被害者としての猿 円堂都司昭(文芸・音楽評論家)

文字数 1,007文字

被害者としての猿


 第64回メフィスト賞を受賞した須藤古都離『ゴリラ裁判の日』の主人公は、ローズという名のゴリラだ。彼女は手話を習得しており、それを音声化するグローブを装着することで人間と自由に会話できる。

 人間に近い動物である猿に焦点を当てることで、人間とはなにかを逆照射する。その種の物語は、昔から作られてきた。なかでも、『ゴリラ裁判の日』でも言及される『キングコング』、『猿の惑星』は、有名な作品だ。ジャングルで暮らしていた猿がアメリカの都会に連れてこられ、見世物の対象となる『キングコング』。人間並みの知能を獲得した猿が複数現れる『猿の惑星』。それらの要素を『ゴリラ裁判の日』は、受け継いでいる。

『キングコング』の場合、巨大猿がニューヨークで暴れ、大騒動になった。『猿の惑星』では、知性を獲得した猿が人間を支配した。いずれの物語にも、そうなった理由が用意されていたとはいえ、猿はまず暴力をふるう存在として描かれた。ふり返ってみれば、ミステリー小説の某古典にも、猿の暴力はあった。

『ゴリラ裁判の日』が面白いのは、それら先行作とは違い、猿が加害者ではなく被害者として登場すること。動物園のゴリラのエリアに、人間の四歳の子供が転落してしまう。その子を引きずり回したローズの夫オマリは、園長の指図で射殺された。オマリは暴力をふるったのではないが、ゴリラの力は強いため、子供の命が危険と判断されたのだ。それに対し、被害者遺族として夫の死に関し、人間の責任を問う裁判を起こしたのが、ローズだった。

『キングコング』や『猿の惑星』での猿と人間の対立は、人種差別問題の暗喩だとする論評は繰り返されてきた。暴力の発現以前に潜在的加害者と断定され、射殺されたのは不当と訴えるのは、アメリカの黒人差別の歴史で何度も見られた構図だ。作者はそれを意識して執筆している。弁護士を伴ったゴリラが、裁判で自身の立場をどのように主張するのか。ミステリーとして、そのロジックが興味深い。

 同時に本作でローズは、知性が育ったゆえにジャングルでは自分はゴリラらしいゴリラではないと思い、かといってアメリカでは人間でもないことを自覚する。そうしたことが、同類との関係、居住地や排泄など、彼女の生活における体感として丹念に描かれる。ローズのなかで理屈と感覚が支えあったり乖離したりする様子に、人間であり動物である自分は、気づいたらシンパシーを覚えていた。

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