十月■日

文字数 7,018文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

前回の日記はこちら

十月■日

 秋になるとミステリーの力作が大量に出版される。豊作の秋だ。それは各種ミステリーランキングの〆切が秋に集中しているからとか……。


 かくいう私も表題作と書き下ろししかミステリ要素の無い幻想怪奇短篇集『本の背骨が最後に残る』をこの時期に出したわけだが……まあ本当に恐ろしい時に出してしまったものだと思った。何せ同じ時期に発売したのが阿津川辰海『午後のチャイムが鳴るまでは』東野圭吾『あなたが誰かを殺した』伊坂幸太郎『777』である。おまけに超弩級大作みんなが首を長くして待っていた京極夏彦『鵼の碑』お祭りだ。お祭りすぎる。


 かつて村上春樹が「本の世界は同業者が盛り上がっていると自分も恩恵のある良い業界だ」と『職業としての小説家』の中で書いていて、その主張自体にはなるほどと思ったものだが……。それでも、ビッグタイトル同日発売はまだまだ心許ないキャリアの若手……中堅? 作家にとっては恐ろしい出来事なのである。しかも、この三冊はどれも面白いのだ!


 というわけで、平台で隣り合うこととなったこの三冊について順に触れて行こうと思う。


 東野圭吾『あなたが誰かを殺した』は、真っ向勝負の正統派ミステリーで、大人気の加賀恭一郎シリーズの最新作である。(ちなみに私は加賀恭一郎シリーズの中では『どちらかが彼女を殺した』が一番好きなので、このタイトルが発表された時点でワクワクしていた)


 閑静な別荘地で連続殺人が起こり、そこで休暇を楽しんでいた裕福な一家が殺される。犯人は鬱屈とした思いを抱き、誰でもいいから殺して死刑になりたかったという、所謂「無敵の人」だった。犯人は早々に捕まり、事件は終結したように見えたのだが──生き残った人々は疑問を抱く。果たして、犯人がここを狙ったのは偶然なのか? それとも、この中の誰かが犯人を招き入れたのか? と。疑いが芽生えるのと同時に、現場では共犯者の痕跡が見つかる。彼らは白黒をはっきり付ける為、事件の「検証会」を行うのだった。


 まず、この事件が終わった後の「検証会」というスタイルが新しい。一旦の終結を見た事件だからか、彼らにはある程度の余裕がある。だが、この中には確実に悪意を持った共犯者が存在しているのだ。この妙な閉塞感を打破してくれるのが、読者にとってはお馴染みの加賀恭一郎である。長寿シリーズに必要なのは、もしかすると探偵役の安心感なのかもしれない。加賀はどんなに奇妙な状況でもスッと馴染む力がある──と今回の作を見てしみじみ思った。


 明らかに怪しく、動機もありそうな登場人物達。「あなたが誰かを殺した」という絶対受け取りたくない手紙。火花散るような人間関係の縺れと、ミステリの喜びに満ちていてとにかくページを捲る手が止まらない。伏線の処理の仕方は流石ベストセラー作家と唸ってしまう。


 けれどこの本で一番興奮したのは、物語の序盤──殺人の実行犯が逮捕される場面である。殺人を終えた彼は悠々とレストランに入り、最高級のワインと料理に舌鼓を打ち、十分に堪能してから逮捕されるのである。あまりに映像映えしそうなシーンにひたすら感動しきりだった。メディアミックスされることの多い東野作品だけれど、映画でいえば20分頃にこの引きの強い場面を入れてくるところからも、上手さが滲み出ている……と思ったのだった。これからミステリを書こうという人や、加賀恭一郎シリーズをこれまで読んでこなかった人にもおすすめの一冊である。



