ゴリラを主人公にした法廷+青春+社会派ミステリ 末國善己(文芸評論家)

文字数 1,273文字

ゴリラを主人公にした法廷+青春+社会派ミステリ


 E・A・ポーがオランウータンを犯人にした名作を書いたように、ミステリと広義の猿(霊長目)の関係は長く深い。第六十四回メフィスト賞を受賞した『ゴリラ裁判の日』も、猿ミステリの歴史に刻まれる傑作である。

 物語は、アフリカのカメルーンで生まれた「私」が、教育熱心な母親に連れられて研究所へ通った頃を思い出す場面から始まる。すぐに「私」は、ローズと名付けられたゴリラであると明かされるが、著者はわずか数ページの中に鮮やかな叙述トリックを仕込んで見せたのだ。

 続いて舞台はアメリカに移り、ローズが原告となった裁判が描かれる。クリフトン動物園で、柵を乗り越えゴリラパークに転落した四歳の男の子をローズの夫のオマリが捕まえたため、動物園はやむなく射殺した。この対応に不信を覚えたローズが、動物園を訴えた。実際に起きた事件をモデルにしたローズの裁判は、法がマイノリティに味方しない現実や正義のあり方を問うテーマの設定が見事なものの、弁護士が巧みな法廷戦術を駆使する展開にはならないので、あっさりと判決が出てしまう。

 著者がすごいのは、長編に使えそうなアイディアを第一章で惜しげもなく使い捨てたところにある。第二章からは、カメルーンのジャー動物保護区で生まれ育ち、母親の影響で人間の言葉を理解し、アメリカ式手話でコミュニケーションも取れるローズの若き日の物語になる。

 ローズの視点で語られる野生のゴリラの生活は、アイザックへの淡い恋もあれば、群れを襲撃してきたゴリラと父でボスのエサウが闘う迫真のアクションもあるだけに、ドキュメンタリーのような面白さがある。ただカメルーンのエピソードが、どのようにローズの裁判にからむのか、まったく見えてこない。結末が読めず、ジャンルも判然としないまま進む本書は、異色作、問題作を数多く世に送り出しているメフィスト賞らしい受賞作といえる。

 運命の変転でアメリカに渡ったローズは、オマリの射殺をめぐり裁判を起こすが敗訴。やはり数奇なめぐりあわせで弁護士のダニエルと出会い、再び裁判に挑む。

 ダニエルは人間の定義に切り込むことで勝訴しようとするが、息詰まる法廷バトルから浮かび上がるのは、マイノリティに与えられない歴史もあった人権とは何かという根源的な問い掛けである。この裁判の議論は、動物に権利はあるのか、もしあるなら人間との関係はどうあるべきかはもちろん、AIに人権を与えるべきかや銃規制の問題にまで派生するので、誰もが無縁ではないテーマが連続する。裁判が始まると、カメルーン時代の物語が、ダニエルの弁論に説得力を持たせる伏線になっていると気付くので、緻密な構成にも驚かされるはずだ。

 終盤になると、ローズが権利のない、あるいは制限されているマイノリティの象徴だと分かってくる。卓越した才能を持つが故に称賛されるが、同じだけ好奇な目と差別や偏見にさらされたローズが、迷い苦しみながらも明るく前向きに成長する展開は青春小説としても秀逸で、生き辛さを感じている読者は共感も大きいだろう。

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