第12話

文字数 5,585文字

 18 消える(承前)

 面会室へ入って来た()(さき)を見て、五十嵐(いがらし)真愛(まな)は一瞬ドキッとした。
 前に見たときと比べて、ずいぶん()けて見えたからだ。
 しかし、そうは言えない。――アクリル板の仕切りの向うに三崎が座ると、真愛は無理をして微笑(ほほえ)んで、
「元気そうね」
 と言った。
「まあ、何とかね」
 と、三崎は言った。
 この前は、まだ半分くらいだった(しら)()が、今はほとんどになっていた。
(れい)()は元気よ。写真、見た?」
「うん。もう小学生なんだな。早いもんだ」
 と言ってから、三崎は、「手紙を読んだけど……。よく分らなかった」
「あんまり長く書けないでしょ。こうしてじかに話した方が、と思って」
「礼子が僕のことを――」
「ええ、ちゃんと知ってたの。でも、あなたのことを信じてるわ。心配しないで」
「いや、心配なのは、学校でいじめられやしないかと思ってね」
「大丈夫。それに、書いた通り、私、今映画を撮ってるんだけど、あなたのことを、製作発表の記者会見で知らせたの」
「大丈夫なのか、そんなことして?」
 三崎は不安げだった。
「ええ。映画の監督さんやスタッフの方たちが、みんな力になって下さってる。大丈夫よ」
「それならいいが……。僕のことなら、気にしないでくれ。もうここの生活も大分慣れたし」
 そんなはずはない。やってもいないことで刑務所に入れられている。その辛さは、白くなった髪を見れば分る。
 しかし、真愛としては、「無実を証明する」とは言えない。希望を持たせるのは却って残酷だ。
「しかし、映画の主役か、大したもんだな」
 と、三崎が明るい口調で言った。
「ええ。自分でもびっくり。(まさ)()監督がとても気に入って下さってるわ」
「頑張れよ。映画館に見に行くわけにはいかないが、いつか見られるだろう。楽しみにしてる」
「ええ。期待に答えてみせるわ」
 と、真愛は言った。
 しかし――三崎の、目を伏せがちな、諦め切ったような表情を見ていると、不意に涙が溢れて、頬を落ちて行った。