 みんな大好き殺し屋シリーズの最新作・伊坂幸太郎『777』は、期待を裏切らず、読みたいものを200%の出力で見せてくれるとてもパワフルで楽しい一作。実力は高いが全く運に恵まれない殺し屋・七尾こと「天道虫」が、ホテルで起こる殺し屋同士のバトルに運悪く巻き込まれていく。物語上の要請があるとはいえ、あまりにも不運な七尾が何もしていないのに窮地に追いやられていく様は面白いのだが、そのユーモアに満ちた流れの中で淡々と人を殺していく七尾に改めて恐ろしさを覚えたり。このバランスがとても魅力的でたまらない。渦中のキーパーソンは一度見聞きしたものを絶対に忘れない女性・紙野結花。この記憶能力の使い方も外連味があって、面白い。伊坂作品ではこうした才能がもたらす負の側面や思いがけない作用に焦点が当てられることが多く、今回も人の身に過ぎた記憶力……という一見良い才能に思いを馳せさせられた


 そして何より、七尾と対峙する個性豊かな殺し屋や裏の世界の人間達が素晴らしい。裏の世界に足を踏み入れてしまった人間の逃がし屋であるココや、吹き矢を武器に襲いかかってくる六人組など……。特にお気に入りなのは、元同級生の殺し屋コンビ、マクラとモウフ。学生時代は冴えなかった二人が、冴えないまんまくだを巻き、このホテルの中で立ち回っているのを読むのが楽しいし愛おしい。殺し屋版の『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』みたいだ

 勿論、伊坂幸太郎のミステリセンスも遺憾なく発揮されていて、フェアな伏線と共に真相が明らかにされた時は安定のカタルシスを得ることが出来る。



 そしてトリに語るのが京極夏彦『鵼の碑』……。ありがたいことに、鵼を待ちわびていた作家の一人として、新聞広告へとコメントまで寄せさせて頂いた。京極堂シリーズ、十七年ぶりの新刊である。十七年……私が絶賛講談社ノベルスにかぶれた中学生だった頃だ。あの頃から「『鵼の碑』はまだかなあ」と楽しみに胸を躍らせ、気づいたら作家になっていたのだから……──時の流れとは恐ろしいものである。ちなみに私の推しキャラはみんな大好き堂島静軒だ


 読み始めて、あの頃の京極堂シリーズからまるで変わっていない雰囲気に驚いた。まるで、ついこの間前作『邪魅の雫』が刊行されたかのようだ。間に百鬼夜行シリーズがあったとはいえ、全くブランクを感じさせないところが凄まじい。それは登場人物が真に生きているからなのだと思う。京極堂や関口くんは、地続きの日々を生きているのだ。変わらずそこに息づいてくれているに決まっている。


 京極堂シリーズで起きた今までの事件に触れつつ絡めつつ解き明かしていくのは、主要登場人物がそれぞれ聞いた不可思議な事件の総体である。鵼を冠する物語に相応しく、一見全く繋がらないはずの事件は追って行くにつれ巨大な妖怪へと変ずるのだ


 この構造の何が嬉しいかって、ずっと待っていた登場人物が代わる代わるそれぞれの事件に触れ、謎を追ってくれるところだ。直接的に言ってしまうと、個人個人の出番が多い! これはどの登場人物のファンであろうと再会を堪能出来る仕組みだろう。木場修のパートなんかは人情物の雰囲気があり、読んでいてとても楽しい。反対に、第三者が関口くんのことを語り、描写するパートは「関口くんってこんなにも信頼出来ない語り手の様相を呈しているのだな……」と『姑獲鳥の夏』を思い出しながら考えてしまったり。ずっと続刊を心待ちにしていた読者ほど楽しめる完璧な続刊である。


 一方で、明かされる事件の全容には令和の今だからこそより深く読者に訴え掛けるものなのではないかとも思った。もしかすると、『鵼の碑』は十七年経った今こそ刊行されるべき小説だったのかもしれない。

 とはいえ、読み終えた時には一抹の寂しさも覚えた。とっておきのケーキを食べてしまった時の悲しみだ。だが、本書を閉じて帯裏を見ると、そこにはなんと京極堂シリーズ続刊の告知が! ファンにとってこれほど心の躍るものもない。出来れば早く読みたいものだが、これだけ満足のいくものを出して頂けるのなら、どれだけ待たされても文句は無い……。それもまた複雑なファン心理なのである



十月◎日

 先日に引き続いてミステリランキングシーズンということで、私もそろそろ今年の翻訳ミステリのベストを決めなければならないと、個人的なリストを検めた。私は今年も推理作家協会賞の翻訳小説部門の選考を行う予定なので、それも踏まえてしっかり選ばなければならない。ちなみに、私は基本的に国内には投票しないようにしている。何故なら、いつでも自分がランクインする機会を狙っているからだ。


