あの人気芸人が小説を執筆! 『 みててよマシーン』(上田航平)

文字数 10,748文字

お笑い芸人たちがエンタメの地図を大きく塗り変え、小説の世界にも進出しつつある昨今――気鋭の若手芸人・上田航平 さん(ゾフィー)が短編小説を執筆!

才能あふれるこの注目作の試し読みを大公開いたします!



初出:「小説現代」2022年12月号

『みててよマシーン』


観客型ロボットを開発した博士と助手が、

2050年代のエンターテインメント界で大活躍!?

「(Fetus)が世界初の観客ロボットを発表、ネットは怒りの声」

2052.02.01.22:00 配信 


(Fetus)が世界初の観客アンドロイド(Perfect Pumpkin)を発表した。

(Perfect Pumpkin)は理想的な観客を目的として作られた人間型ロボットである。開発者の相馬倫氏は「アーティストのパフォーマンスは、観客によって大きく左右されます。例えば、演劇の舞台でお客さんが全員目を閉じて眠っていたら、役者はやる気が起きませんよね? 反対に、もしもお客さんが全員目を輝かせて鑑賞していたらどうでしょう? 彼らは気持ちよく最高の演技を披露することができます。つまり、観る側の質によって観られる側の質が変化するということです。これからの時代は、観客の重要性を再認識して、作り手が観客を正しくコントロールする必要があるのです」と話した。これについてネットでは「まったく言っていることが理解できないのは俺だけ?」「ロボットに見せてどうするの? 誰得?」「観客が寝てるのはその演劇がつまらねえからだろ?(笑)」「観客のせいにした結果、観客をロボットにしてしまうという皮肉」「てか社名と製品名をカッコでくくる感じなんか腹立つ」などの批判的な声が散見された。




 深夜、相馬は倉庫にいた。

 天井からは、青白く光る、頼りない蛍光灯がひとつだけぶら下がっている。

 相馬は腕を組み、機械仕掛けの群衆を見つめた。

 彼らはマネキンよりも生々しく直立して、じっと、前だけを見つめている。

 相馬がひとつの男の前に立つ。男の顔に、自分の顔を、極端に近付ける。

 鼻の毛穴から睫毛の一本一本にいたるまで、それは限りなく、生物であり、人間であった。

 相馬は、まるでナルシストが鏡に見入るかのように、自分の科学技術に惚れ惚れしながら唸った。

 しかし突然、彼は歯を食いしばると、その男を蹴り倒した。

 それは飛ぶように倒れ、後方のそれらも次々に激しい音を立てて倒れていく。

 相馬は跳び上がり、拳を突き上げて雄叫びを上げた。

「見ろよ白岩! 今夜は全部倒れたぞ? ひゃははははは!」

 白岩怜は、興奮する相馬の声を背中で聞きながら、苦笑いで倉庫の清掃を続けた。

 白岩は先月相馬に雇われたアルバイトだった。「夜勤、事務作業、高収入、明るい職場」そう書かれた募集要項を見て応募したのだが。明るい、職場。

 薄暗い倉庫とは対照的に、狂気的に陽気な相馬が飛び跳ねる。

「ねえ白岩! 見なよ? 見てよ? 見たか、これぞ、大衆のストライク!」

(Perfect Pumpkin)と名付けられ、発表された理想の観客ロボットは、世間から拒絶され、いっさいの需要がないまま生産中止となった。

 ロボットは社会と会社のお払い箱となり、相馬は余すところなく絶望した。

 しかし翌年、千載一遇のチャンスが訪れる。

 テレビ局が番組観覧に(Perfect Pumpkin)の導入を決定したのだ。汚名返上とばかりに満を持して登場することになったのは、その年の年末の生放送、身長160センチ以下のお笑い芸人日本一を決める大会「トップ・オブ・ザ・スモールワールド」の決勝戦だった。

 視聴者たちは、観覧席に緊張した面持ちで座る、どう見ても人間にしか見えない精巧なロボットたちに興奮し、好奇と期待の眼差しでテレビを見つめた。しかし、ネタが披露されるや否や、人々は啞然とする。

