十二月/日

文字数 5,455文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

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 十二月/日



 第二恋愛短篇集『君の地球が平らになりますように』が発売された。第一恋愛短篇集『愛じゃないならこれは何』から丸々一年ぶりとなる刊行である。コンスタントに恋愛短篇を載せてこられた有り難さと、もう一年が経ったのか……という恐怖を同じだけ感じる事態だ。書き下ろしの短篇「平らな地球でキスは出来ない」が載っているので読んでほしい。陰謀論にハマった自分の恋人と別れるかどうかで悩む女・桃華を描いた物語なので、あらすじだけを追えば表題作と変わらないのだが、違うのは桃華がちゃんとした自己肯定感を持っている人間であるということだ。それが彼と彼女の関係にどんな変化をもたらすかを読み比べてほしい。




 フランシス・ハーディング『カッコーの歌』が文庫化されたので読む。前作の『嘘の木』が素晴らしいファンタジック本格ミステリだったので、今作も読もうと思っている内に文庫化。月日の流れは恐ろしい。




 池に落ちて記憶を失った少女・トリスは耳元で「あと七日」という囁きを聞く。間違いなく自分はトリスであるはずなのに、増えていく違和感やありとあらゆるものを食べ尽くしても止まらない飢餓感が、自分である自信を削っていく。果たして、彼女の身に一体何が起こったのか? という物語。




 久しぶりにここまで骨太なファンタジーを読んだな、という満足感が凄かった一冊。魔法と契約の話はワクワクするし、アイデンティティーの問題はひやりと身を切られるようだった。私はトリスの冒険は承認欲求の話とも捉えられると思っていて、トリスに感情移入すればするほど旅は苦しい。中盤で出てくるとある場所も、恐ろしさを覚えるよりも先に悲しさと哀れみを感じてしまった。キーパーソンである妹のペンもまた愛情と家族というものを拗らせている承認欲求の権化だ。憎らしさを感じる態度の彼女の裏に何があるかを知ったら、もう彼女を憎めなくなってしまう




 誰からも愛されないことと飢えることは生きる上で両方とも同じくらい切実だと思っていて、それをこう接続してくるのが好きだな、と思った。読み損ねていたハーディングは年末年始に読もう。




 



十二月◎日



 打ち合わせで「今の斜線堂さんなら参考になると思います」と本を薦められることがある。編集者として数々の小説を読んできただけあって、その本は大抵の場合、今の自分に必要なもので、なおかつ素晴らしく肌に合うものなのである。




 そうして今回「斜線堂さんは是非読むべきだと思います」と薦められたのがチャールズ・ボーモントだった。実を言うと私はボーモントを読んだことがなく、一体どんな作家なのだろう……とワクワクしていた。国内ですぐに手に入るボーモントの本は二冊だったので、両方注文することにした。そして読み終えた直後、どうしてこの作家を……!? と困惑した。そのくらいボーモントは奇妙で個性的な作家なのだ。




 入手した二冊の本は扶桑社が出している異色作家短篇集シリーズ「予期せぬ結末」(選者はなんと異形コレクションの井上雅彦先生である)の二巻『トロイメライ』と、早川書房の異色作家端野演習シリーズ十二巻『夜の旅その他の旅』だ。どちらでも異色作家としてカウントされているのが面白い。どちらもとても良い短篇集だった。




 『トロイメライ』の表題作は、自分が死ぬと世界が終わってしまうと主張する死刑囚を巡る物語だ。彼はこの世に生きている人間は全て自分の夢の中に生きている存在だと主張し、殺されたら夢が醒めてしまうと言うのだ。彼の言葉を信じて死刑を差し止めるべきなのか? と悩む周囲の人間達だが……。このプロット自体はありがちなものだけれど、ボーモントはこういった題材を扱う手つきが独特なのだ。私がこの短篇集で好きなのは最後に収録されている「終油の秘蹟」だ。今まさに友人の死を看取ろうとしている神父は、彼から思いがけない告白を受ける。実は彼は精巧に作られたロボットであり、故障──死を前に信仰に縋り、終油の秘蹟を授けて欲しいと願う。信仰に厚い神父はロボットに魂を認めるのか? と。




