7月■日

文字数 6,471文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

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7月■日

 SFマガジンに新作短篇「奈辺」が載った。SFマガジンの短編連載企画は、漢字二文字で揃えている。既に発表してある「回樹」「骨刻」と合わせて、来たるべきSF短篇集刊行に向けての布石だ。とはいえ、二文字にこだわりすぎて内容と全く関係のないものを付けてもいけないので、色々考えた末にこのタイトルになった。奈辺とは「どこ」「どのあたり」という意味の言葉である。


 内容は史実に基づいたファーストコンタクトもので、1741年に起きたニューヨークの反乱という事件を題材に取っている。これジョン・ヒューソンという名の酒場の店主が、店の常連だったシーザーという黒人奴隷と手を組んで起こした反乱だとされている。ヒューソンの酒場は当時では珍しい──というより、殆ど類を見ない──人種の境界無き酒場であり、白人も黒人も区別なく酒を飲んでいた場所である。一説にはこの反乱そのものがでっちあげであり、黒人と白人が仲良く交流する場を作ってしまったヒューソンを陥れる為のものだった。また奇妙なことに、処刑されたヒューソンの肌は黒く、シーザーの肌は白くなったという。


 今回はSFということで、ヒューソンが何故人種の境界無き酒場を作るに至ったか、彼らの肌の色はどうして死後に変わったのか、という点に宇宙人という大きすぎる嘘を投げ込んだ。自分にしては驚くほど素直な短篇になった気がしているので、よければ是非読んでみてほしい。


 マット・パーカー『屈辱の数学史 A COMEDY OF MATHS ERRORS』を読む。これは、人類が数字に弱すぎた所為で、あるいは数字の側が強すぎた所為で引き起こされた失敗を、数学が全くわからない人間にも分かりやすく紹介した本である


 古本屋が「市場の最安値より少しだけ高く売値を設定する」というプログラムを組んだ結果、なんでもない本が天文学的な値段に跳ね上がってしまった一件や、とある戦略ゲームでプレイアブルキャラクターのガンジーの攻撃性を最低の「1」に設定した結果、何故かガンジーが核攻撃大好きな攻撃性の固まりのような挙動をし始めてしまった件など、不可解かつ面白い事例がてんこ盛りだ


 この本のいいところは、数字というものの性質上、引き起こされるミスのスケールが大きいことである。二〇一四年に完成したラファエル・ヴィニオリ作のロンドンのビルなんかが、このスケールの大きいミスにあたる。彼はガラスをふんだんに使った芸術的なビルを創り上げたが、その形とガラスの所為でビル自体が巨大な凸面鏡になり、辺りに殺人光線を振りまくようになってしまったのだ。


 いかにもありえそうなミスだけれど、ビルとしては致命的である。数学が重く用いられるところは建物だの橋だの、一世一代の大きな取引だのなので、引き起こされる事態が凄く大きくて面白い。これを読んでいると、なんとなくヒューマンエラーの全てを「まあそういうこともあるよね」で済ませられるようになる……気がする


七月Δ日

 とうとう映画『怪盗クイーンはサーカスがお好き』が公開された。予告編から自分の求めていたものがここにある……! と興奮しきりだったので、嬉しくて仕方がなかった。


 何を隠そう私は怪盗クイーンが大好きなのだ。小学生の頃の私の憧れといえば、探偵よりも断然怪盗だった。予告状を出し、その予告通りに獲物を盗み出すのは鮮やかで格好良かった。自分の赤い夢を形作った存在である。怪盗といえば怪盗ニック(『怪盗ニック』シリーズの主人公、価値のないものや自分の他には誰も盗もうとしないものだけをターゲットに選ぶ怪盗)も大好きなのだが、憧れの源泉はやはり怪盗クイーンだ。

 怪盗クイーンは私に大切なことを教えてくれた。怪盗の美学、ワインはソファーの下に隠すこと、「い~つも、すまないねえ。」と言われたら「それは、いわない約束でしょ。」と返さなくてはいけないことなど……。怪盗クイーンシリーズを読んで以来、私もC調と遊び心を大事にしながら生きていたつもりだ


 その怪盗クイーンが銀幕で活躍する日が来るなんて……! と、早速夢を観に行った。


 自分の好きな作品のメディアミックスは、思い入れがあればあるほど恐々とするものだ。だが、この映画化は考えられる内で最も完璧な映画化だった。演出も演技も何もかもが、自分の大好きだった赤い夢を見せてくれた。今回はシリーズ第一巻『怪盗クイーンはサーカスがお好き』の映画化だったわけだが、続刊も全て映画化してほしい……と願ってならない。何にもまして、クイーンが終始楽しそうだったのがよかった。


 こうして怪盗クイーンの映画を観て改めて感動したのだが、小学生の頃に好きだったシリーズの新刊が今もなお出続けているというのは凄い。しかも、最新刊の『怪盗クイーン 煉獄金貨と失われた城』まで、全く変わらない面白さで私達を楽しませてくれるのだ。いつもいつまでも赤い夢を見させてくれる。


