九月/日

文字数 6,756文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

前回の日記はこちら

九月/日

 大森望編『ベストSF2022』を読む。


 実は2021年度短編SF推薦作リストの中に、私の書いた「回樹」も掲載されていた。伴名連先生の編纂された『新しい世界を生きるための14のSF』に「回樹」が収録された兼ね合いでこちらには収録されなかったのだけれど、大森先生から「年間ベストに入ってしかるべき」とお言葉を貰っただけでありがたい。褒められると素直に嬉しく、反芻しては励みにする燃費の良い人間なので、よすがになる。(ちなみに『ベストSF2021』には「本の背骨が最後に残る」が収録されている)


 さておき、今回のアンソロジーで初めて読んで好きだったものは十三不塔「絶笑世界」だ。世界を笑い病が包みこみ、人々は笑い死にによって滅亡しようとしていた。そこに立ち上がったのが、どれだけ頑張ってもスベりまくる三流お笑いコンビ「全損バルヴ」だった。彼らの異常につまらない漫才だけが、笑い病を相殺することが出来るのである……という物語。


 一見馬鹿馬鹿しいストーリーをがっちりとSFに仕立て上げている、とても贅沢な一作だ。彼らの漫才がどうしてこうもつまらないのか、場を白けさせるのか、ということが大真面目に理屈立てて説明されるのも面白い。ああ、そういうメカニズムでつまらないのなら仕方ない……と思わせてくれる。


 一方で芸人小説としても素晴らしく、売れないながらも芸の道を諦めない全損バルヴのラストシーンがとても爽やかだった。解説曰く、この小説は某商業誌に載せる為に何ヶ月も掛けて書いたものの掲載に至らなかった作品ということで……この傑作が埋もれていたかもしれないかと思うと恐ろしい



九月◎日

 日常パートを書き入れようと思ったのだが、びっくりするほど特筆することが無くてちょっと焦る。最近陽が昇るのが遅いお陰で朝方まで仕事をしやすくて助かる。


 それはそれとして、阿津川辰海「盗聴された殺人」を読む


 コンセプトは令和の誘拐ミステリということで、確かに近頃はとんと誘拐ミステリを見ない気がする。監視カメラもあるし、逆探知も容易だし。そもそも、誘拐と銀行強盗は割に合わない犯罪だと現実でもフィクション上でも言われ尽くしている。その中で『録音された誘拐』は、見事に令和の誘拐ミステリを成り立たさせている。何故リスクの高い誘拐事件でなければないのか、というところにまで考えの及んだ極上の一作だ。


 阿津川辰海といえば二転三転する展開だが……今回も本当にそこまでしていいのか? と思ってしまうような詰め込み方だった


 “耳のいい探偵”というものを使って、ここまで仕込めるとは……。ある意味でこれは「音ミステリ」でもあるのだ。というわけで、私が最も好きなのは美々香と父親の間の謎を解明するパートだったりする。あのパートにはどことなくノンフィクションを読んだ時のセンス・オブ・ワンダーを感じたり。

『阿津川辰海読書日記』の圧に戦いていたというのに『録音された誘拐』でも打ちのめされることになるとは……


 あとはジョイス・キャロル・オーツ『ジャック・オブ・スペード』を読む。主人公のアンドリュー・J・ラッシュは正統派ミステリを書いている人気作家。一方で彼はジャック・オブ・スペードという秘密の別名義でブラックでアングラなノワールを書いている。


 アンドリューにとってジャック・オブ・スペードは自由に書ける息抜きの場であり、内なる自分の本音を代弁してくれるブラックでタフな別人格でもある。そのお陰でアンドリューは精神のバランスを保って日々を送っている。


 だがある日、ヘイダーという名の老女に盗作疑惑を掛けられたことでアンドリューの日々は一変する。当然ながら、アンドリューは盗作などしていない。していないのだが……


 ある種のサスペンスのジャンルとして「盗作サスペンス」というものがあると思うのだが……。今作はそれをかなり捻った驚きがある。中盤からの展開からは、次の日の予定を押して一気読みしてしまった。(こんな小説書いていいの? と思ってしまったのだが、訳者あとがきを読んで納得した)


