十月△日

文字数 4,126文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

前回の日記はこちら

十月△日

 担当編集・Uさんが雪山に登った写真を送ってきた。この時期なので、それはもうゴリゴリに雪山であった。一目見ただけで恐怖を覚えるが、何故か目が離せず食い入るように写真を見てしまったし、追加で写真を送ってもらったくらいだ。


 編集者は山に登りがちである。何故か、みんな山に登っている。気づけば山に登る。


 何故そんなに登るのだろうか。


 私の友人も、全員インドアだった癖に『ゆるキャン△』を見てから山に登る人間が増え、ギアを揃えて登山に行くようになってしまった。みんなで旅行に行った時「この付近に一時間程度で登れる山があるんですよ。ハイキングはどうですか」と地元の人に勧められ、私を除くみんなの満場一致で登ることになった時は、もう私の好きだった暗くてインドアなみんなはいないんだと思ってしまった。結局、山に登ることを拒否した私は近くのカフェに入って小説を書き、アイスを食べて時間を潰した。みんなが登っているだろう山を見ながら「フン……」と言い、「すごい良かったぞ」と語るみんなに「フン………………」と返した。山になんか登りたくない。疲れるし恐ろしいのだ。


 そんなことを言っていると、沢木耕太郎『凍』を薦められた。ヒマラヤの難峰ギャチュンカンに挑んだ山野井夫妻のノンフィクションである。彼らはギャチュンカンに挑んでいる最中に遭難し、数々の極限的選択を強いられる。山の恐ろしさにばかり目を向けてしまう私には、氷壁での宙吊りビバークや低酸素による失明など、読んでいるだけで震えてしまう描写ばかりだった。山野井夫妻は二人で力を合わせながら極限状態を生き抜いていくが、その絆の深さと、絆だけではどうにもならない厳しい大自然に息を吞む。


 特に、弱った山野井泰史を見たことで、妻である山野井妙子ががっかりし、絶望するところにヒヤリとしたものを感じた。本物の絶望は、自分が尊敬しているものが踏み躙られるところにあるのだと理解する。夫であり、世界中の誰よりすごい頼りになるクライマーの彼が、震えて背中を丸めるところに、雪山の真の寄る辺の無さがある。


 生還した彼らがどうなったのか──何を得て何を失ったのかは、ここでは語らない。だが、それでも彼らは山への意欲を失わないのだ。何故そこまで、と私は思ってしまう。山に関する本やフィクションをこれだけ読んでも、何がそこまで人を突き動かすのだろうと理解出来ずにいる。そこに対する感情移入だけが上手く出来ないのだ。


 だが、山に関する物語をこれだけ読んでしまう時点で、引力のようなものは感じてしまっているのかもしれない。


 私はUさんに「何で雪山に?」と聞いてみた。すると「圧倒的に、味わったことない体験ができるからですよ。それに尽きる」と返された。


 私もいつかそれを求めて山を登る日が来るのだろうか。



十月◎日

 小説家・山本文緒先生の訃報を受けて衝撃を覚える。『自転しながら公転する』を読んだ際に、なんだか少しだけ生きづらい、幸せになるというのが難しいこの世界をどうしてこうも鮮烈に切り取ることが出来るのだろうと震えたのを思い出す。自分の好きな小説を書いている方が亡くなられて、もう新作が読めないというのを思う度に、なんだか胸が落ち着かなくなる。自分もいつかはそうなり、自分の読者に同じ思いをさせるのかと思うと不思議だ。


 これを機に読んでいなかった山本文緒作品を読もうと思い、まず最初に『再婚生活―私のうつ闘病日記』というエッセイを手に取った。淡々と綴られていく夫・王子と山本文緒先生の生活。そしてうつ病の話。赤裸々に闘病生活が語られるので、苦しくなることもあるのだが、何しろ文章が軽快で面白く、王子との別居婚生活や彼との距離の取り方など、なるほどな、そうだよなと共感することも多い。こうして日記を書いているからこそ思うのだが、人の日記は面白いのだ。


 こうして生きていた時の軌跡を書き残し、広く読まれる小説家という職業は、今になって遠い星の光を連想させる。残してくれて、届いてくれてありがとう、と何だか深く思う。



十月/日

 今世紀最大の修羅場を迎えている。こうなってくるともう何もサボっていないのに何一つ終わらないという感じになってくる。全ての〆切が右へ左へという感じだ。去年も十月は朗読劇『池袋シャーロック最初で最後の事件』の執筆に追われていつつ『ゴールデンタイムの消費期限』を書いていたりして大変だったのだが、その時に星海社の担当編集である太田さんが「来年は来年で去年の今頃は楽だったな~って言うくらいの忙しさになってますって!」と不吉な予言をしていたのだが、的中してしまった。(ちなみに去年の今頃はその太田さんに「次の〆切は72時間後だ! 遅れずにな!」と電話で督促をされていた。誘拐犯しか言わない言葉だ)


