第8話

文字数 10,217文字

 11 勢いの力

 映画は人が創る。
 当り前のことではあるが、今どきは、CGだのAIだのが映画の出来を決めると思う人も少なくない。
 あくまで映画は「手作り」の作業、と信じる正木や亜矢子は、今や「過去の人」かもしれない。
 それでも、実際の現場は、そう設計図通りにはいかないので……。
「セットのデザインはまだか!」
 と、スタッフルームでは正木が怒鳴っている。
「仕方ないですよ」
 と、亜矢子がなだめた後。「依頼するのが遅かったんですから」
「昔は、監督に言われたら一晩で図面を引いて来たもんだ」
「時代が違います」
 正木だって、分ってはいるのだ。それでも怒鳴っているのは、自分の号令がないと、現場が動かないと思っているからである。
 一日、ほとんどスタッフルームに腰を据えて、次々に持ち込まれる問題に対処する。
 正木があちこち動き回っていては、即座の判断を必要とするときに困ってしまう。だから、その分、正木の代りに、駆け回るのが、チーフ助監督の葛西と亜矢子の二人。この日、亜矢子に、
「――ああ!」
 と、思わず声が出たのは、午後三時になって、やっと撮影所内の食堂で昼食をとれることになったからだった。
 いつものこととはいえ、
「カレー」
 と、注文してから、「あ、カツカレーにして」
 と追加したのは、多少なりともエネルギーを補充しようという意志の現われだった。
 トレイを手にテーブルについて、食べ始めたが、すぐにケータイが鳴る。
「はい、監督」
「どこにいるんだ? ロケのスケジュールを立てるんだ。早く来い」
 と、正木が言った。
「カレー食べてますので、十五分待って下さい」
 と、急いで言った。
 ちょっとでも黙っていたら切られてしまう。
「カレー? 今ごろ昼飯なのか?」
「時間がなくて」
「そうか……」
 正木は多少反省したようだったが、「十二分で来い」
 全くもう! 亜矢子だって、ひと息入れたくなることがある。
「そうよ!」
 ここは、正木がどう言おうと、十五分かけて食べよう。いや、二十分。――そう、二十分、のんびりしてからスタッフルームに行こう。
 他の誰がいたって、待たせとけばいいんだ。大体、こっちはいつだって待たされている立場なんだ。
 亜矢子は、あえてひとさじずつ、ゆっくりと口へ運んで味わったが……。
 もともと、ゆっくり味わうほどの味じゃないというのも確かだが、食べている内、五分、八分、十分と過ぎていくと、いつしか猛スピードで食べており、結局十三分後にはスタッフルームに着いていたのである。
 正木の他に、カメラマンの市原、録音の大村、チーフ助監督の葛西が揃っていて、亜矢子はつい、
「お待たせしました」
 と言っていた。
 すると正木が亜矢子を見て、
「何だ、早いな。もっとゆっくり食べて来ればいいのに」
 と言った。
 亜矢子は手にした第一稿のシナリオで正木の頭を叩こうかと思った……。

