奇想が支える風刺小説にして真っ当な裁判小説 若林 踏(ミステリ書評家)

文字数 991文字

奇抜な着想が世界の見方を変える。

須藤古都離『ゴリラ裁判の日』とはそういう小説だ。

ある動物園で起こった出来事にまつわる裁判の模様が本書の冒頭で描かれる。園内のゴリラパークを訪れていた四歳の男の子が、柵を越えてゴリラのいるエリア内に落ちてしまったのだ。群れのリーダーであるオマリが男の子を捕らえたため、動物園側はやむを得ず実弾を使用し、オマリを射殺する。

なるほど、本書は子供の命を危険に晒された親が動物園を訴える話なのだな、と思った方も多いだろう。

違う。確かに訴えられるのは動物園なのだが、訴える側は子供の親ではない。というより、人間ですらない。射殺されたオマリのパートナーであるローズ・ナックルウォーカーである。つまり、ゴリラが原告となっている裁判なのだ。ローズは人間の言語を理解できるだけではなく、ある手段を使って意思疎通を図ることも可能なゴリラなのである。ローズは自分の夫であるオマリが死んだ責任は動物園側にあると主張したのだ。

動物の一人称視点で描かれるエンターテインメント小説としては、例えば猫殺しの事件を猫が探偵役となって追うアキフ・ピリンチ『猫たちの聖夜』(池田香代子訳、早川書房)などの先例が幾つかある。『ゴリラ裁判の日』が特徴的なのは、裁判という人間が生み出したシステムの中に知性を持った動物を立たせることで、人間社会の矛盾や欺瞞が浮き彫りになることだ。

こうした読み心地は、物語が一旦時を巻き戻してカメルーンのジャングルで暮らすローズの様子を描くパートに入ってから、さらに拍車がかかる。言葉を理解できる能力を持ちながら自然の中で過ごすローズが、いかにして人間とコミュニケーションを取る方法を得てオマリの裁判までに至ったのかを、作者は様々な人々の思惑や欲望をときにアイロニーを交えながら描いていく。

なるほど、本書は動物が訴訟を起こすという突飛なアイディアを入口とした、人間社会への皮肉を込めた小説として楽しむべきなのだな、と思った方も多いだろう。

違う。『ゴリラ裁判の日』の核にあるのは、極めて真っ当な法廷小説としての佇まいである。裁判を通して人間の価値観を揺さぶる物語を生み出す、というジャンルの定義に則れば、本書は紛れもなくリーガル小説の本質を突きつつ、この分野に新たな地歩を開く可能性を秘めた作品なのだ。大胆な発想に支えられた風刺小説にして裁判小説を堪能いただきたい。

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