一月☆日

文字数 5,039文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

――のはずが、担当者のミスで2日遅れで申し訳ございません!!!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

前回の日記はこちら

一月☆日

 年が明け、文庫版『ゴールデンタイムの消費期限』が刊行された。この小説を書いていた頃は生成AIはまだまだ使い物にならなかったというのに、あれから三年経った現在AIは既に実践投入に耐えうるものになっている。あれから三年という月日の流れもさることながら、技術の発展にも驚かされた。なんというか、世界は本当に目まぐるしい。他のものが文庫化する時はどうなっているんだろう……と思いを馳せずにはいられない。


 何より嬉しいのは、解説をあの桜庭一樹先生に頂いたことだ。この解説だけでも、この本を手に取る価値がある──拝読して、少なくとも私はそう思った。そういった意図ではないことは分かっているのだが、この解説を読んで私は間違いなく今までの作家人生を肯定出来るような気持ちになれたからだ。


 そういえば「百合である値打ちもない」という短篇を掲載して頂いた実業之日本社の『彼女。百合小説アンソロジー』もこの度文庫化となった。前に書いた小説がこういう形で再び脚光を浴びるようになるのは嬉しいことだ。よろしければ是非、この二冊をお手に取ってほしい。


 この『彼女。』で一緒になった青崎有吾先生の『地雷グリコ』が、昨今のミステリ界を騒がせている。誰もが知っている子共の遊びをギャンブルに仕立て直し、飄々とした勝負師の射守矢真兎が学校生活を送りながら極限の頭脳バトルに挑む様には唸らせられた。彼女の戦略が一貫していて、戦闘スタイルにブレが無いのも格好良い。勝利のセオリーが確立している主人公は美しいのである。


 私のお気に入りは三話目の「自由律ジャンケン」だ。グーチョキパーの他にプレイヤーが決めた〝独自手〟を入れていいという、とても自由なジャンケンである。これのいいところは、この独自手の設定が面白く、自分達でもやってみたくなることだと思う。魅力的なゲームで、なおかつ面白さが伝わりやすい。ここに出てくる勝負相手の佐分利錵子がいい。この二人の読み合いと独自手の癖が、素晴らしいコントラストになっていた。2024年必読の一冊だと思う


 続いて気になっていたニコラ・ストウの『未解決殺人クラブ 市民探偵たちの執念と正義の実録』も読む。独自の捜査によって事件解決に貢献した市民探偵達の事例を追ったノンフィクションだ。市民探偵の設定はミステリでよく用いられるわけだが、現実にもこれほど多くの市民探偵がいるとは、とまずはそこで驚いた。


 この本では身内が殺されたから市民探偵になった者、被害者への同情から市民探偵になった者、凶悪殺人犯テッド・バンディの被害者になりかけていたがあと一歩のところで逃げだし、その経験から市民探偵になった者、単に趣味の一つとして事件解決を目指すものなど、様々な動機から探偵を志した人達が紹介されている。こうして考えると、ミステリに出てくる「事件解決が趣味の素人探偵」はむしろ共感されるような、ありふれた造形のように思えてくる


 警察のように専門的な知識やデータベースが無い分、市民探偵達は無限の時間と執念、奇想天外な捜査方法で犯人に迫っていく。最初の事例である、娘を殺したギャングを見つけ出す為にSNSアカウントで存在しない女性を作り出し、色恋営業をかけることで情報収集を成功させた母親探偵などは、確かに現代では最も効果的なやり方なのかもしれないと思った。面白いのは、こういった囮捜査を警察がやると違法行為になる点だろう。これはあくまで一般市民が「趣味の範囲内で」やっている捜査なのだ。こういったところも、市民探偵の利点なのだろう、と改めて認識する。また、警察が時間的な制約によって諦めざるを得なくなった事件を延々と追い続けることが出来るのも市民探偵の柔軟さの一つだ。何年もの捜査の末に解決した事件を見ると、諦めないことで道は拓けるものだと思わせられる。


 一方で、この本では市民探偵の狂気的な執着や熱狂についても触れている


 ウェブ上で未解決事件への意見を募るサイト・ウェブスルースを運営しているトリシアの項は特に顕著で、このサイトの黎明期は意見を戦わせるユーザーの間でしばしば脅迫や誹謗中傷が寄せられた。モデレーターを使ってルールを決めることでサイトは落ち着いていき、ついにはとある事件の解決に成功する。だが、その際にトリシアが口にした言葉には微かな危うさも感じられた。一体どこまでが正義でどこまでが私刑なのだろう?


 総じて、この本は今だからこそより注目を浴びるべき一冊なのではないかと思った。一つ一つの事件の重み、命の重みについて深く考えさせられる。



一月/日

 この夢を叶える頃には、私はきっと自他共に認める小説家らしい小説家になっているだろう……と思っていたことがある。その一つが大森望さんのゲンロンSF創作講座にゲスト講師として呼ばれることだ。私が何度も受講を検討し、様々な理由で断念してきた人気の講座である。この講座を受講すれば素晴らしいSFが書けるようになるはず……と夢想してきた講座に、まさか講師側として呼ばれることになるとは。


 だが、さっき書いた通り、SF創作講座で講師をやる頃には私は自他共に認める最高の小説家になっている予定だったので、今の私が引き受けていいものか悩んだ。結局、これを逃したら二度と呼ばれない可能性があるので大人しく出た。内容は、デビューしてから私が続けている小説の構造分析とそれによるアイデアの出し方、つまり私が出せるものは全て出した。私のなけなしの創作術を出し切ったものの、終わった後は「果たしてこれでよかったのだろうか……?」と後悔もした。すごく良い経験だったけれど、もっとやれることはあると思った。