「いいシナリオですね」
 と、市原が第一稿をめくりながら、「絵が浮んで来ますよ」
 パソコンからプリントした形の第一稿だったが、今はちゃんと製本されてスタッフに手渡されていた。
 むろん、色々直しは出てくるだろうが、基本的には第一稿が活きるということで、これは珍しいのだ。
「素人さんですか? とてもそうは思えないな」
 と、大村が肯く。
「今、四十八歳。亭主は外の女と暮していて、娘は二十歳の大学生。苦労してるんだ」
 と、正木が言った。「苦労がちゃんと身についとるんだな。人生を恨んでいない。そこがいい」
 ちょっと、監督! 亜矢子は心の中で言った。――それって、二人で第一稿を検討したときに、言った言葉じゃないですか!
 しかし、もちろん口には出てない。一旦正木の耳に入ったら、その時点で、それは正木の言葉になるのだ。
「ちなみに」
 と、正木は付け加えた。「娘の戸畑佳世子は、新人としてこの映画でデビューする」
「了解です」
 と、葛西が代表して言った。
「では、これを〈準備稿〉とする」
 と、正木が言った。
 細部の直しはあっても、このシナリオに従って、セットの数やデザインが決る。ロケとスタジオの分け方、キャスティングも進めていくことになる。
「で、ヒロインは決ったんですか?」
 と、葛西が訊く。
「これだ」
 プリントしたものを配る。もちろん、これも亜矢子が作っておいたものだ。
 戸惑いの空気が流れて、
「監督、僕は初めて聞く名前です」
 と、大村が言った。
「うん、分ってる。しかし、いいんだ」
「それなら結構です」
 みんな〈正木組〉のベテランたちである。正木が「いい」と言えば大丈夫と納得するのだ。
「――スタジオを押えて、セットを作るのに約二週間、みて下さい」
 と、葛西が言った。「その間に、シナリオの手直し、キャストの決定を」
「うん、そこは今、亜矢子が色々調整している」
 と、正木は言った。「こいつに任せておけば安心だ」
「そうだね。崖からぶら下った人だからな」
 と、カメラマンの市原が言った。
「いつまでも言わないで下さい」
 と、亜矢子はわざと市原をにらんで見せて、
「他に取り柄がないみたいじゃないですか」
 みんなが笑って、スタッフルームの中は一気に和んだ。
 それぞれが自分の課題を抱えて出て行くと、後には正木と亜矢子が残った。
「――どうだ、彼女の方は」
 と、正木が言った。
「私は魔法使いじゃないので」
「しかし、近いぞ」
「監督……。私の思い付きは平凡です。このシナリオのヒロインに、殺人罪で刑務所にいる夫を持たせるんです」
 正木がちょっと目を見開いて、
「こっちからばらすのか」
「どうせ分ることです」
 と、亜矢子は言った。「刑務所にいる夫を、子供を育てながら待つ女性。現実と重なれば、話題になります」
「お前も、とんでもないことを考える奴だな」
「何とかいう監督の下にずっといると、こうなるんです」
 と、亜矢子は言い返した。「もちろん、五十嵐真愛さんの了解を得た上でのことですが」
「七歳の女の子が心配だな」
「同感です。傷つけないで、父親の事情を分らせる方法がないかと思ってるんですが……」
「見通しは?」
「三崎治さんが罪に問われた殺人事件がどんなものだったのか、今調べさせています。内容によっては、シナリオに取り入れることも」
