五月▼日

文字数 4,581文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

前回の日記はこちら


五月▼日

 早川書房新作アンソロジー『2084年のSF』が発売した。これはその名の通り、2084年をテーマにしたアンソロジーである。かの傑作ディストピアSF「1984年」から100年後、ということで編まれたアンソロジーであるらしい。なので、編集さんからのオーダーは「2084年という年に意味がある短編にしてほしい」というものだった。そうして私が書いたのが「BTTF葬送」である


 私にとって1984年といえば、というより1980年代といえば映画の黄金時代だった。「グレムリン」「スタンド・バイ・ミー」「アマデウス」……好きな映画が沢山ある。どうしてこんなに1980年代に名作映画が揃っているのだろう? と考えた時に、面白い映画には魂が宿っているのではないか? という発想になった。


 「BTTF葬送」は、往年の名画のフィルムを焼き、上映禁止にして他人の目に触れさせないことで、映画の葬送、輪廻転生を促すようになった2084年の物語だ。映画は上映から100年を以て葬送される為、2085年には、みんなが大好きな「バック・トゥー・ザ・フューチャー」も葬送されることが決まっている……。「昔の方が面白かった」とは、映画界でも小説界でもよく使われる言葉だが、それに根拠が与えられたら? という、ブラックジョークめいた話でもある。


 総勢23人のSF作家が夢の競演ということで、今回も面白い小説が揃っていた。特に好きだったのは安野貴博「フリーフォール」だ。これは、今まさにビルから落下して死にゆこうとしている男を描いた物語である。十数秒後には地面に叩きつけられる運命にある彼は、この十数秒の間にありとあらゆることをこなし、助かる道を模索する。そんなことがどうして出来るのかというと、この2084年の世界では思考加速技術が発達しているのである。思考を加速させた人々がハイスピードで言葉を交わし合い、ありとあらゆることが数秒単位で決まる世界というのも面白かったし、危機的状況からどう脱するのか? の解答も、SF的ハウダニットの上手さに舌を巻いた


 竹田人造「見守りカメラ is watching you」も面白かった。これは老人ホームに入所している佐助が、相棒のグエンと共に老人ホームから脱出するという物語である。彼らの脱走を防ぐは未来世界の高性能見守りカメラ。このカメラの発達の仕方も「なるほどこうなるのか」と思わされたし、この短い物語の中に逃亡サスペンス、キャラクターの軽妙な会話、そして意外性のあるオチを詰め込んでいるのが素晴らしい。(そもそも、このタイトルが最高すぎる。1984年のオマージュとして完璧だ、と思った)


 この本の帯に付けられた「62年後のあなたは、この世界のどこかで生きている。」というコピーに、なんだか少し胸がじくりとした。それは、私達が好きに想像力を巡らせた未来が、自分達の人生と地続きであることを意識させられたからかもしれない。私の考えたディストピアが、この先にあるのかもしれないのだ



五月○日

 先日書店ツアーで購入した、かげはら史帆『ベートーヴェン捏造 ─名プロデューサーは嘘をつく─』を読んだ。これは偉大なるベートーヴェンの印象的なエピソードが、彼の秘書的な役割を果たしていた伝記作家シンドラーによる創作であった──という、音楽業界では結構有名な捏造事件を扱った一冊である。有名どころで言うと、交響曲第五番の入りについて「運命はこのようにして扉を叩くのだ」と言ったというエピソードや、ピアノ・ソナタ第十七番について「この曲を弾くならシェイクスピアの『テンペスト』を読むといい」とアドバイスをしたエピソードなどが、シンドラーの捏造だったと明かされている。今でもベートーヴェンの伝記で訂正されずに残っているエピソード達だ。


 読む前から面白いだろうと思っていた一冊だったが、これが想像を絶する面白さだった。読む前は、ベートーヴェンという巨匠の人生は面白くしたかろう、エピソードを足して人々の歓心を引きたかろう、と思っていたのだが、捏造作家シンドラーのモチベーションの源泉はそんなものじゃなかった。


 ベートーヴェンの捏造伝記をしたためたシンドラーの目的はただ一つ。自分がベートーヴェンに好かれている大親友だと、他の人に認めさせることだった。


 ベートーヴェンにとってシンドラーは単なる秘書であり、むしろその人間性を嫌っている相手であった。ベートーヴェンはシンドラーの悪口を周囲に吹聴し、濡れ衣を着せてまでシンドラーを追い出そうとした。だが、シンドラーは諦めなかった。シンドラーはベートーヴェンに執着し続け、彼が亡くなった途端、自分に相応しい物語を作り始めたのだ。


 シンドラーはベートーヴェンと共に演奏会に出た思い出を捏造し、ベートーヴェンとの小粋な会話を捏造し、ベートーヴェンがシンドラーを親友と呼んでくれた日々を捏造していく。この本ではどれだけシンドラーがベートーヴェンに嫌われていたかが先に記述されているので、存在しない日々が広められていく様は読んでいて恐ろしくなる。これは死人が今よりもっと寡黙だった時代のサイコホラーだ。現実はたった一人の言葉で容易に書き換えられてしまう。


