性別や身分に囚われないコミュニティを描くには?

文字数 3,661文字

私たちは生きていくうえで、何かしらのコミュニティに所属する必要性に差し迫られます。

それはたとえば家族のような共同体から、学校や会社、サークル活動なんかやご近所付き合いに至るまで。そして、そうしたコミュニティには多くの場合、性別や身分を基に決定される見えない規範に囚われています。

だとすれば、そうした既存の規範に囚われていないコミュニティは実在するのでしょうか?


今回は既存の在り方に縛られないコミュニティの在り方を描いた新人賞受賞作を二作、紹介していきます。

~第17回~

性別や身分に囚われないコミュニティを描くには?

大田ステファニー歓人「みどりいせき」


第47回すばる文学賞の受賞作。


郊外の都立高校に通っている高校生の桃瀬は、学校をサボって屋上で過ごしていた帰り、誰もいないはずの教室で薬の売買現場に遭遇してしまいます。そして彼ら彼女らと交流していたのは、小学生時代に野球のバッテリーを組んでいた春でした。春との再会にうれしさを膨らませた桃瀬はすっかり別人のようになった春についていき、深緑色のタイルが張られたマンションまでやってきます。そして桃瀬自身も、薬物売買に巻き込まれていきます。



読み始めてまず真っ先に目に留まるのは、饒舌な口語体と、用いられている単語の珍しさです。若者言葉、と雑に括ってしまうこともできない文章が飛び交い、「フォグってんの?」「はぁいしーす、わさぁ」「ブリちゃった感じすか」「レタチャがエグちす」など、部分的に抜き出すと到底意味の通じない台詞も散見されます。

そして基本的になんの説明もされないまま描写によって物語が進行していくので、麻薬に関する隠語も当然、隠語のまま提示されています。だからそれを聞く桃瀬が困惑を隠せず、何が起きているのかもわからないまま事態に巻き込まれていくように、読者もいまなにが起きているのか困惑しながら読み進めることになるでしょう。

ただ、困惑したまま読み終えてしまっては「わけのわからない作品」というマイナスな印象になってしまいます。しかしご安心を、未知への不安は最初のうちだけ。本作では前後に挿入される会話や描写によって、読み進めていくうちに言葉の意味がなんとなく伝わるよう周到に書かれています。不親切ではなく、あくまでも物語世界に没入させるための措置なのです。

だからこそ、なんとなくこういうことを言っていて、いまこういうことが起きているんだな、と文章に迸るバイブスを掴めた瞬間、使われている言葉たちのリズムの良さ、面白さを楽しみながら読み進められます。

そして気づいたときには前述した「レタチャがエグちす」も、なんの説明もされていないにもかかわらずなんとなく意味を察せられるようになっているのです。


また、説明の割愛と同時に、コミュニティ内で用いられている呼称を一般的な名前から乖離させることによっても、物語への没入感を味わわせるようになっていました。

たとえば桃瀬は周囲から「モモ」と呼ばれ、コミュニティに属する人物たちも春は「ルル」、はぐみは「グミ」、ひかるは「ラメ」、成瀬は「ナルミン」など、男性か女性か判別がつかない名前で呼ばれています。また実際はそうした渾名すらも気分次第によって軽々と変化し、ひとつに固定されません。性別を意識させる描写もほとんどないため、彼ら彼女らが生きていくすがたに、現実のあらゆる規範から解放された、風通しのよさを感じずにはいられないでしょう。


お互いを自由に呼びながら関わり合い、他者による規範に一切囚われようとしない自由な在り方は、性別や家族に縛られることのない「新しい共同体」として成立していました。

そして、コミュニティに内側から浸らせるための没入感を与える筆致が、その風通しのよさを強く実感させるようになっているのです。


登場人物たちが「とっくに死んだジジイが作ったルールなんて知るか」と抗って生きているように、他者から働かされる強制力を微塵も感じさせない、力強い一作です。

池谷和浩「フルトラッキング・プリンセサイザ」


第5回ことばと新人賞の受賞作。


あらゆる角度から撮影した写真のデータを測定し、3DCGモデルを生成するエンジニアとして会社に勤めているうつヰは、会社の部長とともにイベントの現場に赴いていました。その傍ら、うつヰは「プリンセサイザ」という京王線沿いの駅周辺を再現しようとするVRゲームにログインします。


