四月○日

文字数 4,590文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記は、本日特別編!

異常な読書量をほこる作家は、書店でどのように本を選んでいるのかーー書店巡り篇、開幕!

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四月○日

 季節はすっかり春になってしまって、桜が満開である。私の家は四方を桜に囲まれているので、一種の包囲網状態だ。桜の木の下には死体が埋まっているとはよく言うが、私の住んでいる場所は昔、屋敷のある孤島だったのかもしれない。ミステリの音がする


 そんなことを考えながら川上未映子『春のこわいもの』を読む。コロナ流行初期を舞台にした、甘美なる地獄巡りの短篇集。とはいえ「こわいもの」の間には、瑞々しい筆致で書かれた叙情的な短篇も挟まれていて、短篇集としてとてものど越しのいい仕上がりになっている。『あなたの鼻がもう少し高ければ』は、垢抜けの為にラウンジ嬢を目指す女子大生の話で、かなり覚えがあった。私が大学生だった時代も、ラウンジの話題はよく出ていたし、スペやら何やらで値踏みし値踏みされていたものだった……。


 その中でもお気に入りは『娘について』だ。苦学生である自分とはまるで違う、お嬢様の親友。彼女に対し鬱屈とした感情を抱いている私は、彼女の過干渉な母親と関わることで、とある悪意を醸成していく──。これこそ、多分どこにでもある地獄だ。派手なことは起きない、むしろこの物語では何一つ起きなかったのかもしれない。けれど、二人の人生は物語内での選択によって、本来の姿から大きく歪められたのではないか、と思ってしまう。主人公の行動は果たして全てを変えたのか、それとも……。ここは、読んだ人間の人生観に拠るのかもしれない。


四月☆日

 ユーディット・シャランスキー『失われたいくつかの物の目録』を読んだ。これは、海に沈んだ島や、現存しない歌、絶滅してしまった動物など、もうこの世には存在しないものを取り上げながら、それらをテーマにした掌編を載せている本である。もうこの世に無いものに思いを馳せながら、小説も楽しめるなんて贅沢な本だ。おまけに各章の前には黒地のページに透明な箔押しで「失われたものの絵」が刻まれている。光に当てつつ本を傾けなければ浮かび上がらないその絵を見ると、ああ、本当にこれらのものは消失してしまったんだな……と感慨深さに襲われる。とはいえこうして本に刻まれ、かつてあったものとして記憶されているのだから、本当の意味で無くなったとは言えないのかもしれないが。


 お気に入りは「キナウの月面図」だ。教師であり天体愛好家だったキナウが、月を観測して描いたスケッチは、十九世紀のものとは思えないほど精緻なものだったが、第二次世界大戦において焼失してしまった。「本こそが、もっとも完璧なメディアである」というのが『失われたいくつかの物の目録』のキャッチなのだが、本が完璧なメディアであるのは複製されているという前提があってこそなのかもしれない……と思ってしまう。


 シャランスキーはこの月面図から着想を得て、月に住みながら地上で消滅してしまったものを保管する保管庫の番人となった男の物語を書いている。ある意味でかなりメタ的な──もしかするとシャランスキーはこの一篇から、この本の構想を練っていったのではないかと思う話で、折りに触れて思い出すようなやわらかい味の物語である。


 この本が本棚にあったらいいな、と思える本に出会えて嬉しいし、この本はずっとそこに在ってくれるような気がして、なんだか安心する。


四月/日

 書店。それは見渡す限り本が並んでいて、しかもそれを自由に購入することが出来るという夢のお店である。小説家にとっては、ある意味でもう一つの職場のようなものでもあるので、少し眩しかったり恐ろしかったりする場所でもある。実は、小説家の中には書店に行くのが苦手だ……という人も少なくない。何しろ小説家はそこに自分の本があるかないかや、燦然と輝くベストセラーに向き合わされるからだ。かくいう私も行くと気圧されるというか、ぼんやりした焦りに苛まれることがある。ぼんやりしていないで仕事をしないとな……と焦るのだ。小説家に色々な感情を呼び起こさせる魅惑の場所、書店である


 私はこの焦りを呼び起こす為、あとは単純に面白そうな本を開拓する為に、週二回くらいのペースで書店に行っている。というわけで、今回は私がどんな風に書店を楽しんでいるのかについてを読書日記に載せたいと思う。オールナイト読書日記、書店巡り編である。


 近所で一番大きな書店に行くと、まず新刊コーナーに行く。ここで自分の近著があるかどうかを確かめつつ、読み逃していた小説が無いかをチェックするのだ。すると古市憲寿の新刊『ヒノマル』が出ていた。古市憲寿初の長編作品であり、昭和十八年の夏を舞台にした青春ものらしい。古市作品が好きなので迷わず手に取る。丁度、その年代の出てくる小説をスローペースで書いているのもあって、何かしらの学びになったらいいなとも考えながら。


 ざっと見た限り特に新刊の買い逃しはなさそうだったので、次にノンフィクションのコーナーに向かった。私が通うこの書店はノンフィクションコーナーが充実していて、来る度に微妙にラインナップが違うのだ。書店は生き物のようなもので、少しずつ変化する。このノンフィクションコーナーを担当している店員さんは、きっと色々考えて棚を作っているのだろう。


