京大生本読みのオススメ「青春ミステリ」10選
文字数 3,532文字
今、どんな作品を読んだらいいの?
そんな疑問にお答えするべく、大学生本読みたちが立ち上がった!
京都大学、慶應義塾大学、東京大学、早稲田大学の名門文芸サークルが、週替りで「今読むべき小説10選」を厳選してオススメします。
古今東西の定番から知られざる名作まで、きっと今読みたい本に出会えます。
青春という言葉はあまりにも曖昧かつ多義的すぎて、口にする時に気恥ずかしさのようなものさえ感じます。ですが、青春ミステリについてなら、なにか語り得ることがあるかもしれません。
ここに青春ミステリを10作ご紹介します。
(執筆:守宮多和/京都大学推理小説研究会)
京都大学推理小説研究会(きょうとだいがくすいりしょうせつけんきゅうかい)/京都大学
京都大学の文芸サークルです。決められた課題本について話し合う「読書会」や、担当者の執筆した謎解きに取り組む「犯人当て」などを中心に活動しています。また、それらの活動がない時も、気が向いた会員同士が(最近はオンライン上で)読んだ本や、そのほかのことについて語り合っている姿がよく見受けられます。Twitter: @soajo_KUMC
“文学少女”である遠子先輩は、物語を読みながら、つまり、自らの「読む」と言う営みの機構を借りながら、もつれて絡まり謎となってしまったものを解きほぐします。
本作で語られる遠子先輩の読みは、いっそ能天気なまでの明るさに満ちています。
しかし、彼女の読みは彼女だけのものであり、誰からも侵されないものです。
彼女の読みはその堅牢さに守られているゆえに、時に人の悲しみを慰め、苦しみを癒し得ます。
②『魔法飛行』加納朋子
〈日常の謎〉と呼ばれる作品において、謎はしばしば、ある種の枠組みを日常の中へ意図的に導入することで見出されます。
そして、導入された枠組みが変遷し、謎が解かれる過程を通じて、ミステリの枠の外側へ続く登場人物のあり方に、この影響が波及します。
時には、導入された枠組みの向こう側で、人ひとりの空間/時間的なスケールを超えたイメージがその人のあり方と接続されることさえあります。
本書にはそこまで大がかりな謎は登場しません。
ですが、登場人物の生がそれより遥かに巨きなものの中に包まれていること、そして、人と人との間にさえ、人ひとり分のスケールを超えた広がりが畳み込まれているのだということに、思いを馳せずにはいられません。
〈日常の謎〉とはつまり、登場人物の生の広がりを、ミステリの枠組みを始点として捉えるための一つの試みのようにも思われます。
そして、そうした〈日常の謎〉のあり方ゆえ、青春と呼ばれ得る時間をあまりにも鮮やかに描き出している作品が多いのだとも思います。
遊び心、悲しみ、ささやかな幸せ……と離散的に言葉を並べては語り尽くせぬほど様々な色が収められた一冊です。
表題作は静かで、それでいて忘れ難い短編です。
語り手は他愛ない暗号を解き、どうしても暗号でなければ伝えられなかった声が、今となっては手を伸ばすことも出来ない時間が、確かにあったのだと知ります。
そして、最後に収録されている短編「ビスケット」に探偵・巫弓彦が登場することも思えば、どうしても、彼が出会った三つの事件を描いた『冬のオペラ』のことを。
つまり、時は人の思いを待つことなく過ぎていき、時の流れが人を「鬼」にします。
そして、そんな存在をどうしても知ろうとしてしまう、その定めを受け入れた意思のことを思い出さずにはいられません。
主人公・水原さとみは心の中の「空白」を気にしながら中学を卒業します。
そんな中、ふと読んだ句集に心を動かされた彼女は、作者の俳人を訪ね、彼と共にひとつの目標を持つことになります。
「高校の卒業式までに一冊の句集を上梓すること。」
