八月★日

文字数 5,516文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

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八月★日

 今年は夏っぽいこと何にもしなかったな、と思いながらシーツを洗い、浴室に干して乾燥機をかける。使っている柔軟剤がとても良い匂いなので、洗い立てのシーツで眠ると良い匂いに包まれて幸せなのだ。洗い立てのシーツの匂いを確かめるべく、いそいそとベッドに入る。気持ち良い。


 ということを繰り返していたら、毎日十五時間くらい寝るようになってしまった。眠っている時は飲食が出来ないので、やたら貧血に見舞われるようになった。こんなに寝るのはまずい。『車輪の国、向日葵の少女』(罪を犯すと懲役の代わりに特殊な義務を課される架空の国が舞台のゲーム。ヒロインの一人が薬で強制的に十二時間眠らされ、活動時間を減らされる義務を課されている)状態である。


 このままだと色々なことに支障が出るがどうしたらいいか分からない……と悩んだ末に担当さんに相談してみたところ、カーテンを自動で開けてくれるというハイテク機械を頂いた。これで起きられるようになるらしい。


 その程度でこの眠気が取れると思うなよ! と疑いつつ設置してみると、なんと本当に起きられるようになった。というか、急にカーテンが開けられると普通に眩しいのである。ベッドの配置的に作動から五秒で眩しいので、最近はもがきながら起床するようになった。太陽の光って凄い。


 ともあれ、眠りすぎて体力が無い間は、本を読むことくらいしか出来ないので本を読んでいた。島本理生『星のように離れて雨のように散った』は、別冊文藝春秋に掲載された時から集英社のUさんに「好きだと思いますよ」と言われていたものだ。


 Uさんは私の趣味に詳しいので、きっと好きだろうと思ってはいたのだが、読んでみたらなるほど納得と思うような一作だった。


 幼い頃に、未完の小説と共に失踪してしまった父を持つ大学生の春。春は自身の研究している宮沢賢治との関わりを通して、自分達の過去にあったものを探っていく──。


 ミステリと人間ドラマを巧みに組み合わせた島本理生先生の傑作といえば『ファーストラヴ』があるが、本作もまた切なく瑞々しいミステリだった。過去の春が目にした失踪前の謎めいたやり取り。未完の小説に残された謎。そして、幼い頃にあげたぬいぐるみの返却を要求してくる叔母の意図。もういない人間の心を知ろうとすることはミステリなのだ。


 それを解く鍵となっているのが宮沢賢治であり、彼の作品に対する独自の解釈である。春の視点を通して語られるそれは、とても納得のいくものであって、それでいてこの小説を通してしか辿り着けないものだ。こういう小説の作り方もあるのだ、とその技巧的な面でも感動した。


 もしかすると、こうしてたっぷり寝て、ちょっと起きて本を読んで小説を書くような生活が一番幸福なのかもしれない。人間の睡眠時間が平均十五時間になる世界の甘美さよ……。



八月●日

 異形コレクションの原稿をやるにあたり、異形成分を取り入れようと思って、前々から気になっていた『ジグソーマン』を読む。ジャンル名が人体破壊ホラーで、タイトルがこれなので何だかとても嫌な予感がする小説だ。私はホラーの中でも人体改造系がかなり怖く、だからこそやたら惹かれる性質にある。(映画でいうと『武器人間』や『Mr.タスク』など)


 ホラー小説やホラー映画をよく読んだり観たりする割に怖いものが苦手なので、自分の本棚やKindle端末に怖い小説が入るのが少し嫌だ。だが、それでも読みたい気持ちが上回ったところで手を出してしまうのである。


 さて、覚悟を決めて読み始めた『ジグソーマン』。物語は、かつて妻と息子を自らが遠因となった事故で亡くしたマイケルが、絶縁状態の娘に金を渡すべく、物凄く怪しい天才医師に「右腕を一本200万ドルで売る」という嫌な予感しかしない提案に乗るところから始まる。そうしてマイケルは手術を受けるべく謎の城に向かうのだが……。


