一月△日

文字数 5,233文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

前回の日記はこちら


一月△日

 S・A・コスビー『頬に哀しみを刻め』をプルーフ版で読む。黒人のアイクはゲイである息子・アイザイアと理解しあえず、彼が夫のデレクと結婚した際ですら没交渉を貫いていた。そんなある日、アイザイアがデレクと共に無残に殺されてしまう。全く進まない警察の捜査に痺れを切らしたアイクは、デレクの父親である白人のバディ・リーと一緒に独自に事件を捜査していく……という物語だ。全篇に渡ってテーマとなっているのは差別と暴力である。同性愛者差別、そして黒人であるアイクと白人であるバディ・リーの境遇の違いなど、人間の悪しき感情に正面から向き合いながら物語が続いていく


 憎悪をエンジンとして進んでいく以上、しんどい展開になっていくのは避けられない。そして、それ以上に読み手の心を重くするのは、これが取り返しのつかない後悔について描いている点である


 アイクもバディ・リーも自分の息子を理解することが出来ないまま、彼らとの永遠の別れを迎えてしまった人間だ。二人とも自分たちが正しくなかったことを自覚し、その正しくなさを懺悔しながら日々を過ごしている。捜査の最中、アイクは語る

 

「おれたちはふたりとも学んでる。どちらも、できるものなら取り下げたい馬鹿なことを言ったりやったりした。人生のどこかの時点で、自分はひどい人間だったってことがわかれば、そこからはいい方向に進める。」


 陰惨なことばかりが目につく小説だが、本当に伝えたいことは上記のことなのだと思う。過去は変えられないし、自分がひどい人間であることに向き合うのは苦しい。だが、それをしなければ、人生をいい方向に向けることは出来ない。決して優しくはないけれど、希望のあるメッセージだと思う。


 終盤に明かされるバディ・リーのとある行動についても胸が締め付けられた。想像出来ることであったのに見落としてしまったのは、物語においてその行動がどれだけ重いことかを知っていたからだと思う。今の時代に読むべき復讐譚だ。



一月※日

 チャック・パラニュークの新作『インヴェンション・オブ・サウンド』を読む。パラニュークが2020年代の世界に贈るのは、闇と夢とが入り交じるハリウッドが舞台の極上ダークサスペンスである。


 ハリウッドでは素晴らしいものは値千金とも言われる「悲鳴」の素材。素晴らしい悲鳴を作り上げることで有名な音響効果技師のミッツィ。彼女の持ってくる「悲鳴」はどの制作も欲しがり金を積む。どうして彼女の「悲鳴」はそんなに特別なのか? それは、ミッツィの作る「悲鳴」が、拷問し殺される犠牲者達の断末魔を収録した「本物の悲鳴」だからだった……!


 演技よりも本物の方が素晴らしい、フィクションよりノンフィクションの方が価値がある。創作──特に映画の分野で取り沙汰される命題であり、私自身もデビュー作のシリーズで取り上げたテーマである。ミッツィの心には嗜虐的な喜びなどは無く、彼女はただ純粋に最高の悲鳴──世界の全員が同時に発する悲鳴、を求めて突き進んでいるだけなのだ。そこには単純に悪の美学とも呼べない純粋芸術への信奉が感じられる


 このミッツィの「創作活動」に絡んで、十七年前に行方不明になった娘を探す父親・ゲイツの物語も進行していく。当然ながら、この二つの物語が交差する時、最悪の事態が訪れる。『ファイト・クラブ』や『サバイバー』もそうなのだが、パラニューク作品のカタルシスの美しさは随一だと思う。


 チャック・パラニュークに異常な情熱を傾ける早川書房は、次なる短篇集の翻訳出版の準備もしているらしい。活きの良いパラニュークをどんどん読める世界が嬉しい。ところで、この本に載っているパラニュークの近影を見て度肝を抜かれた。この十数年で彼に一体何があったのだろうか……?(イメージ通りといえばイメージ通りなのが面白い)



一月□日

 須藤古都離『ゴリラ裁判の日』のメフィスト特別号版を読む(※メフィストリーダーズクラブに加入していると、発売前の書籍が特別号として読めることがあるのだ。『あなたへの挑戦状』も特別号として配布された。みんなも入ろう!)


