、徐々に物語を膨らませていく物語の構成と展開です。


まず、悠馬たちが織りなすドラマの合間合間に「黒紙様」の誕生にまつわる言い伝えが、まるで昔話を物語っていくような文体で挿入されます。紙をすく仕事を生業にしている男・白圭、あるいは妻のキクや娘のうつしみに降りかかる悲劇が語られていくことで「現在」と「過去」は交差し、祀られていた黒紙様はおぞましいものでもあると同時に、悲劇の果てに生み出されたものでもあると新たなドラマを示すのです。

さらに悠馬たちが山奥に進むにつれ、折り紙の動物が平然とすがたを現すようになり「現実」と「空想」が入り混じります。なかでも過去語りに登場していた白圭の娘、うつしみが折り紙のカニになって現れる展開は大きな意味がありました。カニのすがたで悠馬たちと交流するすがたがメインヒロインといって差し支えないほどかわいいのはもちろん、人間だったはずの存在がカニとなって現れることで、これまで折り紙が動くのみに留まっていた空想のレベルは、一段階上へと引き上げられるのです。


それと同時に、現在において語られていた失踪した先生を探す物語は、うつしみの出現によって「過去」を背負い、物語のスケールを縦(語られる時間の果てしなさ)に広げます。さらに現実の対角線に位置する「空想」のダイナミズムも膨れ上がっているため、スケールを横(いまいる世界の果てしなさ)にも広げていくのです。悠馬たちが山奥に踏み入るにつれて縦にも横にも広がっていくスケールが、読者に大きな冒険心や高揚感をもたらすのは言うまでもありません。


そして、現在と過去、あるいは現実と空想がそれぞれ交差することで折り紙を折るように大きなひとつの形をつくっていく冒険は、最終的に街の運命を揺るがす事態にまで発展していきます。それを止めるために悠馬たちがとった手段は、「折る」ことは「祈る」ことでもあるのだと伝えてくる、力強さがあるものでした。どこまでも広がっていく物語の行く末は、ぜひ読んで確かめてみてください。

東曜太郎『カトリと眠れる石の街』


第62回講談社児童文学新人賞の佳作。


物語の舞台となるのは1885年のエディンバラ。旧市街の学校に通っている金物屋の一人娘カトリオナ・マクラウドは、馬車に轢かれそうになったところで新市街の寄宿学校に通うオールデン・エリザベスと知り合いました。父親が原因不明の「眠り病」を発症したと語るリズの大胆な行動に付き合わされる形で、カトリはエディンバラを侵食していく「眠り病」の原因を解明するべく、街が隠していた大きな秘密に近づいていきます。


物語序盤、リズが『宝島』の著者であるスティーブンソンと会ったことがあると語り、私たちが住んでいる「現実」だと示しながら始まる物語は、原因不明の「眠り病」を巡って徐々に幻想めいた「非現実」へと接続されていきます。


本作において魅力的なのは、その「非現実」への誘いかたです。街を歩き回って「眠り病」の情報を集めていく流れは街中を探検しているようで楽しく、〈レイトン教授〉シリーズのような謎解きアドベンチャーゲームを彷彿とさせる展開となっていました。

ただ、用意されたマップを辿っていくことでひとつの「謎」に近づいていく展開は、小説に書き起こそうとすると一本道の冗長な物語になりがちでもあるでしょう。しかしこの作品では情報開示のタイミングを適切にコントロールして、身近だった謎は少しずつ、街全体を揺るがす大きなものへと発展していくようになっているのです。スケールの広がりは一切飽きを感じさせないどころか、次から次に出てくる謎が読者を非現実に引き摺り込みます。


そして「冒険」色をより強くしているのが作中の世界観の示し方。多くの日本人にとっては馴染みの薄い「19世紀後半のエディンバラ」という世界観も、入り込めるように丁寧な施しがされていました。

たとえば「エディンバラは旧市街と新市街にわかれており、旧市街には背の高い建物が隙間なく建てられている」という情報を最序盤にまず地の文で示し、間を置いてリズに説明するかたちで、今度は台詞として示しています。最初の説明でイメージを馴染ませながら、くどくならない範囲でリズ(と読者)に寄り添うことで世界観に没入しやすくなっているのです。同時にエディンバラの風景を描写としてさりげなくみせていくため、現代に生きている私たちをも、エディンバラという迷路のような街に誘わせるようになっていました。


一方で、19世紀エディンバラの世界観に閉じこもらず、その「外側」をも見ようとする試みも作中ではなされていました。金物屋を継ごうと決めているカトリは事あるごとに、周囲の人間から「外の世界への憧れ」を指摘されます。主要人物の精神的な成長ドラマを並行させながら、高い建物に囲まれたエディンバラの外側が常に示唆されるので、物語が閉鎖的なものにならず、風通しがよいものになっています。


やがてカトリとリズの「冒険」はひとつの大きな真相に辿り着きます。それはあまりにも斜め上かつワンダーセンスあふれるもので、驚くこと間違いなし! なのですが……ここで語ってしまうと興が削がれてしまうので、ぜひカトリとともにエディンバラをめぐる冒険に飛び込んで、目の当たりにしてみてください。

今回は以上の二作品を紹介していきました。

『黒紙の魔術師と白銀の龍』も『カトリと眠れる石の街』も、主人公たちに「冒険」をさせながら物語の核となる「謎」のスケールをどんどん広げていくのが印象的です。

最初は身近だった「謎」が、少しずつ世界全体を揺るがすような危機に発展していく……その際に、私たちへの住んでいる現実から空想(ファンタジー)への飛躍を行っているのも欠かせません。


また、世界に訪れる危機を止めるのが幼い主人公たちであるところに、「まだ見ぬ世界」への憧れが投影されているように感じます。

現実ではない世界の主役となるのは、読者である私たちでもあるのです。

あわいゆき

都内在住の大学生。普段は幅広く小説を読みながらネットで書評やレビューを手掛ける。趣味は文学賞を追うこと。なんでも読んでなんでも書くがモットー。

Twitter : @snow_now_s

note : https://note.com/snow_and_millet/

第7回「この新人賞受賞作がすごい!」で取り上げたのは――

小学生の悠馬があるとき山で捕まえたのは、スニーカーほどの大きさをした黒いとかげだった。しかし、生きていたはずが友人に見せるときには折り紙でできた動物になってしまっていた。不思議に思いながら悠馬は黒いとかげを持ち帰るが……。
エディンバラの旧市街で暮らしている少女カトリは、新市街のスクールに通っているリズと出会う。リズの父親が原因不明の「眠り病」を患っていると聞かされ、カトリとリズは原因を解明しようとエディンバラを奔走する。

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