会社員であるうつヰの日常を改行少なめにぎっちり描いている本作は、性別どころか人名なのかも疑わしい「うつヰ」という名前がなんの説明もなく生活に溶け込んでいるように、読者への説明がまったくもってされません。その一方で語り手であるうつヰ自身は、自らへの説明を何度も施します。たとえば物語冒頭の一行目から「今日はバスタオルで体を拭こう」と思い、それをアプリケーションにメモしておこうとしたり、付箋に書こうとしたり。しかしメモをしておこうとする「説明のための説明」自体を忘れてしまうので、何度も「今日はバスタオルで体を拭こう」と思い立つことになるのです。読者への説明不足と対照的な、語り手の部分的な説明過多が、作品世界を異化して妙な読み心地を与えています。

そして「今日はバスタオルで体を拭こう」をはじめとする反復のほかにも、うつヰはたびたび注意の欠如がみられたり言葉の小さなニュアンスの差異にこだわりをみせたり、ADHD,ASDなどの一言で括ってしまえるような特性がはっきり示されています。しかし作中ではそうした特性への言及・説明は行われず、うつヰが生きづらさを吐露することもありません。あくまでも日常的な動作・思考として提示され、第三者からの批評的な視点を一切省いた、「個」を尊重したすがたが描かれるのです。



また、現実世界におけるうつヰの日常とあわせて、個の尊重を表しているのが「プリンセサイザ」と呼ばれる架空のVRゲームです。こちらも「うつヰはプリンセサイザでVRチャットに入った。」と当然読者も知っているかのように記述されて、説明らしい説明は省かれています。ですが読み進めるうちに段々と、京王線沿いの駅周辺をVR技術によって再現する、そして再現した駅の「女王」になれるゲームなのだと判明していきます。

「プリンセサイザ」のなかで、うつヰをはじめとする自由なアバターを身につけた人々は「女王」でありながら、お互いがお互いに跪き、敬おうとする関係性として描かれていました。「女王」とは言いつつもVRの特性によって現実で“女”である必要はなく、女らしさも求められません。その在り方は性別を不明瞭にした描写も加わったうえで、性別や身分といった垣根を越えていきます。

そして「みどりいせき」と同様、そうしたコミュニティの説明をあえてしないことで、読者のいる現実と物語世界における現実、両方の現実に干渉されない自由な空間を提示、および味わわせることに成功していました。実態のよくわからないゲームでありながら、その内部で交流をする人々にどこか羨ましさをおぼえるのです。



語り手にとって自明のことは語るまでもない、これから何が起きるのかを予告する必要はない、登場人物が理解し合っている物事を読者に理解させる必要はない——これらを徹底することで物語性を跳ね除け、登場人物のリアルな内面を一貫させた、社会ではなく心象を相手取った“リアリズム”小説といえます。

今回は以上の二作品を紹介していきました。

一般的に、小説を執筆するにあたって下手に説明を省くとわかりづらさが目立って「不親切」となってしまい、瑕疵になりがちです。

ただ、今回紹介した二作はあえて読者への説明を極力省くことによって、既存の規範などに縛られない、風通しのいいコミュニティの在り方を提示しています。それでいて発生してしまう「わかりづらさ」を魅力に昇華させるための文章技術も備わっており、非常によく練られていました。

ときには目の前に飛び込んでくる文章をありのままに受け入れて、身を委ねてみるのも一興です。

あわいゆき

都内在住の大学生。普段は幅広く小説を読みながらネットで書評やレビューを手掛ける。趣味は文学賞を追うこと。なんでも読んでなんでも書くがモットー。

Twitter : @snow_now_s

note : https://note.com/snow_and_millet/

第17回「この新人賞受賞作がすごい!」で取り上げたのは――

大田ステファニー歓人「みどりいせき」

屋上で学校をサボっていた桃瀬はある日、教室で怪しげな取引現場を目撃してしまう。

かつてバッテリーを組んでいた春との再会も経て、桃瀬は怪しい闇バイトに巻き込まれていく。

池谷和浩「フルトラッキング・プリンセサイザ」

あらゆる角度から撮影した写真のデータを測定し、3DCGモデルを生成するエンジニアとして会社に勤めているうつヰは、VRゲーム「プリンセサイザ」にログインして、女王と交流しながら京王線沿いの駅周辺を再現しようとする。

登場人物紹介

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