 映画を観た後は、とても元気になった。そして「小説を書きたい……!」と、強く思った。憧れが一番の原動力なのだろう。この日以来劇場で購入したBlu-rayを流し続け、日々の元気をもらっている。


七月◎日

 読書日記で紹介する本が一日一冊ペースだと、どうしても面白かった本紹介漏れが出てくることに気がついたので、今回は一気に紹介してみることにした


『俺ではない炎上』/浅倉秋成

 自分を騙る謎のSNSアカウントが殺人の告白をして大炎上、世界から糾弾され追われる人間になってしまった主人公の炎上逃亡ミステリである。SNS全盛期の今、なりすましなんてそう簡単にできないんじゃないの? とも思ってしまうようなシチュエーションなのだが、今回の偽アカウントはなんと10年も前からなりすましているのだから、もう為す術が無い……という恐怖がある。SNSが身近だからこそ、10年なりすまされてたらもうお手上げですわ、ということに実感が湧いて恐ろしい。

 ともあれ、逃亡もののなんと面白いことか。書き味が『バトルランナー』のようで、まさに手に汗握る展開だった。メインテーマはSNS炎上だけれど、この逃亡劇のパートは「自分は一体どんな人間なのか」「生身の自分を自分だとわかってもらう為にはどうしたらいいのか」という、見つめ直しの旅の趣があって面白い。ああ、この主人公はこれを「自分」だと思っていたのか……と後から理解した時、人間は過去を伏線にして積み上げていくミステリそのものなのだな、と思った

 個人的に浅倉先生の作品の面白いところは、人間の隠されていた醜悪なところを油断した時に見せつけてくるところだと思う。こちらも何も身構えていないものだから、重く響く一撃に内臓を撃ち抜かれてしまう。


『短編七芒星』/舞城王太郎

 群像2022年2月号で読んではいたものの、書籍の形で持っておきたいのでとても楽しみにしていた一冊。ギラついたピンクの箔押しのタイトルが、書店の中で一際輝いている。

 七本の短篇がギュッと詰まっている一冊。お気に入りの短篇は「狙撃」。百発百中のスナイパーの撃った弾が、空中で不可解な消失を繰り返す。消失した弾は、この世に遍く悪人の心臓の中から見つかるのだった──という物語。舞城作品には、テーマとして善悪のバランスや世界のバランスなど、均衡というものがよく出てくる。それが寓話として綺麗にまとまっていて、とはいえすっきりと飲み下せるものでもなくて、好きだ。この短篇集に載っている話は、人間が解釈出来ないもの、理解出来ないものが多く出てくるのも特徴的で、それらに対して人間がどうにかバランスを取ろうとする……という構造が印象的だ。

 今月(7月6日発売号)の群像には木下龍也さんによるこの本の書評──というか、その短篇に短歌を添えるという面白い試みが載っていて、そちらもとても良かった。「狙撃」に寄せられた「スコープの十字に神が降りてくるよりも素早く薔薇を咲かせる」の歌がとてもいい。このコラボレーション、またやってもらえないかなあ。


『探偵は御簾の中 白桃殿さまご乱心』/汀こるもの

 大好きなたんみすシリーズの最新刊である。今回も平安時代でしか成立しないトリックや物語がたっぷりと詰め込まれていて、とても面白かった。加えて今巻では、平安時代の人間がどうやって生き抜くかの戦いが切実に描かれていることにも胸が詰まった。サブタイトルにもある白桃殿さまは、確かにご乱心しているのである。だが、彼女にはそうせざるを得ない事情があり、このワイダニットが解かれた時、御簾の中にいたはずの探偵も静かな地獄へと引きずり出されていくのだ。

 平安時代においてはささやかなことが魂の死に繋がることがあり、それらのクライシスに対して戦い抗う術すら限られている。私はこのシリーズの祐高と忍さまのじれじれとした両思い関係が好きではあるのだが、それすら危うい均衡の上に成り立っているものなのだと思い知らされた。喉元に刃を突きつけられたような気分だ。この時代だからこそ成立する、切々とした想いがここにある。相変わらずとても素敵な平安ラブコメであると同時に、これは歴史闘争小説でもあるのだ


『白昼夢の森の少女』/恒川光太郎

 『夜市』の恒川光太郎先生の最新短篇集の文庫版。表題作は蔦に呑み込まれるという奇怪な現象に見舞われとなった少女の顛末を描いた物語。恒川先生らしい何とも言えない幻想的な世界観が面白い一作です。けれど、この短篇集の中で私が一番心に残ったのは「平成最後のおとしあな」。とある男と平成のスピリットを名乗る概念存在が話す、というだけの物語なのだが……これがシュールでおかしくて、なおかつ理不尽で怖い。ユーモアのある怖さ、というのはなかなか味わえない塩梅で、背中がぞわぞわする。平成をテーマにした物語という依頼を受けて、こんなにぞくぞくする物語を書ける人は他にいないのではないか、と思う。