 この二編だけを取り上げても分かる通り、ボーモントの作風は広い。ブラックな物語から信仰と魂に切り込む物語、あるいは吸血鬼嫌いの吸血鬼を描いたジョークっぽい短篇まで、アイデアを思いつくままに贅沢に使ったものが多い。一定の年齢になると誰も彼もが理想的な美しい容姿に改造される未来の世界を描いた「変身処置」は、現代でも通じるルッキズムの問題に切り込んでいて、ボーモントは様々なものに問題意識を持っていた作家なのだな、と思わされた




 『夜の旅その他の旅』を読むと、また更にボーモントの世界は広がっていく。こちらの短篇集は独特なボーモンドの世界をたっぷり楽しめる『トロイメライ』よりも読みやすく、オチのすっきりと利いた短篇が揃っているような印象だ。車に恋をした男を描く「古典的な事件」や、近所の人達が全員カルト染みた共同体に取り込まれている「越してきた夫婦」などがさらりと読めて面白い。他にも三度見れば死ぬ夢、いわゆる猿夢を扱いながらもその夢が独特な(これ、私も似たようなタイプの悪夢を見たことがあるんだよな……)「夢と偶然と」なども、とても良い味を出している。どんな女をも性的に満足させることが出来るが、その技を使ったが最後女性に追いかけ回されることになるのでその技を封印した性のスペシャリストを描いた「性愛教授」なんかは、いきなり知らない作家が混じってきたな……? と思うくらいの作風の違いっぷりだ。(けれど、この短篇もとても面白い)それでいて、人種問題を扱った「隣人たち」のような、心に染み入る短篇まで入っているのだから、贅沢な一冊だ……。




 こうしてボーモントの基本を読み浚ってみても、ボーモントはあまりに多彩で掴みづらい。もしかしてボーモントを薦められたのは、私が色々書きたいと言っているからなのだろうか。色々書いても大丈夫だということを、ボーモントが教えてくれている?




 ボーモントは小説家として活動しながら、脚本家としても大きな成功を収めて精力的に活躍した。しかし、彼は若年性アルツハイマーにかかり、三十八歳の若さで亡くなってしまう。彼は中断していた長編小説を執筆しようとしていたところだったそうだ。さぞかし無念だったことだろう。……あるいは、編集さんが伝えたかったことは、生き急いだ作家と評される彼の姿を通して、日々やりたいことと時間との兼ね合いで色々なことを後回しにしている自分を省みろということなのか?




 ともあれ、ボーモントのエピソードで特に好きなものが一つある駆け出しの彼が「週に一本小説を書き、五十二本の短篇を完成させて筆力を高めなさい」とレイ・ブラッドベリにアドバイスを受け、その通りにしたというものだ。ボーモントの作風の広さは、もしかしたらこのシンプルで効果的なトレーニングの末に生まれたものなのかもしれない。そういうところも大好きだ。



 




十二月△日



 自分と全然関係の無いジャンルのノンフィクションを読むのが好きなのだけれど、その意味でいうと佐々木ランディ『水中考古学 地球最後のフロンティア』は、ここ最近で一番興奮した一冊だ。水中考古学とはその名の通り、水中に沈んだ遺跡や船を対象とした考古学だ。遺跡は地上だけにあるものではない、むしろ水中の方が保存状態が良く残っているものが多いという話を読んで、そりゃあそうか……となんだか納得をした。まるで馴染みの無いことだと思っていたけれど、四方を海に囲まれている日本は水中考古学にうってつけの土地なんだそうだ。そりゃあそうか!(アメリカのテキサスでは、日本で元寇での沈没船が見つかったことが広く知られているらしいが、私はこの本を読むまでそんな大発見があったことを知らなかった。それとも、実はみんな知っているんだろうか?)