 その翌日、打ち合わせの帰り道に寄った書店で『JOJO magazine 2023 WINTER』を買った。大人気漫画シリーズの「ジョジョの奇妙な冒険」を一冊丸ごと取り扱ったムック本なのだが、私の目当てはここに連載されている『続・荒木飛呂彦の漫画術』だ。これはジョジョの作者の荒木飛呂彦がどんな風に漫画を描いているかを解説している垂涎物のエッセイで、全ての創作者はこのエッセイを読むだけでもこの一冊の元を取れるだろう。今回のテーマは「魅力的な悪役の作り方」であり、とても参考になる内容だった。小説でも漫画でも魅力的なキャラクターを作ることの重要性は変わらない


 このエッセイの中で荒木飛呂彦は創作論を語ることは企業秘密を公開するのに等しいから、自分にとっては甚だ不都合であると繰り返している。それを読む度「わかりすぎる……」という気持ちと「荒木飛呂彦であっても躊躇いを覚えるのか、それだけの高みにあっても」という気持ちが綯い交ぜになる。それでも荒木飛呂彦は後進育成の為にこうしてエッセイを公開しているわけだが……私はまだその段階に至れそうにない。身につまされたので、前身である『荒木飛呂彦の漫画術』を読み直してから眠った。



一月●日

 何らかの賞がほしいほしいと言っていたところ、なんと『回樹』が第45回吉川英治文学新人賞の候補作となった。これで日本SF大賞に続いて『回樹』は二つ目のノミネートになる。賞の候補に挙がらなくても大好きな短篇集であるけれど、やっぱり候補作に挙げてもらえるのは嬉しい。


 このせいで、二月三月は連続してそわそわさせられることとなった。楽しみだし嬉しいけれど、それ以上に恐ろしくもある。何度も賞の候補になっている作家さんのそわそわ感たるやと想像してしまうくらいだ。何度も候補にあがることで、心まで鍛えられるものだろうか。


 賞の候補になったからその弾みで、と高瀬隼子の『うるさいこの音の全部』を読んだのだが、これがまあ刺さった。これはいわゆる半自伝的な小説で、芥川賞を獲った作者が「小説を書いていることを周りに知られ、扱われ方が変わった作家の話」と「芥川賞を獲って取材を受けるようになり、作家として表に出る自分を見つめ直す話」を虚構を上手く交えながら書いている作品なのだ。物語の中で、小説家の彼女が書いている話と、彼女自身の話が入り混じり、境目を揺らがせていく。その中にあってもなお、小説家として生きるものの自意識は生々しく切実で、苦しかった。


 最近特に実感しているのだけど、小説家は小説を売るだけでは済まない時代になっている。自分の人生を売り渡し、作家というキャラクターとして表に出なければならない。勿論そうしない選択肢もあるのだけれど、それで失われる機会を天秤に掛ければ選択肢は一つだ。商業小説家としてやって行きたいと願うなら、絶対に無視出来ないと思う。表に出る必要性は高まっているのに、出た後の余波はインターネットの発展により昔とは比べものにならない。芸能人でもないのに芸能人のデメリット部分だけ受け、ささやかな恩恵だけを拾い集めなければならない。それが今の小説家だ


 そんな事態に対応するために、小説家は外側の自我を構築することを迫られる。二篇目の「明日、ここは静か」では、インタビューをよりよいものにするべく話を盛っていった結果、事実と擦り合わせようとしてくる周りとの軋轢を生んでいく物語だ。自分なんかを取材してくれるのだから金銭に見合う価値を提供しようとする小説家の姿に、思わず涙が出そうになった。小説を書くことを通して自分の内面を明け渡し、表に出ることによって人生まで明け渡す、それが小説家なのかもしれない。少し単著が出ないとすぐ「消えた」がサジェストされる追いかけっこのような人生! 書店に行く度に動悸がするという話題があるあるとして挙げられる人生! それでも本から離れられず必死にキーボードに齧り付く人生……


 小説家でなくとも、自分の人生を切り売りする経験をした全ての人間に刺さる小説だと思う。中には「人をネタにすること/消費することの罪」についても語られていて、どんな人間であれ、国籍などの属性でレッテルを貼られ、いともたやすくSNS上でコンテンツにされてしまうグロテスクさにも目を向けさせられる。


 同時期に読んだキャサリン・ライアン・ハワード『ナッシング・マン』も『うるさいこの音の全部』に通じるものがあるような気がした。これは12歳の時に「ナッシング・マン」という連続殺人鬼に家族を殺された女性のノンフィクション──を、まんまと逃げおおせた「ナッシング・マン」本人が読むという変則的な小説である。犯行をやめて穏やかな生活を送っている「ナッシング・マン」は、今になって出た実録本に焦りと高揚を覚える。果たして自分の犯行はどのように書かれているのか? この本の中に自分の犯行を暴くような内容は記述されているのか? と、戦々恐々としながら殺人犯が本を読むという、人を喰ったような作中作ものは、自分に起こった出来事を誰もが発信出来る現代らしい作品なのではないかと思う。ノンフィクション本としての「ナッシング・マン」は多くの人の手に渡り、大抵はコンテンツとして読み捨てられていく。その中に込められた祈りと執念を嗅ぎ取ることが出来るのは、当の犯人だけという構図が皮肉で、かつスリリングだ


 私達は何を明け渡し、何を書いていくのか。その末に何を求めるのかを考えさせられる本だと思う。


 何を求めるといえば今の私は賞がほしいに尽きるのだけど!


それにつけても賞の欲しさよ


次回の更新は、2月19日(月)17時を予定しています。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

斜線堂有紀氏のTwiterアカウントはこちら

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色