八月■日

文字数 6,262文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

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八月/日

 読書日記が更新される週はいい週だ。というわけで、久しぶりの更新になってしまったが、今週はいい週に出来たと思う。


 今まで散々忙しいと思っていたが、八月は光の速さで過ぎていった。特にお盆明けから今までが凄まじく、数えてみたら、38個の仕事を打ち返していることになった。38! 私が子供の頃に描いていた小説家とは、フラフラ辺りをうろついて主人公にアドバイスをする美味しい役回りだったのに……。けれど、仕事が実になるのは嬉しい。


 九月十九日にはアンソロジー≪異形コレクション≫に寄稿した短篇を纏めた『本の背骨が最後に残る』が刊行される。これには表題作「本の背骨が最後に残る」の他に「死して屍知る者無し」「ドッペルイェーガー」「痛妃婚姻譚」「『金魚姫の物語』」「デウス・エクス・セラピー」と、書き下ろしの「本の背骨が最初に形成る」が収録されているので、良ければお手に取ってほしい。ちなみに、この刊行を記念して9月24日にブックファースト新宿店 地下2階 Fゾーンイベントスペースにてサイン会を行わせて頂くので(http://www.book1st.net/event_fair/event/page1.html)よかったら整理券を予約の上でいらっしゃってほしい。


 九月といえば、私が出来にいたく感動しコメントを寄せた阿津川辰海『午後のチャイムが鳴るまでは』も刊行される。九月はランキングの関係で力作が多く出るというが、この一冊も阿津川辰海のミステリ愛と熱意がたっぷり詰まった傑作になっている。あの阿津川辰海が学校の昼休みをテーマに日常の謎をやる! というだけでワクワクする。学生の頃の休み時間は体感無限だったわけだが、その思い出を追体験出来るのだ。彼らが行う大冒険はどれもこれも、大人から見たら笑ってしまうほどくだらなくてささやかだ。けれど、彼らにとっては矜持を懸けるに値する一大事なのである。


 個人的に思い入れが深いのは、昼休みに学校を抜け出してラーメンを食べに行くだけのスクールスパイアクション「RUN! ラーメン RUN!」だ。というのも、高校時代の私がよく似たようなことをやっていたからだ。けれど、小説中の彼らのように華麗な完全犯罪を行うことは出来ず、その度に先生にこっぴどく怒られていた。今となっては、なんであんなに外に行きたがっていたのか分からない。学生時代のきらめきだと思う。


 あと、第三話の「賭博師は恋に舞う」は、消しゴムを使ったポーカーに必死で興じる彼らに笑いつつ、高度な頭脳戦に怯えた。……一体、どれだけの労力をこの短篇に?(なんでも、阿津川先生は実際にこの消しゴムトランプを作り、担当さん達相手にポーカーを行って内容を詰めたとか。全力過ぎる)その意味でも、とても贅沢な物語なのだ。


 最後に、私がこの本に寄せたコメントを載せておく。


「日常は、解き明かされることを待っていた。何の変哲もない平凡な日々を開いてみれば、そこには輝くばかりのミステリーが詰まっている。阿津川辰海が教えてくれた魔法が、私達の日々まで彩っていく」


八月○日

 ポケモンスリープにハマった。睡眠時間を計測するとポケモンが手に入るという、寝るだけで遊べるゲームである。時間に追われる小説家なので、ただ眠るだけで何かを得られた感じになるのが楽しい。しかし、ゲームである以上その達成率も気になるもので、微妙に上手くいっていない睡眠グラフを見て何とも言えない気分になっている。効率よくポケモンを育てるには質の良い睡眠をたっぷり取ることが重要で、その為には仕事をしている暇が無く……。結果、私の育てているポケモンは睡眠不足でフラフラしている。


 とはいえゲームなのだから、出来れば最効率を目指したい。その結果、スマホをベッドに寝かせて私は仕事をするという奇妙な状況が生まれてしまった。こうして睡眠時間を偽装すると、ポケモン達は元気いっぱいになるのである。私はポケモンの寝顔を眺めながら仕事をしている。


 さておくとしてカル・フリン『人間がいなくなった後の自然』を読む。これは前回の読書日記で取り上げたゾラン・ニコリッチ『奇妙な国境や境界の世界地図』を読んだ関係で(直接の関係は無いのだが)読みたくなった一冊。


 この本はタイトル通り、様々な理由で人間がいなくなった場所での自然の繁栄について紹介した本である。自然災害によって放棄された土地、戦争によって荒らされ放棄された土地、放射線によって汚染された土地、領土問題により誰も住めなくなった土地──。そんな場所には、大抵手つかずの豊かな自然が存在しているのである。人間にとっては自然が一番有害である──なんていうのはよく言われたことだけれど、実際に事例と一緒にその事実を突きつけられると、地球にこれだけ人類が蕃殖していることが不思議に思えてくる。


