十月☆日

文字数 5,988文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

前回の日記はこちら


十月☆日

 「楽園とは探偵の不在なり」が文庫化するにあたって、早川書房に行くことになった。単行本版の「楽園とは探偵の不在なり」にサインをするのである。文庫化の前に? と思ったのだが、文庫版が出れば単行本版にサインをする機会が無くなるから、というのが理由だった。なるほど、と思いながらサインを書き、SFマガジンの連載をまとめて一冊にするべく打ち合わせをした。こうして考えると、この一年で大量のSFを書いたものだ……と感動した。


 担当編集さんを待つ間にジェローム・ルブリ『魔王の島』を読んだ。前評判で問題作と聞いていたので、どういう方向に問題作なんだろう……と思っていたのだが、読んで理解した。これは問題作だ。ここであらすじを説明したところで何の意味も無い。意味は無くもないのだけれど……。これが果たして面白いのか、はたまたそうではないのかすら、読み終えた時にはわからなかった


 なので、すぐに早川書房の翻訳ミステリ担当のIさんに「これ……どうですか……」と話しかけてしまった。そこからしばし『魔王の島』トークが盛り上がったことを思えば、これはやはりみんなが読むべき傑作なのかもしれない。全員この小説を読んで『魔王の島』トークスペースでも開きたい気分だ。あと、この本の宣伝の仕方や帯の上手さにも舌を巻いた。本来なら宣伝することすら難しいほど尖った作品だというのに、綺麗に読者の興味を引いてくれる。今年のベスト帯かもしれない……


 「楽園とは探偵の不在なり」のサイン本を作ったすぐ後に、阿津川先生との共著である「あなたへの挑戦状」のサイン本を作りに行った。メフィスト特別号の一冊として完成した時点で感動に打ち震えた一冊だったけれど、こうして本の形になるとなおのこと感動した。恥ずかしい話だけれど、書籍版にのみ掲載されている二人の執筆日記を読むと、私は毎度泣きそうな気持ちになってしまう。私が感じていた緊張と高揚を、阿津川先生が私に向けてくれた敬愛を、ありありと思い出させられるからだ。


 初版限定で付くことになった袋とじの挑戦状は、仕掛けが分かっていてもワクワクさせられるものだった。この袋とじを開ける楽しみを味わってもらう為だけに、よければ初版で手に入れてほしいと思うような一冊になった


 ちなみに「あなたへの挑戦状」に入れたサインは、初めての横書きサインだった。阿津川先生と一緒にサインをする際に、横書きの方が全体的なバランスが良いからという理由でそうなった、今回新しく考えお披露目のものである。だが、自分で考えたものではないお洒落サインなので、とにかく書きづらかった……! 隣に見本を置き、それを高速で確認しながら書いたお陰で、若干筋肉が攣ってしまった。お洒落なサインへのハードルは高い……!


 帰り、潮谷験の「あらゆる薔薇のために」を頂く。昏睡状態に陥り記憶を失う「オスロ昏睡病」という奇病から回復した人々が次々に襲われるという事件を追ったミステリーだ。オスロ昏睡病の元患者は例外無く身体に薔薇のような腫瘍が出来るという設定で、一体何故、誰が薔薇持ちの患者達を襲っているのか? という謎を追っていくにつれ、患者達の秘めたものも明かされていく──という独特な読み味のミステリだ。塩谷作品はどれも奇想に満ちていて好きなのだが、私は今回の作品が一番好きだ。思考実験的な側面と人間の心の揺れが見事に噛み合っている。この物語と表紙の美しさが相乗効果になっていて素敵だな……。


 ともあれ、サイン本を見かけた方はよろしくお願いします!



十月Δ日

 担当編集さんから薦められた「24歳の僕が、オバマ大統領のスピーチライターに?!」(デビッド・リット)を読む。中学の時も高校の時もオバマ大統領のスピーチが英語の教材として用いられてきた世代なので、その彼のスピーチを支えたライターの話というだけで興味深かったのだが……想像以上に奇々怪々な世界、というのが正直な印象だった。大統領スピーチというものは主義主張の前に、極めて細かいファクトチェックと緻密に練られたジョークが配置されているらしい。ただ誠実に言いたいことを真っ直ぐに、あるいは小気味よく伝えればいいのだろうと思っていたのだが、そうじゃないのだ。感謝祭のスピーチで神に触れるのを忘れただけでニュースになり批難に繋がると知って衝撃を受けた。そんなに……そんなに批難されることだろうか? けれど、政治の世界はちょっとのミスをすら政争の糧にするものなのだ。どこの国でも同じだ。となると、必然的にスピーチライターの責任も重くなってくる。