「お前が調べてるのか?」
「そんな時間、あるわけないじゃありませんか! 私が三人くらいいればともかく」
「お前が三人もいたら、撮影所が潰れる」
「どういう意味ですか!」
 二人がやり合っているころ、亜矢子に調査を任された叶連之介は、ある田舎のバス停に降り立っていた。

 ここかな、本当に?
 ――小さなボストンバッグを手に、叶は、周囲を見回した。
 確かにバス停はここでいいはずだ。しかし、どこにも人家らしいものが見当らない。
 林の中の道で、ここからどこへどう行けばいいのだろう?
 ちょっと途方にくれていると、カタカタという音がして――。
 セーラー服の女の子が、古い自転車をこいでやって来るのが目に入った。
 ちょうど良かった!
 叶は、
「ね、ちょっと」
 と、その女の子に呼びかけた。
 ガタガタと音をたてて自転車が停ると、
「何ですか?」
 と、女の子が訊いた。
「ごめん。訊きたいんだけど――」
 叶はメモを見ながら、「この近くに、真木村っていう所、あるかい?」
 女の子はちょっと目を見開いて、
「ありますよ。うちは真木村です」
「そうか! いや、このバス停で降りたものの、どこに村があるのか分らなくてね」
「ああ、そうですよね」
 と、女の子は笑って、「村はこの林の向う側なんです。細い道が通ってるんだけど、バスはこの道なので、分りにくいんですよ」
「どこを行けば?」
「その先の――。一緒に行きますよ。私も帰るところなので」
「やあ、そいつはありがたい」
 女の子は自転車を降りて、押しながら歩き出した。叶は並んで歩きながら、
「すまないね、僕のせいで」
「別にいいです」
 ふっくらした顔立ちの、元気そうな女の子だ。
「高校生?」
「一年生。高校まで、自転車で三十分以上かかるの」
 と、女の子は言った。
「僕は叶っていうんだ。願いが叶う、っていう字でね。君は――」
「今日子。落合今日子です。昨日、今日の今日子で。今風じゃないですよね」
「そんなことないさ。――真木村って、大きいの?」
「一軒ずつが離れてるから、面積は広いけど、村としては小さいですよ」
 と、落合今日子は言った。「村に人が来るのなんて珍しい。何の用事で?」
「ああ、ちょっと……。調べたいことがあってね」
「それじゃ、きっと落武者の伝説ね? あの村のたった一つの歴史だもの」
「まあ、そんなとこだ」
 都合よく落武者の話が出て来たので、叶はそれに乗ることにした。
 村の女の子に、いきなり「昔の殺人事件について調べてる」とは言えない。
「――でも、泊るんですか?」
 と、今日子は言った。「旅館なんてありませんよ」
「そうか。――それは困ったな。野宿したら寒いだろうし」
「風邪引きますよ。良かったら、うちに泊って下さい」
「え?」
「どうせ広くて、部屋余ってるし」
「だけど――」
「おじいちゃんと私と二人だけで暮してるの。食事はおじいちゃんがこしらえるけど、なかなかおいしいのよ」
 少女の明るい笑顔は、叶の心を和ませた。
「それじゃ、遠慮なくお世話になろうかな」
「そうして! 東京の人でしょ? 最近東京でどんなことが話題になってるか、教えてちょうだい」
 と、今日子は言った。