 こうなってくると、もうあんまり本を読めない。合間を縫って本を読み、Audibleで『ペッパーズ・ゴースト』を聴きながら壇先生(『ペッパーズ・ゴースト』の主人公。中学校教師で、相手の飛沫に感染することでその人の未来を見ることが出来る)の行方にハラハラとしていることしか出来ない。ちなみに『ペッパーズ・ゴースト』を聴いた流れで文庫になった『フーガとユーガ』を読み返しはした。こちらは誕生日に位置交換能力を発揮出来る双子を主人公に据えた物語で、残酷な世界に小さな拳を振り上げるような読み味が大好きなのだ。文庫にあたってあの切ないラストを書き換える案もあったようだが、私はあの物語のラストの素晴らしさを折に触れて思い出すのでそのままであってくれて良かったと思う。


 さて、修羅場である。年間三百冊読んでいる内の残りの六十五日の話だ。


 というわけで、そういう時に何をしていたかというと、映画を観ていた。映画だと何かしらの作業をしながら観られるのがありがたい。というわけで、修羅場期に何を観ていた(観ている)かを紹介したいと思う。

 まずは開始四十五分の展開が凄いと話題になっていたアダム・ランドールの『フロッグ』。映像でしか作れないミステリとは、もしかしてこういうことか……と感動した。観客は最初、この映画がどんな物語かを分からないまま進んでいくこととなる。町で起きる連続殺人事件と、それを追う刑事の家で起きる奇妙な出来事。断言してもいいのだが、物語が開始四十五分でこうなることを予想出来た人間はいないのではないだろうか。この快感は確かに『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』や『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』のものに似ている。もっとミステリ界隈で話題になってもいいはずの作品だ。


 あとは、ドキュメンタリー映画として物議を醸した『SNS-少女たちの10日間-』も興味深かった。これは成人済みの女優達が十二歳の少女に扮し、SNSをするという実験を追ったものだ。〝少女〟である彼女達には性的な画像やメッセージ、脅迫が絶え間なく送られてくる。現実の少女達が晒されている問題を浮き彫りにする意図のドキュメンタリーではあるが、撮影スタッフの暴走した正義や、あまりに無法地帯なSNSを目の当たりにした結果「性的なメッセージを送ってはこないが、それはそれとして十二歳と連絡を取りたがる大人」を物凄くいい人間だと描いてしまうような危うい描写が目立つ作品でもあった。色々と考えさせられてしまう。


 そして、最近はホラーショートフィルムにハマっている。YouTubeでは海外で放送されたホラーショートムービーが番組の公式チャンネルで配信されることが多く、怖いのに観てしまう。こういったショートムービーは、ワンアイディアで作られていることが多いので、その発想の尖りに感動することが多い。たとえばアダルトスイムの『This House Has People in It』は、倒れた人間がいきなり床にめり込み始めるという現象を描いた不条理ホラーだ。床に倒れた人間がめり込む、という意味のわからなさながら、そのシーンが普通に怖い。死体が床にめり込み続けるミステリ、あったら確かに面白いな……と悔しくなってしまった。先にやられた。床にめりこむからどんどん現場の様子が変わっていってしまうのを見たい。


 あとは、ホラーショートフィルム専門チャンネルALTERの『Other Side of the Box』。これは、謎の箱を受け取ってしまったことから起こる悲劇を描いた作品なのだが、この箱、ずっと見張っていないと中から謎の男がちょっとずつ出てくるのである。


 最初は謎の黒い空間が広がっていた箱から、数秒目を離しただけで男の額が出てくるのだ。この目を離したら出てくる、というちょっとだけ面白いシチュエーションの恐怖。発想力に感動する。ちなみに、もう数秒目を離すと指が出てくる。どうして頭頂部が出た後次に指なんだよ、と思うが、その嫌さといったら格別である。


 こうして、本を読めない分隙間時間で何か観ようと思うのは前向きだが、それはそれとして修羅場は明けてほしい。月末、なんでこんなに地獄なんだ。このままだとALTERの映画を観終えてしまうぞ!


私信:弊編集部の原稿〆切も引き続きお待ちしています。


次回の更新は11月15日(月)17時です。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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