七月?日

文字数 6,278文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

前回の日記はこちら


はじめに

 読書日記が随分久しぶりだなあと思っているあなたは、きっと読書日記をしっかり読んで楽しんでくださっている方なのだろう。その通り、随分久しぶりの読書日記になってしまったあれこれ仕事を千切っては投げ千切っては投げしていたら、あっさり体調を崩して寝込んでしまったりした。元より過集中に頼って仕事をし、アドレナリンで動き続けるタイプなので、全く仕事の具合が読めないのである。


 体調を崩している間に、武田惇志・伊藤亜衣『ある行旅死亡人の物語』を読んだ。これは現金3400万円を残して孤独した身元不明の女性が何者だったのかを探るルポルタージュである。「行旅死亡人」というのは、住所も名前も分からない死者のことだ。3400万円という多額の原因を持ちながら、誰とも関わらず孤独に死ぬ……というのは、一体どういうことなのだろうか。この大きな謎を、著者らは地道かつ丁寧な調査で明らかにしていく。何の手がかりも全く無い! という状況から、推察に推察を重ねて手がかりを手繰り寄せる様がとても面白い。(記者ってここまで自分の裁量で調査出来るのか! という面白さもある)そしてなんと、最後にはこの謎の死亡人の正体に辿り着くのだ。


 傑作ルポルタージュとして「良いものを読んだ……」という気分になったのも勿論なのだが、私は何故か自分の死について考えていた。隙あらば自分の死を考える小説家である。今私が死んでも、行旅死亡人にはならないだろう。十年後はどうだろうか、二十年後はどうだろうか? 私がいざ死んだ時、誰が名前を探してくれるのだろう?


 そんなことを考えつつ、稲垣理一郎・池上遼一『トリリオンゲーム』を読み、今更ながら面白さにひっくり返った。前書きが長くなったが、ここからが今回の日記である。



七月/日

 急遽引っ越しをすることになった。とはいえ、今住んでいる家の契約更新月は目前に迫っていたので、私がうかうかしていただけで全く急遽ではないのだが。契約更新をしない理由はいくつかある。定例打ち合わせの為に結構な往復時間がかかることや、友人達の近くに住んだ方が何かと楽しいと気づいたこと、そして、今住んでいるところがあまりにも人が住むのに向いていないからだ。


 もう引っ越すので今住んでいる家の問題点を列挙すると


 ・ガラス張りなので日光が常に差し込み続ける。(UVカットガラスなので紫外線をカットします! という部分しか注目していなかったが、紫外線を遮れていても眩しさは防げなかった。このせいで毎朝五時半になると眩しさで目が覚める。ちなみに、六時二十分には太陽がやや上に向かうので眩しさが軽減する)

 ・ガラス張りなので向かいのビルから生活の全てが見えている。(向かいのオフィスで人が働いているのを眺めながら過ごしていた。たまに目が合うレベルなので二年間相互監視状態だった。このせいで友人達が段々と家に来てくれなくなった)

 ・十メートル近くある吹き抜けのせいで全く冷暖房が利かない。冬は寒すぎて低体温症になる。

 ・お洒落の為に落ちたら死ぬ深さの穴が空いている。

 ・家の要所要所がガラスで出来ているので緊張感がある

 ・天井までの距離が果てしなく遠いので電球を変えられない。ここもまた落下したら死ぬ。


 この時点であんまり住みよいところではないのは分かっていただけたと思う。なんでこんなところを選んだのかと問われれば、偏にお洒落だったからだ。ガラス張りだ! すごい! ガラス張りだから景色が良い! 生活のことなんて一ミリも考えていない感想だ。ちなみにこのガラス張りっぷりに衝撃を受けた私は内見して三分で契約の話に進んだ。子供が駄菓子買う速度だよ


 色々と唯一無二の家だが、とにもかくにも眩しさで目がやられたり睡眠が脅かされたりするのはよくない……ということで、脱出を決意したわけである。


 引っ越しの準備をしながらゾラン・ニコリッチ『奇妙な国境や境界の世界地図』を読んだ。この本を知らない方は、本のタイトルを検索して表紙を見てみてほしい。なんと、表紙に飛び地国境が描かれているのだ。この時点で気になってしまうのだから、なんとも秀逸なデザインである。中にもわかりやすいフルカラーの図が載っており「どうしてA国の一部だけがB国という現象が起きているのか?」「世界最短の国境はどこにあるのか? どうして生まれたのか?」などが簡潔に説明されている。戦争の悲しい傷跡もあれば、そこに暮らす住人達の意思、はたまたちょっとした偶然など、理由もバラエティ豊かで面白い。


