八月●日

文字数 4,730文字

日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

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八月●日

 今年一番好きだった小説を上げろと言われたら、ロベルト・ボラーニョの「通話」を上げるかもしれない。


 円居塾でラテンアメリカ文学を推したからには、ラテンアメリカ文学の名著をどんどん紹介していくべきなのかもしれない……あまり日本では広く読まれていない気もするし……ということで、気になっていた本を全部読み漁ることにした。ボラーニョを選んだのは「2666」が好きだからである。謎の作家を追う冒険小説であり、凄惨な暴力が入り交じるサスペンスでもあるこの作の読み味を求めて、全作を読んでみようと思った次第だ。(余談だが、私の家にある「2666」は先輩が「読め」と言って貸してくれたものである。その後、その先輩が音信不通になってしまったので、本棚に刺さりっぱなしなのだ)


 「通話」は世界観を共有する連作短篇であり、冒頭の「センシニ」は<僕>がセンシニという素晴らしい作家に手紙を送るところから物語が始まる。小説を書くことについての物語でもあって、奇妙な友情の物語でもあって、彼らを取り巻く不安定な情勢がウィットに富んだ、けれど穏やかで静かな文体で綴られている。大きなことが起こる物語ではないのに、一ページ一ページをめくるだけで緊張する本だ。裏表紙には『日常のはざまにふと現れる圧倒的な瞬間』という文字がある。ボラーニョの作品を評するのにこんなに的確な言葉はない。  


 言葉の切実さはどこに宿るのだろうな、とたまに思う。作品研究を行う際に作者の研究をすることからは逃れられないけれど、ボラーニョの言葉の切れ味のようなものを彼の人生に求めることも、何だかおこがましいような気もする。



八月×日

 相変わらず洗濯くらいしかやることのない日々である。外に出ないので、猛暑だろうがなんだろうがあまり関係が無い。ただ、道行く人の格好が明らかに夏っぽくなっていたり、雨の日にもまして傘が目立つのは面白い。雨の時はそもそも人の往来自体が少ないので、傘がふらふらと歩いている率は晴れの日の方が高いのだ、と気づく。


 訳あってスコット・フィッツジェラルドを丁寧に読み直しているので、こんな猛暑であろうと「冬の夢」を読む。これはフィッツジェラルドが二十代の時に書いた短篇を集めたもので、まだ売れる前──何者にもなれていなかった頃に書いたものだからか、全体的に人生の哀切を描いたものが多い。『終わってしまったもの』と『かつてあったもの』の美しさを描かせた時に右に出るものがいないフィッツジェラルドであるから、必然的に傑作揃いというわけだ。


 この短篇集には私がフィッツジェラルドの作品の中で二番目に好きな「メイデー」が収録されている。簡単に言ってしまえばこの短篇は、かつての同級生が裕福になっているのにもかかわらず一人だけ落ちぶれてしまった芸術家志望の青年・ゴードンを描いた物語である。輝きを失ったゴードンを同級生の視点から書く容赦の無さには、フィッツジェラルドの滅びへの執着というか恐れというものが如実に出ていて面白い。


 中でも、かつてゴードンに想いを寄せていたイーディスという美女のパートがたまらない。イーディスは昔愛したゴードンとの再会を楽しみにしていたが、今のゴードンの有様を見てあからさまにがっかりする。ゴードンはイーディスに一片の期待と希望を見ているのにもかかわらず、だ。以下の引用は、イーディスの独白である。


【愛は脆いものだ──彼女はそう考えていた──しかしおそらくそのいくつかのかけらは使い物になるだろう。唇の上に漂ったもの、口にされるかもしれなかったもの。新たな愛の言葉、そこで習得された優しさ、それらは次なる恋人のために大事にとっておかれるものだ。】


 このセンスがたまらない。イーディスにとって、再会したゴードンとの間に期待していたラブロマンスなんて、次なる誰かで代替可能なものなのだ。ゴードンにあげるはずだった大事な言葉も、かけるべき優しさも、スライド可能である無慈悲さ。これを読んだ時に、なるほど、愛って使うと目減りするんだな、と思った。


 フィッツジェラルドはこういう無慈悲さを描きがちだけれど、それだからこそ代替不可能な個人を承認して愛してくれ、という想いも強く伝わってくるからいい。多分、私もそれが欲しいのだ。


 ちなみにフィッツジェラルドの作品で一番好きなのは「残り火」で、大好きな夫が植物状態になってしまい、思い出だけをよすがにずっと傍に居続ける女の物語。美しい彼女は周りから遠回しに「そんな状態の夫を愛してるわけじゃないだろ」と言われるが、妻はそれに対し「かつての彼を愛することは出来ます。それ以外私に何ができるのですか?」と答える。


 妻のロクサンヌが「植物状態になった夫のことだって変わらず愛している」とは言わなかったところで、彼女はずっとかつての彼を、そこにある残り火を愛しているだけなところがたまらない。


 この短篇こそ、フィッツジェラルドの祈りが一番よく出ているような気がする。これは「マイ・ロスト・シティー」に収録されているので、一読してほしい。フィッツジェラルドは面白い……。



八月▽日

 月日が経つのは早いもので、一月経ったので再度COVID‑19のワクチンを打ちに行く。二回目のワクチンを打ってから二週間経ったら抗体が出来、ある程度安心になるようなので嬉しい。前回と同じ会場に本を持って乗り込む。犬飼ねこそぎ「密室は御手の中」だ。あの阿津川辰海を生み出した名プロジェクトKappa-Twoからのデビューということで、面白くないはずがない。岩で出来た完全な密室であるにもかかわらず、何人もの行者が消えたという曰くのある岩室。なんとそこで信者の一人がバラバラ死体となって発見されるのだ。犯人は何故死体をバラバラにしたのか、そしてどうやって犯人はそこから脱出したのか?


