「小説」でどう怖がらせる? 読者に想像をさせるホラー小説の描き方

文字数 4,194文字

「ホラー小説」と呼ばれるジャンルがあります。長い歴史を持つこのジャンルは今日に至るまで、数多くの名作を生み出してきました。

ただ、小説はその形式上、恐ろしい光景を直接目の当たりにしたり、音を聴くことができないため、読者を怖がらせようとすると高い技術が要求されます。

だとすれば、「小説」という媒体で人々を怖がらせ、慄きもさせる「ホラー」はどのように描かれているのでしょうか?


今回は怪異や恐怖を描いている新人賞受賞作を二作品、紹介していきます。

~第18回~

「小説」でどう怖がらせる? 読者に想像をさせるホラー小説の描き方

伏見七尾『獄門撫子此処ニ有リ』


第17回小学館ライトノベル大賞の大賞受賞作。


地獄を管理する存在〈獄卒〉の末裔として周囲からは「呪われた一族」と忌まわしく思われている獄門家の数少ない生き残り、獄門撫子。〈無耶師〉として霊能力を有している彼女は、「倉に現れた鬼を退治してほしい」という依頼を受け、現地に赴きました。

そこで撫子は「普通の人間」を自称する胡散臭い女性、無花果アマナと出会います。無耶師ではないものの、「化け物が、私のことを好きなんだよ。」と意味ありげに話すアマナ。

撫子とアマナは京都に出没するさまざまな「怪異」と対峙し、己が何者なのか向き合っていきます。



気合、根性、想像、狂気、直感のような数多の心象が現実にまで作用するのを「霊能力」、それを駆使するための技術を「呪術」とそれぞれ呼ぶ世界で、撫子とアマナは怪異によって何度も危機に陥ります。得体の知れない存在との対決がアクションとしてもホラーとしても盛り上がるよう、小説的な描写が随所に施されていました。


たとえば物語序盤に登場する怪奇現象・怪異について、作中では次のような描写がされています。


「夥しい芋虫が跳ねているような――あるいは大量の指が板を叩いているような。そんな音だった。」

「腕、腕、腕――人間の腕が蛆の如く群れを成し、蠢いている。」


映画を通して不気味な音を耳にしたり、漫画で〈化け物〉のビジュアルを直接目にすると、真っ先に「不気味」「怖い」などの抽象的な感覚が湧いてくるはずです。文学的な比喩がすぐさま頭に浮かぶひとはおそらく少ないでしょう。

ただ、小説は言葉を巧みに用いた描写によって怖さを具体的に演出していきます。先に引用した例だと、〈芋虫〉〈蛆〉のような生理的嫌悪感が湧きやすいフレーズと絡み合わせることによって、抽象的だったはずの「怖さ」にはっきりとした輪郭をつくっているのです。そして、それを読んだ読者は怖さの輪郭を基に、目に見えない非現実な世界でなにが起きているのか、イメージしようとします。

小説は描写によって読者に「想像」のきっかけを与え、能動的に怖さを実感させることができるのです。



さらに、描写を駆使すれば単なる「怖さ」だけではない、異なる感情も意図して宿せます。


「さながら、それは開花だった。赤い粘膜は花弁、ぞろりと生えた牙はその斑点を思わせる。」


たとえば先に引用した一文。人間の顔が裂けていくグロテスクな動きに対して、「粘膜」「斑点」のような生々しい印象を与える言葉と同時に「開花」「花弁」のような美しい印象の言葉を並べ、それらを「赤い」鮮烈なイメージで結んでいます。これを読んだとき、恐ろしさと同時にある種の美しさを抱く読者も多いでしょう。想像させるための言葉を意図して配置することで、印象自体をコントロール出来る小説ならではの利点です。



ただ、描写がどれだけ洗練されていても、イメージさせるための下地がなければ、怖さを実感させるのは困難でしょう。

その下地となりうるものが、作中に広がっている世界観や、登場人物らが抱えている心理的な葛藤です。

『獄門撫子此処ニ有リ』では、輪廻転生を基にした仏教観をベースに、日本の代表的な怪異が次々に登場します。歴史的事実との接続もうまく、フィクションとして描かれながらも、現実にあるかもしれない、と可能性を残すようにつくられています。

また、撫子とアマナがともに抱えている「孤独」も、世界観をより強固かつ、濃厚なものにしていました。鬼だと言われて周囲から疎外されている撫子が抱える孤独と、正体を隠すために嘘をつき続けるアマナが抱える孤独は、一見して異なるものでありながら、どちらも人間に対する不信が根ざしています。一方で、「普通の人間になりたい」という願望も抱えており、アンビバレントな心理状態は、いかにも人間らしいものです。フィクション的な化物と人間との関係・差異を緻密に活写することで、より作中世界をイメージしやすいようになっているのです。