 常軌を逸した大袈裟なリアクションと、まるで薬物を過剰摂取したような抱腹絶倒。ロボットたちが壊れたように笑い続ける異様な光景に、審査員も出演者も、すっかり興醒めしていた。そんな中、出オチで2分41秒にも及ぶ爆笑を巻き起こして見事優勝したお笑いコンビ、いっすん。そのツッコミ担当である小槌は、番組終了後、配信アプリで(Perfect Pumpkin)への不満を酒の力を借りてぶちまけた。

「俺はロボットを笑わせるために頑張ってきたわけじゃない」

 小槌が涙ながらに熱弁する切り抜き動画があらゆるメディアで拡散され、小槌は支持され、相馬は拒否され、結果的にそれがとどめとなって、(Perfect Pumpkin)は無用の長物、完全な粗悪品の烙印を押された。


「なぁ、白岩? 見てよ、ねえ、白岩? どうして見てくれないの? ね、ねぇ、て、ば」

 相馬から嗚咽の声が漏れた。白岩は目を閉じて、数秒間だけ現実逃避をする。

 それから雑巾を丁寧に畳んで床に置き、ボウリングのピンのように倒れたロボットたちに埋もれて震える相馬を見つけて声をかける。

「大丈夫ですか?」

「だめだよ、もう終わりだ、俺の人生終わりだ、捨てたい、この人生、今すぐ捨てたい」

「なんとかなりますよ。大丈夫ですよ、きっと」

 大丈夫じゃない、絶対。そう思いながら、白岩は泣きじゃくる相馬に励ましの言葉を羅列した。これが彼女の事務作業だった。アルバイト初日はこんな職場ではなかった。書類の整理や夜食の買い出しなど、それなりに仕事らしい仕事があった。相馬も自身の過去を振り返りながら「今にして思えば、あの辛い経験は、人生が美味しくなるための香辛料だったわけ」などと上機嫌に振る舞っていたのだが、4日目の深夜にぶっ壊れた。

 しかし、相馬は立ち直りも早い。次の日には完全回復して、鼻歌を歌っているような有様だ。

 慰める、元気になって、自己崩壊。この繰り返し。すぐに元気になるので、いかんせん見捨てることもできず、白岩は相馬のタチの悪い立ち直りにうんざりしていた。

「ありがとう白岩。俺、頑張るよ。もう、へこたれない。俺の人生は、俺が守る」

 毎度お馴染みの宣言をすると、相馬は立ち上がって、ロボットを抱き起こす。

 破壊衝動に駆られて、ロボットを蹴り倒してしまうのは恒例行事であった。

「ごめんな、ごめんよ、頑張ろう、みんなで頑張ろう」と一体ずつに声をかけている。

 無表情なロボットが、どことなく迷惑そうに見える。

 白岩は思った。いくら高額バイトでも、これ以上この男に関わるのは危険かもしれない。

 そもそもこんな仕事が高額バイトなのも理解できない。一体どこから給料が?

 社会に爪弾きにされた男に収入源などあるわけがない。絶対によからぬことをしている。

 いずれにせよもう懲り懲りだった。白岩が、来月での退職を願い出ようとしたその時、扉をノックする音がした。相馬が小動物のように振り向く。再びノックの音がした。

 相馬が満面の笑みを見せる。「お金だ!」




CHAPTER 1 ワタシもみててよ



【美咲のユーラシアとは?】

 美咲のユーラシア(みさきのユーラシア)は、日本の女性アイドルグループ。株式会社「ビコーズランプ」所属。通称「美ユー」。ファンのことを「大陸」と呼称する。旧グループ名は「KISS MAZIK」。2048年結成。メンバーは美咲、藤崎ピアイ、安田デジニの3人。元メンバーである野々村チェリ、寺井ロカはファンとの度重なる私的交流により2052年に脱退。2054年「赤くなったアルドラ」とのツーマンライブで、解散ライブの開催を発表した。