 そんなわけで、水中考古学にまるで詳しくない私でも、なんてロマンに溢れる分野なんだ! と感動する一冊だった。1901年に引き揚げられたアンティキラ島の沈没船から見つかったオーパーツや、皇帝カリギュラが作り、ネミ湖に沈んだ伝説の船を見る為に湖の水を全部抜いたムッソリーニの話など、興味を引くエピソードが満載だ




 一方で、水中考古学に特有の“沈没船の引き揚げ”という行為についても、ハッとさせられることが書いてある。地上にある遺跡は基本的には人の立ち入りが制限され、保存が第一にされて守られる。だが、沈没船の多くは展示され、様々な人の目に触れる。この慣習が根付いたのは有名なスウェーデンのヴァーサ号からで、ヴァーサ号は専用の博物館が作られて展示されているのだそうだ




 その他にも、この本には著者である佐々木ランディ氏がどうして水中考古学の道を選んだのかや、世界の主要水中遺跡の紹介などが載っており、水中考古学の入り口に立てる一冊だ。




 ちなみに、残っている沈没船の多くが木造船であり、タイタニック号などの鉄製の船が残らないのにはちゃんと理由があるらしい。なんでも、木製の船の方が浮力の関係上ゆっくりと沈むので、衝撃が柔らかくなるのだそうだ。考えてみれば当然だけれど面白い




 



十二月□日



 毎年十一月と十二月は映画をよく観る。というのも、私は年に一〇〇本は映画を観ることに決めているからだ。ノルマを消化する為に映画を観るなんてなんだか不純だ……と、時間が大量にあるサボり魔大学生だった頃の私だったら言うだろうだが、小説家をやっている自分は反論したい。そうして本数を決めなかったら、忙しさにかまけてまともに観なくなってしまう。かつ、一〇〇本観ようと思ったら観る前に精査している暇が無い。気になったら片っ端から観られる。スティーヴン・キング御大も、大量の作品を読まないと何が陳腐で何が陳腐じゃないのかも分からない……と言っていることだし、クリエイターでいる以上、義務として観ているべきなのだ……と思う。




 ところで、評価が低くて、なおかつあらすじや予告からつまらないB級映画だろうと予想がついてしまう──けれど、ちょっと気になる……くらいの映画を観ることが出来る人間こそが、一番贅沢に時間を使っているんじゃないだろうか? そんなことを思いながら、私はつまらないB級映画を観て「何だよ時間返してくれ!!」と叫ぶ日々を送っている。ちなみに現時点での視聴本数は八十二本だ。




 こういう話題だから狙ったわけじゃないのだけれど、グレイディ・ヘンドリクス『ファイナルガール・サポートグループ』を読む。ファイナルガールというのは、殺人鬼が人を殺しまくるスラッシャーホラー映画において最後に生き残る女の子のことだ。ホラー映画というのはミステリと同じくらいお約束の多い物語であり、良い子で優等生の女の子や、自立した強い女性が大抵生き残る結末になるので、こんな単語が生まれたというわけだ。




 この物語は、様々な事件を生き残ったファイナルガール達が互助会を作ってメンタルケアに努めているという人を食ったような設定から始まる。彼女達は脚光を浴び、事件は映画化される。だが、その後も彼女達の人生は続いてしまう。彼女達は扉に背を向けることも出来ないトラウマを抱えながら、それぞれなんとか生きている。だが、そんな彼女達を再び襲う人間が現れる。──犯人は誰で、一体どういう理由で生き残った彼女達を襲っているのか? というサスペンスなのだが、名作ホラー映画のオマージュとどことないB級映画感を詰め込んでいるお陰でメタで疾走感のあるスラッシャーコメディにも仕上がっている。というか、一体どういう理由で? も何も、ファイナルガール達は“続編”というメタ的な要因で狙われるものだし、彼女達がそれを意識しているのも面白い。映画が好きな人間は絶対に楽しめる一作だ




 ファイナルガール達の事件はどれも名作ホラー映画をオマージュしてあるものなので、この映画か! という楽しみを覚えることも出来る。(そもそも「スクリーム」シリーズをオマージュしたファイナルガールの作中映画はそのまんま「スタブ」である)



 この本を読んで、また映画の乱読ならぬ乱視聴への英気を養うのだ。来年はもっと効率的に時間を使って、一五〇本を目指したい。

『君の地球が平らになるまで』(集英社)発売!


次回の更新は、12月19日(月)17時を予定しています。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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