第16話

文字数 3,196文字

1日4回公演の大阪・晃生ショー劇場で、最終回が始まる頃になると、必ずやって来るお客がいた。40代くらいの男性で、客席に顔見知りが多いのか、楽しそうな笑顔を見せている。


だが2番手の私が舞台に立ち、音楽が鳴り始めても、笑い続けている。悲しい曲調になっても、彼は肩を揺すっていた。失った恋を忘れられずにのたうち回っても、忘れることを諦めて天を仰いでも、大爆笑である。私は彼がおそろしかった。


舞台袖で素早く衣装を着替え、お浄めスプレーを噴射する。踊り子の間で人気の、天日塩入りフレグランスだ。客席に苦手なお客がいたり、写真タイムで嫌なことを言われたら、シュッと吹いてお祓いをする。気休めかもしれないが、好きな香りを嗅げば、少なくとも気分は変えられる。


ラストの曲の、歌が始まるタイミングに合わせ、大きく足を踏み出した。絶望から立ち上がり、新しい出会いに喜びを爆発させる。今日以上に幸せな日なんてない、という顔でステップを踏んだ。すると彼は、組んだ腕を解き、笑いながら手拍子を始めた。しかし、こちらの踊りを惑わすほど、タイミングがズレている。


もしやこれは、俗に言う「手を叩いて笑う」という状態だろうか。そうと気付けば、足がもつれるほど動揺した。人が必死こいて踊り、大汗をかきながら足を広げたり持ち上げたりすることの、何がそんなに可笑しいのか。


お笑い要素を盛り込んだ、笑いありエロスありのストリップショーを得意とする踊り子もいる。だが、そんな高度なことを目指すほど、私は身の程知らずではない。小説と同じで、意図して人を泣かせたりすることより、笑わせるほうがよっぽど難しいはずなのだ。「泣ける」小説を読んで泣いたことは、数え切れない。泣かされてたまるかと思って読んでも、やっぱり泣いてしまう。


だが「笑える」と謳った小説を笑う気満々で読んでも、相手が笑わせようと思っている事実が邪魔をして、私を白けさせる。笑いとは、意外と繊細な感情なのだ。私ができるとしたら、笑わせることではなく、笑われることくらいだろう。


しかし、たった一人のお客に笑われただけで、このざまだ。なんて脆い精神か。私の性器の色がヤバくてウケるのか。ダンスがお遊戯会みたいで噴飯ものなのか。私の年齢を知っていて、頭に花なんてつけた痛々しさを笑っているのかもしれない。こっちだって、似合っていないことは百も承知だ。私は被害者みたいな顔で、青い花をもぎ取った。


写真タイムになると、彼は姿を消す。ロビーに出て、煙草を吸っているようだ。写真を撮らないことは、わかりきっていた。気持ちは晴れないが、上野で姐さんたちに教わったことを思い出す。誰も私の写真を撮らない、いわゆる「0ポラ」の回でも、そこで暗い顔をしたりふてくされたりしては、いつまでたっても0枚だ。


そういう時もあれば、今日みたいな日もある。行列は入り口近くまで伸びていた。どん底を知っているので、1枚撮ってもらうだけで、福引きの鐘を両手で打ち鳴らしたいくらい嬉しいのだ。


だがオープンショーで、また叩き落とされる。座席に戻っていた彼は、相変わらず可笑しそうに笑い、私にチップを差し出したのだ。写真2枚分の、1000円札を私に。


「笑わせてくれてありがとう」ってこと? 全くわけがわからない。しかしどんな意味であれ、踊り子にチップを受け取らないという選択肢はなかった。受け取ったお札に、お浄めスプレーを吹きかけたことは言うまでもない。


初めて乗る劇場の最初の舞台は、うまくいかなくて当然である。浅草ロック座を除けば、ストリップにリハーサルなんてものはない。照明の指示だって、その場で紙に書いて渡すだけで、ぶっつけ本番が当たり前だ。