「この子たちの、解散ライブを埋めてほしい」

 テーブルの上には「ビコーズランプ社長 地弐与四郎」と書かれた名刺が置かれている。

「美咲のユーラシアは、私が手塩にかけて育ててきたアイドルだ。有終の美を飾らせてやりたい」地弐が紙巻きタバコにマッチで火をつける。

「おまかせください、最後に最高のライブを提供させていただきたく存じます。もちろん、それ相応の金額をいただくことになりますが、ご了承くださいませ」

 さっきまで号泣していたのが噓のように、相馬が地弐とビジネスの話をしている。

「あれが、その、ロボット?」地弐がタバコの煙を、ロボットたちの方へ吹きつける。

「はい、そのロボットに存じます」

「いい目してるな。飼い慣らされた人間と同じ目だ」

 相馬が、はっははと、ロバのような声で笑う。

「これなら、あいつらにもバレないか」

「ええ、美咲のユーラシアの皆さんも、まさか、客が全員ロボットだとは思いませんよ」

 地弐が吸ったタバコの灰を床に落とす。

 その掃除したばかりの床を、白岩が能面のような顔で見つめる。

「しかし、考えたな。サクラロボットの斡旋とは」

「ええ、そうなんです。世の中には、『お客を欲しがるお客様』が沢山いらっしゃいます。どうしても、埋まらないライブを埋めたい。でも、関係者だけで埋めると、盛り上がらない。そんなニーズにお応えするのが、この(Perfect Pumpkin)でございます。ロボットなので情報漏洩の心配もございませんし、確実に盛り上げることを保証存じます」

 相馬が、不器用な敬語で説明を続ける。

「実はですね、以前テレビ局でお仕事させていただいた関係で、業界にコネができまして、地弐様のような大物業界関係者の方に、こうやってこっそりと内緒の内緒で『理想の観客』をアテンドさせていただいているわけです。今後とも、ご贔屓に存じます」

「ちなみに、大丈夫なんだろうね? 例の番組では散々だったみたいだけど」

「地弐様、その点に関しては、ご安心ください。あれはお笑いの番組でしたから。日本のお笑いは小難しいので、客の笑い過ぎにも文句言う馬鹿がいるんですよ。その点、音楽のライブは盛り上がり過ぎなんてことないですから。間違いなく満足していただけると存じますよ」

 相馬が胡散臭く微笑む。

「そうか、じゃあ頼むよ。これでよろしく」

 地弐はセカンドバッグから取り出した現金の束をテーブルに放り投げると、颯爽と倉庫から去っていった。

「キャッシュ!」

 相馬が現金に飛びついて、枚数を数え始める。

「こういう商売だったんですね」

 白岩がタバコの吸い殻を拾いながら顔をしかめる。

「白岩にもたんまりお給料あげるから期待してて」

「なんか、悪いことしてる気がするんですが」

 白岩は濡れた雑巾でタバコの灰を拭き取る。

「それは偏見だよ。ガラの悪そうな人と札束ってだけで、悪事と決めつけちゃダメだよ。ライブが超満員の大盛り上がりだったら、彼女たちは、悔いなく解散できる。誰もが得をする、優しい世界だろ?」

「でもなんかおかしいですよ。あの社長は損してないですか? ライブ会場に、人間のお客さんはいっさい入れずにこんな大金まで払ったら、事務所としては大赤字じゃないですか? そんなことします?」

「話聞いてたろ? 手塩にかけたアイドルグループの解散。社長の気持ち、わかるだろ? お金じゃないんだよ。愛だよ、愛、ラブ」

「そんなタイプに見えませんでした」

「だったら調べてあげよう」

 相馬が、現金を膝に置いたまま、スマホで「美咲のユーラシア ゴシップ」で検索し始める。するとすぐに数枚の写真が出てきた。地弐が、地方の空港で、大きなサングラスをかけて、美咲のユーラシアのひとりと手をつないで歩いている。「ほれみろ愛じゃん」

 相馬が再び現金を数え始める。白岩の雑巾は真っ黒になっていた。


────さていよいよ来週、美咲のユーラシアとして最後のライブを控えているわけですが、率直な今の気持ちをお聞かせください。

美咲  ラストライブなので、自分たちのベストを尽くして、これまで応援してきてくださったファンの皆さんに少しでも恩返しできたらと思います。

ピアイ さすがリーダー。優等生。ただ、可愛いだけじゃない。

────ピアイさんは?