 確かに、その「おじいちゃん」の手作りの夕食は悪くなかった。
 村は日が暮れると真暗で、見て歩く余裕はなかったので、叶は明日、ゆっくり調べてみようと思っていた。
「いや、お腹一杯だ!」
 と、叶は息をついて、「ごちそうさま! おいしかった!」
「良かったわ」
 と、今日子は言った。「お風呂入るでしょ? 仕度するわね」
「あ、ごめんね、何から何まで」
 古い民家で、本当に広い。二階はないが、二人で暮すには充分過ぎるだろう。
「――珍しいね、こんな田舎に」
 と、老人は言った。
 今日子の祖父というその老人は落合喜作といって、もう八十歳ということだった。しかし、少しも老い込んで弱った感じはしない。
「――あの子が大人になるまでは頑張らんとね」
 と、喜作は言った。
「お元気じゃないですか。たぶん僕よりよっぽど足腰が丈夫ですよ」
 と、叶は言った。
「あんた、酒は飲むかね? 一杯どうだ」
「あ、でも……。そこまでしていただいては申し訳なくて……」
「いや、飲む相手がほしくてな」
 と、喜作は一升びんを抱えて来て、「いくらしっかりしとっても、今日子に飲ませるわけにはいかん」
「それじゃ、一杯だけ……。僕、あんまり強くないんですよ」
「何を言っとる! あんたみたいな年齢のころなら、いくら飲んでも一晩寝ればケロリとするもんだ」
「いえ、でも……」
 湯呑み茶碗になみなみと酒を注がれて、叶はちょっと焦った。
「あの――とてもこんなには……」
「グッとやりなさい。そんなもの、水のようなもんだ」
「まさかそんな……」
 断るわけにもいかず、叶は注がれた酒を飲み始めた。とても一気に飲める量じゃない!
 しかし、地酒というのか、この辺で作られているとかで、
「旨い!」
 と、叶は思わず息をついて言った。「おいしい酒ですね!」
「気に入ったかね? さ、もう一杯」
 と、喜作はニコニコしながら注ぎ足す。
「いえ、もうこれ以上はとても……。そうですか? じゃ、あと一杯だけ……」
 叶は、二杯目に口をつけた。
 そして――その先は記憶がない。
「うーん……」
 どこかで誰かが唸ってるぞ。どこのどいつだ?
 目を開けても、しばらくはボーッとした世界が広がるばかり。その内、唸っているのが自分だということに気付いた。
「酒だ……。うん、飲み過ぎたな……」
 と、もつれる舌で言った。
「気が付いた?」
 という声はあの子だろう。
 ええと……今日子。そう、今日子だ。
 やがて、こっちを覗き込んでいる今日子の顔にピントが合って来た。
「やあ……。僕はどうしちゃったんだ?」
 と、立ち上ろうとして――。「あれ? どうして動けないんだろ?」
「そりゃそうよ。縛り上げてあるんだもの」
 と、今日子は言った。
「――何だって?」
 やっと気が付くと、椅子に座った叶は、両手両足を、しっかり縛り上げられていたのだった。
「これって……どういうこと?」
 呆然としていると、今日子が両手で散弾銃を抱えて、銃口を叶に突きつけたのである。
「本物よ。ちゃんと弾丸も入ってる」
「今日子ちゃん……」
「何者なの? この村に、落武者伝説なんてありゃしないのよ」
 と、今日子は言った。「さあ、正直に白状しなさい! 何の目的でやって来たの?」
「待ってくれ! 確かに、君の言った話に飛びついたけど、何も悪いことをしようってんじゃない! 本当だ」
「話してみなさい。ちゃんと納得したら、縄を解いてあげるわ」
 そこへ、喜作もやって来て、
「おい、今日子、その銃を持っちゃいかんと言っとるだろう」
「大丈夫よ。ちゃんと持てるわ」
「だが、持ち直した拍子に、この間も引金を引いちまったじゃないか」
 それを聞いた叶は青くなった。
「お願いだ! 銃口を下げてくれ!」
「下手なことしないでよ」
 と、今日子はゆっくりと、銃口を下げた。
「あぁ……、びっくりした」
 と、叶は息をついた。
「さあ、話してもらいましょうか」
 と、今日子は言った。
「分った。分ったから、ともかくこの縄を解いてくれないか?」
「だめ」
 と、今日子はにべもなく拒否して、「話が先よ」
「じゃあ……」
 と、叶はため息をついて、「実は、ある事件について調べに来たんだ」
「事件?」
「この村で五年前に起きた……。知ってるだろ? 相沢邦子って人が殺された」
 今日子と喜作が顔を見合せる。
「その事件なら、もう犯人が捕まって刑務所に入っとる」
 と、喜作が言った。「今さら何を調べようというんだ?」
「どういう事情だったのか、どうして殺したのか……。詳しいことが知りたくて」
「どうして、詳しいことが知りたいの?」
 と、今日子はじっと叶を見つめて言った。
「殺された相沢邦子は私のお母さんよ」

