「群像」2020年9月号

文字数 1,348文字

編集後記は、文芸誌の裏方である編集者の顔が見えるページ。

このコーナーでは、そんな編集後記を選り抜きでお届けします。

三軒茶屋で『殺意 ストリップショウ』(三好十郎作・栗山民也演出)を観た。入り口、座席、さまざまな感染防止対策は、上演にいたるまでの苦労と「ようやく」というスタッフのみなさんの期待と高揚の顕れに思えて、しぜんと背筋が伸びた。戦後すぐの高級ナイトクラブを模したセット。鮮やかな照明効果とともに鈴木杏さん扮するダンサアが現れ、身の上話を始める。二時間にわたる一人舞台は圧巻だった。クライマックスで、戦争を挟み転向、転々向を繰り返す男をダンサアが糾弾する――。


〈似たような人間は、いくらでも居る あちらにも、こちらにも、(こちらを指す)そこに! そこにも! そらそこにも居る! あなたがたの中に坐っている!(略)あなたがたは、みんな、みんな、そうかもしれない。〉(「群像」1950年7月号より。「殺意」はこの号の巻頭創作だった)


鈴木さんの鬼気迫る熱演に、はじめは「昔の他人事」だったのに、いつしか「いまの自分事」となっている。


巻頭特集は「戦争への想像力」。松浦寿輝さん、高橋源一郎さんに創作を、朝吹真理子さんにエッセイを、小田原のどか、金子遊、酒寄進一、高原到、各氏には批評をお願いした。いとうせいこうさんの短期集中ルポも最終回となる。特集ではないが、藤原辰史さんの連載「歴史の屑拾い」から、戦争体験者の医王さんの言葉を孫引く。〈自分自身の全く個人の経験ですが、これは国家の経験でもあるので、それをできるだけ思い出して、あとに残したいと思います〉。本特集の原稿も書き手個人の想像力ではあるが、国家の想像力でもあるのではないだろうか。戦争を知らない私たちにとって、この国の夏は「戦争を想う」ことで、香港をあるいはガザやアンマンのことを想い、そして「いまと私」を見つめ直す季節なのだ。


松田青子さんの新連載エッセイ「日常の横顔」がスタート。日常の断面から松田さんの想像力が拡がります。創作は本誌初登場、米澤穂信さんのアクチュアルな掌篇と、石倉真帆さんの群像新人文学賞受賞後第一作。工藤庸子さん「大江健三郎と「晩年の仕事」」は、『さようなら、私の本よ!』を扱う第三回。富岡幸一郎さんと佐藤優さんの連続対談は戦後篇、敗戦から始まります。三浦哲哉さん、ブレイディみかこさんの連載が今号完結、単行本もどうぞお楽しみに。論点は豪華4本立て。人文知の最前線を論じていただいています。


理解の混雑、生温い受動性と身勝手な能動性……武田砂鉄さんの『わかりやすさの罪』を付箋だらけにして脳に揉み込むように読んでいる。本誌連載の「「近過去」としての平成」同様、「見切り発車」で開始したということで、武田さんの思考の過程が見られて雑誌連載の良さを感じる本だ。16年前、同じ雑誌に配属された同期入社のIが7月から週刊誌の編集人になった。メディアを取り巻く環境はあの頃とは大きく変わったけれど、まだ、残っている。それぞれのやり方で「わかりやすさ」と格闘する紙の雑誌を編む者として、ささやかなエールを贈る。


(「群像」編集長・戸井武史)

8月7日(金)発売の「群像」2020年9月号編集後記より抜粋。

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