ピアイ 私も、ただのお色気担当じゃないってとこ見せたいっすね。

美咲  じゃあ、今回、お色気は封印?

ピアイ ビキニで出ちゃおうかな(笑)。ラストビキニ(笑)。

美咲  エロ全開じゃん(笑)。

ピアイ 噓噓(笑)。でもマジで超気合い入ってます。頑張ってます。

────デジニさんはいかがですか?

ピアイ デジは全体練習終わった後に、いつもカラオケで一人練してますから。

デジニ え? あ。(驚いた様子)

ピアイ デジは偉いんですよ、いっつも。チェリやロカと違って真面目で。

美咲  ね待って今日、その話しかしてないじゃん(笑)。暴露しかしてない(笑)。これ大丈夫なの?

ピアイ もういいじゃん、最後だし。正直あいつらは最低な女たちでしたね、ねえデジ?

デジニ (困った様子)

美咲  絶対カットしてくださいね(笑)。

ピアイ ついでに暴露すると、美咲はソロが決まってます。

美咲  ねえ、ちょっと、マジで喋り過ぎ!

ピアイ 今日はもう全部ぶっちゃけます(笑)。

美咲  じゃあ言いますけど、ピアイ、彼氏います!

ピアイ それはダメじゃない?

美咲  しかも、その彼氏は、

ピアイ (激しく遮って)ダメダメ、はいおしまい、ここは、ほんと絶対カットで(笑)。

────暴露合戦も終わったところで(笑)、最後にこの記事を読んでいる方々に、皆さんからメッセージをお願いします。

美咲  今まで応援してくださって、本当にありがとうございました。悔いが残らないように頑張ります。あ、配信もあるのでよかったら観てください。

ピアイ そりゃもう来てください。私たちの集大成なので。これが最後ですけど、新規も記念で見てくれたら(笑)。

デジニ みんなに見てほしいです。それだけです。

 この日のインタビューは終始和やかなムードだった。しかし私は彼女たちの言葉の端々から、今回のライブへの並々ならぬ思いを感じた。ラストライブはきっと地球を揺るがすような最高のユーラシアを見せてくれるに違いない。

~ウェブマガジン「IDOL BUBBLES」 則本明~



 真夜中に、軽トラックが小さなライブハウスの前に到着した。運転席と助手席から帽子を目深に被った男と女が降りる。トラックの荷台には、気泡緩衝材とガムテープにくるまれたロボットたちが粗雑に詰め込まれていた。

 相馬と白岩は寝かせた彼ら、観客を持ち上げて次々と搬入していく。

「こういうの引っ越し業者とかに頼まないんですか?」

「だってバレたらマズいじゃん?」

「重いんですけど?」

「人間よりは軽いよ。その技術を褒めてほしい」

「絶対2人でやる仕事じゃないです」

「バイト増やしたら給料減るよ」

 ぶつくさ文句を言いながら、およそ3時間半かけて全ての観客を運び入れた。

 事務作業の範疇を超えている。白岩は、ステージの上で、汗だくになってうなだれる。

 一方、相馬は重労働を物ともせず、客席にぎっしり敷き詰められたロボットと、ボタンだらけの装置とのワイヤレス接続をひとつずつ確認していく。相馬がボタンを押すたびに、ロボットたちが笑って叫んで体を揺らし、誰もいないライブを盛り上げる。手際よく観客が操作されていく様子に、白岩はいつしか見惚れていた。まるでライブのピースがひとつずつ埋まっていくようだった。しかしその中に、一体だけ、まったく動かないロボットがいた。接続不良のためか、ただ、まっすぐにステージを見つめる女の子がいた。白岩は彼女を見つめながら、幼い頃の自分を思い出していた。