 これは日本と明確に違うと思ったところだが、スピーチライターの考えるスピーチで最も重要なところはウィットに富んだジョークである。政敵を糾弾する時もジョーク、自分の失態を挽回する時もジョーク、大事な話をする時もジョーク。ジョークだ。偏狭な主張をする政治家相手に「彼と(過ごす時に)は本を焼くよ。いい考えだろ?」と笑ってみせたり、マイノリティに手を差し伸べるべきだと主張する時に「手前みそになるが、僕なら、まず手を差し伸べるべきマイノリティを一つ挙げられる」と快活に言ってのけるのを見て、なるほどこうして伝えるのか……と深く頷いた。


 特に肝煎りの政策であったオバマケアがウェブサイトの不具合で大失敗した時に、急いでオバマケアに関するジョークを考えてリカバリーを図るのを見て、本当にその方向性でいいのか! と戦いてしまった


 けれど、著者のデビッドがオバマ大統領に──彼の真摯な言葉に惹かれ、彼の為に献身的に働き、国をちょっとだけでも良い方向に動かそうと奔走するのは、オバマ大統領のスピーチが彼を感動させたからだ。となると、小粋なジョークや言い得て妙な例え話、聴き手の気持ちを考えた言葉が政治の根幹に置かれるのはさもありなんなのかもしれない。


 ホワイトハウスで働くスピーチライターの日々を描いたノンフィクションとして読む他に、この本は一人の若者の無軌道なまでの情熱を追う物語としても読める。オバマ大統領のスピーチに惚れ込んだという理由ですぐさま行動を起こすデビットの勢い任せな青春は、何よりも行動が世界を変えるのだと身を以て教えてくれる。わざわざタイトルに24歳と銘打っているのは、この目を見張るほどのエネルギッシュさを表す為なのかもしれない……


 この時期、一人の相手に惚れ込んだ人間が人生を大きく変えるという内容のノンフィクションをもう一冊読んだ。小林元喜「さよなら、野口健」である


 この本は登山家の野口健の半生を追いながら、登山家としては三・五流とされる彼の功績を検め直している。それと同時に、著者の小林が野口健の元で働いていた時のことも赤裸々に書いているのだ。この赤裸々具合が凄まじく、なんと彼が野口に惚れ込み献身的に尽くすところから、酷いパワハラを受けて離れた顛末まで正直に書いているのである。読む限り、どうしてそこまで耐えたのか、酷いことをされても戻ってしまったのかと読んでいて暗澹たる気持ちになるのだが、それでも野口健が魅力的であることが切々と綴られているので、理由も痛いほど分かってしまう。


 一見不可解に思える登山家・野口健の行動原理も、著者が半生を丹念に書いて導線を作ったお陰で理解出来るようになっている。つまり、野口健とは観客やスポンサーの期待に全面に応えようとする、生粋のパフォーマーなのだ。その性質が、細かな矛盾と周りとの軋轢を生む。


 この本を読んだ時、私はどうしても以前読書日記で触れた「デスゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」を思い出さずにはいられなかったのだが、この本で小林は栗城という人間にも触れている。合わせて読むと、冒険の為に対外的なアピールとバックアップをどうしても必要とする『登山家』というものについて考えさせられる。



十月◎日

 小説現代10月号に新作改変歴史SF「一一六二年のlovin'life」が掲載された作法として和歌を詠訳(英訳)しなければならない世界で、和歌の天才でありながら英語を苦手とする式子内親王と、彼女付きの女房で英語を得意とする帥の出会いを描いた物語である。改変歴史を題材としているのだから当然なのだが、式子内親王も帥も実在の人物だ。(ただし、帥に関しては式子と共に歌を詠んでいたこと以外はまるで分かっていない女房の一人でしかないのだが)歴史ものを書いて発表するのは初めてだったのだが、資料を読むのが好きなので、彼女らのことを調べるのはとても楽しかった。また、和歌の英訳に関しては実際に翻訳家の方に協力を依頼している。頂いた英訳を読みつつ、物語の方をああでもないこうでもないと考えていく作業も新鮮だった。学生時代にはあれだけ勉強を拒絶していたというのに、義務じゃなくなるだけでこうも楽しくなるとは……