 中でも一番興味が湧いたのは──少し国境の話とはズレるのだが、アゼルバイジャンのネフト・ダシュラリである。これは海の真ん中にある人工都市で、わざと沈没させた船の上に作られている。ここには、1000人ほどが暮らしているらしいのだが──このネフト・ダシュラリの造形が、あまりにも美しい。写真を見た時に、思わず圧倒されてしまった。名前も知らない場所だったのに、この目で一度見てみたい場所一位に躍り出た。この不思議で美しい都市を知ってほしい。


 ちなみに、日本からは軍艦島が選ばれ、掲載されている。外から語られる軍艦島ってとっても面白い。廃墟をテーマにした小説を書いているのに、実は、軍艦島にもまだ上陸したことがないのだ……。



七月○日

 吉屋信子『返らぬ日』の解説を書かせて頂いた。帯にも解説の一部を引用して頂いている。これは吉屋先生の『あだ花:女の思える』から引いた言葉だった。同性婚すら成立していない今日では、今でも百合──女性同性愛は徒花ではないのか? と思われるかもしれない。だが、差別に反対し声を上げる人々がいる現代は、少なくともただ散るだけではない未来を期待できるのではないか、と思う


 さて、復刊されたのが嬉しくてたまらないこの短篇集がどういう内容かというと、徹頭徹尾少女達の愛を描いたものである。女学校での恋、自分の見聞きした愛を語る会、奔放で魅力的な少女に振り回される少女など、多様な愛を観測出来るのだ。時代背景もあってか、同性同士の恋に対する葛藤もあれど、表題作の主軸になっているものはあくまで愛と使命の対立であるところなど、愛に対してとことん真剣に向き合った作品群だ。愛に対して背筋が伸びる、というのはなかなか無く、得難い読書経験だと思う。よろしければ是非、お手に取って頂きたい。


 また、同時期に刊行された氷室冴子『海がきこえるⅡ アイがあるから』の解説も担当させて頂いた。こちらはスタジオジブリでアニメ化もされた名作の続編である。天衣無縫で天真爛漫、こちらを振り回して悪びれもしない武藤里伽子と、そんな彼女を気にし続ける杜崎拓の青春物語なのだが、これがすごく刺さって痛い物語だ


 前巻でも武藤里伽子のそういった出来すぎた天真爛漫さは「父親が浮気をした上で離婚し、殆ど里伽子を捨てる形で出て行ってしまった」ことの傷を隠す為のものだと強調されていた。その上で今回も容赦無く、現実が里伽子の虚勢を剥がしていくのである。しかも今巻では新たに津村知沙という女性が出てくるのだ。彼女もまた、自分をプロデュースして鎧を着ることで、なんとか自分を保っている。里伽子とやっていることが丸っきり同じなのだ。


 だが、里伽子の鎧と同じく、知沙の鎧も呆気なく壊されていく。彼女達の武装の儚さといったら、そうして戦おうとしたこと自体を痛々しく思ってしまいそうになるほどだ。


 けれど、彼女達は戦わなければならない。それは何故なのか。そして、そんな彼女達にとって、杜崎拓はどんな存在なのか──そういう解説を書いた。最初は私も、二人に翻弄される拓とはどんな役割なのだろう? と思っている部分があったのだが、書いているうちにとてもしっくりくる言葉が見つかったので、安堵した。よければそこに注目して読んで頂きたい。


 実は今月はあともう一冊解説を書かせて頂いた本が刊行されるのだが、それはまた次回の読書日記で。解説を書く時はいつもとは違う頭を使っている感じがしてとても楽しい



七月☆日

 スティーヴン・キングの新作『異能機関』が出た! 村上春樹『街とその不確かな壁』のように、ビッグネームの新作が出る時は、祭りの雰囲気が読者達を賑わせる。この雰囲気が(悔しくもあるが)大好きだ。特にキングは新作が出る度に狂喜乱舞する作家の一人なので、お祭りムードにわくわくしてしまう。みんなが同じ作家の同じ本の話をしているのが楽しい。こうした一大盛り上がりは、外の読者をも掴まえて手に取らせる力があるので好きだ


 さて、原点回帰の面白さという前評判の『異能機関』だったが、確かにこれは古き良きキングだ!! という感想だった。読み味がかなり『IT』『シャイニング』あるいは『ドクター・スリープ』に近い。頑張る少年少女、そこを助ける格好いい大人。友情と努力と邪悪に打ち勝つ光の力。これらのキング味を丁寧に纏め上げてエンターテインメント作品として素晴らしい逸品に仕上げている、いやあキングは小説が上手い!

 アメリカ全土に散らばっている超能力者の少年少女を集め、怪しげな研究で兵器に仕立て上げる謎の研究所。そこに攫われてきた天才少年・ルーク。彼は無事にこの怪しげな研究所を脱出し、所長達の企みを砕くことが出来るのか?


