九月○日

文字数 4,970文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

前回の日記はこちら

九月○日

 小説家が面白かった小説を教えることは、とっておきの酒を取り出すのと同じことである。とっておきの酒なので、タイミングが無いとなかなか引き出せないものである。勿体ぶって教えないのではなく「そういえばあそこにとっておきがあったな」と思い出さないと鍵が開かないのだ。私もいきなり「面白い本を教えてほしい」と言われるとパッと答えられず、手堅い傑作しか取り出せないことがある。その日の夜にとっておきの酒の在処を思い出し、あの人に勧めるならこれだったな……と思うのだ。


 というわけで、タイミング良く「あの視線の密室は凄かったよね」という文脈で相沢先生に教えてもらったのが都筑道夫『くらやみ砂絵―なめくじ長屋捕物さわぎ』に収録された『天狗起し』である。舞台は葬式で、棺の中にあったはずの死体が忽然と消えて屋根の上に移動するのだ。棺の上には魔除けの脇差まで置かれているという完全な「密室」から、死体はどうして消えたのか? というとても魅力的な短篇だ。


 これがすごい傑作だった。流石は相沢先生がするっと取り出したとっておきの酒なだけはある。時代ミステリ的にも完璧であるし、動機からトリックまで本当に面白い。なめくじ長屋の面々も金にがめついものの愛嬌があるし、これはとんでもないシリーズだ、と全てを購入した。こんな名作なのに自分が知らないという方が勉強不足なのかもしれないが、出会えたことが嬉しい。(都筑道夫作品はいずれは全て読まなければと思っているのだが……)


 こういうことがあるから、小説家と話すのは面白い。小説家が集まって話し合うと、この修羅の仕事の辛さを語り、傷ついた身体を寄せ合って震えることになるのだが、その時にこういったとっておきの酒が現れると、なんだか心が温まる。



九月▽日

 この読書日記に以前も登場した某出版社のUさんに「斜線堂さんは絶対好きだと思いますよ」と言われたので、秋野ひとみ『緑の谷でつかまえて』を読む。Uさんのおすすめはいつも的確で外れが無いので、読む時は逆に怖々としてしまうくらいだ。


 好きだと思いますよ、と言われた理由は読み切ってすぐに理解した。これは面白いし、私の好きな事件の作り方なのだ。


 とある修道院で、腹にナイフを刺して死んだ修道院長の遺体が発見される。現場は完全な密室で、何故かカーテンまで締め切られ真っ暗にされていた。そして壁には『credo』という謎の文字が。このシチュエーションから導き出される真相が、確かに私の好きなタイプなのである。人間についてのミステリだ


 実はこれは九十五タイトルにも渡る長期シリーズのうちの一冊なのだが、この一冊だけでも十分に楽しめるものだった。もし、私が好きだと言っているミステリが好きな方は、この小説も手に取ってみるといいかもしれない


 それにしても、Uさんのおすすめの精度は恐ろしい。内臓を握られているような気持ちになる



九月/日

 朝、いつものように目を醒ますと右目が痛くなっていた。気のせいかな? と思い、自分を誤魔化しながらカステラを食べているうちに耐えられなくなったので、ちゃんと眼科に行くことにした。なんだかんだで目だけは人一倍気を張っている


 眼科の待ち時間は他の病院に比べて物凄く長い上に、いつ来ても混んでいる気がする。ついでに本屋さんに寄って、待ち時間のお供として新潮を買う。舞城王太郎『So You Think This Is It?』が載っているのだ。スポンジシリーズの最新作で、五作目。そろそろ纏まりそうだ。スポンジシリーズはサンディエゴに住むマサツグ・タナカ刑事ことスポンジを主役にしたシリーズで、アメリカで起こる闇深い事件と少しの不思議、そしてたっぷりの哲学を振りかけた連作短篇シリーズである


 他の小説よりも更にテンポ良く、色濃い翻訳調で書かれたこのシリーズを読んでいると、舞城王太郎が翻訳した海外短篇を読んでいるような気持ちになる。元の物凄く面白い短篇があって──舞城先生がそれを訳して載せているような錯覚を覚えるのだ。


 (ちなみに、スポンジシリーズでは『Shit,My Brain Is Dead.』が一番好き。砂漠にある奇妙な井戸の探索に向かわなければならないのだが、そこはどうにもこの世の理とは違った理で動いている場所のようなのだ……という物語)


 さて、今回の物語を一口に説明するのは難しいのだが、まとめるとするなら赦しについての物語なのだと思う。悲惨な終わりを迎えた密入国事件において、スポンジは親の失敗に──いわば顛末に対する親の責任について言及する。そして、次に出てくるのは認知症に罹った極悪人の話だ。残虐非道であった夫が認知症によってまっさらに消えてしまうのなら、その悪性も共に消えるのか? そこから始まる神の物語も、やはり赦しの話なのだと思う。けれどこれは、赦しや救いがこの世にごろごろ転がっていると示すような物語ではないし、スポンジが最後に辿り着いた結論も、なるほどここに行き着く為にこの短篇はあったのだなと思わせる。


 スポンジシリーズが一冊に纏まるなら、多分とてもすっきりとした一冊になるだろう。スポンジシリーズが纏まるついでに、『秘密は花になる。』もどこかに収録してほしい。私の中で、未収録短篇で一番の傑作なのだ。


 短篇を一つ読み終えると、順番が巡ってきた。診断は疲れによって常在菌が悪さをしたのだろうという話だった。「あまり徹夜とかしないようにね」というアドバイスと目薬を貰い、今この日記を徹夜で書いている。