 とはいえ、人間が住めないほどのダイオキシンで汚染された場所などは、いくら人に荒らされなくても生態系なんて生まれるはずがないのでは? という疑問にも本書はしっかりと答えてくれる。PCBとダイオキシンはほとんど全ての種類の生物にとって致命的な汚染物質だ。PCBが存在する環境では、生存できる種自体がほぼ存在しない。


 だが、ニューアーク湾の汚染水域にいるセイヨウメダカは、なんとこの環境にも適応していたのだ。メダカはその丈夫さで他の汚染水域でも生息し、全体数の三十五%が癌性腫瘍に侵されながらも蕃殖を続けているのだという。これらのメダカは誰も敵のいないユートピアで、汚染物質に対する抵抗力を八〇〇〇倍にも高めて適応したのだった。進化が何百年をかけて行われることを考えれば信じられない話である。この地獄が、メダカを一足飛びで進化させてしまったのだ。(既読者にしか伝わらないけれど、まるで『プロジェクト・ヘイル・メアリー』みたいな話だ)汚染された水域の話は悲しいけれど、生き物の持つ驚異の力は凄い。


 他にも、荒廃し治安の面から誰も住めなくなってしまった地域が何故そうなっていったのかなど、都市社会学の面からの話も面白い。誰も顧みず、解体すらされない廃墟の物語と、そんな人間の事情などまるで関せずに蕃殖していく植物の物語が絡み合って、なんだか妙な気分にさせられる。



九月×日

 「奈辺」が収録された『時代小説ザ・ベスト2023』(日本文藝家協会編)を改めて読む。ジャンルにこだわらず読書をしたい……と言いつつも、時代小説はあまり手に取ってこなかったので、こういう形で選りすぐりのものを読めるのは嬉しい。そうした意味でも、こうしたアンソロジーを編むことには大きな意義があるのだな、と思う。入口を用意してくれたら入り込める世界も多い。


 自分の中のお気に入りはやはり、遣唐使船で徳の高い僧が殺された謎を追う伊吹亜門「遣唐使船は西へ」だ。恨みを買う理由の無い人間が、船上という密室で殺される──という二重に不可解な謎を解き明かす鍵が、その時代背景にあるというのが素晴らしい。歴史ミステリの名手である伊吹先生ならではの一作だと思う。


 隻眼の英雄・伊達政宗の母親を題材に取った矢野隆「母でなし」も酷く心に残った。幸せとは言い難い幼少期を過ごした伊達政宗と母親の間にあった壮絶な愛憎を見事に描き出していて、だからこそあの猛将が生まれ得たのだ、と納得させられる強さがあった。歴史小説の醍醐味は、出来事の間にあった感情を補完出来ることだと思っているのだけど、その意味でこの短篇は理想の歴史小説だった。


 ところで、小説推理2023年10月号に掲載された『ワイズガイによろしく』も、ある意味での歴史小説である。舞台は1970年代のニューヨーク。そこで、一人のギャングスタ・シャックスがジュークボックスから奇妙な声を聞くという物語だ。その声はシャックスの死を予言し、運命を変える為の手伝いをしたいと申し出る。嘘を見破ることの出来る能力のあるシャックスは、少なくとも嘘は吐いていない彼のことを信じることにするのだが……。


 このシャックスにはモデルがいる。映画『グッド・フェローズ』のヘンリー・ヒルだ。彼はギャング界でもとても有名な人物で、彼の逸話を扱ったフィクションは数多い。


 というのも、彼は最終的に証人保護プログラムを受けてギャングから足を洗い、記者のニコラス・ピレッジのインタビューに答える形で自伝『ワイズガイ わが憧れのマフィア人生』を出しているからである。これがかなり詳細で面白い資料なのだ。「わが憧れの」なんて枕詞がついている時点で分かるように、ヘンリーのマフィア人生に暗いところはあまり無い。むしろ、こちらの方がフィクション染みていると思ってしまうほどに華々しく、かっこよく、仲間たちはみんな情に厚い良いやつなのだ。自ら最高でかっこいいマフィアになりたい! と願って裏社会に飛び込み、彼はとんとん拍子に出世していく。この辺りは以前紹介した『トマトソースはまだ煮えている 重要参考人が語るアメリカン・ギャング・カルチャー』にも書かれていた明るさだ。彼らの生活は案外明るい。


 一方で、彼らがやっていたのはれっきとした犯罪である。この本はインタビュー形式であるので、物事は終始ヒルによる明るくて軽やかな口振りで語られる。まるでペットが死んだのと同じ口振りで、数ページ前に書かれていた人物が理不尽に殺される。ヒルは言う。「殺しは、おれたちの秩序を保つ唯一の方法だったんだ。究極の武器ってことだな。」証人保護プログラムを受けた彼は法で裁かれることはない。だがヒルも、表に出た件数よりずっと多くの人間を殺している。そのことに、ふと恐ろしさを覚えるのだ。


