三月/日

文字数 7,834文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

前回の日記はこちら

三月/日

 なんでも出来てなんでもしたくなる「絶好調の期間」が終わった瞬間に風邪を引いて寝込んだ。熱を出す寸前に前世診断(その名の通り前世を診断してくれる。死ぬのが怖いのでどうにかして死の恐怖を緩和しようと思い受けに行った。結果はあまりろくなものではなかった)を受けに行ったので、絶妙なタイミングで恐ろしくなった。


 熱を出しながらTEDを見ていると、鎮痛学の父・ジョン・J・ボニカについて講演をしているラティフ・ナサーの動画が流れてきた。咽頭炎によりありえないくらい喉が痛かったので、何故か縋るような気持ちで再生した。時代は1940年代。ボニカは元々プロレスラーのアルバイトをしていた医学生だったのだが、プロレスラー時代に負った怪我のあまりの痛さや戦争での疼痛管理業務などを経て痛みに注目し、ブロック麻酔の研究に心血を注ぐようになった人なんだそうだ。ボニカがペインクリニックの開院に奔走するまで、主要な医学書の14000ページ中、痛みについての項目は17ページ半だったそうだ。ある程度の痛みは危険のシグナルだから鎮痛剤で消さなくてよし! という方針に身がすくむ。ボニカが「痛みって出来たら無い方がいいよね」と思ってくれてよかったと心の底から思った。その後もボニカについてあれこれ調べていたら、力道山と戦うために日本に来ていたと知って、へえ〜〜〜と思う。この世のありとあらゆる有名人と戦っていそうな力道山


 熱が下がってからは咳が止まらなかったりと、色々と困らされた風邪だった。ちなみに今回の風邪はなまじ長かった為、一部の仕事以外はどうしても休めずリモートで打ち合わせをしたり、解熱剤を飲んで原稿をやっていた。同じくフリーランスの友人が「フリーランスに有給は無い。無休だけがある」と言っていた。嫌な真理である


 それはそれとして周りには大変お世話になった。調整をしてくださった担当さんや看病をしに来てくれた友人達にはもう頭が上がらない。ベッドでゲラを治す私の横で、買ったばかりのMacBook Airのセットアップをしてくれた友人はもはや原稿料の一部を受け取る権利があるだろう。気づいたらパソコンが新しくなっていた。ありがたいことだ。


 体調管理が出来ないと首が絞まるのは自分自身というわけで、これからも一層気をつけていきたいけれど、季節の変わり目の寒暖差に本当に弱いのである。これがどうにも……。


 新しいパソコンは「淵」と名付けた。これから一緒に沢山仕事をするつもりだ



三月☆日

 3月13日売りの別冊マーガレットには、コミカライズ版『愛じゃないならこれは何』(「ミニカーだって一生推してろ」)の第一話が載った別冊付録BABYがついてくる。実は漫画原作ではない形で自分の小説がコミカライズされるのは初めてだ。自作のコミカライズは目標の一つだったのでとても嬉しい。しかも、漫画担当のしみずりさ先生は原作を丁寧に解釈してくださっていて、大変素晴らしい仕上がりになっているのだ。私がこれだけ嬉しかったのだから、読者の方々も嬉しいんじゃないかと思う。


 しかも、あの別冊マーガレット! この世代ならみんな別マの漫画を読んでいただろう。私も『君に届け』を読んでいたし『高校デビュー』を読んでいた。あの別マに自分の小説が原作の漫画が載るなんて……。


 恋愛小説短編集の第三弾も夏には出る予定なので、良い具合に弾みがつけば嬉しい。色んな人が仕事で関わってくれるのは、緊張するけれどありがたいことだ。


 ところで、この時書いていた短編が魔女狩りを取り扱ったものなのだが、資料として読んでいたW・ベーリンガー『魔女と魔女狩り』が今までに無い魔女狩りの姿を知らせてくれて面白かったので紹介したい。この本は魔女狩りがどんな地域でどんな時期に行われたか、被害者はどの程度かという詳しいデータから、当時魔女狩りに熱心であった者の殺害人数、魔女狩りの裏にあった権力争いなど、私達が一般的に魔女狩りに抱く印象より更に深いところまで教えてくれる一冊なのだ


 私のイメージと違ったところでいくと、魔女狩りがヨーロッパ全土に留まらずかなり広範囲で長期的に行われていたことや、その動機が宗教的なものから政治闘争的なものまで多岐に渡っていたところなどが興味深い。その土地の権力者を追い落とすために魔女疑惑が用いられた例は枚挙に暇が無かったり、普段発言権の無い子供達が魔女裁判の場で発言権を得られるようになった為、自らの境遇を変える為や大人達の影響で告発を繰り返してしまった例など、確かに考えてみたらあるだろうなあ、というのもあった。借金の踏み倒しや遺産争いなども魔女の告発に繋がり、いわば邪魔な相手を消すためのツールでもあったのである