 12 付き添い

 幸い、スタッフルームには誰もいなかった。
「くたびれた!」
 思い切り声を出すと、亜矢子はそのままソファに倒れ込んだ。
「ああ……。今日は何万歩歩いただろ」
 と、ケータイを取り出したが、歩いた歩数を見ようとしてやめた。
 見たらもっとくたびれそうな気がしたのである。
 ケータイに、正木からかかって来た。ついさっき別れたばかりだというのに!
「はい、もしもし……」
 ちゃんと言っているつもりが、「ムニャムニャ」となっていたらしい。
「何だ、寝てたのか」
 と、正木が言った。
「寝る間なんかありませんよ。五分前に別れたばっかりじゃないですか」
「そうだったか? まあいい。ともかく、今日のラストの坂道は良かった。夜、撮影できるか、当っといてくれ」
「分りました」
「それと、夕陽の当り具合もな」
「はい」
「ひと休みしたら……」
「まだ何かあるんですか?」
 よほど絶望的な声を出していたらしい。さすがの正木も、
「いや、明日にしよう。ご苦労だった」
「どうも……」
 こっちも「お疲れさま」のひと言ぐらい言うべきかもしれないが、今の亜矢子にはそれだけのエネルギーも残っていなかった。
「――ヒロインの家は坂の上だ」
 という正木のイメージに合う坂道を捜して、一日歩き回っていた。
 どうしてヒロインは坂の上に住んでいるのか。理由なんかない。
 ともかく、正木にとっては、黄昏どきに坂道を上って行くヒロインの絵がしっかり頭に浮んでいるのだ。監督が頭の中で思い描いた映像を「現実のもの」にするのがスタッフの役目。
 分ってはいるが……。
 一体、今日一日でいくつの坂道を見て回っただろう。むろん車で回るのだが、坂の下に車を停めて、
「おい、亜矢子、この坂を上ってみろ」
 と、正木はその場に立ったまま。
 せっせと坂を上るのは亜矢子の役目である。それも、
「駆け上ってみろ」とか、「もう少し疲れた感じで」などと、三回も四回も上り下りする。
 それを方々でくり返して、やっと撮影所へ戻って来たところだ。くたびれているのは当然だろう。
「マッサージに行こう……」
 と、亜矢子はソファに引っくり返ったまま呟いた。
 このままじゃ、明日起きられない。
 マッサージは、ちゃんとした所で、となると安くないが、経費扱いはしてくれないだろう……。
 亜矢子はそのままウトウトしかけていたが……。
 ドアが勢いよく開いて、
「亜矢子!」
 と、飛び込んで来たのは、長谷倉ひとみだった。
「何よ? ――どうしたの?」
 と、ソファに起き上る。
「彼が……連ちゃんが……」
 ひとみが青ざめている。
「どうしたの? 叶君が……」
「これ見て! 私のスマホに送って来たの!」
 ひとみが差し出した画面を見て、亜矢子は目を見開いた。
 叶連之介が、椅子に座っている。手足を縄で縛られて。
「何なの、これ?」
「分らないのよ! いきなりこの写真が送られて来たの」
「コメントなしで?」
「そうなの。どうしよう! 連ちゃん、きっと殺人事件の知ってはいけないことを知ってしまったんだわ。それで捕えられて……。もう殺されてるかもしれない」
「ひとみ、落ちついて」
「落ちついてなんかいられないわよ! 亜矢子のせいよ。亜矢子が連ちゃんを危い所へ送り込んだんだわ」
「ちょっと! 私のせい? それはいくら何でも――」
「連ちゃんの身に何かあったら、私、亜矢子を一生許さないからね!」
「待ってよ。ひとみ――」
「連ちゃんを助けてちょうだい! 何なら亜矢子が連ちゃんの身替りになって」
「あのね……」
 と言いかけて、亜矢子は、「ひとみ、ちょっと後ろを振り向いて」
「何よ? ごまかそうたって――」
「いいから! ドアの方を見て!」
 ひとみが振り返ると――開けっ放しのドアの所に、当の叶連之介が立っていたのである。
「連ちゃん! 生きてたの!」
 ひとみが叶に飛びつくと、力をこめてキスした。
 全く、もう……。亜矢子は、
「ご無事で何よりでしたわね」
 と言ってやった。
「信じてたわ! 連ちゃんが死んだりするはずないって!」
 と、またキスしている。
 すると――叶の後ろから、ジャンパー姿の女の子が顔を出して、
「東京の人って、みんなこんなにキスするの?」
 と言った……。

「あんな写真だけ送るなんて! びっくりするじゃないの」
 と、ひとみが言った。「私も亜矢子も、そりゃあ心配して……」
「ま、それはいいけど」
 と、亜矢子は言った。「ええと……今日子ちゃんだっけ?」
「落合今日子。十六歳」
 と、その少女は言った。「ここ、本当に撮影所なのね。この人、嘘ついてたわけじゃないんだ」
「だから言っただろ」
 と、叶は言った。「この人がスクリプターの、東風亜矢子さん」
?」
 と、今日子は眉をひそめて、「――そういえば日本人離れした顔ね。どこの国の人?」
 典型的な日本人の顔をしていると思っていた亜矢子は、今日子の言葉に絶句した。
 そして――つい今まで亜矢子に恨みの言葉をぶつけていたひとみが、声を上げて笑い出した。
「全く……。ま、いいから亜矢子と呼んでちょうだい」
 と、亜矢子は今日子に向って、「あなたのお母さんが殺されたの?」
「うん。五年前で、私、まだ小学生だったから、色々な事情はよく分らなかったけど」
「今はおじいちゃんと暮してるのね?」
「そう。お母さんのお父さん。〈落合〉はお母さんの結婚前の姓だった。結婚して〈相沢〉になったの」
「お父さんは……」
「相沢努っていって、製材所で働いてたんだけど、そこが潰れて、知り合いの人を頼って東京に出てった。仕事を見付けて、お母さんと私を呼ぶって言って。でも、その内、パッタリ連絡が来なくなって、それきり」
「行方不明ってこと?」
「うん。もう十年以上前。捜すっていっても、何の手掛りもなくて。お金もないから、おじいちゃんの所に、二人で移ったの」
「それで、お母さんは……」
 今日子はちょっと息をつくと、
「話すのはいいけど、お腹空いてるんだ。何か食べながら話さない?」
 と言った……。