 そして、このシーズン終わりの〆切間際で個人的な本命を見つけてしまった。それが孫沁文・訳 阿井幸作『厳冬之棺』だ


 校外の湖畔に建つ由緒正しき名家・陸家で殺人事件が起こる。だが、死体があったのは水没した地下室の中であり、誰一人立ち入ることは出来なかった。勿論、水を抜いた痕跡も無い。犯人はどうやってこの完全密室を作り上げたのか──? というところから始まる、とにかく密室と不可能状況にこだわり抜いたミステリなのだ


 嬰児の呪いに掛けられた陸家で起こる連続殺人事件は、どれもこれも大胆なトリックによって周りを翻弄する。特にこの第一の事件の真相は、今までに類を見ないもので素晴らしいのだ。トリックに一家言あるという方は、本書の後半を読んだ時に笑みをこぼすだろう。個人的には「つまりトリックに求めることっていうのはこういうことなんだよなあ!」と高笑いしそうになった。ミステリとは自由な発想力が大事。


 そうしたトリックや事件のクオリティもさることながら、ミステリにおける要である名探偵のキャラクターも素晴らしい。なんと探偵役は『ジョジョの奇妙な冒険』に出てくる岸辺露伴を思わせるような天才漫画家・安縝なのである。この安縝というキャラクターがとにかく魅力的なのだ。彼は助手役で駆け出しの女性声優である鐘可(陸家に居候している)を自身の作品に出演させる為事件を解こうとするのだが、この設定も粋だ。今や中国で漫画やアニメは著しい発展を遂げている。そういった現代の中国カルチャーを反映しているところもまず面白い。この辺りの読み味は、大ヒットSF『三体』に近いだろうか。二人の掛け合いや安縝の変人ぶりだけで、物語がグイグイ進むのが面白い。それこそ、新本格が大好きな人間にはたまらないだろう。懐かしさすら覚える


 おまけに、この物語はそれだけでは終わらない。とことんまでエンターテインメントに振ったこのミステリは、最後まで読者を翻弄してくれる。まさに満漢全席のような一冊なのだ。ここまでやられたら、流石に拍手喝采を送らざるをえない。今から続編が楽しみなので、どうかこれが日本で大ヒットし、孫沁文氏が意欲的に安縝シリーズを書いてくれるよう願わざるを得ない



十月▽日

 最近私の周りでは『近畿地方のある場所について』(背筋)という本の話題で持ちきりである。この本はすごい、斜線堂さんも読むべきですと言われながらも購入を躊躇っていたのは、単純にこの本が物凄く恐ろしいからであった。私はこう見えてホラーが苦手なのである。有名どころのホラー映画を一通り浚い、小説もチェックしているが、いちいちかなり怖がっている。しかも、この本はモキュメンタリー形式の小説で、沢山の人の証言やネットの書き込み、雑誌の記事によって一つの怪現象──近畿地方のある場所で起きた一連の出来事を明らかにしていく構造なのだ。


 こうした資料を読み解く形式のモキュメンタリーは、ミステリ的な面白さがあって楽しい。一見繋がることのない怪現象は、大抵一つの事件に収束していくからだ。(『残穢』や映画『呪詛』もそういった構造になっている)周りの人が頻りに読んだか聞いてきた理由も分かる。この本は色々な面で参考になるからだ。


 だが、それにしたって怖い……!!!!!!!!!! ミステリは明かされた先に真実が待ち受けているが、モキュメンタリーホラーは明かされた先にあるものが大抵地獄めいた恐怖だからである。同じ趣向の梨『かわいそ笑』を読んで、私は怖すぎて震えた。


 あまりに怖くて『近畿地方のある場所について』はミスタードーナツで読んだ。怖い本は大抵こういった幸せな場所で読む。どれだけ怖い本を読んでいても、ゴールデンチョコレートを食べている時に呪いはかからないような気がする。この本は合間合間に図表や写真が容赦無く載っていて、巻末には袋とじまで付いていたのでひっくり返った。この袋とじを開けるために、ドーナツをお代わりする羽目になったくらいだ。怖すぎる。


 でも、人を怖がらせる為に端から端まで考え抜かれてあって、ホラーエンターテインメントとしてはとても素晴らしい本だった。いや、でも、やっぱり苦手だ……こういうの……!!



