無意識の偏見と差別に気づかせてくれる一冊 吉田伸子(書評家)

文字数 1,046文字

無意識の偏見と差別に気づかせてくれる一冊


 夫が射殺されたことに対して、妻が裁判を起こす。どういう状況でそういう事態になったかを置いておけば、そのことは特段変わったことではない。裁判を起こしたのがニシローランドゴリラのローズでなければ。このローズが、本書の主人公だ。

 ローズはカメルーンにある、ジャー動物保護区で生まれた。人間の言葉を解する母ヨランダからの手ほどきと、保護区でゴリラの調査にあたっているチェルシーとサム、研究所のスタッフからも言葉を学んだローズは、母よりももっと高度な言語能力を持つようになる。人間との会話は、アメリカ式手話を介してだったのだが、特殊なグローブを装着することで、「発声」が可能になる。やがて、ローズは、アメリカに渡り、オハイオ州にあるクリフトン動物園のゴリラパークに収容されることに。その動物園でローズが出会ったのが、夫となるオマリだった。

 オマリが射殺されたのは、四歳の男児ニッキーが、柵を乗り越えてゴリラパークに落ちたからだった。ニッキーを引きずるオマリに、銃弾が打ち込まれた。麻酔銃ではなく、実弾が用いられたのは、ニッキーの安全を優先したからだった。

 ローズが裁判を起こしたのには、こういう背景がある。一度目の裁判で敗訴したローズだったが……、というのが本書のあらすじだ。だが、こうやって筋をなぞるだけでは本書の美点が薄まってしまう。

 アメリカに渡る前、ジャングルでのローズの日々の眩しさ。韓国系のラッパーであるリリー・チョウとの出会いと友情。何よりも、自分のアイデンティティに悩んでいたローズが、「私はゴリラであり、同時に人間でもあるのです」と法廷で宣言する場面の神々しさ。そして、最終章、アフリカに戻ったローズがリリーをジャングルに案内する場面(とりわけ、ローズの沼にリリーが足を入れる瞬間!)。

 そう、言葉を話すゴリラが、人間社会で裁判を起こしたら、というのが本書のテーマではないのだ。本書を太く貫いているのは、私たち人間が普通に〝当たり前″だと考えていることへの疑問符だ。その一例が、人間の命はゴリラの命より優先されるべきものなのか? ということなのだ。

 本書を読む前なら、その問いに対して、私はなんの疑問も持たずにYESと答えていたと思う。それこそ、そんなの〝当たり前″じゃん、と。けれど、本書を読み終えた今、私は猛烈に恥ずかしい。自分の想像力のなさが不甲斐ない。そして気づくのだ。あらゆる差別や偏見は、この、想像力の欠如に由来していることに。 

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