 実を言うとこの短篇には和歌の英訳以外にも一つ大きな「改変」を行っている。短篇としての面白さと、史実としての正しさのどちらを優先させるべきかをギリギリまで悩んだ末、前者の方を優先させた結果だ。幸いながら、そこに大きく突っ込みを入れられてはいないのだが、読んだ方はどの部分かを考えてみるのも面白いかもしれない。ちなみに、こういう時に私が思い出すのは「インターステラー」を制作していた当時のクリストファー・ノーランの発言だ。作中で焼かれる青々としたトウモロコシ畑は、実際には火が着かないという。確かに瑞々しく青い植物は燃えないのかもしれない……と思ってしまうところだが、ノーランはきっぱりと「私の映画では燃えるんだ」と答える。大丈夫、私の小説でも燃える。


 「一一六二年のlovin'life」は10月14日発売の「ifの世界線 改変歴史SFアンソロジー」の方にも収録される予定なので、小説現代ないしこちらのアンソロジーにて、是非読んでみてほしい。今年書いた短篇の中でも一、二を争うほど自信のある一篇だ


 ちなみに小説現代10月号はみんな大好き城塚翡翠特集なので、そういう意味でもおすすめである。あと、この号に載っている西尾維新「不来方百舌鳥の殺人まんがゼミナール」がとても面白い倒叙小説なので、その面でもおすすめだ。売れっ子漫画家を殺したアシスタントは、彼が描いていた原稿を完成させることで完璧なアリバイを得る。だが、漫画家の遺したダイイングメッセージならぬダイイングピクチャーと、突然現れたミステリ漫画家・不来方百舌鳥の存在が完璧だった計画を崩していく……という物語。元々、西尾維新は抜群のミステリセンスの持ち主だと思っていたのだが、この短篇ではそれが猛威を振るっている。現代的なガジェットをロジックに生かす手立てが上手すぎるのだ


 西尾維新といえばこの間の新刊「怪盗フラヌールの巡回」にもしてやられたので、本当に悔しくてならない。大怪盗フラヌールの息子・あるき野道足は、父親が盗んだ数々の品物を返却する為に二代目怪盗フラヌールを襲名し、難攻不落の場所や父親が盗んだ正体不明の宝の謎に挑んでいく。


 再三言っていることなのだが、私はとにかく怪盗が好きだ。なのに、どうしてこの作品のように返却という切り口を思いつけなかったのか……! この設定の外連味だけではなく、「倒叙が前提になるので謎を作りづらい」「物語が本格的に動き出すのが遅い」というような怪盗ものの弱点をことごとく潰すような構成にも感動させられた。不来方シリーズと共に楽しみなシリーズが増えてしまった。



十月◇日

 シルヴィア・プラス「メアリ・ヴェントゥーラと第九王国」を読む。柴田元幸訳作品が大好きなので、とても楽しみにしていた一冊だ。プラス作品は幻想的かつ文体も美しく、そして心に引っかかるものがある。表題作は、両親に無理矢理勧められ、第九王国なるものへと向かう電車に乗りこむ少女を描いた物語。少女らしい一人旅への不安かと思われたものが、一人の客との出会いにて変質していく。この短篇集にはこの小説が書かれた時のプラスの背景も書かれているので、このテーマを表す為に彼女はこう物語を紡ぐのか……という、書き手の目線でも楽しめる。この短篇集の中では、患者の病と夢に取り憑かれた末に一線を越えてしまう看護師を描いた「ジョニー・パニックと夢聖書」が特に好きだ。これもまた。プラス自身の入院体験が元になっているらしい


 合わせて原口侑子「世界裁判放浪記」を読む。これは弁護士である著者が世界各地を旅し、現地の裁判を傍聴しに行った経験を綴ったエッセイだ。人がいるところには裁判が存在する、という言葉に惹かれて手に取った一冊だ。所により裁判の様子は大きく違う。様々な被告人を一緒に裁く裁判や、何の区切りも無く青空の舌で行われる裁判など、日本の裁判とはまるで違う裁判模様が描かれる。色々な裁判があるのだな……と思うと同時に、違いを理解出来るほど日本の裁判に詳しいわけでもないのだと気づかされる


 また、裁判についてだけではなく、その国の様子も軽やかな筆致で描かれているので読んでいてとても楽しい。その国に流れている時間そのものを表しているような気がする。かと思えば、密輸に関する極めてシビアな裁判の記録が挿入され、法律というものがどれだけ人間の裁量に任されているものなのかを考えさせられる。 こうして旅行に関する本を読むと、私も旅に出たいと強く思う。果たして、そろそろ人間は旅を取り戻せるのだろうか。取り戻したら、旅先で小説を書いてみたい。どんな場所への旅行を想像しても、知らない窓のある部屋にこもって小説を書いている自分しか想像出来ないのも、なかなか因果なものである


『あなたへの挑戦状』(阿津川辰海・斜線堂有紀)大好評につき重版決定!


次回の更新は、11月7日(月)17時を予定しています。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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