第10話

文字数 4,411文字

 渋谷駅はずいぶんと様変わりしていた。仕事帰りの人波に逆らって、私はスタジオへと向かっている。壁がヤニ色に染まった、ロックバンド用の防音スタジオではない。アップライトピアノが置いてあるだけの、練習スタジオでもない。ダンスを教わるための、ダンススタジオだ。


 日中にかけた電話の応対があまりにもラフで、年齢を聞かれたときに、歳の人が行くようなところではないのかも、と不安が頭をよぎった。たどり着いたそこは、まさにその通りである。地下へ下りる階段の壁は、カラフルなグラフィティで埋め尽くされ、場違い感がすごい。


 蛍光色のひもがピューと出るパーティースプレーや、蛍光色の靴ひもを結んだ白いスニーカーを思い出す。あれらに心を奪われた私はもういない。マックでピンク色のシェイクを飲むより、とらやで煎茶を飲みたいのである。受付には、ニットのキャスケットに大きなフープピアスを付け、チョコレート色の唇をした女性が座っていた。


 友達になったことがないタイプだ。予約した体験レッスンを受けに来たのだが、入会して欲しくないのかと思うほど、聞かなければ何も教えてくれない。ホットヨガの体験後に、「ナマステー」と合掌したばかりのヨガインストラクターから、オプションのセールストークを延々聞かされた違和感も相当だったが、放っておかれれば入会したくなる、というものでもないらしい。


 所在なさげにしていると、にこやかな女性が近寄ってきて、私に声を掛けた。今日の講師のようだ。だが会話が全く弾まない。ダンスが好きなのか、と聞かれても、上手く答えることができないのだ。観ることに関しては、好きどころの話ではないが、彼女が言うダンスの中に、ストリップのダンスが入っているかどうかがわからないから、下手なことが言えない。習いに来た目的を正直に言うのも、面倒だった。


 持参したTシャツとスパッツに着替えて控え室に入ると、異様な光景が広がっていた。着替えてレッスンを待つ生徒たち全員が、床に座り込み、首を深く折って、スマホの画面を覗き込んでいる。これから踊るのだから、柔軟して体をほぐすとか、瞑想して集中力を高めるとか、 やるべきことはあるだろうに。ストリップ劇場では、お客が携帯を取り出しただけで、スタッフが弾丸のように飛んでくる。従わないお客はつまみ出す勢いだ。


 私が選んだのはジャズダンスの入門クラスで、時間になると、 20名ほどの生徒が鏡張りのスタジオに入っていった。タオルと水を持ち込むところは、ホットヨガと同じである。しかし、ヨガスタジオでは更衣室からスマホの使用が禁止されていた。服を脱ぐ場所だから当たり前だ。スタジオ内には時計もあるし、ロッカーにはもかかるし、スマホを持ち歩く必要はない。鏡に映った自分を撮って、インスタにでもあげるつもりだろうか。私より10も20も下に見える現代っ子の彼女たちは、たった1時間でもスマホを取り上げたら、不安になったり発狂したりするのかもしれない。鼻白む気持ちで、こりゃ馴染めなそうだな、とぼんやり思う。


 全員でストレッチと軽い筋トレを行い、いよいよジャズダンスだ。 8×4の32カウントを踊る。足をその場で踏んで指を鳴らし、首をまわして両手を広げ、 ターンして肩を交互に入れたら、片手を伸ばしてハイッ、超楽しい。振りを忘れて出遅れることもあるが、ターンが決まった瞬間は、自分カッコイイ! と気分が上がる。初めてにしては、上出来ではないか。ヨガにはない、速いビートに動かされる興奮や、バレエっぽい優雅な動きに、顔がにやつく。自分が踊っていること自体が愉快だ。


 ヨガは伸びを深めるため、つま先を立てて、踵を前に押し出した足でポーズを取ることが多いが、私はつま先を前に倒し、甲を長く見せた足先が好きなのである。踊り子はいつもそうして、ポーズを決める。ダンス動画を見ていたときに、ジャズは足先がそれに近いように見えたのだ。セクシーなベリーダンスも、ストリップには役立ちそうに思えたが、腰をクイクイさせたり、小刻みにゆさぶったりするのは、私の薄い腰や尻には似合いそうもない。


 1時間のレッスンが終わろうとする頃、「今から一度だけ通しで踊るよー」と講師が呼びかけた。生徒たちは練習を止め、一斉にスマホを手に取る。私以外、全員が動画撮影をしていた。このためだったのか。ということは、レッスン前に食い入るように見ていたのも、自分で撮影した先生の動画だったのだろう。自分の偏見が恥ずかしい。思えばクラスの生徒たちは、鏡に向かって笑顔を作り、しかし全く笑っていない真剣な目で、体を厳しく動かしていた。


 みんな、何のために顔を作って踊るのだろう。ただ楽しく踊るためなら、安くないお金を払ってレッスンを受ける必要はない。魅せるダンスを踊りたいのだ。観客を楽しませる踊りを、目指しているのだ。ここにいる女の子たちは、みんな自分を見てほしがっている。何のためにだろう。


 ほとんどの踊り子は、踊りたくて踊っている、踊りが楽しい、という風に見える。生きるためにお金を稼ぐこととは、また少し違う目的に思えた。そしてそれは、下着を取って性器を見せる実際と、ほんの少しずれているような気がしてならない。服を脱がないダンサーなら、その疑問は浮かばなかっただろう。