 近所のデパートの屋上でヒーローショーを見た。

 それは戦隊モノで、色分けされた戦士たちが、悪の組織と戦う。男の子たちの歓声に囲まれながら、私はステージに熱い視線を送っていた。

 私が見ていたのは、赤色の戦士。マスクで顔は見えないが、いつもテレビで観ているその戦士が今自分の街で悪と戦っている。胸が高鳴った。そのショーの中盤、怪人に戦士たちがやられてしまい、客席の子供たちに助けを求める場面で、その時ほんの一瞬、その赤い戦士と目が合った。

 目が合った、気がした。

 1秒にも満たないその一瞬で、私の頭は真っ白になった。

 一方的だったはずの想いが、目と目が合っただけで。人生で初めて宙に浮く気分を味わった。

 そしてまた私は、赤を目で追い続けた。ずっと、赤だけを。


「やっぱりやめませんか?」

 気が付くと、白岩は相馬に叫んでいた。

「相馬さん、やっぱり、ロボットだけにするの、やめにしませんか?」

「なんで?」

「大事なことを忘れてました」

「なによ?」

「お客さんです。人間のお客さんのこと忘れていませんか?」

「忘れてないよ。むしろ、地弐様のことしか考えてないよ?」

「そっちじゃなくて、ファンの人たちのことです。ずっとこのグループを応援してきたファンの人たちが、最後の解散ライブを観れないなんて、ダメなことだと思います」

 白岩は諭すように、相馬に語りかけた。相馬も諭し返すように、白岩に語りかけた。

「いやでも大丈夫だよ。これは配信もあるんだよ。ファンの人も観れるから大丈夫だよ?」

「それもおかしいですよ? どうして、ロボットが生でライブを観て、人間が配信でライブを観なくちゃいけないんですか?」

「え? じゃあ逆ってこと? 人間が生で、ロボットが配信ってこと? どういうこと?」

 相馬がボタンを押す。接続不良だった少女が笑った。

「ライブは、その会場でしか味わえない感動があるんです。相馬さん、彼女たちをずっと見てきたファンがいるんです。その人たちの気持ちを考えてみてください」

 相馬がためいきをついた。

 そしてロボットたちの間をすり抜けて、白岩のいるステージによじ登った。

 振り返り、口をとがらせて、しばらく客席を見下ろす。またひとつためいきをつくと、相馬が、両方の眉毛を下げながら、言った。

「俺、ファンとか、よくわかんないんだよね」

「はい?」

「いや、ファンの気持ちとか、全然わかんないのよ。ファンってなんなのか、わかんない。好きなバンドとかいるけどさ、解散するから絶対生で見たい、とかは別にないんだよね。だから俺はそういうの、よくわかんない」

 白岩はその時はじめて理解した。だからこんなロボットが作れるんだ。

 観客ロボットが、いかに観客を馬鹿にしているかわかっていないんだ。白岩は腑に落ちた。

 そして、リュックサックの中から、自分のタブレットを取り出すと、とある記事を見せた。

「これ、美咲のユーラシアのインタビュー記事です。これ、読んでみてください」

「いや、そんなの読んだって、ライブ明日だし、」

「いいから読んでください。ファンの気持ち、いや、人間の気持ちを想像してください」

 相馬が渋々、タブレットを手に取って腰を落とす。タブレットの画面をサクッとスクロールする。

「ロングインタビューじゃん、うげぇ」

 そう言いながら、相馬はひたすら文字を目で追った。

 そして相馬が記事を読み終わる頃には、白岩はすやすやと眠りについていた。


「おはよう」

 野太い声に、白岩がライブハウスのロビーのベンチで目を覚ますと、地弐がいた。

「差し入れ」

 コンビニ袋には、ペットボトルの水と、大量の生ハムメロンパンが入っていた。

「本番よろしく」

 地弐が立ち去ると、白岩は水と生ハムメロンパンをひとつずつ手に取って、眠い目をこすりながら、裏口から外に出る。その扉のすぐそばに、しゃがんで電子タバコを吸う相馬がいた。