 このあらすじから想像される最悪の展開で人体破壊が行われるので、とても悲しい気分になった。それと同時に高揚もするので何とも言えない。こうなったら嫌だな~、を叶えてくれるホラー小説はいいものである。それはそれとして、再生医療に取り憑かれ人倫にもとる実験を繰り返す医師が支配する城の脱出不可能さや絶望感は凄まじい。特に「ブリーダー」の部屋の地獄味は凄い。この部屋の名前から、皆さんはどんなものを想像するだろうか。絶対にこれになりたくない……と思うようなものを想像してもらえれば、近似のものが出てくるかもしれない。


 それでいて、この物語のラストが物悲しくも爽やかであることは意外だった。グロテスクなゴア表現で満ちた物語の終わりが、ふっとトンネルを抜けた先に見えた晴天のようなものであるのは美しかった。容赦の無い描写を読んできたから、余計にこれが美しく感じられるのだろうか。だとしたら、ギャップというものは恐ろしい……。


 これは自分が悪趣味だからではないのだと思いたいが、これを読んで買い物に出た私は、久しぶりにステーキ肉を買った。塊のお肉が食べたくなったのだ。これは心の防衛機能なのか? それとも奥底の悪趣味さの成せる業なのか? 私には分からない。お肉はいつでも美味しい。



八月◎日

 何故か急にホットサンドが食べたくなり、ホットサンドメーカーを引っ張り出してくることになった。近所のカフェやレストランを検索しても、自分の理想とするホットサンドが見つからなかったので、こうなったら自分で作るしかないと思った次第である。(ちなみに、大変いいお値段がするものの、第一ホテル東京のホットサンドはとても美味しいのでおすすめ)


 ホットサンドメーカーなんて家に無いと思ったのだが、探してみると存在していた。どうやら、十年近く前に購入したものらしい。そういえば、なんかその時もホットサンドブームが自分の中で来ていたような気がする。直火タイプではなく電熱式のものなので使えるのだろうかと不安になったが、久しぶりに稼働させたそれは、元気にパンを潰し焼いてくれた。


 ホットサンドは自分が見ていなくても、適当に具を挟んで放置しておくだけで完成するのがいい。もう全ての食事をこれで済ませるつもりで、大量のホットサンド予備軍をセットし、タイマーを掛けていく。最近思ったことなのだが、食事って作ってる最中で異様に食欲が減っていく気がしないだろうか?


 椅子なんて上等なものはないので、台所の床に座り込んで本を読みながら焼けるのを待つ。ジョン・ハートの『帰らざる故郷』がとてもよかった。ヴェトナム戦争で不名誉除隊になった兄・ジェイソンが服役を終えて帰ってくるのだが、戦争で多くの人を殺し、人格すらも変わってしまったと噂される兄に周囲の反応は冷たい。


 唯一そんな兄を迎え入れようとする弟のギビーだったが、街で起きた凄惨な殺人事件の容疑者としてジェイソンが逮捕されたことで、兄弟は再び引き離される。


 戦争の傷跡や、兄が不名誉除隊になった経緯、そして周りが言うように微かな歪みを見せるジェイソンの真意など、物語を牽引する要素は沢山あり、どれも魅力的だ。人間関係はおろか街の様子さえ戦争という大きな化物に掻き乱される様は、その大きさをまざまざと感じさせる。一九七二年という年の持つ得も言われぬ空気感をよく表している小説だ。


 それはそれとして、ジェイソンに異常に執着し、塀の中でも絶大な権力を持つXなるフィクサー的死刑囚の存在も強烈である。ジェイソンが掛けられた冤罪がXの手によるものであり、その目的はジェイソンを刑務所の中に引き戻すことであることは早々に明かされるのだが、今までのヴェトナム戦争のトーンと、全く理由は分からないがジェイソンのことばかり考えているXのトーンが違いすぎて、一瞬「これは何の話が始まったんだ……?」と思ってしまった。


 話を読み進めていくにつれ、生まれつき凶暴で残忍な性質を持って生まれてしまったXが、自分と似た臭いのするジェイソンに執着している構図が見えてくるのだが、それまでは作中人物にすら「何でそんなにジェイソンに……?」と疑問を抱かれ続け、同じ疑問を読者も抱き続けるのが少し面白い。


 これは、戦争というものが人間に与えてしまう影響の重さと、それが生来のサイコパスに接近していくほどのものであることを端的に示しているのだと思う。そして、その境界線を越えないようにする為に必要なものが、きっと今作では兄弟の絆であったのだ。