 撮影所へ入ってすぐ、亜矢子(あやこ)は何か起ったのだと気付いた。
 駆けている男たち。
「おい! 救急車、呼んだか!」
「今、一一九番しました」
 というやり取りを聞いて、
「まさか……」
 と(つぶや)くと、亜矢子は他の人たちと同じ方へ走り出した。
 駐車場? スタジオの中ではないのだ。
 人が集まっている。亜矢子は、カメラマンの市原の姿を見付けて、駆け寄った。
市原(いちはら)さん! どうしたんですか?」
「亜矢ちゃんか。車がぶつかったんだ」
「けが人は?」
「さあ……。よく見えなかったけどな」
「役者さんですか?」
「いや。――ほら、君もよく知ってる、(やす)()真衣(まい)ちゃんだよ」
「え?」
 亜矢子は青ざめた。
 安井真衣は、この前の正木の映画に絡んで殺されたスタントマンの妻だ。
 まだ小さい子供を抱えて、亜矢子に学んでスクリプターとなるべく、張り切っている。
 本来なら、今度の「坂道の女」にも、亜矢子の助手として付くはずだったが、他の組でスクリプターが病気で倒れてしまい、真衣は突然「一人立ち」することになった。
 失敗しながらでも、現場を経験するのが何よりの勉強。そう思って、亜矢子は真衣をそこへ回したのだったが――。
「ちょっと! ごめんなさい!」
 あわてて亜矢子は人をかき分けて行った。
 車が目に入った。――大型のトラックへ横からぶつかった乗用車が、かなりひどい状態で潰れている。
「真衣ちゃん……」
 慄然(りつぜん)として呟くと――。
「あ、亜矢子さん」
 という声。
「え?」
 亜矢子は、目の前に当の安井真衣が立っているのを見て、「真衣ちゃん! 大丈夫だったの?」
 と、彼女の肩をつかんだ。
「ラッキーだったんです」
 と、真衣が言った。「急に車のブレーキが利かなくなって、トラックにぶつかる、と思ったんで、とっさにドアを開けて外へ転り出たんです」
「まあ、まるでスタントマンね」
 と、亜矢子はつい言ってしまって、「ごめんなさい!」
「いえ、いいんです。あの人が一瞬、私に乗り移ったのかもしれません」
 得意げに語る真衣を見ていて、亜矢子はホッとした。
「でも、ガソリンが洩れてるかもしれない」
 と、亜矢子は言った。「みんな、近寄らないで! 火気厳禁よ!」
 と、ついその場を仕切ってしまう亜矢子だった。
「トラックのドライバーさんが、フロントガラスに額をぶつけて、ちょっと切ったみたいです」
 と、真衣が言った。
「救急車は?」
「ええ、呼んでもらってます。車同士の事故なんで、消防車も来るって……」
 話している内に、サイレンの音が近付いて来た。
「車の故障かしらね」
 と、亜矢子は言ったが、「――この車、誰の?」
 かなり潰れてしまっているが、どこかで見たことがある気がする。
「これ、借りたんです。私の組で、急いで買いに行かなきゃいけないものがあって」
 と言ってから、真衣は、「あ! どこかスーパーに行って来なきゃ!」
 何があっても、現場は止められないのだ。
「その辺の自転車使うといいわよ。特別大きい物とか重い物を買うんでなきゃ」
「そうします!」
 その辺に立てかけてあった自転車へと真衣は駆けて行った。すっかり忙しいスクリプターらしくなっている。
 亜矢子は、
「ちゃんと領収証、もらって来るのよ!」
 と、真衣に声をかけた。
「はい!」
 自転車をこぎながら、真衣は振り向いて、
「その車、(かのう)さんのです!」
 と言った。
「え? 叶君の?」
 どうりで見たことがあると思った。
 消防車と救急車がやって来て、亜矢子は少し車から離れた。
「亜矢子さん……」
 気が付くと、当の叶(れん)()(すけ)が、そばにやって来ている。
「あなたの車だって?」
「そうなんです。真衣さんがちょっと貸してくれって言うんで、もちろん……」
「調子悪かったの、車?」
「いえ、今朝もここまでひとみを送って来たんです」
「ブレーキが利かなかったって、真衣さんが言ってたわ」
「おかしいですね。ついこの間、点検してもらったばかりだけど」
「そう。――調べた方がいいかもね」
 と、亜矢子は言った。「(くら)()さんに連絡してみるわ」
「え? つまり、これってわざと誰かがブレーキに細工したってことですか?」
「もしかしたら、よ」
 そこへ、
「冗談じゃないわ!」
 と、大声を出して割り込んで来たのは、()()(くら)ひとみだった。
「ひとみ――」
「とんでもない! 連ちゃんに、もう危いことはやらせないで、って頼んだじゃない! 連ちゃん、もう何もしなくていいわ。私が養ってあげるから、アパートで寝ててちょうだい」
 亜矢子は、ひとみがこれほど極端に走る性格だとは知らなかった。
「落ちつけよ、大丈夫だから」
 と、叶はひとみをなだめて、「僕だって何か力になりたいんだ。分るだろ? 危険なことが少しぐらいあっても、僕には亜矢子さんがついてる。大丈夫だよ」
 そこまで頼りにされても、正直困ってしまう亜矢子だったが、
「心配ないわよ、ひとみ。それに、もしこの車のブレーキに細工してあったとしたら、それこそ三崎さんが犯人じゃないっていう証拠だわ。叶君、一人で行動しないようにして。あなたに何かあったら、私がひとみに呪い殺される」
 と言って、叶の肩を叩いたのだった……。