 だが、ベートーヴェンの愛を一途に求め続け、それ故に音楽界に史上最大のスキャンダルを引き起こしたシンドラーの姿にも、なんだか心に響くところがあるのだ。ベートーヴェンが生きている間は終ぞ得られなかった彼からの承認を、やってはいけない手段で手に入れる様よ……。あとは単純に「自分とベートーヴェンはとても仲良しでした」という文章を書いたことが死後に知られることに対し、無用な共感性羞恥を覚えてしまった。シンドラーの人生は苦しい。おまけに、シンドラーの生まれ故郷には彼を讃える記念プレートが設置されており、「シンドラー:ベートーヴェンの親友、そして作家」と刻まれているのだ。もうやめてくれ! と叫び出したくなってしまう。


 ともあれ、この本は様々な感情を呼び起こさせてくれる極上の一冊だった。今やベートーヴェンと同じく言葉を持たない死者であるシンドラーは、今どんな気持ちでいるんだろうか。本当は死後の世界で、彼も反論しているのだろうか?



五月□日

 多忙な父と一〇分ほど通話をする機会があり、どういうわけだかアゴタ・クリストフの『悪童日記』の話になった。私は父に自分がどんな職に就いているのかを話したことがないので、小説で生計を立てていることも知らない。おまけに父は基本的には歴史の本とノンフィクション、あるいはビジネス書しか読まないので、この短い会話の中でその書名が出てきたことに軽く衝撃を受けてしまった。なんでも、父は小説の中では一番『悪童日記』が好きらしい。理由を尋ねる前に会話が終わってしまったので、何故なのかは結局分からず仕舞いだ。私はさらりと「『悪童日記』は三部作で、続編があるんだよ」と教えてあげたのだが、父は「そうなのか」と驚いていた。一番好きな本の続編を知らずに生きる人生もある


 『悪童日記』は、戦時下の日々を淡々と、彼らなりの工夫の元で生きる双子の話である。これはタイトル通り日記の形式を取っており、二人が交互に日記を書いて、日々のことを互いに伝達し合っているという体で書かれている。


 子供の何気ない文体で書かれた日々の記録なのだが、その内容は重苦しく、皮膚のすぐ傍に凄惨な悲劇が差し挟まれている。彼らが利発でたくましい少年達であるからこそ、読者はすいすい読み進められるものの、そこで起こっていることをまじまじと見つめれば、背筋に冷たい物を感じる。悲劇は淡々と起きるからこそ怖い。本当に、どうして父はこの小説を一番好きだと言ったのだろう? 確かに名作だとは思うけれど、好きという言葉を充てるのに、こんなに一筋縄ではいかない小説を選ぶとは。(とはいえ、血を分けた子供である私が一番好きな小説は鏡家サーガなので、人のことは全然言えないのだが)


 さて、『悪童日記』の続編があるよ、と言ったものの、続編である『ふたりの証拠』『第三の嘘』のことはよく覚えていなかったので、これを機に再読することにした。全ての物語をメタ構造に回収していく『第三の嘘』はここでは触れないことにする。どうしても先の二作をネタバレしないと、この小説の面白みは語れないからだ。


 三作読み通してみて、私が改めて好きだな、と思ったのは『ふたりの証拠』だ。


 『ふたりの証拠』は、双子の内の一人・リュカが語り手となり、訳あって別れた兄弟・クラウスのことを思いながら日々を過ごす様が描かれる。


 最初に言ってしまえば、これは恐ろしい物語である。『悪童日記』では、双子同士で見せ合う日記という──いわば「人に自分を理解させる文章」が展開されていたのに対し、『ふたりの証拠』でのリュカは、こちらに何も理解させてくれない。リュカの行動の一つ一つは薄気味悪く、こちらの理解や共感を拒んでくる。彼の行動は一見すると支離滅裂なのだが、後半になるにつれ、彼の奇矯な行動──あるいは、常軌を逸した行動が、とある一つの行動理念に則っていることが分かるようになる。浮かび上がってくるその考えが、見えてしまった瞬間が一番怖い。これは、リュカという人間は整然と壊れていく様を描いているのではないかと思う。


 そして、読者を突然刺してくるような最後の章で、読者は現実に引き戻される。リュカというものを改めて外側から見させられ、戦争というものが人間にどんな影響を及ぼすのかを、間接的に報されることとなる。私は改めて読んでみて、心底怖くなった。こちらを驚かせるようなホラーではない。ただただ、這い寄るように恐ろしい


 父が『悪童日記』を好きな理由を知らない私は、何も考えず続編の存在を教えたことに少しの恐ろしさを覚えている。父はこの続編を同じように気に入り、人生の本棚に入れるのだろうか。それとも、この奇妙な寒々しさに支配された小説を読んで、『悪童日記』の評価すら変えてしまうのだろうか。次に話をする時に、出来れば『ふたりの証拠』だけでも読んでいてくれたら嬉しいのだけれど


斜線堂有紀さんが尊厳をかけて競作に挑む『あなたへの挑戦状』(阿津川辰海・斜線堂有紀)、絶賛企画進行中。


次回の更新は6月20日(月)17時です。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

斜線堂有紀氏のTwiterアカウントはこちら

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色