次々に立ち現れる怪異と対峙する撫子はやがて、ひとつの大きな真実に辿り着きます。

言葉を尽くすことで「うつくしくもおそろしい」を体現させた、現代の少女鬼譚です。

北沢陶『をんごく』


第43回横溝正史ミステリ&ホラー大賞の大賞受賞作。


舞台は大正時代の末期。関東大震災による外傷が原因で妻の倭子を亡くした古瀬壮一郎は、短いままに終わった結婚生活を悔やみ、妻の死を受け入れられないでいました。

実家がある大阪の船場で、壮一郎は巫女に口寄せを依頼します。しかし、壮一郎の前に現れた倭子は、生きていた頃の倭子ではありませんでした。さらに「生者顔でうろうろしている死者」を食べるエリマキなる存在が現れ、倭子のことを喰らおうとしてきます。



横溝ミステリ&ホラー大賞において前代未聞となる、大賞、読者層、カクヨム賞のトリプル受賞――本作があらゆる層から評価されて刊行されている事実が示しているのは、その間口の広さと完成度の高さです。

魅力的な登場人物、怪異との出会い、そして共闘、明かされる謎、怪異との対決――。決して多くない紙幅でエンターテイメントとして過不足なく成立していながら、「身近な人間の喪失と再生」を描いた王道の小説としても一貫しているため、ホラーやゴシックに馴染みの薄い読者でもすらすらと読めるようになっています。


そして、その読みやすさと面白さを支えているのが、洗練された描写の数々でしょう。大阪の文化史料が参考文献として多く挙げられているとおり、世界観を味わうための綿密な描写が随所に施されていました。「大正時代の船場」という私たちのほとんどが生きていなかった時代をするりとイメージさせてしまう、強力な下地となっています。


なかでも特に際立っていたのは、大正時代の船場で用いられていた方言でした。


「喋った、いうわけやないでっけど」

 そこまで言ったが、何と答えていいのか迷った。

「歌うとりました」

「それ、奥さんの知ってはる歌でっか」

「妻がどうかは分からしませんけど、私は一度も聞いたことはごあへん。子どもの歌うような歌……もとの家が近所ですよって、私が知っとってもおかしないはずでっけど」


方言は使い方を誤れば読者に意味が通じなくなってしまいがちですが、本作では方言をふんだんに使用しながらも、読みにくいことは一切ありません。意味が通じる範囲でテンポ良く的確に配置されており、馴染みやすくなっています。それでいて、視覚的にはふだん聞くことの少ない言葉がずらりと並んでいるのです。この方言使いによって可読性を損なわないまま、私たちの暮らしている現代から離れた、独自の郷土性が演出されていました。小説が与える言葉の視覚効果によってより怪談らしくなり、ほんとうに怪異がいるのではないか、と思わせるようになっています。



また、物語世界をより身近に感じさせているのが、「エリマキ」なる存在です。エリマキは赤黒い襟巻きで死にきれない霊を覆いつくし、容赦なく喰らいます。外見も「見るひとの心にいちばん深く根付いている者の姿に見える」ようになっており、私たちとは性質がかけ離れている存在であることには違いありません。

ですがその一方で、エリマキは作中で唯一現代的な標準語を使い、方言によって醸し出されている大正時代の空気から離れた、浮世めいた飄々たる振る舞いを見せるのです。そのためエリマキは生者の世界と死者の世界をつなぐ存在でありながら、その接続される「世界」が、私たちの生活する現代の世界と、作中時代である大正の世界、その二つの関係性にも当てはめられるようにもなっています。一見しておぞましいフィクショナルな存在にもかかわらず、私たちの世界につなげてくれる役割をも担っているため、不思議と身近さや愛着を抱けるのです。その「愛着の抱きやすさ」は、物語設定や終盤の展開とも上手く噛み合っていました。


壮一郎とエリマキは怪異とどう対峙するのか、そして物語はどこに向かうのか――常に先を予測させない、ホラー&ミステリの冠に相応しい作品です。

今回は以上の二作品を紹介していきました。

どちらの作品も比喩や方言など、文章によって与えられるイメージの効果を巧みに利用することで、おそろしさを抱かせる世界観を組み立てることに成功しています。

また、怪異が現実にいるのではないかと思わせられるように、それでいて現実に近づきすぎないように、絶妙な塩梅で描写されているのも特徴的でしょう。

小説において読者が怖がるのは、”想像”するから――その想像をさせるための下地があってこそ、ホラー小説は成立しているのです。

あわいゆき

都内在住の大学生。普段は幅広く小説を読みながらネットで書評やレビューを手掛ける。趣味は文学賞を追うこと。なんでも読んでなんでも書くがモットー。

Twitter : @snow_now_s

note : https://note.com/snow_and_millet/

第18回「この新人賞受賞作がすごい!」で取り上げたのは――

伏見七尾『獄門撫子此処ニ有リ』

呪われた一族だと言われている獄門家の生き残り、獄門撫子は「倉に現れた鬼を退治してほしい」という依頼を受け、八裂島家に赴く。

その先で出会ったのは「普通の人間」を自称する無花果アマナ。二人は危機を乗り越えながら、京都に蔓延る怪異と対峙していく。

北沢陶『をんごく』

大正の大阪、船場。亡くなった妻の倭子を忘れられず、口寄せを依頼した壮一郎。しかし彼の前に現れたのは、別人のようになった妻の霊だった。

さらに「死にきれない霊」を喰らう顔のないエリマキが壮一郎の前に現れ、二人は周囲で起き始めた怪現象の謎を追っていく。

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