 だが劇場では、どんなに激しく踊っても、エアリアルで空中を舞っても、それだけでは終われない。必ず脱いで見せる必要がある。その絶対は崩さずに、しかしそれぞれが体を鍛えて、際限なくダンスを高めてくる。上手く踊りきったと思っても、アソコをもっと見せてほしかったと、残念そうな顔をされることだってあるだろう。ぱーんと足が高く上がった真ん中に、薄い襦袢がハラリと覆い被さったときなど、会場から無言の「ああ〜」という声が聞こえるような気がする。ほとんどの観客にとって、見えるか見えないかはとても大事で、それは踊れるかどうかよりも、優先される場合がある。


 踊り子がどれだけ達成感を感じようと、思ったような評価が得られないこともあるのではないか。踊る側と観る側の最高点が一致しないジレンマは、会社でよくある、「私の仕事が正しく評価されていない」 ジレンマに似たものかもしれない。



 体験レッスンの後、やはり入会を勧められなかったので、パンフレットをもらって、見慣れぬ渋谷から退散した。


 ターンの興奮が忘れられず、晩飯の前に踊ってみる。振りはなんとなく覚えていたが、どうも細部の処理がダサい。猿のように遊んでいる左手や、木のように根付いている右足はどうするんだっけ。動画があれば、確かめられたのに。ただ、つま先立ちになって両手を斜め上に挙げ、体全体でXを作る動きは、上手にできた。かっこいい。これだけでも、1時間のクラスを受講した価値はある。


 踊っていると、Amazonで注文した荷物が届いた。3000円もしない黒のダンスシューズである。その昔、消費者金融「武富士」のCMが流行った。お揃いの格好をした武富士ダンサーズが、 滑稽なほどかっこいいダンスを踊る。その時に履いていたものをイメージして、ネットで探した。


 「レッツゴー!」から始まり、キレキレのダンスからの「ダダダダッ」で片足を前に伸ばし、頭を反らせた、あの憧れのポーズ。せっかくなのでストッキングを穿いて、黒いショーツ に黒のブラトップ姿になって、新しいシューズで真似をしてみた。こういうときのために、姿見を買ったのである。ひとり暮らしの部屋には、ヨガマット1枚分しか足場がないが、YouTubeでCM動画を流し、適当に踊る。私は武富士ダンサーズのセンターだ。


 気分が乗ってきて、立ったまま後ろへ反り返り、ブリッジをしようと思ったらそのままゴンと頭を打ったので、痛さと可笑しさで床を転げ回った。なぜそんなことができると思ったのだろうか。できなくてびっくりしている自分にびっくりする。 


 私は昔から、こういう無茶なところがあった。頭の中で出血をしていたら明日死ぬかもしれないが、それはそれで傑作だと、深夜まで踊り狂い、もう一度頭を打ったところで、伸びるように寝た。



 踊り子としてデビューすることを決めてから数週間、ずっとこんな調子である。新しい興奮の連続だ。劇場の看板になる宣材写真を撮りに行ったり、家で舞台化粧の練習をして、最終的にはなぜかビジュアル系バンドマンになったりした。放置していた踵のひび割れを治すために、クリームを塗って靴下を履いて寝るようになった。本当は裸足が好きなのだが、踊り子の踵は、つるりと柔らかそうであるべきである。


 人生史上最高にきれいな体になって、お給料ももらえて、 照明を当ててもらえて、続いている連載エッセイには、お客さんだった頃のストリップと、踊り子になってからのストリップを、リアルタイムで綴ることができる。何かを失ったりするかもしれないが、それすら、書ければ、得たことになる。


 デビューは芦原温泉にある「あわらミュージック劇場」に決まった。いきなり先輩のお姐さんたちとの合宿生活である。このエッセイの締め切りから1週間後に、私は福井へと旅立つ。毎日本番があって、毎日温泉に入って、毎日みんなとご飯を食べる。早く起きれば、ヨガマットが30枚は敷けるステージで練習もできる。


 書店員はもちろん、文章を書く仕事だって続けられる。愛用のポメラをトランクに入れて行けば、どこでだって原稿は書ける。私はこれから何を得て、何を失い、誰に愛され、誰に憎まれて死にゆくのか。とにかく、脳内で出血していなくてよかった。もっと愉快なことは、これから始まるのだった。


 頭を打ったせいではないだろうが、エロく見せることを必死に考えていたら、そこそこあった性欲が、すっかり消え失せている。劇場でストリップを観ても「お勉強モード」で、性的な興奮をおぼえる暇がない。人は、料理が好きで料理人になったり、歌うことが好きで歌手になったりする。プロとして提供する側になると、好きだった「すること」が、変質していくのかもしれない。


 踊り子の師匠である相田樹音さんからは、ステージの上以外で、性を感じたことは一度もない。一緒に行くお風呂では、何かをつるりと劇場に落としてきたような顔で、子どもみたいに湯に浸かっている。私の隣で、大きく足を広げてストレッチだってする。広場を見つければ、くるんくるんと突然ターンをすることもある。


 旅先の駅でピアノを見つけたとき、私が適当に弾いていると、それに合わせて即興で踊ることもあった。ステージの上でも下でも、どっちの樹音さんも大好きだ。すっぴんの横顔は、性別を感じさせない、きれいな動物の男の子みたいだ。


 私の性は、それが仕事になることによってどう変化するのだろうか。何が書けるようになるだろうか。今は楽しみで仕方がない。

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