 それを強調するようにXが感じている孤独と、最後までジェイソンと繋がろうとする貪欲さも描かれていて、最後まで読むとそこにも思うところがある。



八月■日

 九月二十一日発売「廃遊園地の殺人」のサイン本を作りに実業之日本社に行く。サイン本何冊でもいいです! と言ったら一六〇〇冊になった。なかなかの冊数だ。サイン本は置かせてもらえるかが書店さんによるので、これはとてもありがたいことなのだけれど、それはそれとして単純に大変である。


 私のサインはハリウッドスターのようなアルファベットスタイリッシュサインではなく、ほぼ漢字の楷書体なので物凄く時間がかかるのだ。計ってみたところ、一つ書くのに七、八秒掛かっていた。疲れてくるとこれが十秒くらいになったりする。それを……とかけ算しようとして、結局やめた。登るべき山の頂なんか知らない方がいいのだ。


 黙々とサインを書き、担当さんが向かいで落款を押すという作業をしていると意識が飛びそうだったので、担当さんにAudibleを激推しする為にも『三体Ⅱ:黒暗森林』を流していた。(ちなみに私の今月の作業のお供はカズオ・イシグロの『夜想曲集』である)


 こうして手を延々と動かさなければならない作業の時に、やはりAudibleはとてもいい。心が軽くなる。

 無限に八秒を積み重ねていたものの、結局親指の皮膚が限界を迎えたので、四〇〇冊分の台紙を持って帰ることになった。夏らしいことは何にもしていないのに、宿題だけがポップアップしてしまった。


 ちょっと移動が怖いご時世であるが、電車の移動は嫌いじゃない。本を読むのがとても捗るからだ。


 電車の中でずっと楽しみにしていた『日本SFの臨界点 石黒達昌 冬至草/雪女』を読む。


 石黒達昌作品は昔から大好きで、他の読書紹介エッセイで純文学の傑作として『目を閉じるまでの短い間』を紹介したくらいである。


 なので、今回は好きな短篇が纏まった石黒達昌傑作選が出る! という気持ちで挑んだのだが、なんと書籍未収録であり雑誌のみに掲載されていた短篇が載せられているではないか。それを知った時、私は改めて編者である伴名練先生の恐ろしさに戦慄した。恐るべきSF愛だ。


 そのお陰で私はまだ見ぬ石黒達昌作品を楽しむことが出来るのだからありがたい……ありがたすぎる……。(その上で「最も冷徹で──最も切実な生命の物語」というキャッチをつける的確さよ)


 というわけで初めて読んだ『或る一日』は、何らかの原因で放射能汚染に見舞われた異国で働くボランティア医師の物語だ。ここに今の世界の状況を重ね合わせるのは短絡的かもしれないが、通じるものはあるのではないかと思う。


 死を待ちながら、あるいは未来の無い中で生き長らえながら、少年少女たちがタトラという亀のキャラクターに希望や救いを求めるシーンが好きだ。タトラはどんなキャラクターか知られていないが故に、色々な文脈を乗せられていく。痛い時はタトラに助けを求め、大人達も子供を窘める際にタトラの名前を出すようになる。


 どんな場所であろうともフィクションが人の心を少しだけ救うのかもしれない、と思う。

 これらの初出短篇の他に載っているものは傑作揃いだ。表題作の『冬至草』は、血液を吸って育つ美しい花に魅せられた科学者の狂気を描いたもので、この狂気は芸術に人生を食い尽くされる人間の狂気を感じさせる。


 日本SFの臨界点は本当に素晴らしいアンソロジーシリーズだった。伴名練先生は素晴らしいSFの書き手であるが、それと同時に素晴らしいSFの繋ぎ手でもある。


 私も縁あって推理作家協会賞に翻訳ミステリ部門を作ろうという準備委員会に参加することになったのだが、そのモチベーションは翻訳小説が好きだから、沢山の人に読んでもらったら嬉しいだろうなと思ったからだった。伴名練先生が良いSFを心血注いで紹介しているのも、同じモチベーションなのかもしれない。

 人の情熱に触れると自分も頑張ろうと思う。単純なのもこういう時は役に立つのだ。


斜線堂有紀『廃遊園地の殺人』(実業之日本社)は9月21日発売とのことです!


次回の更新は9月20日(月)17時です。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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