九月◎日

 ついにこの日が来てしまった。確実に面白いと分かっている小説の発売日は恐ろしい。私達小説家は面白い物語を求めながらも、それの眩さに身を焼かれずにいられない。焚き火に惹かれる蛾のようなものだ。自分の身が焼かれるというのに、手を伸ばさずにいられない。


 というわけで、恐れつつも西条陽先生の『わたし、二番目の彼女でいいから』を読む。


 この作品は昨年、西条陽先生に直接アイデアを話してもらったという曰くのある小説である。西先生から「二番目の女についての小説を書く」という話を聞いた時から、そのアイデアにすっかり脱帽してしまった。西先生は小説も上手く、日常生活も面白く、毎日愉快に暮らしている人間だというのに、その上最高のアイデアまで浮かぶなんて、神に何物与えられているのだろう、と妬ましくなった。許せぬ。


 というのも、この物語は私がこういうものを書きたい……と思うようなとてもいい恋愛物語だったからだ。本命に振り向いてもらえないから、二番目に好きな人同士で付き合うことになった桐島くんと早坂さん。彼らは恋愛ごっこを楽しんでいるはずが、冒頭に説明された単純接触効果に──肉体的な接触によってどんどん深みに嵌まっていくことになる。この物語を象徴する『ごめんね。私、バカだから、どんどん好きになっちゃうんだ』という早坂さんの台詞にこの不純な関係の全てが詰まっている。


 けれど、早坂さんがバカなのではない。結局のところ、人間は恋愛をするとバカになって、どんどん感情の沼に嵌まり込んでいくのである。肌が触れ合うから、吐息を感じるから、そして一線を越えるから──恋愛という理由が後からついてくる部分はあるのだと思う。そういうシニカルな恋愛の手触りがとても好きだ。


 感情が好きだからこそ、それが肉体に引きずられたり、あるいはそれでも引きずられないものが出てきたりする物語が好きなのだ。『わたし、二番目の彼女でいいから』はその恋愛の駆け引きを楽しませてくれた上で、ミステリ的な快感のあるクライマックスまで駆け抜けてくれるから素晴らしい。なんて理想的なんだろう……。


 (私が頑張れれば)恐らく十二月に出版されるであろう恋愛小説短篇集『愛じゃないならこれは何』で、どうにか『わたし、二番目の彼女でいいから』を倒したい。こうしてモチベーションを高く保てるのだから、小説家は割と燃費のいい存在なのかもしれない……。



九月△日

 とうとう引っ越しをすることに決めた。去年から引っ越すぞ引っ越すぞと言っていたので、何度目かの正直だという話だけれど、今度こそ決めた。私の部屋は本棚を増築し増築し続け、正直もう生活スペースが無いのである。どんな感じかを例えるのに一番いいのは『遊戯王』に出てくるデスゲームアトラクション「DEATH-T」の第三ステージ(小さな部屋に白いキューブがどんどん落ちてくるステージ)なのだが、これは伝わるんだろうか……。


 厳選に厳選を重ねた大好きな蔵書を減らすことは出来ない、ということは潰される前になんとか対策を講じなければならないのだ。


 というわけで、ある程度物件を決めて内見をすることになった。これだけで体力が物凄く削れてしまった。実を言うと、私が今住んでいるところや諸事情で借りたマンスリーマンションは、極めて適当に選出されたり、あるいは他人に勧められるままに決めたものだった。なので、本腰を入れて真面目に住居を探すという経験をあまりしてこなかったのである。駅が近ければいいのか遠くてもいいかも分からない。というか不動産屋さんに何を話せばいいのかもふわふわしている。「ご希望の条件はありますか?」と言われ「人を呼んでパーティーをしたい……」と返したものの、コロナ禍である。


 そもそも、私は家を借りられるんだろうか……。よく知らないが、小説を書いて暮らしていますだと社会的になんだか家が借りづらいと聞いた。胡乱な人間でも引っ越しが出来るんだろうか。そう思ったが、友人がスピーディーに引っ越しを繰り返した上で、部屋の中に落下したら死ぬ穴が空いているというエクストリームな住宅に引っ越したことを思い出して勇気を出した。どうにでもなるのだ。


 私は君達を守るぞ……という気持ちで、本に囲まれつつ伊吹亜門『幻月と探偵』を読んだ。大戦前夜の満州で起きた不可解な毒殺事件をきっかけに、当時の複雑な政治事情とその裏に潜む闇が描かれる。歴史ミステリが大好きなので、この一冊はとても楽しみにしていた。何しろ前作の『雨と短銃』も、歴史ミステリ特有の「ああ……そうか、その時代の○○はそうなのか」という感動を与えてくれた最高の一冊だったのである。


 今回は満州という教科書でしか知らない土地を舞台としており、教科書でしか馴染み深くない岸信介がキーパーソンになっているが、それでもするすると読みやすいのが伊吹作品の素晴らしさ。出てくる単語は難しいのに、どうしてこんなにすんなりと頭に入ってくるのだろう……と密かに研究しているくらいだ。


 そこで起きる事件と、帯でもクローズアップされていた犯人の動機にはやはり拍手喝采だった。この事件の発端になったものが、あまりに鮮やかでたまらない。これぞミステリ! 先述した『緑の谷でつかまえて』に通じるものがある。


 これは折に触れて読み返したくなるだろうな……と思うと、やはり蔵書は減らしたくない。事務手続きやらなんやらが滅法苦手な私でも、どうにかして本達の居場所を作ってやらなければならないのだ。不動産屋さん、私を救ってくれ……。



穴が空いている部屋に住む友人を持つ、密室について語りがちな、ミステリを書く作家の住むべき部屋とは――……。


次回の更新は10月4日(月)17時です。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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