 最近、ジョイス・キャロル・オーツ作品を作家読みしている。ジョイス・キャロル・オーツは多作で作風が広く速筆ということで、一小説家として尊敬している相手である。何より、読む作品読む作品全て面白い! 私もかくありたい。皆さんも面白い作品が読みたい気分の時は、ジョイス・キャロル・オーツを読むといいんじゃないだろうか。とはいえ、私も全てを読めているわけじゃないのだが……。



九月Δ日

 熱を出した。なんと、三十九度超えの熱が四日も続くという異常事態だ。


 とにかく寒くてじっとしていられない。冬用毛布に包まっていても震えるので、無理矢理お風呂にはいったのだが、四十二度のお湯ですら身体が温まらない始末。流石にこれはまずいかと思い、とても弱気になった。この時期に熱を出すということは絶対に新型コロナことCOVID-19だろうと思ったのだ。


 だが、噂のPCR検査を二回しても陰性の結果を出た。つまり、この異常な高熱はコロナとは何の関係も無いわけで、逆に恐ろしくなった。ようやく看てもらえたお医者さん曰く「夏風邪だろうね」とのことだったが、こんなに酷いのに夏風邪なはずがないだろ! ……じゃあ、コロナだったらもっと大変なことになっていたのか? と背筋が寒くなった。


 熱が出ている時はあまり複雑なものが読めないので、エドワード・ブルック=ヒッチング「キツネ潰し 誰も覚えていない、奇妙で残酷で間抜けなスポーツ」を読んだ。これはタイトルの通り既に廃れてしまった謎の遊びを集めた本だ。タイトルにある「キツネ潰し」とは、キツネを空高く放り投げて高さを競う競技である。一体誰がそんなことを考え出したのか……。


 紹介されている競技は全部で九十八種。廃れたり禁止されたりした理由は色々あるが、大半は暴力的だからだ。というか、人間は暴力で遊びすぎである。この本の中では、ありとあらゆる動物がイマジネーションのままに大変な目に遭わされているので、現代の動物も胸をなでおろすという帯のキャッチは間違っていない。「○○潰し」「○○いじめ」という名前の競技の多さよ! ありとあらゆる動物がこの○○の中に入れられたのだ。とはいえ、選択肢が限られている中で娯楽を生み出そうと思ったら暴力のオンパレードになるというのは、さもありなんという感じもする。


 一方で、今でも残っていてほしかったなと思うようなユニークな競技もいくつかあり、「ポールシッティング」なんかはその筆頭だ。これはビルの上に棒を立てて、その上に座り続けるというシンプルな競技である。この競技に挑み続け、「ポールの王」の異名を持つまでに至ったアルビン・ケリーは、なんと四十九日余りも狭い場所にただ座り続けた。眠りそうになったら指を痛めつけて覚醒する仕組みを作っていたというから、その覚悟が窺い知れる。とはいえ、ケリーが大記録を打ち立てたこの競技に挑む人は他におらず、ポールシッティングは当たり前のように廃れた。


 結果、晩年のケリーは人々から忘れ去られ、生活保護を受けながら孤独死してしまった。発見時、彼は自分のポールシッティングについて報じられた新聞記事を抱きかかえていたという。これを読むと、どうにかケリーの愛したポールシッティングが復活してほしい……と思わなくもないのだが、自分では絶対にやりたくない競技である。