 一方で、当時の人達がのどのように魔女狩りという悪習に立ち向かってきたか、どのようにして魔女狩りが非合法化されていったかの流れも詳細にまとめられており、人間の悪意で出来た疫病のような風習が息を潜めていく様は、人類史の面でも面白かった。しかし、現代の世でも魔女狩りは無くなっておらず、今でも魔女達への私刑が行われているのを考えると、背筋が凍るような思いだ


 総じて歴史書としても概説書としてもすごい一冊なので、興味がある方は是非お手に取って頂きたい。



三月◎日

 少し体調が良くなってきたので、立て込んでいた仕事をする。咳が止まらないまま、吉川英治文学新人賞の「待ち会」というものにいった。文学賞の風習として、受賞時の記者会見に備え、会場の近くで担当編集さん達(この時ばかりは候補作の担当編集さんだけではなく、スケジュールの都合の良い他社の編集さんも一堂に会するのだ)と固唾を飲んで結果を待つ「待ち会」を行うというものがあるのだ。私は今回初めての待ち会だったのだが……これが受賞の連絡待ちそれ自体よりも緊張した。私はとにかく退屈が苦手な人間なので、誰かに退屈を味わわせるのも苦手である。「待ち会来たけどめちゃくちゃ暇だな……」と思わせてしまったら、もう耐えられない。今回は受賞とならなかったが、次があったら必ず何か暇を潰せるような……ボードゲームなんかをしながら待てるような、そんな会にしようと思った。今回は咳が止まらない斜線堂有紀を囲む会みたいになっていた。


 はてさて、気を取り直して紫金陳『知能犯之罠』を読む。2019年に出版された作品が復刊されたもので、実は初読だ。なので、何も知らないまま読んだのだが、これがどえらい面白かった。これは倒叙ものであり、完全犯罪を目論む天才・徐策を主人公に据えたクライムサスペンスである。「十五人の局長を殺し、足りなければ課長も殺す」という刺激的な予告文から始まった官僚連続殺人事件。それを捜査している刑事であり、徐策の旧友である高陳の視点を挟みながら物語が進んでいくのだが……これがすごい。とにかく徐策の計画には隙が無く、高陳の捜査はことごとく徐策に上をいかれてしまうのだ。勿論徐策が抜け目なく賢いのはそうなのだが……彼の特異性は、とにかく犯行計画のリハーサルを欠かさないことである。ターゲットと同じ体重の豚を使って、犯行が時間内に終わるかを試す。全ての監視カメラの位置を把握し、映り方を確かめて犯行に及ぶ。車をパンクさせてターゲットを足止めする計画が成り立つか確かめる為に、何度も何度も車をパンクさせる実験を行う……など、ある種『金田一少年の事件簿外伝 犯人たちの事件簿』ばりの面白さとディティールを兼ねながら丹念に徐策の計画が描かれるのだ。


 単に犯人が天才というだけじゃなく、こういった地道な下準備があるから計画は成功するんだなあ……と、丁寧な計画立案によって読者側の気持ちを徐策に寄せる効果があるのが面白い。これだけやる情熱があるのなら、そりゃあ成功させないとな……! という気分になるのだ。それに必死でついていく高陳の様子や、中国の組織の暗い事情なども絡め、一体この物語はどこに行くのか? と心からハラハラさせてもらえる一冊だった。中華ミステリの入門編にも、海外ミステリ愛好家にも満足してもらえるのではないかと思う。



三月◀︎日

 松本清張は『点と線』などの有名どころしか読んでいないビギナーだったのだが、この度初めて短編集の『虚線の下絵』を手に取った。この本を手に取るきっかけが面白かったので、その経緯を書いておく

 始まりは村木嵐『まいまいつぶろ』が面白かったからだ。これは口が回らないため誰とも意思疎通が出来ず、尿を漏らしながら不自由な身体を引きずり歩く「まいまいつぶろ」と馬鹿にされていた徳川第九代将軍・家重を主人公にした歴史小説である。暗愚と思われていた彼だったが、唯一家重の言葉を理解出来る男・大岡忠光が彼の口となることで、家重は才覚を表していく。しかし、彼の活躍にはどうしても疑念が付きまとう。──家重の言葉は全て大岡忠光のものなのでは? 彼が家重の言葉を乗っ取っているだけなのでは? と……。