 19 誤 算

「よし、佳世子(かよこ)、レジに行って、真愛と(はし)()の方をじっと見る。いいな」
「はい」
「じゃ、テスト行くぞ。いや、本番にしよう」
 スタジオでの撮影。真愛と橋田が会うカフェのセットだ。
 ここで、二人は何度か会う。そして、初めて、二度目、三度目と二人の仲は深まって行く。
 正木は、主役二人の――というより、映画の世界では新人の五十嵐真愛のことを考えて、同じセットでのシーンをまとめて撮る、ということをしていなかった。
 だから、カフェのセットは、取り壊さずにずっとスタジオの一隅に置かれていて、必要に応じてスタジオの真中へ引張り出されてくるのだ。
 その度に、「ワンシーンだけ」のはずだった()(ばた)弥生(やよい)の娘、佳世子が画面に出るのである。
「よし、行くぞ! 用意! スタート!」
 カメラが佳世子へ寄って行く。
 佳世子は、好奇心に目を輝かせながら、真愛と橋田の二人を眺めている。
 しかし、もちろん佳世子の視線の先に、二人がいるわけではない。それを、あたかもいるかのように、見つめなくてはならない。
「――カット! OK!」
 と、正木は言った。「佳世子、今の目つきは良かったぞ」
「はい」
 正木が佳世子のことを気に入っているのが、亜矢子にも分った。
 もちろん、きたえられた演技力を必要とする真愛のような女優とは違うが、佳世子にはおそらく天性の「勘の良さ」があるのだ。
 正木が何を求めているのか、すぐに察して表現してしまう。――この子、女優になるわ、きっと、と亜矢子は思った。
「おい、亜矢子、明日はロケだったか?」
 と、正木が()く。
「そうですよ。二人が動物園で会うシーンじゃないですか」
「ああ、そうか。天気はどうだ?」
「何とかもちそうです。予報だと夜は雨ですから、できれば夕方までに終らせたいですね」
「動物たちのカットは、()西(さい)に任せるからな」
「分ってます。葛西さん、今日は動物を見に行ってますよ。もちろん手持ちのカメラを持って」
「動物園の方には話が通ってるんだろうな」
「はい。タイトルバックに、ちゃんと〈協力〉と入れますし、正門のカットも入りますから、先方もPRになるって喜んでくれてます」
 ――映画やTVドラマの世界では、恋人たちはたとえ不倫の仲でも洒落(しゃれ)たバーなどで会ったりするが、この〈坂道の女〉では、リアルな生活感を出すのが狙いだ。
 小学生の子供を放っておいてデートするわけにはいかないので、子供を連れて行く動物園で会うことになる。
 しかし、思いがけず、相手の男性も、その日、子供をみなくてはならなくなり、結局動物園で、お互い子連れで会うはめになってしまう。
「――明日は休園日ですから」
 と、亜矢子は正木に言った。「野次馬の整理はしなくてすみます」
「トラは何人呼んであるんだ?」
 動物園の中を歩いている家族連れのエキストラのことである。
「二十人です。それ以上は経費が……」
「二十人か」
 正木はちょっと渋い顔をしたが、「まあいいだろう。家族の取り合わせを変えたり、服装を変えたりすれば、もう少し多く見えるかな」
「工夫してみます」
「うん。それと、動物が映っていないと困るぞ。バックにライオンやキリンがいて、絵になるんだ」
「その辺もお願いしてありますが……。ただ動物園としては、動物を休ませることも大切だと……」
厄介(やっかい)だな」
「でも、動物園のシーンを入れるって決めたのは監督ですよ」
「分ってるとも」
 と、正木は(うなず)いて、「ただな……。昔撮った作品で、やはり動物園のシーンがあった。ところがその日、小雨でえらく寒かったんで、動物たちがさっぱり出て来ないんだ。おかげで、主人公たちがどこにいるのか分らなくなっちまった」
「私だって、ライオンに出て来てもらうために、檻の中には入りませんよ」
 亜矢子は結構真面目に言った。正木のことだ。何を言い出すか分らない。
「パンダはいるのか」
「あそこにはいません」
「そうか。――お前、パンダの着ぐるみ着て転ってたりする気ないか」
「監督――」
「冗談に決ってるだろ」
 と、正木は笑ったが、亜矢子は笑えなかった……。

 昼休み、亜矢子がいつもの撮影所の食堂に行くと、子供の笑い声が響いていた。
「真愛さん」
 と、亜矢子が声をかけると、
「亜矢子さん、やかましくてごめんなさい」
 と、真愛が言った。
「いいんですよ、別に」
 真愛の娘、礼子が、母親についてやって来ていた。そして、食堂で礼子と遊んでいるのが、落合(おちあい)今日(きょう)()と、佳世子の二人だったのである。
「お姉ちゃん二人が相手してくれるので、礼子が喜んじゃって」
 と、真愛は徴笑んだ。
「いい光景ですね」
 と、亜矢子は言って、カウンターにトレイを手に並んだ。
「あら」
 気が付くと、戸畑弥生も並んでいる。
「シナリオの直しがあって」
 と、弥生は言った。「早々に食べ終って手を入れます」
「監督、気分が乗ってるんですよ。アイデアがどんどん出て来るので、大変でしょうけど付合ってやって下さい」
「もちろんです! 私もやりがいがありますわ」
 弥生の声は弾んでいた。
 二人が並んで食べ始めると、
「お母さん、来てたの」
 と、佳世子がやって来た。
「今来たんで、午前中の本番は見てなかったけど、大丈夫だった?」
「うん、一度でOKだった」
「何だか楽しそうね」
「うん、楽しいよ! 映画の世界にはまっちゃいそう」
 と言ってから、佳世子は何気なく食堂の入口の方へ目をやって、「――お父さんだ」
「えっ」
 弥生がびっくりして、振り向くと「まあ……」
 確かに、戸畑(しん)()が、食堂の入口に、戸惑ったように立っていたのである。

 (つづく)

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