第18話

文字数 4,429文字

封筒に入った10日分のギャラは、カバンに突っ込んだままだった。満員の地下鉄を日比谷で降り、コンビニで塩むすびを買う。東宝の本社やミッドタウンへと吸い込まれる人波に乗って、冗談みたいに真面目な顔で、くるっと一回ターンをした。今日からしばらくは、書店員だ。


11月の頭は、埼玉県の「ライブ・シアター栗橋」で踊っていた。劇場が駅から遠いため、無料の送迎サービスがある。踊り子も電話をすれば迎えに来てもらえると聞いたが、なんとなく遠慮して、初日はタクシーを使った。運転手が「そうか~今日は初日か~」とのんびりつぶやいたので、よくあることなのだろう。金髪でトランクを転がす私は、踊り子にしか見えなかったということだ。なんだかくすぐったい。


劇場の近くには何もないと聞いて、途中でコンビニに寄ってもらうことにした。ラッキーなことに、いつも日比谷で行く「セブンイレブン」だ。塩むすびをありったけ買い込む。大和でも芦原でも、私はできるだけセブンイレブンを探して行った。つい旅行のように浮き上がる気持ちを、仕事モードに戻す儀式なのだろう。


栗橋の10日間は、常にそこそこお客さんが入っていた。ご一緒する4人の姐さんたちと、地元の人やストリップファンに愛される劇場のおかげである。ゼロポラ、ゼロ観客の可能性に怯えることもなく、一回一回のステージに集中できていた。スタッフ手作りのまかないは手の込んだもので、近隣の農家からの差し入れだというお米は、ガス釜で炊き上げるというこだわりっぷり。


楽屋も常に笑いが絶えず、テケツに行けば、猫のマロンが遊び相手をしてくれる。心配だった通勤も、下り列車で車両はガラガラ、通過駅の春日部では、クレヨンしんちゃんのメロディーが流れていた。30分早く着いて、駅から散歩がてら歩くようになれば、田んぼ道に百舌のはやにえを見つけたり、アオサギがすぐ目の前を羽ばたいたり、庭で穫れたかりんを山ほどもらったりと、しあわせを絵に描いたような時間だった。


ところが仕事を終えて上り電車に乗り込むと、なぜか乗り換えの駅で改札を出てしまう。スタバで仕事の本を読んだり、マックで原稿を書いたりするわけではない。酒を出す店のカウンターに座って、ただひたすら、ぼうっとしてしまうのだ。牛ほほ肉の煮込みが名物のビストロ、ヤムウンセンの辛さに手加減がないタイ料理屋、旬の魚を丁寧な仕事で出す割烹、2代目の親方と3代目の息子が切り盛りする威勢のいい老舗居酒屋。


楽しかった一日が終わるのを惜しむように、じっくり店を選んで、ちびちび酒を飲み、本当に食べたい物を選ぶ。しっかりお金を使って、お腹も心も満足するまで、腰を上げなかった。何かを考えるのではなく、考えないようにするための、寄り道だったのだろう。どうしようもないほどの眠気が来るまで、喧噪の中に身を置きたかった。


楽日まであと数日ともなると、姐さんたちの次のスケジュールを把握しておく必要がある。楽日の翌日から別の劇場での仕事が入っている「連投」の場合は、早めに荷物の一部を送る場合があるのだ。そのためには段ボールが必要で、運送屋に集荷依頼もしなければならない。ネットで調べれば、各劇場の公式サイトや踊り子のSNS、ストリップの情報サイトなどでスケジュールは確認できる。現役で活躍している踊り子は、たいてい1、2ヵ月先まで予定が決まっているものなのだ。


しかし、いわゆる単独公演のコンサートと違って、ストリップはチケットを予約する制度がない。そのせいか、急な変更があっても、誰も文句は言わない。オフの予定だった踊り子に、急遽依頼が来ることもあるし、その逆もしかりだ。理由は様々だが、踊り子の体調不良はいかんともしがたい。


半人前の私にも穴埋めの依頼が来た時は、うれしくてつい受けてしまいそうになったが、踊り子のオフには書店のシフトを入れている。それがなければ、友人と遊ぶ約束も、予約していた美容室もキャンセルして、駆け付けただろう。


基本的に踊り子は、仕事をしたいと思っている。声が掛かるということは、自分が期待されているということだ。仲のいい踊り子と一緒がいい。家から近い劇場に乗りたい。冬は温泉地がいい。そういった希望を聞けばキリがないだろう。だが、私の知る限り、テレビ番組で見た「ダーツの旅」みたいに、的に放った矢で自分の行く先が決まるようなことを、なんだかんだ言って楽しめるような人だけが、踊り子を長く続けているように思える。


劇場は、1人でも多くお客を呼べる踊り子を集めたい。うまく揃えば、お客も「神香盤」と言って、遠方からでも駆け付ける。出演順を決めるのは劇場だから、最も集客力があって、写真もたくさん売る踊り子が、トリになるのだろう。私はトリの姐さんに、どうしたらそうなれるかと尋ねた。デビューから数年は、なかなか人気が出ず、同期の踊り子に遅れを取っていたと言うが、とても信じられない。「たくさんいろんな劇場に乗り続ければ、見枝香ちゃんだってそうなれるよ」という答えにも、釈然としなかった。


私は連投したかった。楽日が近付くにつれ、体は引き締まり、開脚は180度を超えていく。ストレスも疲労もなく、かつてないほどに体が軽い。新作のアイデアも生まれ、早く形にしてみたい。しかし次の予定は、決まっていない。来年の1月頭が決まりそうだが、それだって、もともと決まっていた樹音姐さんに便乗する形で、候補にしてもらえたようなものなのだ。