 密室の謎は出し尽くされたと言うけれど、この小説を読み終えてまだまだ可能性がある! と感動しきりだった。個人的にはこの物語の犯人の動機があまりにも好みで、だからこの事件が起こったのか、起こらねばならなかったのかと心底腑に落ちた。この動機が小説と登場人物に深みを与えている。悔しかった。ミステリというジャンルを使いこなして重厚な人間ドラマをやられると弱い。


 この小説で心底興奮したこともあり、ワクチン用の注射針は痛くないということを学んでいたこともあり、接種はつつがなく終わった。一回目のワクチンで殆ど副反応が出なかったのもあり、接種から二日は休もうと思っているけれど、仕事をしても大丈夫だろうし、なんならこの間に積み本を崩したり遊んだりしようと笑顔の皮算用をしていた。どら焼きを買って帰った。


 夜も特に具合が悪くなることもなく、先輩に「副反応全然大丈夫ですね~」と話すくらいだった。絶対楽しく休みを過ごすぞ! という気分だった。思えば2021年になってから体調不良以外で休みを取ったことがない。これはきっと休めという大いなる意思なのだ! と、そう思った。


 悲しいことに、そんな大いなる意思はなかった。



八月/日

 そんなことはなかった。三十九度の熱が出て大変なことになった。物凄く寒かったので冬用の寝間着を着て、ふわふわになりながら眠った。とにかく寒いしか記憶が無く、免疫って本当にあるんだなと思った。免疫はある。身体が頑張ってるな~と思った。


 担当さんや友人や先輩からメッセージが来た。全体的にひらがなが多い文面で返していたが、最早返した記憶すらない。


 朦朧とする中で、泉鏡花の「外科室」を思い出した。麻酔を掛けられた時に譫言で自分の秘密を口にしてしまうかもしれないので、麻酔無しで手術をしてくれと頼むとんでもない女が出てくる物語である。あの壮絶さは真実なのだ。理性を保ちたいと思うなら、浮かされることはあってはならないのだ。



八月◎日

 目が醒めても特に熱は下がらず、寒気が止まらなかった。だが、起き上がれる程度には体調が戻り、無事にご飯を食べられるまでになった。


 仕事が出来ればいいなと思っていたのだが、結局そこまでの体力は無く、本を読む日にすることにした。織守きょうや先生の「花束は毒」を頂いたので、これを読む。織守先生の著作の中ではかなりダークに振られた一作で、結婚式を間近に控えた花婿に送られてくる謎の脅迫状と、過去の事件の関わりを追う物語だ。読んでいくにつれ「こういう展開だったら嫌だな」と予想が誘導されていくのだが、その嫌な予感を容赦無く的中させてくるえぐみがたまらなかった。やるならとことんやる、という覚悟のようなものが感じられる一作だった。


 似鳥鶏先生の「推理大戦」は、似鳥先生版JDCとでもいうような一作で、それぞれが小説の主役を張れる名探偵達が一堂に会して推理を披露する。個性豊かな名探偵達のバックボーンを読んでいるだけで楽しいし、みんな同じようなことがやりたいんじゃないか……と思わされた。自分の考えた最強の名探偵、やりたい! そんな一作なので、自分がこれに出てくるどの名探偵が『推し』になるかを考えながら読むのも楽しいかもしれない。私はウクライナ代表のボグダンが好きだ。『吹雪』に翻弄される彼の活躍をもっと見たい。そう思わせた時点で勝ちなのだ。

(編集部注:JDCとは、清涼院流水の作品に登場する異能をもつ探偵集団。『コズミック』をはじめとする作品群に登場する。Japan Detectives Clubの略である)


 相沢沙呼先生の「invert 城塚翡翠倒叙集」は流石の一作という気分だった。雑誌に載った時から「泡沫の審判」は倒叙ものとして面白すぎる……と思っていたのだが、書き下ろしの「信用ならない目撃者」が一番好きだ。このシリーズの特徴上、城塚翡翠という存在を書くこと自体が難しいだろうと思っていたのだが、この短篇ではその彼女を完璧に定義され直した感覚があった。覚悟を決めている人間の名乗りは格好良い。これを読んだら、自分も倒叙モノが書きたくなった。そのくらいこの一冊はお手本になるようなものだったのだ。


 こうしてあれこれ読み漁っていると、夕方には熱が引いてきた。普通の風邪だったら怠さが残るところなのだが、何故かやけにすっきりと具合が治った。何とも言えない不思議体験だった。


 治ってしまったからには、ということで夜は仕事をした。もしかすると読書は熱冷ましにいいのかもしれない。熱を出すと思って買い込んだアイスを食べていると、何だか遠足のような気分になった。


八月▽日 (……)「これはきっと休めという大いなる意思なのだ! と、そう思った。

八月/日 そんなことはなかった。

↑ 今回の即落ち二コマです。


次回の更新は9月6日(月)17時です。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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