 今回の主人公のルークの頭の回転がとても早く、連れて来られた仲間たちもそれぞれしっかりしていて頼れるので、上巻まではあんまり子供達だけの不安感などは感じない。むしろ、この子達ならやれる! きっと研究所を出し抜ける! と思わせてくれるのが新鮮だった。そのくらい、彼らは精神的に強い


 そんなルーク達がじわじわと追い詰められていくからこそ、この物語は恐ろしいのだ。え、あんなに頼りになったあの子も? あいつも? ルークまで折れかけるの? という不安が大きいからこそ、立ち向かうことへのカタルシスが生まれるのだ。そうして繋いだ反撃の芽は熱く、後半の展開は鬱憤を晴らすかのように派手だ。そうだ、これこそキングの面白さだった! と思いながら、夢中になって読み終えた。キングを読んでいる時は、時間が本当に一瞬で過ぎる。


 読み終え、スティーヴン・キング50周年の文字を見て気が遠くなりそうになった。50周年なのにこんなに面白くて、しかも毎年のように新作を書いているの? 一体その背を追う私達小説家はどうしたらいいのだろう? そんなことを考えつつ、きっと来年に邦訳刊行されるだろう新作を今から楽しみにしている。



七月◎日

 引っ越しはおまかせパックにすると決めていた。荷造りから荷解きまで全部引っ越し屋さんがやってくれるという夢のパックである。その為、私は前日になっても仕事に明け暮れ(何なら打ち合わせを二本ほど詰め込み)何一つ準備をしないまま朝を迎えた。これで「いや、ちょっと流石にそのまま過ぎる(笑)」と言われたら心が折れてしまうので、震えながら引っ越し屋さんを待った。


 結論から言うと、おまかせせパックのおまかせは本気で全部やってくれる。ピンポンとインターホンが鳴らされ引っ越し屋さんが入場すると、あとは本当にやることが無かった。家の中のものが全部段ボールへと収納されていく。大量にある本もポンポン詰めてひょいひょい持っていってしまう。重さを感じさせない段ボール捌きは、それこそ運搬を見ているというよりはマジックを見ているような気分にさせてくれて、そこが楽しかった。


 だが、おまかせパックにも困ったことがある。それは作業中、びっくりするほど所在無いことだ。部屋の中を人間がテキパキと歩き回っている。部屋の物はすごいスピードで詰められていく。となると出来ることはなるべく縮こまって邪魔にならないようにすることだけだ。この作業は大体四時間ほど続く。四時間、どんどん不自由になっていく部屋の隅で息を殺しておくしかないのだ。こうなるともう本を読むか携帯ゲームをやるしかないので、予め暇つぶしの物を確保しておくべきである。多分、引っ越し屋さんも気まずくない。


 私は井上真偽『アリアドネの声』を読んだ。最先端の技術で作られた地下都市で大地震が発生、最新鋭のドローンによる救助が試みられることになった。しかし、最深部に取り残された要救助者の女性・中川博美は、目が見えず耳も聞こえず発話も困難な三重障害を抱えていたのだ。果たして、最新技術は迷宮を突破するアリアドネの糸となるだろうか? という緊迫したサスペンスである。外界と接続する術が限られている人間を、果たして導くことが出来るのか。


 緊迫感のあるリミットサスペンスとして展開していきながら、中盤に提示されるとある疑問で物語は一気にミステリに転じていく。目が見えないはずなのに電灯のスイッチを点けたり、音すら聞こえないはずなのに障害物をすんでのところで避けるなど、博美はところどころで不可解な行動をする。そして、彼女を見守る立場の人々が彼女を疑い始めるのだ。「本当に目が見えないのか?」「障害者のふりをしてズルをしているんじゃないか?」と。読んでいる側からすれば信じられない、と思うようなことではあるのだが、こういった場面が私達の生きている世界に無いかというと、そんなことはないのだ。


 命の価値について人々が語る場面や、障害を抱えた人々への感情など、読んでいると改めて考えさせられ、向き合わされるものの多い物語である。そうした苦しさを味わいつつ迎える結末は、意表を突かれながらも深く納得するものだった。


 前に井上先生と対談させて頂いた時、井上先生は音声入力で小説を執筆していると言っていた。この作品も音声入力で執筆されたのだとしたら、それはとても示唆的だなあと思う


 考えてみれば、人に任せて引っ越しが出来る状況そのものが、なんだか近未来的だ。荷造りが終わったら、引っ越し屋さんのトラックと併走して新居に向かう。そこでもまた所在の無い時間を過ごしつつボーッとし、気がついたら引っ越しが終わっていた。本棚の細かな整理や収納の調整はあるけれど、仕事をする分には問題の無い環境が整っており、実際に朝まで仕事をした。


 ガラス張りじゃなくなった家はカーテンを閉めると朝でも暗くなり、昼夜逆転した小説家に優しかった。その日は久しぶりにぐっすり眠った


更新が1ヶ月空いてしまい申し訳ありません。

体調を崩しているのに「書きます!」と言う作家さんをなだめるのも、編集者の仕事と学びました。


次回の更新は、8月7日(月)17時を予定しています。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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