 そこに新しく仲間入りしていたのが、かげはら文帆「ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく」だ。タイトルでどういうことだ? と思い、パラパラと捲ってみる。すると、なんと偉大なるベートーヴェンの印象的なエピソードが、彼の秘書的な役割を果たしていた伝記作家シンドラーによる創作であることが書かれていた。これは音楽業界では結構有名な捏造事件だったらしいのだが、伝記でしかベートーヴェンを知らない私は寝耳に水の事態である。この本は、シンドラーが何をどう捏造したのか、どうして彼はそんなことをしたのか、シンドラーとはベートーヴェンにとって一体何だったのかを明らかにしているらしい。偉人には功績だけじゃなくエピソードも重要だよなあ、と『ご冗談でしょう,ファインマンさん』(ノーベル物理学賞を受賞した物理学者リチャード・P・ファインマンの自伝。とにかく悪戯好きであるため、面白いエピソードが満載。楽器を習って宴をやる、歌って踊れる物理学者なのである。私は中学生の時にファインマンの伝記を読んだ結果、物理の本を持ち歩くようになった)を思い出した。


 ついでにモーリーン・キャラハンの『捕食者』も手に取る。二〇一二年に逮捕されたシリアルキラーの実像を明らかにするノンフィクションである。行動範囲の広さと異常な用意周到さから、FBIを震撼させたらしい。


 ノンフィクションのコーナーを楽しみ終えると、いよいよ翻訳文学コーナーに行く。この書店では翻訳文学が一所にまとめられ、言語で分類されている。端からずっと見ていくと、英文学から南米文学まで、一通りチェック出来るようになっているのだ


 そこでジョン・グリシャム『「グレート・ギャツビー」を追え』を見つけた。大好きな村上春樹翻訳だったのに、存在に気がついていなかったとは……! 置いてくださっていた書店に感謝しつつ購入。しかも題材が大好きなフィッツジェラルドで、ジャンルは文芸ミステリー。もっと早く気がついていれば……!


 翻訳文学コーナーには『デカメロン・プロジェクト パンデミックから生まれた29の物語』が平置きされていた。早川書房で出た『ポストコロナのSF』の世界バージョンといった趣だろうか。柴田元幸先生が訳で参加されているものが、面白くないはずがない。そして、カバーもとてもかわいい。書店に置かれているのを見ると、装丁の大事さをひしひしと感じる。この本が部屋にあったら嬉しいな、は思いの外大きい


 翻訳小説コーナーを見終えたので文庫のコーナーに行く。その途中で出版論のコーナーにぶつかった。書店や本そのものに関する書籍が多く置かれているが、その中でショーン・バイセル『ブックセラーズ・ダイアリー スコットランド最大の古書店の一年』を手に取った。これはそのまま、古書店を営む主人の日記が書籍化されたものだ。「二月二十一日 火曜日 ネット注文七 在庫確認数五」などの記録と一緒に、書店で起きた出来事などが淡々と綴られている。それだけと言ってしまえばそれだけなのだが、本を愛する店主が、このネット通販隆盛時代に波瀾万丈の書店経営を日記にしたためるというだけで面白い。淡々としている筆致もいい。ノンフィクションではなく出版論のコーナーにこの本が置かれているとは……見逃さなくてよかった


 こういう思いがけない出会いがあるところも、書店の面白いところである。私はAmazonやHontoの通販で「こちらの本も一緒に買われています」機能に世話になっているので、そちらでの出会いもありがたく思っているのだが、その機能ではなかなか『ブックセラーズ・ダイアリー』へのジャンプは難しかったような気がするので、この物理的な連鎖が嬉しい。


 文庫本コーナーでピーター・ヘラーの『燃える川』小林泰三『逡巡の二十秒と悔恨の二十年』を購入。私は基本的に買った本は郵送で家に送るのだが(ここの書店は一定金額以上買うと、無料で配送してくれるのだ)文庫本は手で持ち帰って帰りに読むことにしている。なので、ここでのチョイスは帰宅本と呼んでいる。会計を済ませた後は、ふらっと参考書コーナーに行ったりもする。勉強が何より嫌いなのに、こうして書店でコーナーを回っていると勉強したいような気持ちになるのが不思議だ。あくまで気持ちなので、手を出さない。多分やらない。その中で『大人のはきはき「滑舌」上達ドリル』だけは買ってみた。これで私の滑舌も劇的に改善するに違いない……! この辺りにくると完全に書店に酔っていて、新しいことを始めたくなるのだ。やるぞ! という気持ちが、私に滑舌ドリルを買わせてしまう……。


 書店から出ると、なんだか活力が漲っているような気がする帰り道のお供も手に入れたし、ついでに用を済ませたりご飯を食べたりしようかな、という気分になれる。これを読んだ貴方も、今日は書店に行ってみよう!


前回訪れてから一週間も経っていないのにこれだけの新発見がある……書店、恐ろしい子!


次回の更新は5月2日(月)17時です。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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