十月☆日

 相変わらず目まぐるしい日々だ。


 この時期になると既に来年の予定について話す機会が増える。作家になってそこそこの年数が経っているのに、未だに私は先のことがよく分からない。多分、このままいけば来年も仕事がある……あってほしい……と思ってはいるが、未来のことを考えようとすると薄ぼんやりした靄に頭が支配されて眠くなる。無意識に未来を拒否しているからかもしれない。こんなに未来に拒否感を抱いているのは、私か進路の決まっていない高校生くらいのものだと思う。


 秋になると大体、命を大切にしなくてはな……と思う。多分、肌寒さと今年も終わりか……という寂寥感が簡単にイメージの中の死を引っ張ってくるからだ。そうすると、忙しい日々にも少しだけ張り合いが出る。


 私ほど死のことばかり考えている小説家も珍しい気がしている。メメント・モリを前世から引きずっているんだろうか? それだけ人生が楽しいのかもしれない。あと、死を意識している割には生き方が適当なので、来年こそは……。


 そんなことを考えながら、安堂ホセ『迷彩色の男』を読む。今作は変則的な復讐劇である。同性愛者向けに匿名性の高い出会いの場を提供するクルージングスポットにて発生した凄惨な暴行事件をきっかけに、自分と彼──いぶきとの関係を捉え直しつつ、逃げ出した発見者達や犯人を追う語り手が描かれる。著者が「ヒーリング効果のある悪夢感を作りたかった」と言っているように、陰惨な事件が軸になっているというのに、物語全体の雰囲気は穏やかで落ち着いており、まるで水中を回遊しているような感覚を覚えるのが特徴的だ。


 前回の『ジャクソンひとり』にも埋没させられる側について描かれていたのだが、今回もまた出てくるありとあらゆる人物が靄を掛けられたように距離を置いて描かれていて、キーパーソンである「迷彩色の男」なんかは、それこそ自分の居る場所に応じて擬態していく。そんな物語にあって、最も美しく穏やかに描かれているのは、語り手の唇にある他の誰とも違う特徴を指摘されるシーンである。他者に彼だけの特徴を見出された時、語り手は存在を許されているような安心を覚える。多分、私達が他者に求めているのはこれなのだ、と思う。


 続いて呉勝浩『素敵な圧迫』を読む。これは様々な雑誌に寄稿された多彩なジャンルの短篇がぎゅっと詰め込まれた一冊である。個人的に、こういうごった煮のような短篇集が出るのは小説の自由さを表しているようで嬉しい。とても贅沢な一冊だ。表題作は圧迫に異常な執着を見せる女性のサスペンスフルな物語で、これをメインに据える時点でかなり挑戦的である。


 私がお気に入りなのは「ミリオンダラー・レイン」である。学は無いがふつふつと滾る鬱屈と野心を持った若者達がとある犯罪計画を練る物語なのだが──歴史的に大きな事件の裏にはこういった出来事が起こっているのかもしれない……と思わせるところが上手い。後は方々で話題になっていた「ダニエル・≪ハングマン≫・ジャービスの処刑について」も素晴らしい一篇だった。とある語り手が話してくれるダニエル・≪ハングマン≫・ジャービスというボクサーの物語なのだが……ボクシング界を舞台に二転三転する物語と驚きの結末に心底「やられた!」と思った。この枚数で世界観を創り上げるのが上手い。結局のところ、作家力とは世界観の構築力なのだろう。


 この読書日記は頑張らないことをモットーにやっているので、最近はおや? というくらい不定期更新だ。だが、この読書日記を書いている時ほど自分が生きていることを客観的に喜べる瞬間もない。良かったものを全身全霊で良かった! と言うことほど楽しい仕事もないからだろう。沢山面白いものを読んで、これからも書いていけたらいいなあ。


ミスタードーナツとホラーの相性……。


次回の更新は、11月6日(月)17時を予定しています。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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