 どんなにくだらなく残酷な競技でも、生まれて廃れていくまでにはドラマがある。人間と動物の悲喜こもごもを横目に、退屈は毒だなあと思うのにぴったりのユニークな本だった


 あとは、動けないのでAudibleで宝樹『三体X 観想之宙』を聴いた。これはネットで話題になっていた二次創作が作者公認で出版されたものである。本篇で明かされなかった雲天明の階梯計画の物語が補完されていて、ああ~! ファンとして一番気になるところはやっぱりそこだよなあ~! と膝を打ってしまった。内容も『三体』シリーズ特有の壮大さがあって、流石は公式が認めた……と感動した。一方で、雲天明と艾AAの関係がまさかそういう形で描かれるとは……と驚いてしまった。誰も想像していない間隙を縫って、全く矛盾していない設定を創り上げていく手腕、二次創作の鑑だ……。これを聴き終えた後、もっと『三体』シリーズのスピンオフが……むしろ劉慈欣が書いた階梯計画の全容が読みたい……と贅沢なことを思ってしまった


 劉慈欣といえば、この日記を書いている頃に『老神介護』『流浪地球』という二冊の短篇集が発売された。私はこれがあまりに楽しみで、発売されるなり全てを放り出して読んだ。二冊もあるのに一気に読む、この恍惚……!


 『老神介護』の表題作は、現生人類を生み出した〝神〟達を扶養することになった人々を描いた物語である。劉慈欣は様々な形で人類の愚かさと業を描いていくのが上手いのだけれど、この延々と続く構造を見ると恐ろしくなる。この短篇集で一番好きなのは「老神介護」から話の続く「扶養人類」だ。これは「貧乏人を殺せ」という謎の依頼を受けた殺し屋の物語だ。この不可解な理由が明かされた時の驚きと恐ろしさがピカイチである。これはある種のワイダニットものであるとも思っているのだが、読者と主人公の「どうして?」がSF的スケールで解決されるのは、この作品特有のものだと思う。


 そして何より、本筋ではないのだが殺し屋組織のディティールの詰め方と設定に感動した。この短篇で使い捨てるには惜しすぎるくらい詩的で格好良い殺し屋なのだ。最初はこの殺し屋でどんな物語を? と思ってしまい、タイトルを忘れてしまったくらいだ。アイデアを惜しみなく使う姿勢が劉慈欣らしさだと思う。


 もう一冊の『流浪地球』の表題作は、太陽の死を前にした人類が地球ごと他の星系に移住するまでを描いている。太陽の死に巻き込まれないよう、地球ごと移動するというスケールの大きさが凄い。こちらはNetflixで映画化もされているのだが、映画の迫力も凄かった。映像で破滅が描かれるのはカタルシスが強い。


 だが、この短篇集で一番面白いのは「呪い5・0」である。これは喧嘩別れした男──チャビの個人情報をばら撒きまくる迷惑すぎるウイルスを生み出した結果、大変なことになってしまう物語。一人の人間のちょっとした悪意がインターネットを巡り巡って最悪の事態を引き起こしてしまうのも面白いし、作中にSF作家の劉慈欣が出てきて自費で渾身の傑作「三千体」を出版したものの十五冊しか売れずにホームレスになる展開が描かれた時はずるい!! と声が出てしまった。これ『三体』が売れに売れていないと出来ないネタだろ! 


 ところで、四日続いた高熱は五日目にあっさり治った。それこそ、キツネにでも取り憑かれていたんじゃないかと思うような、急な治り方だった。これ以来、体調を崩すことが怖い。これの所為で何個かの〆切を後ろ倒しにしてもらうことになり、日記を書いている現在大変なことになっている。ちなみに「〆切を延ばしてもらいたいが為に嘘を吐いていると思われたらどうしよう……」と思い、連絡をする際に体温計の写真を添付して送ったのだが、熱が下がって改めて見たら、手の震えで最早数字が見えないものが混じっていた。どうりで担当さん達が引いていたわけだ。これを送られていたら私でも引く……!


