思い出すことをやめた全ての大人達へ。 青戸しの
文字数 2,093文字
思い出すことをやめた全ての大人達へ。
休み時間、教室で寝たふりをしている時間が苦しかった。
両腕を枕にして顔を埋めた状態で寝ていたので物理的にも苦しかったが、心の方がよっぽど限界だったと思う。
40分近くあるお昼休みは、他人の視線から隠れるようにして図書室で過ごした。
今振り返ると、たった一瞬、人生の切れ端の様な孤独を当時の私は永遠かのように錯覚していた。
きっといつの時代も、誰にでもある、“一人”を恐れる時間。
自分を取り巻く全てに悪態をついて唾を吐きたくなる日々、その中で見つけた一瞬の喜びも、全てひっくるめて私の青春だった。
もうとっくに忘れかけていた、くだらなくて、眩しい時間が、教室を吹き抜ける風のようにもう一度、心を撫でる。
第65回メフィスト賞受賞作 『死んだ山田と教室』
夏休みが終わる直前、飲酒運転の車に轢かれ山田が死んだ。
山田は勉強ができて、面白くて、誰にでも優しい二年E組の人気者だった。
夏休み明け、教室が悲しみに沈む中、担任の花浦が生徒を元気づけようと席替えを提案する。
その瞬間、教室のスピーカーから山田の声が聞こえてきた。
どうやら死んだ山田の魂は、スピーカーに憑依してしまったらしい。
今の山田にできることは、話すことと聞くことのみ。〈俺このクラス大好きで、二Eのみんなとずっと馬鹿やってたいなっていつも思ってるから、それでこうなったのかもしんないっす〉。
声だけになった山田と、二年E組の仲間たちの不思議な日々がはじまる――。
冒頭、山田が『最強の席替え』をプレゼンするシーンで、その観察眼の鋭さを発揮する。
他者の気持ちを理解する共感力と、相手への思いやりを持って物事を伝えるコミュニケーション能力。
“優しい人間”特有の性質に心を摑まれた。
稀に、山田のような人と出会えることがある。
バカ話が尽きず、いつもみんなの中心で戯けているくせに、いざ一対一で話をすると心を見透かすような目をする人。
私はこのタイプにめっぽう弱い。
性別、年齢を問わず本能的に惹かれてしまう。
なんだか私ばかり心を読まれているようで不公平だと、相手の心の内側に触れたくてたまらなくなる。
そんな魅力を抱えた山田だからこそ、声だけになってもクラスメイトから受け入れられたのだろう。
ところで最近知ったのだが、愛好家の間では「ミステリ」と「ミステリー」は使い分けられているらしい。
「ミステリ」は純粋な推理小説、「ミステリー」はエンターテインメント性を含んだ小説を指すと聞いた。本格ミステリの回りくどい言語表現や、鬱屈とした空気を好む私にとって、本作は全く新しい形のミステリーだった。
テンポよく進む生徒の会話は、純粋に面白く、リアリティが高すぎて伏線を探そうという気にもならない。
はじめのうちは「クラスメイトの中に事故に見せかけて山田を殺した犯人がいるかも」などと疑いの目で見ていたが、途中からバカらしくなってやめた。
下ネタが飛び交う中、どうやって思考を深めろというのだ。
何より、他愛もない会話を彼らと同じスピードで体感したかった。
等身大の男子高校生がいきいきと表現された会話文は天才的で、それだけでも十分に楽しめるが、土曜の夜に行われるファイア山田のオールナイトニッポンではより一層、その才が発揮されていた。
テンポはいいのに、時間だけがゆっくりと流れているように感じる。
深夜、ラジオの音に紛れた虫の声。湿った香りとたまに聞こえる車の走行音。
窓から風が吹き込んでカーテンが揺れている。
ただ教室で山田が一人で話しているだけなのに、何故だか懐かしい記憶が一気に蘇って心がざわついた。
眠りに落ちるまでのほんの一瞬、あんなに好きだった時間。
日中の思い出ばかりが脳を占めていて、すっかり忘れていた。
確かにあった。孤独と共存していた時間が、私にもあった。
クラスのいわゆる『陽キャラ』だった人達は山田を見てどう思うのだろうか。やっぱり「よく分かんねーな」と言って途中で読むのをやめてしまうのだろうか。
それとも、私と同じように泣くのだろうか。
みんなも、華やかな青春の陰に隠れた孤独や葛藤を抱えていたのかもしれない。
楽しかった時間は噓では無いけれど、理想とする自分を装う瞬間はきっと誰にでもある。
笑いで始まり、涙で幕を閉じた『死んだ山田と教室』作中に張られた伏線も、ラストでしっかりと回収されミステリ作品としても大いに楽しめた。
大人の目で見ると回収されていないように思えるシーンも、当時体感していたリアルな青春の痛みや青臭さを思い出して納得がいく。
その余白も含め、美しくまとまった一冊だった。
久しぶりに、自室で声を上げて泣いたり、笑ったりした。
理由が説明できないまま涙を流すのも、くだらない日常会話や下ネタで腹を抱えて笑うのも、本当に久しぶりのことで何だか気分がとても良かった。
人生の中で最も寂しく、自由だった時代の記憶が二年E組を通して呼び起こされる。
気の許せる友人に本作を渡したい。そして話がしたい。
ありがとう山田、私はあなたが大好きです。