 あとは、人を絶対に従わせる不思議な怪異・ドールジェンヌに命令された人々を描く「傀儡の路地」もとても面白かった。怪異に対してどう抵抗するか、どういう対処をすれば正解なのかを語り合う人々が好きなのだ


『風琴密室』/村崎友

 かつての幼馴染達と再会し、廃校に泊まることになった主人公。彼はかつて密室で幼馴染が消えた瞬間を目撃した経験があった。苦い密室の記憶を持つ彼の前で、またも密室殺人が起こる──。

 叙情的な雰囲気としっかりとした物理トリックが噛み合った素晴らしいミステリだった

 だが正直、最後の方の……およそ事件にはあまり関係のない衝撃の場面が脳に焼き付きすぎていて、思い出すシーンがそこばかりだ。読んだ時は、しばらくそこから動けなかった。似たような趣向が無い、とは言わないのだが、こういうやり方で読者の肝を抜いてくる作品は初めてだった。今までのノスタルジックな雰囲気と相まって、そのシーンは異様な禍々しさを放っていたような気がする。今まで浸っていたセピア色の空気があるから、いきなり差し挟まれたそれに心臓を殴られるのだ。読んだ人には、私の言っている意味がわかるだろう……。是非、その目で確かめてほしい


七月×日

 私はおよそ十人に一人の割合で存在する先天性欠損歯の人間である。永久歯が存在しないが故に乳歯から永久歯の生え替わりが起こらず、大人になっても乳歯が生えたままの人間だ。


 乳歯が無事に使えている内はいいのだが、乳歯は乳歯が故に耐用年数がとても短い。いつかは駄目になり割れてしまう。出来れば二十代の内にどうにかした方がいいと言われ、私も乳歯への対処を決めた。しかし乳歯を抜くにあたって、噛み合わせの調整の為に親知らずも一気に抜くことになってしまった……。というのが、今回の抜歯の顛末である。


 この親知らずが曲者で、完全に歯茎に埋まってしまっていた。これを取り出す為には切開手術を行わなければいけないのだ


 そういうわけで、今月の頭に手術をしたのだが……。


 これが大変だった


 正直なところを言うと、手術を理由にしてしばらくゆっくり療養し、本を大量に読んだり溜めていた映画を全部観てやろうと思っていた。枕元に本を積み上げ、いそいそと手術に向かったのだが……。


 大変なことになった。


 静脈麻酔をしてもらったので、術中の痛みなどは問題が無かったのだが、起きた後からは地獄だった。頭も歯茎も顎の骨も痛い。肉を切って縫って顎の骨を砕いているのだから当然なのだが、これほど痛いとは思わなかった。自然と涙が出てきたのだが、その涙がやけにサラサラとしていたことを思い出す。感情が乗っていない、ただ痛みによってのみ出てくる涙はとても滑らかだった。本を読んでいる場合ではなかった。コップにインゼリーを絞り出し、それを飲んで痛み止めを飲んで眠った。


 痛みに耐えている間、ジェイムズ・ウィンブラント『歯痛の文化史 古代エジプトからハリウッドまで』のことを思い出していた。数ある文化史の中でも五本の指に入るほど好きな一冊である。ここには人類が歯科治療とどう向き合ってきたかが事細かにユーモアを交えて描かれている。想像を絶する痛みの記録のはずなのに、何故か可笑しさが付き纏っているのが凄い。あまりにも抜歯が一大事だったので、歯を抜くことがショーになっていた時代に想いを馳せてしまう。現代でさえこんなに痛いのに、ロキソニンが存在しない時代でショーをやるのは……。(※このショーの主軸は麻酔なので、痛みのない抜歯を見せるのが目的だったのだが、どうしても麻酔が切れた後のことを考えてしまった)


 この文化史の面白いところは、過去から現在に至るまで歯科治療があまりにも進化していないと分かるところだろう。基本的に歯の治療なんて「悪い歯を抜く」の一点だけに集約されるのだ。え? 進化してるんじゃない? と思ったそこの貴方に考えてほしいのだが、あなたが進化したと思った部分の大半は麻酔技術の進歩であって、歯科は抜くが全てである


 ある意味で歯科治療は既に最高の治療法が確立していたとも言えるかもしれない。とはいえ、その治療には二千年前から変わらぬ苦痛と共にある……


 親知らずの抜歯後の三日は六時間ごとに痛み止めを飲む装置になっていて、あまり記憶が無い。この一週間後には乳歯を抜く予定も立っていた


 ベッドの中で震えながら、古代エジプトに思いを馳せた。あの時は祈りながら歯を抜くしかなかった。今はロキソニンがある。代わりに歯の神はいないかもしれない。でもロキソニンはある。ロキソニンへの礼拝の時間を告げる六時間のタイマーをセットし、私は枕を血塗れにしながら眠った


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前回は斜線堂有紀さんの抜歯事後療養のためお休みとさせていただきました。ご了承ください。


次回の更新は、第二回抜歯の結果次第ですが、8月1日(月)17時を予定しています。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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