小諸を舞台に五月、四月、三月とまるで季節を遡るように並べられた三つの短編の中で、しかしその俳人は、季節は戻らず「すべてはごく自然に申し合わせたように進んでゆく」と指摘します。
俳句を通して「隣り合い、また繋がってゆく」季節を知ってゆく主人公の姿は、彼女自身の時の歩み方の比喩でもありましょう。
とんでもない熱量が詰め込まれた一冊です。
青春とは、これから訪れる時間の不確かさに思いを馳せることと表裏一体なのかもしれません。
そのもどかしさは、時に人を不安にさせ、自らの時間を尽くすことなしに反証不可能な命題にたどり着かせます。
そしてまたある時には、際限なく膨れ上がって凄まじいエネルギーを産み、やがて何よりも無責任で眩しく、力強い言葉にたどり着きます。
この作品で描かれている一週間は、そんな、目も眩むような青春の奔流です。
例えば学校は、外の世界から閉じた空間であると見なされることがあります。
無理解や象徴性が幻視させる同様の断絶は至る所に顔を出していて、ミステリは時に、そうした断絶を乗り越えようと試みます。
校舎から飛び降りた一人の生徒の謎を追う最中、ひとつの気づきによって事件はくるりと展開し、他でもない主人公たち、断絶を乗り越えて行こうとする二人こそが取り組むべき問題へと姿を変えます。
その瞬間があまりにも鮮やかで、印象的な作品です。
因習にとらわれた村と人々、戯画的なまでにグロテスクな怪死事件、読者を待たず導かれる壮大すぎる構図……。
閉鎖的な環境と、それ故行き場なく暴れ回る混沌の中で、主人公は一人の少女の願いを知ります。
異形が跋扈する悪夢のような騒動と、閉じた世界の最深部へ、あるいは、誰の手も届かぬ遠くへ旅立つことを望むような静謐で切実な願いの対比に、不思議な魅力を感じる作品です。
〈ハルチカ〉シリーズはどの作品を読んでもめっぽう楽しいシリーズです。
登場人物のユーモアある掛け合いを読み進めるうちに、学校生活の心地よい喧騒の中に身を浸すことができます。
シリーズ4作目の本作は文化祭期間に焦点を当てていることもあり、作品世界はより一層賑やかになります。
しかし、当たり前の学校生活によって見えづらくなる存在があることもまた、忘れられてはなりません。
このシリーズはそうした、賑やかさの間隙を突いて提示される他者と、主人公たちが出会っていく物語でもあります。
詠坂雄二の作品には『亡霊ふたり』や「残響ばよえ~ん」と言った素晴らしい青春ミステリが多々ありますが、本書もまた青春ミステリの快作だと思います。
八十六人殺しを自白した人間の関わった、一つの事件を追う記録を物語に仕立てたという形を取る本作は、一人の人間が自らの使命に(あえてこの言葉を使います)青春を賭する覚悟を決めた、そのことの記録でもあります。
青春ミステリにも傑作が多い米澤穂信の作品において、わけても〈古典部〉シリーズのはじまりである本書は、青春という概念に特に意識的です。
三十三年前といま、いまと十年後、神山市と異国の地、薔薇色と灰色、自己と他者。
様々な青春の存在が示唆され、比較され、対置され、重ね合わされます。古典部の面々はそうした無数に存在する一つひとつの青春の内側に留まるのではなく、そのあわいを見つめながら、謎を見出し、調査し、批判し、推理することで、個々の青春の間に手を伸ばそうと試みます。
時間/空間/個人的な、様々な断絶を前にしたひとの行いや思いを、謎を解くと言う行いによって掬い上げようとするのです。
青春の相対化を繰り返しながらも、個々の生がひとつ限りのものであることを見失わないこと。
答えというひとつの構図を追い求めながらも、得られた構図に押し込めるような理解をよしとしないこと。
そうした営みを絶えず積み重ねながら、登場人物たちはシリーズを通して、他者を知ろうとすることを選び続けています。
そして、青春がミステリを通して語られることの意味もまた、例えばそういうところに見出され得るのではないかと思うのです。