「タバコ、吸うんですね」

 白岩が水をひと口飲んで、生ハムメロンパンの袋を開ける。

「こんなのタバコじゃないよ」

 相馬が、もくもくと口から甘い匂いのする煙を大量に吐く。

 白岩は徐々に頭が冴えてきて「人間の気持ちを想像してください」なんて嫌味な言い方をしてしまったこと、記事を読ませておいてうっかり寝てしまったこと、これらを反芻しながら反省していた。

 生ハムメロンパンを頰張る。気まずい沈黙。気まずいと思っているのは私だけか。ただ会話がないだけか。相馬さんは怒ってるようにも見える。にしても、このパンは不味い。メロンと生ハムがそもそも好きじゃないのに。

 とりあえず謝るべきか。なにこの差し入れのセンス。ライブ前日にどうこう言ったところで別に何も変わらないのに、余計なこと言わなきゃよかった。どうせ辞めるからいいか。

 にしてもこれ不味い。気まずい。

 それらが頭の中でごった返していると、相馬が口を開いた。

「ねえ?」

「はい?」

「ずっと見てたんだけどさ、あの子、ずっとやってるね」

「え?」

 白岩が相馬の視線の先に目をやると、駐車場の片隅で、ジャージ姿の少女が、有線のイヤホンを揺らして、壁に向かって踊り続けていた。安田デジニだった。

「噂通りの真面目な子ですね」

 どうやら相馬は昨晩のことは気にしていないようだ。白岩はホッとして、自分も気にしていないような素振りで安田デジニを見つめる。

「なんせ会場でリハやってないからね。客が先に小屋入りしちゃってるからね。社長は一体どうやってごまかしたんだろうかね、ははははは」

 徹夜で作業をしていたのか、相馬がロボットよりもロボットのように笑う。

「記事読んだよ。あの子が一番練習してんだろ? ブスなのに」

 白岩がペットボトルのキャップに手をかけたまま、眉間に皺を寄せる。

「はい?」

「いや記事読んだけど、あいつすげえよな? ブスで絶対に人気ねえはずなのに、真面目に練習するなんて、マジで」

 白岩が相馬にペットボトルの水を浴びせかける。

「おい、な、え、なにすんだよ?」

「相馬さん、人間じゃないです」

 白岩はその場から走り去り、そのままの勢いでライブ会場に入った。客席では、プログラムされたロボットたちが、今か今かと、ザワザワを演出している。どいつもこいつもロボットばっかりだ。

 これが終わったら辞める、造られた喧騒の中で、白岩は決意した。


 これが終わったら辞める、安田デジニはすでに決意していた。

 汗をタオルでぬぐう。大好きな歌も踊りも、今日でお別れだ。

 私にはなかった。この世界で輝くための、努力ではどうすることもできないもの。

 楽屋でひとり、鏡の自分を見つめる。目、鼻、口、ほくろ、顎、ニキビ、全部嫌いだ。

 たくさん泣いてきたけど、もう泣くのも飽きた。精いっぱい、毎日夢中でやれたこと。

 それだけでもう私には充分だ。今日、夢が夢で終わる。あとは後悔のないようにやるだけ。

「そろそろ舞台袖にお願いします」

 スタッフの声に、安田デジニは、両手で顔を強く叩いて、楽屋を出る。そして、ライブは始まった。

 暗転からステージが派手に照らされたその瞬間から、会場のボルテージは最高潮だった。

 1曲目『君のハートランド』を歌い終えると、歓声の中で、美咲が嬉しそうに挨拶をした。

「わぁ、すごいすごい。こんなにたくさんありがとうございます。普段ライブでお見かけしない方がたくさんいらっしゃいますね?」

 藤崎ピアイも客席に手を振ると、興奮した様子で喋り出す。

「今日のウチらのライブ、プレミアチケットになってたみたいよ? 昔からのファンが全然チケット取れなかったって文句書いてた。やっぱあの記事がバズったからかな? みんなきっと、あれがきっかけだよね? てか、あの暴露、ほぼ無修正で載せるウチらの事務所、まじでイカれてない?」

