第6話

文字数 3,404文字

 お前ら、かかってこいや! とファンを煽るギタリストに、本当にかかっていってしまった人を見たことがある。そのバンドにとっては、小さすぎるライブハウスだった。頭を振って飛び散る汗が、自分のものか、メンバーのものかもわからなくなる距離で、さらに互いの領域へと身を乗り出す。超満員の圧が、最前列と鉄柵の間で行き場を無くしていた。


 極限の暑さと苦しさのなかで彼女は、眼前へ突き出されたギターに、思わず手を伸ばす。弦を張ったネックを掴めばどうなるか。音が、ギターソロが、完全に止まる。最悪だ。それでもドラムとベースは演奏を続けたが、ギターは怒りを抑えられない。ピックを床に叩きつけた彼は、彼女を怒鳴りつけ、唾を吐く勢いで罵った。


 この世に、これほど酷い恋の終わりがあるだろうか。即完売のLIVEで、ギターの真ん前を確保するということが、思いの深さを物語っているのに。


 さらに信じられないことが起きた。彼女は再度ネックを掴み、今度は強く揺さぶって怒鳴り返したのだ。もはや言葉になっていない。そこでようやくスタッフが止めに入った。ギターを下ろし、ステージを去ろうとするメンバーをボーカルが必死になだめ、どうにか演奏は再開された。だが、その後どんなLIVEになったのか、私には全く記憶がない。彼女をLIVE会場で見かけることは二度となく、そのうちバンドも解散してしまった。



 広島の映画館「横川シネマ」で、『彼女は夢で踊る』を観た。今も営業を続けるストリップ劇場「広島第一劇場」を舞台にした映画だ。かつては行列ができるほど繁盛していたが、時代とともに娯楽は増え、経営は厳しくなっていく。その日は広い劇場に、たったひとりの客と踊り子だけ。サラリーマン風の男は酔っているのか、最前列の椅子で堂々と眠りこけている。


 踊り子は舞台から伸ばした足で、客を故意に蹴り飛ばした。さすがに目を覚ました男は、ここで眠ることの何が悪いのだ、お前は脱ぐのが仕事だろう、と踊り子に掴みかかる。ブチ切れた踊り子が、ステージの上から客に食ってかかったので、慌てて館長が仲裁に入った。


 そのシーンが、あの悪夢のようなLIVEを、20年ぶりに思い出させたのである。どちらも、意外な反応だったからだ。熱心なファンであるはずの彼女はなぜ、ギタリストに謝らなかったのか。女の裸が観たくて、金を払って入場したはずの男はなぜ、踊り子に掴みかかったのか。


 どんな情況でも、何をされたとしても、それはおかしい反応だろう、と思った。つまり私は、舞台の下の人間を、本当に「下の人間」だと考えているのだ。



 ストリップのオープンショーは、LIVEにおけるアンコールのようなものだ。オリジナルのTシャツや法被に着替えた踊り子が、舞台に戻って晴れやかに踊る。その間だけ、直接心付けを渡すことができるのは、ストリップならではの楽しみだ。

 

 細長く折った千円札を差し出せば、踊り子はそれを裸の乳房で挟み、お礼を言って受け取ってくれる。腿に巻いたベルトやパンツの腰紐に挟ませてくれる場合もある。


 その日私は、地方の温泉街にあるストリップ劇場に来ていた。夜も深くなれば、近くの温泉宿から、浴衣姿の宿泊客が訪れる。それに加え、踊り子を追いかける常連のファンも集結し、お札を差し出す手はいつも以上に多かった。


 しかしその中の一本が、異質だった。踊り子への感謝の気持ちで差し出されたのではなく、おびき寄せ、目的を達成するための罠に見えた。その男は、踊り子の名がプリントされたTシャツを着ていて、連れもおらず、明らかに温泉客ではなかった。


 花道の横に陣取り、目当ての踊り子をこちらに向かせようと、差し出した封筒をいやらしく振る。ホラやるぞ、取りに来い、と。踊り子を何だと思っているのだ。人間だよ。振らなくても見える。通常は剥き出しのお札で渡すが、その男は思わせぶりな白い封筒を掲げていた。


 近寄った踊り子に、腿の奥で挟み取れ、と男は手振りで要求する。自分の欲望を満たすためのエサとして、封筒を用意していたのだ。危険を察知した踊り子は、お礼を言って手で受け取ろうとする。


 しかし男は、封筒を掴んだまま離さない。お客が差し出した心付けは、受け取らないわけにはいかないのだろう。中身が紙くずかもしれなくても、礼を言わねばならない。


 すると男は封筒を開けて、中身をチラッと見せた。ホラ、見えたか? 中身は千円札なんかじゃない。欲しいだろう? 金は欲しいに決まっているだろう?