 この『ゴリラ裁判の日』は、メフィスト賞受賞が決まりあらすじが発表された時から楽しみにしていた作品である。なんと、主人公は人間の言葉を完全に理解しコミュニケーションを取ることが出来る天才ゴリラのローズ。彼女は自分の夫が動物園の判断によって射殺されたことを受けて、動物園側を相手取って裁判を行うのだった……


 あらすじの強さが小説の強さだと考えている私としては、この小説はあらすじを聞いた時点で「強い……」と震え上がってしまった。とにかくフックが強くて、読者を引き込む「最初の一歩」がある。賢いゴリラが裁判で勝てるのか? と面白さのポイントが一行にまとめられるのは、今の時代大切なのだ。


 当然、フックだけが強くても駄目で中身が伴っていないと意味がないのだが、この作品は中身もとても面白い作品だった。話はローズが裁判を終えたところからの回想形式で始まる。私はてっきりこの小説を「ゴリラが行う裁判をスラップスティックに描く裁判ミステリー」だと思っていた


 だが、そこから始まるのは他のゴリラよりも数段上の知能を持って生まれたローズの懊悩と瑞々しい感性に彩られたジャングルの日々の記録である。これがなんともゴリラらしい文章で書かれているのだ。勿論、人間である私には賢いゴリラがどんなことを考えて暮らすのかは分からない。だが、ローズの語り口は人間に限りなく近い存在でありながらそうではないものの語りであり、つまりはとても説得力のあるものなのである。


 そんなローズがゴリラの習性や群れの性質などについて丁寧に語っていくのは、それだけでとても面白いのだ。知っているようで全然知らないゴリラの話には、知的好奇心を強く刺激される。この読み味は小説よりも魅力的なノンフィクションに近く、アイリーン・M・ペパーバーグ『アレックスと私』(100の単語を用いてヒトとコミュニケーションを取ることが出来た天才ヨウム・アレックスとの日々を綴ったノンフィクション。ヒトのことを愛し沢山気持ちを伝えてくれるアレックスが愛おしく、動物好きであれば絶対に泣けると称される)を思い出させた


 個人的にはこの小説もとても泣ける一作だった。これはゴリラのローズが自分の生を見つめ直す物語だ、というのが読み終えて感じたことだ。裁判を通して、ローズは自分にとって何が本当の幸せなのかを探っていく。人間である私には画一化された幸せしか想像出来なかったが、ローズは本当に様々なことを考え、試していく。中盤でのローズの選択には、まさかそんなことが……ローズはどうして? と困惑させられたほどだ。けれど、それがローズがローズらしくある為の選択なのだろうと最後には全てが腑に落ちた。


 キャッチーなあらすじから想像したものや読む前の印象と異なり、この小説は幅広い年代の「ヒト」に普遍的に刺さる物語なのではないか、と思った。それと同時にこのようなことが現実に起こったらどうなるだろう? と思考実験的な面白さも味わえる。『ゴリラ裁判の日』は2023年必読の一作である



一月◆日

 有名な本でありながらずっと積んでいたアン・ウォームズリー『プリズン・ブック・クラブ』を読む


 刑務所の中で定期的に行われている読書会の本を選ぶ手伝いをすることになった著者は、囚人達の中に入っていくことに不安を覚えながらも、彼らと交流し、彼らに合った本を選ぼうとする。


 最初は立ちゆかないだろうと思われていた読書会だったが、彼らは読書に熱心に取り組み感想を言い合う。彼らの感想は、感性だけでなく彼らの人生も反映している。たとえば、島の中での群像劇を読む時もどの人物に注目するかが違うのだ。それによって、アンは囚人達のことを理解していく


