「ローズ」に言葉を与えた理由 村上貴史(ミステリ書評家)

文字数 1,403文字

 まずは冒頭から結末まで、夢中になって一気に読んだことを記しておこう。それだけ強烈に魅了されたのだ。以降の文章は、そんな幸せな読後感のなかでの振り返りである。

 ゴリラが人間並みの知性を持ち、人間の言葉を話せるようになったらどうなるか――この小説を読み始めた時点では、そんなワンアイディアを膨らました話かな、という感覚だった。著者がそのアイディアを小説のなかで成立させるために、相当に用意周到に物語を進めていたためだ。著者はまず、主役であり語り手であるローズという若い女性のゴリラ(雌ゴリラとはいいにくい)の周囲に、母ゴリラや研究者やガジェットを配置し、それらを通じてローズの会話能力(手話と音声化装置)や“人となり”を読み手の心にしっかりと染みこませた。続いて著者はローズをカメルーンからアメリカに移し、動物園での生活を始めさせる。そしてそこで事件を起こす。来園客の子供が引き起こしたトラブルを原因として、ローズの夫が射殺されたのだ。その事件は、彼女を人間との対決へと導く。射殺を判断した組織を相手とする裁判というかたちで……。「動物が言葉を話せたら」という、この著者は、誰もが抱いたことがあろうアイディアを、誰も思いつけないような物語に仕立て上げたのだ。その発想力と構成力には、感服するしかない。

 そんなローズの思考や行動を通じて、アメリカ社会の様々な側面が――差別、銃、宗教、訴訟――浮き彫りにされていく様も興味深く読んだ。また、こうした問題を扱いつつも、語り口が心地良かったことも記しておこう。冗談が好きなローズが、堅苦しさや重苦しさを和らげてくれるのである。問題から目をそらさせぬままに。

 そうしたアメリカ社会の特徴が、単に情報として羅列されるのではなく、プロットの重要な要素として機能し、さらにキャラクター造形にも寄与している点も素晴らしい。プロットについては、その妙味を本文でお愉しみいただくとして、後者については――もちろん主役が並外れてチャーミングなのはいうまでもなく――リリーというラッパーが魅力的だ。彼女には破天荒さと真っ当さが極めて自然に同居しており、それ故にローズと本質的に響き合うのだ。ラッパーだけではない。物語の後半におけるローズの雇い主も、リリーとはまるで異なるベクトルで強く魅力を放っていた。そんな面々とローズの交流を読む喜びも、本書は与えてくれる(ついでにいうと、カメルーンの観光ガイドの陽気で前向きな姿勢にも惹かれる)。

 ローズを原告とする訴訟の論理構成も刺激的だった。ローズの弁護士ダニエルの作戦が、彼女にも、そして読み手にも見えないのだ。ダニエルが証人との言葉のやりとりに込めた意図がわからぬまま裁判は進み、そして……いやはや、こんな仕掛けを企んでいたのか。拍手拍手である。

 その企みに驚愕し感嘆するなか、いつしか人間という存在について考えている自分がいた。そして思う。著者はこれを描くために、そこから逆算してローズに言葉を与えたのではないか、と。

 ゴリラに言葉を、という着想を拡げていったのか、それとも終盤から逆算したのか。その情報は持っていないが、いずれにせよ冒頭から結末まで巧みに編み上げられた一作であり、しかも人間である読者の心を強く揺さぶる。当たり前を当たり前と思わない視点を持ち、それをエンターテインメントとして仕上げる才能を持った作家の誕生を喜びたい。

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