「雨を待つ」② ――朝倉宏景『あめつちのうた』スピンオフ

文字数 1,349文字

 一日が、果てしなく長かった。ようやく授業が終わり、荷物をまとめはじめた。教室の後方の扉が開いたのは、俺が立ち上がったのとほぼ同時だった。
「ナイト、まだおる?」
 才藤だった。半分だけ開けた扉から上半身をのりだし、手招きを繰り返す。
「おっ、ナイト、ちょっとええか?」
 口々に会話を交わしていたクラスメートたちの声が、急にやんだ。プロへの道を開いた男と、閉ざされた男。その対峙(たいじ)の場面に立ち会った生徒たちは、若干の緊張と、下世話な興味がないまぜになった視線で、俺たちを見くらべている。
「悪いけど、忙しいねん」あわててカバンをつかみ、才藤のとなりを足早で通り抜けようとした。
 才藤が俺の右腕をつかむ。鈍い痛みが走った。俺が顔をしかめたのを見て、才藤は「すまん」と、あやまった。
「リハビリもしてへんのに、忙しいって、何が忙しいねん」俺の腕から手を離した才藤が聞いた。
「いろいろ」とは答えたものの、かなり苦しい言い訳だ。家に帰っても、ゲームくらいしかやることがない。学校にいるときだけでなく、朝から晩まで暇を持て余している。
「ええから、ちょっと来い」
 渋々、廊下に出た才藤の背中についていく。ただでさえ、俺たちは身長が大きいので、連れ立って歩いていると嫌でも目立った。ただならぬ雰囲気に、やはりすれ違う生徒たちが、一様にあからさまな好奇の視線を向けてくる。
 放課後の人混みをさけて、才藤は屋上につづく階段をのぼっていった。
「監督さん、怒ってたで。なんで、長谷(はせ)は来ないんやって」
「アホか、行けるか」そう吐き捨てた俺に、才藤は大きくため息をついた。
 屋上への扉は南京錠で閉ざされている。ホコリの舞う踊り場にたたずむ。階下から女子たちの甲高い声が響いた。
「見世物にされるのだけは、ゴメンや」
「まあ、俺もそう思う。俺がお前やったら、たしかに地獄やと思うわ」
 ドラフト会議での指名が、ある程度確実視されていた才藤のために、学校は記者会見のセッティングをした。才藤をはさむように、監督や校長が前方にならぶ。引退した三年生の野球部員も参加させられた。才藤の後方に設置されたパイプ椅子にならんで座り、ドラフト会議の推移を見守ることになっていた。
 会場となった体育館には、多くの記者やカメラマンがつめかけた。才藤の場合、ドラフト五巡目だったのだが、下位指名選手としては異例の人数だったらしい。
 もちろん、才藤の指名の瞬間を取材するためである。けれど、マスコミは俺の姿や反応、表情をとらえるのをひそかな目的としていたに違いない。悲劇の甲子園優勝投手、長谷騎士(ナイト)が、仲間の指名を祝福できるのか、胴上げに参加できるのか。
 そもそも、いったいどんな顔でカメラの前に現れるのか?
 自意識過剰? そうかもしれない。なんの屈託もなく、チームメートの門出を祝えたら、どんなに楽だろうと思う。けれど、昨日は結局、授業終わりで人目をさけるように帰宅し、家から一歩も出なかった。テレビもいっさい見なかった。
「どうや、今の気分は」気まずさをごまかすように、才藤に聞いた。
「まあ、まだ実感はわかへんな」
「そうやろな」
 会話が途切れる。才藤が後頭部をかいた。


→③に続く

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