 また、ヘンリー・ヒルを語る上で欠かせない人物、ジミー・ザ・ジェントについても多くが語られている。彼はヒルと同じくらい有名なギャングスタで、いくつもの冷酷な犯罪に手を染めながらも、紳士的な振る舞いで〝ジェント(紳士)〟の渾名を戴いたという男だ。自分が襲った貨物輸送車の運転手に50ドルを渡すエピソードが有名で、それが紳士的かはともかくとしても……インパクトがあったことには違いない。どんなギャングの懐にも入り込んで多くの人間に愛されながらも恐れられていた。彼は笑顔で肩を組んでいた相手を、その数日後に殺すのである。


 この最凶のギャング・ジミーの失脚のきっかけとなったのがヒルで、本書の中ではヒルがジミーに対して抱く感情の変遷についても詳細に描かれている。こういうのを読むと、いくら裏社会といえど最終的には人間関係のもつれで崩壊するんだな……なんてことを思わされる。(ジミーの振るまいが奇矯すぎて、よくそれまで周りから裏切られなかったな、とも思う。間近で見ていると奇行こそがカリスマ性に見えるのかもしれない)


 この本があまりに面白かったので、更にギャング・カルチャーが知りたいと思いバーグリーン・ローレンス『カポネ 人と時代 愛と野望のニューヨーク篇』と『カポネ 人と時代―殺戮と絶望のシカゴ篇』も購入した。恐らく、この時代のギャングで最も有名な人物、アル・カポネの伝記だ。なかなかのボリュームで、これでまたギャングのことに詳しくなれるに違いない。けれど、こんなにギャングについてばかり詳しくなってどうなるつもりなのだろう……?



九月☆日

 昨年末に既に出ていたというのに、ずっと積んでいたカレン・ラッセル『オレンジ色の世界』をようやく読んだ。出るなり多くの人達が褒めていた一冊だったので、然るべき時に読もうと決めていた。幻想文学は現実に疲れた心を別角度から癒やしてくれる。表題作に会わせたオレンジ色の表紙を捲れば、そこにはカレン・ラッセルのめくるめく世界が広がっていた。


 表題作の『オレンジ色の世界』は、子育て講習でよく言われる例え話である。どこかで聞き覚えがあると思ったら、日本でもよく教えられることなのだそうだ。〝緑色の世界〟は、何の危険もない安全な世界。〝赤色の世界〟は命が絶えず脅かされる恐ろしい世界。そして、私達が生きているこの世は〝オレンジ色の世界〟。赤色の世界ほどではないけれど、危険はそこら中にある世界。この概念を用いることによって、乳児には絶えず気を配ってなければならない……と警告するのである。


 主人公の新米ママは、自分達の世界がオレンジ色の世界──自分の子供にとって必ずしも安全ではない世界に暮らしていることに気がついた瞬間、子供をちゃんと守れるかどうかに悩み、恐怖に苛まれるようになる。そして、あろうことか悪魔と契約してしまうのだ。この「拡大解釈」ぶりがカレン・ラッセル作品のいいところで、悪魔と契約するほど子供の安全を守りたい、という気持ちが伝わってくる。赤信号を無視する車がいなくなりますように。娘の脳から水が抜けますように。誘拐犯がちゃんと捕まりますように。自分達ではどうにもならない危険に立ち向かうべく、母親達は悪魔と取引をする。


 このような「比喩をそのまま物語にしたような」あるいは「不安に輪郭を与えるような」物語が、この一冊には詰まっている。意志のある植物に身体を乗っ取られてしまう「悪しき交配」は、知らず知らずのうちにするりと日常に入り込む違和感──この人ってこんな人だっけ? という恐怖を上手く捉えている。恋人が知らない人間に見えた経験を、誰もが密かに共有している。


 日常で誰もが抱きうる感情をファンタジーに落とし込んだ小説として好きだったのが「沼ガール/ラブストーリー」だ。主人公のキリアンは、ある日沼地で少女を見つける。彼女は二千年もの間沼で暮らしていた沼ガールだった! 彼女に一目惚れをしたキリアンは沼ガールを連れ帰り、心を通わせようとするのだが……という物語。


 この物語の展開と結末の後味の悪さは、なかなか忘れようにも忘れられないものだ。だが、沼に住んでいた異形の存在、という前提を抜きにすれば、キリアンの心の変遷も私達がよく知っているものなのである。だから、全く理解出来ないものではない。むしろ、ぞっとするような生々しさを伴っているのである。カレン・ラッセルの奇妙な物語が広く受け容れられるのは、こうした共感を得るからなのではないか。


 最新短篇集を読んでしまったのに、もう次が楽しみになる作家だ。と同時に、私もこのような物語を書きたい……、カレン・ラッセルに先を越される前に! と思う一冊である。


ポケモン偽装……


次回の更新は、9月18日(月)17時を予定しています。


Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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