 馬鹿にすんじゃねぇよ。気の短い私なら、足で顔面を蹴り飛ばしていただろう。しかし、踊り子は我慢強かった。それはできないと穏やかに主張し続け、結局は時間切れで男が折れた。私は客席で、酷い顔をしていただろう。

 

 千円なら断るが、五千円なら股ぐらに手を突っ込んでもいい、とでも言うと思ったか。それは相手の尊厳を無視した思考だ。金銭的な理由だけで嫌々服を脱ぎ、みじめな気持ちで踊っているわけではないことは、ステージを観れば明らかである。


 その誇り高き肉体が見えないのか。下の毛をきれいに剃り落としているのは、触らせるためなんかではないだろうよ。ステージに上がってくれなければ、一生拝むこともできない性器だよ。


 私は激しく憤っていた。同時に、男と同じ客席からステージを見上げているだけの私が何故、と奇妙にも感じていた。私は何もされていないし、私は彼女の代理人でもない。踊り子はきっと、そんな酷い侮辱にも慣れっこのはずだ。


 次のステージでもその男は、踊り子の性器だけを、身を乗り出して舐め回すように見ていた。美しく伸びた背筋も、特注のドレスも、夜が明けるまで練習したはずの振り付けも、どうでもいい、という風に。


 しかし踊り子は、彼にも平等に足を開いた。わかりやすく、平等に、振る舞っていた。そうすることで、かわいそうではなかった。踊り子は決して、憐れみを誘わない。演目上、そういう演技はしても、オープンショーではあっけらかんと踊り、かわいそうを押し付ける隙を与えない。


 どんな情況でも、楽しそうに踊っていると思わせることが、何より彼女たちの尊厳を守るのだろう。私はもう、その男を気にするのはやめた。



 人間は、お金を払って人間を観る。お金を払う側と貰う側では、目的も、心の持ちようも、苦労も喜びも違うはずだ。観る人がいなければ成り立たないが、やはり私は、観せてくれる人がいなければ、そもそも観ることもできない、と考える。


 観せる人の努力のほうが大きく、観せてもらうほうが弱い立場になる。それなら、ステージより客席のほうが圧倒的に弱いのか。だが、あのライブハウスでも、映画の中でも、それは裏切られた。


 客席には、ステージを眩しく見上げる目と、見世物小屋を覗き込むような目が混在しているのかもしれない。気が遠くなるほど幾重にも纏った着物で、花魁道中をやったかと思えば、全て脱ぎ捨て、尻の穴を広げて見せたりする。


 自分だったら、死んでしまうような恥だ。観客は心をかき乱される。私はあの人をどう思えばいいのか。


 そんなことを悶々と考え、湯あたりするほど温泉に浸かった翌朝、私はまた劇場へ行き、通用口のドアを叩いた。私がエッセイを書いていることを知った踊り子が、特別に招き入れてくれたのだ。


 似合わない自然光が天井から差し込むステージに、靴を脱いで、上がらせてもらう。そこは想像以上に高く、ひんやりとしていた。靴下を履いた足ではツルツルと滑って、そのままステージと客席との間に、ポトンと落とされてしまいそうな心許なさだ。


 四つん這いにならないと、花道の先端から下を覗けない。嵐の東尋坊で、雨に打たれながら笑って崖の下を覗き込める私が、だ。


 ここに立てば、その場を支配したような気持ちになると思っていた。ところが、見下ろした客席は、全てがこちらを向いていて、私を支えているように見えた。ここからこぼれ落ちないのは、客席があるからだ。お金を払って、そこに座っていてくれることに対する感謝は、忘れてはならないだろう。


 だがそれ以上に、自分が彼らを楽しませる、と強く思えなければ、感謝だけでは、あっという間に吸い込まれそうな力だった。


 何も見せるものを持たない自分は、だからずっとへっぴり腰で、楽しそうにはしゃがない私を、踊り子は不思議そうに見ていた。

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