 相馬がボタンを押す。ロボットたちがどかっと笑う。

 デジニも、今までにないお客さんの数と温度に、ドキドキしていた。

 これが最後でよかった。いい思い出になりそうな予感がする。でも。あれ。なんだろう。

 そこには言葉にできない違和感があった。何かがおかしい。何かがいつもと違う。

「私たちは今日で解散ですけど、最後まで楽しんでくださいね。それでは次の曲、聴いてください。『恋するキプチャク』」

 ハイテンポでエネルギッシュな曲だ。激しいダンスとともに、観客から激しい声援とコールが飛んでくる。美咲とピアイが満面の笑みを見せる。

 デジニの中で、さらに違和感が増してくる。あれ、なんだか、今日は。今日は、とっても。

 そして3曲目の切ないイントロから始まるラブソング『さよならパンゲア』を歌い終えて、美咲が再び喋り出したその瞬間、デジニが突然、崩れ落ちて泣いた。

「え、デジ、どうしたの?」

「デジ、え、大丈夫?」

 美咲とピアイが心配そうに見つめる。

 いつも思ってた。私が踊る時、私が歌う時、そして私が喋る時、みんなが私を見ないこと。

 美咲の可愛い顔、ピアイのセクシーな体、2人が持っている、見た目としての魅力。

 それは決して、努力じゃどうにもならないこと。でも今日は、みんなが私「も」見てる。


「均等?」

 白岩が、すぐそばで生あくびをしている相馬に尋ねる。

「曲によって、メンバーの立ち位置が変わるだろ? それに合わせて客席からの視線と声量を調整して、どこにいても均等になるようにした。常に3人が、同じ視線と同じ声量を感じるように、プログラムを変更した」

「どうしてそんなことを?」

「お前が言ったんだろ? 人間の気持ちを想像してください、って。だから俺は学んだ。誰かを見つめることは、誰かに見ていないことを伝えることだ! これだろ? これが正解?」

 相馬は、なぞなぞの答えがわかった小学生のように、はしゃぎながら白岩に話した。

「見られる場所で、まったく見られていないのって、絶対つらいもんな、わかるわかるよ」

 白岩は、デパートの屋上で、赤だけ見ていた自分を思い出していた。

 赤だけ。他の色が、いくつの色で何色だったか、まったく思い出せない。

 舞台上で涙を見せるデジニに、相馬が小さく声をかける。

「おいブス、俺は見てるぞ」


 彼女たちは、最後のライブを怒濤の勢いで駆け抜けた。

 デジニは、殻を破ったように、歌い、踊り、弾けて、笑った。

 美咲とピアイも触発されて、気が付けば、必死で彼女を追いかけていた。

 最後は、3人が横一列になって手をつないで、深々と客席に頭を下げた。

 デジニが美咲の手を強く握りしめる。その強さを、美咲はピアイの手に伝えた。

 顔を上げた途端、初めてそこで解散を知ったかのように、美咲とピアイが泣いた。

 3人は互いに抱き合ったまま、舞台の上で動けなくなっていた。

 後日、このライブの配信チケットが飛ぶように売れた。

 グループの解散は、いったん保留になった。

 この先どうなろうとも。もう少しだけ。

 デジニは、鏡の自分を見て笑った。




相馬と白岩のドタバタ劇はまだまだ続く!?

続きのエピソードは、「小説現代2022年12月号」でお楽しみください!

上田航平(うえだこうへい)

1984年12月17日生まれ。神奈川県出身。コントコンビ「ゾフィー」のボケおよびネタ作りを担当。2017年、2019年「キングオブコント」ファイナリスト。

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