 二人の孤独な戦いと友情、人情や政治劇の面白さもさることながら、この状況があまりにミステリ的に面白いので、ドキドキしながら読んだ。歴史の授業では田沼意次の登用の件くらいでしか触れられていないので、本当に彼の人となりやその時期の政争などを全く知らないまま徳川家重の生涯を読んだのである。


 さて、じゃあこのミステリ的な題材を本当にミステリとして書いている人はいないだろうか……と思い、調べて見つけたのがなんとあの松本清張の「通訳」という短編だった。ほう、あの松本清張が! という思いで、「通訳」の収録されている短編集をネット検索した結果、今回の『虚線の下絵』が引っかかったのである。私は詳しく見ないまま『虚線の下絵』を購入し、読んでみて驚いた。「通訳」が載っていないのである。


 ちゃんと調べてみると、「通訳」は、今手に入るものだと光文社から刊行されている『松本清張短編全集04殺意』にしか載っていないらしいのだ。なのに、ネット検索のトップヒットは何故か『虚線の下絵』なのである。不思議! 私のようにちゃんと物を調べない粗忽者は、こうして全然違う短編集を買ってしまう仕組みになっているのだ。


 もしかすると、私と同じように“通訳 松本清張”で検索した人が間違えて『虚線の下絵』を買っていったことによって検索エンジンが誤学習をしてしまったのだろうか。だとしたら、最初に間違えた原初の粗忽者が存在しているはずなのだが……謎は深まるばかり。


 そういう経緯で手に取った一冊だったが、当然のことながら『虚線の下絵』も面白かったので特に問題は無かった。こういう偶然の出会いがたまらない! この短編集に載っている作品はどれも人間の心理の恐ろしさを扱ったものばかりであり、どれも切れ味の鋭いラストに背筋がぞくぞくするものばかりだった。特に一番最初の「与えられた生」が物凄く怖い。胃癌を患ってしまった画家・桑木は編集者である雅子が紹介した外科医により命を助けられる。それ以来、桑木は妻のある身でありながら雅子にどっぷりとはまり込んでいくのだが……というあらすじなのだが、物語の転がり方からラストに至るまでが物凄く怖い。書きぶりがやけに淡々としているのも相まって、まるで地獄を観劇させられているような気分になる。この物語のラストについてはある程度自由な解釈が出来ると思ったのだが、それもまた恐ろしい。人間の心理をどのように解釈するかで分岐する結末の、そのどれもが等しく恐ろしい状況……この味わい深さこそ松本清張の真骨頂なのだと思わされた。こうなると、松本清張作品を長編短編含めて読んでいきたくなってしまう……。まずは『松本清張短編全集04殺意』を取り寄せるところから始めよう。



三月!日

 白川尚史『ファラオの密室』を読んだ。実はこの白川先生は、小説丸に掲載されたインタビューの中で斜線堂有紀の『楽園とは探偵の不在なり』に触れてくださっている。新人賞に応募する為の原稿を書いていた白川先生は、旅先で『楽園とは探偵の不在なり』を読んで、「こんな魅力的な設定のミステリーがあるのに、新人賞を目指している人間があまりに普通なことを書いていては駄目だと思って」本作『ファラオの密室』を書き上げたのだそうだ。光栄であり、かつ自分の小説が誰かに影響を与えることが本当にあるのか、と驚きもした。私自身は人の小説を読んでごりごりと糧にするタイプであるというのに、自分がその側に回るところはあまり想像出来ないのである。


 さて、そんな『ファラオの密室』は確かに特異な設定で魅せる特殊設定ミステリだった。死者が蘇り、当たり前のように冥界とやり取りが可能で、なおかつ神がちゃんと実在している。しかし、これは古代エジプトの人々が信じていた神話世界をそのまま再現したものなのだ。まさに特殊環境下にある普通の世界がそこに息づいていて、マジックリアリズム的に面白い。蘇った主人公・セティが当たり前のように受け入れられ、蘇ったのはさておくとして冥界の裁きが受けられなくて困っている……なんて展開にすんなり移行していく様は、読む側としては異質なのに、当時の信仰的にはとても正確なのである。その点は、ある種歴史小説味もある。神々とのルールが詳細に定められており、それがミステリにしっかりと寄与している点は極めて王道な特殊設定ミステリでもあるし……要するに、古代エジプトを舞台にした魅力総盛りのミステリが『ファラオの密室』なのだ。(ちなみに漫画『遊戯王』やゲーム『アサシンクリード オリジンズ』なんかに親しんでいる人には、これがあれか〜などの知識の照らし合わせが出来てそれも楽しい)