「よし、ここでワンカット撮ろう」
 人通りの多い町の中ではちょっと恥ずかしかったが、戸畑佳世子は、「これも仕事」と自分に言い聞かせた。
「ちょっと待って。髪が」
 一緒について来ているスタイリストの女性が、佳世子の方へ駆け寄って、髪を直す。
「よし、そこの広告のパネルによりかかって。――そうそう。カメラを見て」
 プロのカメラマンに撮られる。――それはそれで、一種刺激的なことではあった。
 佳世子を「新人」として売り出すためのポートレート撮影である。
 もちろん、歌手とは違って、派手にする必要はないのだが、それでも映画用のチラシやパンフレットのための写真は必要ということだった。
 撮影所のメイクの人に髪や顔をいじってもらうと、何だかスッキリした感じで、自分ではないようだ。
「――よし、あと一ヵ所、どこか若者らしい所がいいな」
 と、カメラマンが言った。「いつも買物するのは? 洋服とか」
「ええと……。この近くのモールです」
 とはいっても、そう何度も行ったことがあるわけじゃない。自分の好きな服を買うような余裕はなかった。
「じゃ、そこに行ってみよう」
 と、カメラマンは言った。「おい、荷物持って」
「はい!」
 カメラマンの助手の若者が急いで交換レンズなどの入ったケースやら何やらを両手一杯に抱える。
「手伝いますよ」
 と、佳世子が手を貸そうとすると、
「君はいいんだ」
 と、カメラマンが言った。「服は借り物だろ。汚したりしたら大変だ。君はそのままきれいでいるのが仕事だ」
「はい……」
 五、六分歩いて、ショッピングモールの入口に来る。
「いいね。そのオブジェのそばに立って」
 若い人たちが出入りしながら、チラチラと佳世子のことを見て行く。
 もちろん、今は誰も佳世子のことなど知らないが、その内、「あ、戸畑佳世子だ!」なんて指さすようになるのだろうか?
 でも、佳世子はもともとそういう世界に憧れは持っていない。正木監督に言われて、しかも母がシナリオを書くというので、自分が少しでも力になれたら、と思っているだけだ。
 格別美人でも可愛くもないんだもの、私。これ一本で終ればそれでいい……。
「――ちょっとレンズを替えるから」
 と、カメラマンが言った。
 笑顔を作ることに慣れていない佳世子は、ホッとした。無理に笑っても、引きつったような顔になってしまう。
 佳世子はモールの入口へ、何気なく目をやっていたが――。
「あ……」
 と、思わず声を上げていた。「お父さん!」
 戸畑進也が、若い女性と腕を組んで、楽しそうに笑いながら出て来たのだ。
 佳世子の声が耳に入って、戸畑は数歩進んでから足を止めた。
「――佳世子か」
 一瞬誰だか分らなかったらしい。
 でも、「お父さん」と呼んでるんだから、分るでしょ!
 一緒にいた女性はすぐに腕を離して、
「お嬢さんですか」
 と、会釈した。
「ああ……。ええと……父さんの以前いた会社の大山君だ」
 と、戸畑は言って、「娘の佳世子だよ」
「大山啓子です……」
 お互い挨拶したものの、何を話していいのか分らずにいる。大体、こんな所でややこしい話はできない。
「あの――今、仕事なの」
 と、佳世子は言った。「今度、映画に出るんで……。たぶん」
「そうか、母さんが……」
「うん、お母さんがシナリオ書いてる」
 カメラマンが、
「いいかい?」
 と言った。
 仕事中なのだ。今は……。
「はい!」
 と、佳世子は元気よく返事した。
「そのオブジェに手をかけて、そうそう。軽く脚を交差させて。――いいね」
 次々にシャッターが切られる。
 佳世子はじっとカメラのレンズを見つめていた。あえて、父の方へは目をやらなかった。
「――よし! これでいいだろう」
 カメラマンは肯いて、「見るかい?」
「ええ。――ちょっと怖いけど」
 駆けて行って、佳世子はカメラを覗いた。
 自分とは思えない、若々しく溌剌とした女の子がそこにいた。
 これが私? ――信じられない気持で、佳世子は眺めていたが――。
「お父さん……」
 ハッとして振り向くと、父と大山啓子の姿は、もう見えなかった。

(つづく)

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