 ノンフィクションとしての面白さもさることながら、この本はブックガイドとしても優秀だ。どの本も魅力的だし、囚人達の感想を読むと「自分はどんな感想を抱くだろう?」と思うのだ。読書会に参加したくなる、と言い換えてもいいかもしれない。


 ところで、この本を読んで思い出したことがある


 中学生の頃、ちょっと先生に反抗しがちな男子生徒がやけに興奮した様子で「これめっちゃ面白いんだよ! 誰か読んでくれよ!」と、クラスで言い回ったことがあった。当然ながら普段とは全く違う振る舞いであったので、全く借り手は見つかっていなかった。それを借りたら何が起こるかな……とこわごわしていた部分もあったんじゃないかと思う。


 当時、佐藤友哉にハマり、メフィストにかぶれ、朝が弱すぎるのと勉強が嫌いすぎるので学校を遅刻しまくり、結果教師陣にいたく嫌われていた私は、彼に勝手にシンパシーを覚えていた。


 私は「問題児なのに本が好きっぽいなんて感心なやつだ……。私と合うかもしれない」と思い、その本を借りてやってもいいと、中学生らしい尊大さで申し出た。そうして貸してもらったのが本多孝好『正義のミカタ I’m a loser』である。内容は、大学に進学した元いじめられっ子の主人公・亮太が「正義の味方研究部」に加入するという物語。正義の味方研究部には、いじめっ子を華麗に成敗するトモイチなる男や魅力的な先輩が所属しており、亮太は自分を変えるべく、正義の味方活動に邁進していく……という小説だ。


 正直なところ、私は「自分が一番読書家である」という自負心があったので、この小説は衝撃的だった。「普段は本なんか読まなそうなのに、こんなに面白い小説を知っているなんて……!」と、至極生意気な感想を抱いたのを覚えている


 私がその本を返す際にあれこれ感想を言ったのを、彼は楽しそうに聞いていた。それから、この本のどこが面白いのかをあれこれ語ってくれた。その時、子供ながらに「この時間はとても良いものだな」と思ったものだった。中学校の中では問題児に分類される彼が、正義の味方を題材にした小説を好んでいるというのも、彼のパーソナルな部分を表しているようで嬉しかった。人間はそんなに簡単で単純な仕組みではないと、その頃の私は知らなかったのだ。


 結局、そこから更なる本の貸し借りが始まることはなく、学校をサボりがちな彼と、不真面目だが学校には行くタイプの私との交流はそこで途絶えた。今となっては、面白いと思う本でその人の全てが分かるはずはないし、本を介したコミュニケーションは心に直で触るような特別なものではないと思っている。だが、今でも何となく特別な箱の中に入れてしまっている思い出だった。『プリズン・ブック・クラブ』を読み終えた後、特別な箱の中に入れて然るべき、心の交流が読書会には存在しているのではないかと思ったのだった。


 話は変わるが、前回の読書日記で読むと宣言していたスティーヴン・キング『ダーク・タワー』シリーズも少しずつ読み進めている。エンターテインメント味の強い普段のキング作品と違い、この作品は確かに癖が強い。荒れ果てた荒野の中、ガンスリンガーと呼ばれる男が<黒衣の男>を追っていく。ガンスリンガーが何故彼を追っているのか、<黒衣の男>に追いついたら一体何が起こるのか……、そういったことが一切明かされないまま、読んでいる人間の喉すら乾かせるような苦しい旅路を進んでいく。枯れた町で出会う人々は誰も彼も不幸そうで、憎しみが人間関係の至るところに差し挟まれている。


 『ダーク・タワー』シリーズを読み始めるつもりだと周りに言ったら、読んでどうだったかを教えてほしいと口々に言われるようになった。あるいは、これを機に自分も一緒に読み始めようかなと言われた。これもある意味で読書会みたいだな、と思う。これを読んでいる貴方も、一緒に<ダーク・タワー>を目指して旅をするのはどうだろうか?


みんなも入ろう!


次回の更新は、2月20日(月)17時を予定しています。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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