舞台の盆が回ることは噂で聞いていたが、初めてのそれは、思ったより大きく揺れ、静止するポーズはことごとく失敗した。絨毯敷きの床は、剝き出しの肘や膝を守ってくれるが、つま先が引っかかって、隠しようのないほど盛大にズッこける。勢いよく足を開脚したら、絨毯と臑の摩擦で「アチー!」と叫ぶ。


そして三半規管が弱い私は、目を回して盆から客席に落下した。顔面を座席に強打したものの、奇跡の無傷で生還。しかし、それで終わりではなかった。舞台背面は壁ではなく、伸縮性のある黒いベルトが幾重にも張られている。


その隙間から、それこそ手品ショーのように出入りできるのだが、初めての私は、複数のベルトに手足と頭を搦め捕られ、まさに網にかかった獲物のような恰好で、ステージのラストを迎えてしまったのである。消えてなくなりたい。その前に、舞台から消えたい。それが演出かどうかもわからない照明さんは、その情けない姿にもスポットを当てるしかなかった。


写真タイムの直前、舞台袖の低い天井に後頭部を強打したせいで、ボーッとしていたのだろう。なんとかオープンショーを終え、衣装や小道具を片付けていたら、舞台に立った次の出番のお姐さんから、私のパンツが勢いよく投げ返されてきた。踊り子は次から次へと登場し、その間に舞台整備や清掃が入ることはない。


だから出番を終える前に、必ず舞台に忘れ物はないか、汗が落ちていないか、踊り子自身が確認をしなければならない。そこまでがステージだと、樹音姐さんにもしっかり教わったはずだった。もし置き忘れたのがパンツではなく、小道具のタクトだったら。それを踏んだ姐さんが、足裏を怪我したかもしれない。それだけは、あってはならない。笑われることがなんだ、と気を引き締めた。


姐さん方に励まされ、慰められ、なんとか大怪我もなく「楽前」を迎える。ストリップの世界では「千秋楽」という言い方はせず「楽日」という言葉を使うことが一般的だ。だからその前日は「楽前」である。私のパンツを投げ返してくれた姐さんとも、一緒に焼き肉を食べに行ったり、衣装を譲ってもらったりして、だいぶ会話ができるようになっていた。そこで私は、客席に私を笑う悪魔のような人がいること、それが気になって、思うように踊れないことを打ち明けた。


そんなことを気にしていたのかと、私より10ヵ月デビューが早いお姐さんは笑う。なんのことはない、彼はいつどこで誰が踊っても、爆笑しているそうだ。一見そうは見えないが、ロビーで酒を飲み、常に泥酔状態だという。


笑い上戸だとしたら、箸が転んでも笑うのだから、そりゃ誰が踊っても笑うだろう。写真を撮らずにチップを渡すのも定番だという。楽しい時間を過ごした、彼なりのお礼なのかもしれない。なんなんだよもう。気の利いたオチにもなりゃしない。


晃生ショー劇場では、初乗りということで、たくさん写真を撮ってもらった。その時に、私の書いた本を持ってきて、サインが欲しいという人も多かった。そんな中、リクエストから新しく生まれたポーズがある。寝そべった状態で自分の本を右手に持ち、裸の右胸に押し付ける。


そして左手で左膝の裏側を抱えて持ち上げ、さらに左手の指で局部を左右に押し開く。それが「新井スペシャル」だ。そのエロポラ(ポラロイドでなくてもそう呼ぶ)を、何も知らない人が見れば、私が書いたものや、私自身を侮辱するものに見えるかもしれない。


実際、そういう劣情を煽るようなポーズなのだろう。だが、彼らは列に並んで順番を待ち、多くの人が見ている前で、お金を払って写真を撮っている。隠し撮りや、無理強いとは違い、被写体との会話も楽しみたいと思っている。


あの空気を体感していないと理解しにくいかもしれないが、あくまでも人と人とのコミュニケーションなのだ。好きなポーズをお願いできるし、嫌なポーズを断ることができる。撮ってあげているのでも、撮らせてあげているのでもない。思ったことをぽんぽん口に出す人が多い大阪では、特にそれが実感できた。


写真の中の私が哀れに見えるとしたら、それは見る人が、私を哀れだと思いたいだけなのだろう。


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