 舞台設定の妙の話ばっかりしてしまったが、本作の魅力はそのキャラクター達にある。宗教革命を実行した王の遺体が消失、しかもピラミッドの中から! という古代エジプトでしか成立しない謎に関係するのは、どれも現代日本の私達に通じる感情なのだ。親との葛藤や自身の死への猜疑心を抱えながら前代未聞の推理にあたるセティや、奴隷という過酷な状況に置かれている異邦人の少女カリ、何やらセティにやたら重い感情を抱えているミイラ職人タレクなど、興味を惹く彼らが生き生きとエジプト世界を見て回っているだけで楽しい。


 この関係性や感情を最終盤で怒涛のように回収していくのにはかなりのカタルシスがある。これが数多ある応募作の頂点に輝いたのも納得だ


 『楽園とは探偵の不在なり』がこの作品に少しでも影響を与えられたのなら光栄だし、ありがたくも思う。と同時に、負けられないなと身が引き締まる思いにもなった。だとしたら、私はこれを参考に何がしかの傑作を書かなければいけないことになる。こうした連鎖こそが、業界の素晴らしい実りなんじゃないかと思う。



三月◇日

 大学を卒業してからとんと会話をしなくなったし会ってもいないけど、TwitterことXで繋がったままの同級生や先輩後輩が結構いる。そういったみんなたちは、付かず離れずSNSのみで、ゆるくなんとなくお互いを観測し合う。この間の吉川英治文学新人賞候補になった時のポストや、はやみねかおる先生に新刊の帯を書いて頂いた話などのハッピーなポストにふわっといいねを付けてくれたりするような、ともすれば一番良い距離感の相手だ。そんな同級生の一人がイ・ランの『アヒル命名会議』という本を好きだと言っていたので、読んでみることにした


 これはジャンル不問の短編がぎゅっと詰まった一冊で、表題作の「アヒル命名会議」は唯一神やサタンやイエスが世界の創造にあたっていろんな物を生み出していく、シュールでブラックな短編だ。パワハラ気質な神が周りにストレスを与えながら、ぽよんころんとしたアヒルを生み出す。周りは神の顔色を窺いながら、水陸両用のどんくさい生き物であるアヒルを誉めそやす。神がサタンを理不尽に詰めまくり、会議の空気が最悪になってもアヒルはかわいい。最後まで読むとタイトルの意味がわかるのだが、ここにアヒルを持ってくるセンス! これはぽよぽよとした白い生き物がアヒルという素晴らしい名前をつけられるにあたっての、(恐らくは)長い長い道のりの話だ


 この短編の次に載っている「手違いゾンビ」が、この短編集の中で一番気に入って、なおかつ一番胸の痛くなった一作だった。ゾンビ役のエキストラとして働くはずだった主人公は、人身事故によって起きた遅延により仕事に遅刻してしまう。遅刻した主人公・ヨンフンはメイクをする時間もなく、適当に顔を青塗りにして現場に出るのだ。ゾンビ役としては致命的な格好なのに、何故かこのゾンビ役がバズりにバズって大ブームに。ヨンフンは「手違いゾンビ」として一躍時の人となる。バラエティなどに引っ張りだこになったヨンフンだったが、彼だけはこのブームに取り残されている。何しろ彼はエキストラなのだ。なのに求められる役割は「遅刻して青塗りメイクで映画に出てバズった人」というなんとも微妙な立ち位置のもの。実際、作中で彼に回される仕事の殆どが「なんかありそうでやだな……」と思わされる、それ本当にこの人がやることか!? というものなのだ。


 ヨンフンがどう思おうと彼の役割は固定化され、周りの対応も否応なしに変わっていく。先輩達の態度も変わる。エキストラの仕事は当然出来ない。彼が地下鉄に乗るだけで配信者達が彼を追い回すようになる。彼のバズの大元が人身事故であるという嫌さも相まって、ヨンフンの人生が簡単に捻じ曲がっていく様が苦しい。


 総じてかなりテーマ性や皮肉が強い短編集でもあって、読んで面白いのに考えさせられることも多い一作だった。これをあの同級生は好きなんだなあ、と思ったのだが、もう何年も会っていない相手のパーソナリティーと読書の趣味は全然繋がらず霧散している


 実を言うと、私はSNSで知り合いが呟いた本は大体読むようにしている。さっきの『虚線の下絵』のように偶発的にしか出会えないものがあるんじゃないかと思うからだ。私はこっそり、人の読書に共鳴している。SNSの緩い繋がりを愛おしく思う時は、大体こんな時だ。


「実を言うと、私はSNSで知り合いが呟いた本は大体読むようにしている」

→これを読んだ知人の気持ちを想像せよ(配点:15点)


次回の更新は、4月1日(月)17時を予定しています。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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