 もう二度と熱を出したくない。そうしみじみ思った次第である。



九月◇日

 体調を悪くしてから、ベッドでパソコンを使えるように機械音痴ながらBluetoothの設定などをした。これで本当に大変な時は、ベッドに横たわりながら打ち合わせも出来てしまう。


 真似をする人がいたら困るのであんまり大声で言えないのだが、三十九度超えの熱を出している中でも打ち合わせだけは行っていた。喉の痛みが無かったのと、リモートでウイルスは運ばれないからだ。熱があると言ったら絶対に中止になってしまうので何も言わずに参加した。本当に真似をしないでほしい。


 そこまでいったら隠し通せばいいのに「なんだか叙述トリックめいていて面白いかな」と思い、打ち合わせが終わる十秒前くらいに「実は三十九度の熱があるんですよね。意外とわからないものですね」と言ったら、無用な心配を掛けてしまった。本当に言わなきゃよかった。


 とはいえ、健康で本が読めることほど嬉しいこともない。わくわくしながら待っていたアンソニー・ホロヴィッツ『殺しへのライン』を読む性格が悪すぎる元刑事・ホーソーンと著者本人がモデルとなった作家のアンソニー・ホロヴィッツがタッグを組んだ、すっかりお馴染みの大人気シリーズの第三弾だ


 作中でいよいよ『メインテーマが殺人』が発売間近となり、二人は島で行われる文芸フェスに参加することになる。モキュメンタリー小説の現実とのリンクはそれだけでワクワクするものだ。フェスの参加者は誰も彼も一癖二癖ありそうな人物ばかりで、島は開発計画で不穏な空気。その中で殺人が起きる。


 事件もさることながら、今回はホーソーンの過去に焦点が当てられているところに興味がそそられる。第一弾を読んでホーソーン本人が気になったのなら、この「殺しへのライン」までを一気に読んだ方が楽しめるのではないだろうか。今までのらりくらりと躱されていたはずの彼の過去が、この島で唐突に明かされていく。だが、情報量は過去作一なのに、より一層読者はホーソーンという人物の底知れ無さを味わわされることになるのだ


 このシリーズといえばフェアネスを担保するさりげない伏線と華麗な回収が持ち味だが、今回出てきた意味ありげな全ても、先に続く大いなる解明に繋がっているのかもしれない。事件に関していえば、『死体の状況』というシンプルな謎に事件の全容が表れていることや、犯人の思惑がとても面白かった。じゃあ、こうなっていたら……と想像させてくる


 ところで、今回のホーソーンはアンソニーと会話をすることが少ないが故に、いつもよりややマシな人間に見えているところが面白い気がしませんか? それによって、改めてアンソニーが「こいつは何なのだろうか……」とあれこれ考えるようになるという構造よ。


 それと一緒に、綿矢りさ『嫌いなら呼ぶなよ』を読む。表題作の「嫌いなら呼ぶなよ」は不倫男が妻の友達にホームパーティーでボコボコに追い詰められるという短篇なのだが、とにかく性質として不倫をしてしまう男の異形の精神性がユーモアを絡めて語られていて、本当に面白い読書は自分とは違う人間の人生を追体験出来る娯楽なのだが、それを通して自分の感性を揺らがせてくる物語は名作である。ホームパーティーで取り囲んでくる友人軍団だって怖いは怖いのだが、不倫男がそれを上回る発言をしていくので、地獄の決勝戦のようだ。


 書き下ろしの「老は害で若も輩」は、最年少芥川賞受賞者の『綿矢』という作家と、彼女のインタビューを担当したライターの争いに巻き込まれる若手編集者が描かれている。こちらもユーモアがあって面白かったのだが、読み終えたら恐ろしい。「いつか自分が化物になったら殺してくれ……」という気分にさせられてしまう、身を切られるような一篇だった。


 体調を崩した後はやけに殊勝な気持ちになり、一日のノルマを切り直してテキパキと仕事をしている。珍しく〆切の二日前くらいに原稿を出したりするようになった辺り、いつ自分が書けなくなるかを心配するようになったのだということが窺える。


あなたへの挑戦状』(阿津川辰海・斜線堂有紀)の発売まであと10日!


次回の更新は、10月3日(月)17時を予定しています。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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