栗橋で私の次に経歴の浅い姐さんは、今が8連投目で、ようやく次はオフだと言っていた。80日間休みなしという仕事は相当ブラックのように思えるが、踊り子は仕事を断ることだってできる。毎月のノルマがあるわけでもないし、言い出しにくい場合もあるが、しばらく休業するのも自由だ。


だが人気の踊り子ほど、断らない。ずっと先まで、隙間なくスケジュールが埋まっている。まだ新人の私も、新人だからこそ、あちこちの劇場に繰り返し遠征して、顔を覚えてもらいたいのだが、どうしたらいいのかわからない。2ヵ月仕事がなければ、せっかく付いた筋肉も、本番で養った感覚も失ってしまいそうだ。


芦原の次に連投で上野と言われれば、始発に乗っても集合時間ギリギリなのだが、キツいなんて言わない。ライブのチケットを取った後でも、仕方が無いとあきらめる。連投が続けば、歯医者にも美容室にも行けず、家賃を払っているのにほとんど家に帰らない月もあるかもしれない。10日ごとに東京、地方、東京、地方と移動すれば交通費も馬鹿にならない。だが、踊り子とはそういうものだ。それでも私は、仕事が欲しかった。


栗橋に乗っている時、小倉の劇場が来年の5月で閉館する、というニュースが流れた。オーナーの意向らしいが、コロナの影響も大きいだろう。ストリップ劇場は法律により、新しく作ることは実質不可能と言われている。


今ある劇場が閉まるということは、踊れる場所がひとつ、永久に失われるということだ。今後さらに閉館が続けば、踊り子たちは少ない椅子を取りあうことになるだろう。私がデビューしたことを祝ってくれた姐さんたちの頭に、そういう未来が過ぎらなかったわけはないのだ。


踊り子の仕事が入りすぎれば、書店に戻りづらくなる。いってらっしゃい、おかえりなさい、と笑顔で言って貰えることが当たり前ではないことなんて、わかっている。いつクビになってもおかしくない。そういう現実が、私を現実逃避させる。


封筒に入ったままだったギャラは、楽日の翌日にほとんど使ってしまった。買い物でもギャンブルでもなく、仕事の帰りに寄った歯医者でだ。保険が利かない治療だった。残った数千円は財布に入れて、封筒は待合室のゴミ箱に捨てた。私はお金に執着がない。貯金もしないし、なければないで、ないなりの生き方ができるタイプだ。


書店の出勤日が減れば給料は少なくなるが、いくつか抱えている連載の原稿料は入る。単発の仕事が多く入れば、それだけで暮らせないこともない。踊り子の収入だけで生活していたり、レッスン料、衣装代、美容代を払いつつ、中にはひとりで子供を育てたり、実家に仕送りしている踊り子もいる。


そんな中に私は、ただ楽しいから、やってみたいからと、割り込んできた。誰に求められているわけでもないのに、運の良さだけで、仕事をもらってきた。申し訳ないと思うことの愚かさは十分わかっているが、どこかで胸を張れない自分がいる。


デビューしたのは、樹音姐さんに誘われたからだ。姐さんは、自分が引退するまでに、10人の踊り子をデビューさせるという目標があるらしかった。私はそれをデビューしてから知ったのだが、ステージから女性客を見つけると、踊り子にならないかと声を掛ける姐さんに、複雑な思いを抱かずにはいられない。姐さんがなぜそれを使命と感じているかについては、わからないでもないのだ。


新しい踊り子が入らなければ、業界は停滞する。少ないお客を取りあうのではなく、新しいお客を増やしていかなければ、シュリンクしていくいっぽうである。ストリップのことが書かれた古い本には、聞いたことのない劇場が星の数ほど載っていた。ストリップ全盛期と言われる昭和の時代なら、踊り子が千人いたって足りなかっただろう。令和の今だって、ベテランの姐さんの引退が続いて、一部では、踊り子が足りないという声も聞く。人気の踊り子がいなくなれば、劇場の経営は苦しくなるだろう。


私のことを「見枝香姐さん」と呼ぶ踊り子に会ったのは、今のところ2人だけだ。じりじりと焦る。私は私。いくらそう言い聞かせても、他の踊り子のスケジュールが気になる。どうして私は、いつもぎりぎりまで決まらないのか。それはつまり、穴埋め要員だからか。穴を開けるよりはマシな、穴埋め材としての価値しかない。


人は平和になると、こうして余計なことを考え始める。楽屋が息苦しかったり、ステージでみじめな思いをしたりすれば、それどころではなかっただろう。


書店だって、私に期待などしていない。予定が立たないからイベントも組めないし、大きなフェアも企画できないし、もはや自分しかできないことなど、何もない状態だ。責任がないのは楽だが、楽だからこそ、考えてしまう。


無理なのだろうか。だとしたら、私はどちらを取るのか。次々と劇場が減っていく今、踊り子という仕事はいつまであるのかはわからない状態だ。書店だって減ってはいるが、会社という組織に属している以上、唐突に仕事を失い、今日明日に放り出されるということはないだろう。だが、私は安心して暮らすために仕事をしているわけではない。退屈が嫌だから、やりたいことをやってきたのだ。


踊り子稼業は、来年の2月で1周年を迎える。私はそのとき、どんな気持ちでステージに立つのだろうか。

ダーツが面白いのは、的に刺さるからである。刺さりもしないことに怯えているうちは、憂鬱でしかない。

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