わたしの声を言葉にする/橋本倫史

文字数 2,382文字

文芸誌「群像」では、毎月数名の方にエッセイをご寄稿いただいています。

そのなかから今回は、2019年5月号に掲載された橋本倫史さんのエッセイをお届けします!

わたしの声を言葉にする


 始まりは二〇〇九年の春だった。錦江湾と桜島を眺めながら国道一〇号線を走っていると、ふいに奇抜な建物があらわれた。原付を停めて近づいてみると、そこには「ドライブイン」と書かれていた。一九八二年生まれの僕は、家族でドライブインに出かけた記憶もなく、一度もその存在を意識したことがなかった。鹿児島から東京まで二〇〇〇キロの道のりを走っていると、廃墟のようになってしまった店を含めて、膨大な数のドライブインが存在していた。自分が気に留めてこなかったものが、全国にこんなに点在している。ドライブインとは一体何なのだろう?│この一〇年間、日本各地のドライブインを訪ね歩いてきた。


 最初にドライブイン巡りを始めた頃は、すでに廃墟となってしまった店も「記録に」と写真に収めていた。それを繰り返しているうちに、違和感が大きくなってきた。すでに営業を終えてしまったドライブインは、朽ちかけている店も多く、その佇まいを眺めているだけでも想像力を刺激される。古びた建物は郷愁を誘う。レトロな風景を前にすると、そこに流れてきた時間を想像する。ただ、そこで想像して終えるのは嫌だと思った。想像力を働かせるというのは、あまりにも便利過ぎることだと思った。今も営業を続けているドライブインであれば、まだ話を聞くことができる。自分がやるべきことは、郷愁を誘うイメージを記録して歩くことではなく、これまで記録されてこなかった「わたし」の声を言葉にすることだと思った。どうしてドライブインを始めたのか。創業してからの数十年にどんな時間が流れてきたのか。初めて訪れた店で「話を聞かせてもらえませんか」と切り出すわけにもいかず、二度、三度と再訪を重ねて、ようやく取材することができた。


 ただ、すべてのドライブインで話を聞かせてもらえたわけではなかった。


 ある場所に、お昼に二時間だけ営業しているドライブインがあった。なぜ二時間だけなのかはすぐに察しがついた。お店を切り盛りしているのは、ご高齢の夫婦だ。大通り沿いにあるわけでもなく、ふらりと立ち寄るお客さんはいそうになかったけれど、開店するとすぐに満席となった。お客さんは皆、同じ作業服姿だ。すぐ近くに工場があり、そこで働く人たちが利用しているらしかった。代わる代わるお客さんが出入りする様子を眺めながら、僕はビールを飲んでいた。お代わりするたび、いいねえお兄さん、と店主は笑ってくれた。閉店時間を迎える頃に、話を聞かせてもらいたい旨を切り出すと、店主は急に厳しい顔つきに変わり、「そういうのは断ってる」とだけ言い、店の奥に引っ込んでしまった。後日、改めて手紙を書き、どうして話を聞かせて欲しいと思ったかを伝えてみたけれど、答えは変わらなかった。


 ある場所に、「喫茶・軽食」と看板を出しているドライブインがあった。店内には常連のお客さんが多いようで、店員と和やかに会話を交わしている。レジの脇にはコーヒーの回数券が貼られていた。お客さんは回数券を買っておいて、一番上のところに名前を書いてキープしておく。手ぶらで来店して、回数券を一枚ちぎり、コーヒーを飲んで去ってゆく。この店にも話を聞きたいと思って、手紙を書いた。後日、電話をかけると、店主は「わざわざご丁寧にお手紙まで送ってくださって、ありがとうございます」と言ってくれた。「ただ、来ていただいてご覧になったと思いますけど、うちはドライブインといっても、大きな看板も掲げてないし、地元の常連客だけを相手にしてやってるんです。跡を継ぐ人もおりませんので、このままひっそり消えて行けたらと思ってます。私たちが何十年と店を続けてきたことを、そうやって気にかけてくださったというだけでもう胸が一杯です。こんなお手紙をいただけただけで十分ですので、わざわざ取材にお越しいただかなくても大丈夫です」。なんとか取材できないかと粘り、店名は伏せますので、地名も出しません、いっそのこと固有名詞は一切出しませんのでとお願いしてみたけれど、店主は「こんなお手紙をいただけただけで十分です」と繰り返した。


 これまで記録されてこなかった「わたし」の声を言葉にする。それは、余計なお世話である。それでもその余計なお世話をやめることができずにいる。


 岡山県津山市に、かつて「ドライブインつぼい」という店があった。現在は息子さんが跡を継ぎ、カラオケ喫茶に業態を変えて営業している。店を創業したお母さんは認知症を患っていて、記憶がおぼろげになっていたけれど、息子さんやご近所の方が取材に協力してくれて、創業された頃はどんな風景が広がっていたのか、一つ一つの記憶を拾い集めて、言葉として記録することができた。記事を書き上げたあとで、息子さんからこんな手紙が届いた。

「妻が今は少し認知症の母に読んであげて その間 母は 涙をポロポロこぼしながら 遠い過去を思い出しているのだろう 妻もいつの間にか涙声で…ほんとにいい本書いて頂き 有難う御座います」


 記憶は薄れてしまっても、記録された言葉は残り続ける。これまで記録されてこなかった「わたし」の声を、一つでも多く言葉にできればと思っている。

橋本倫史(はしもと・ともふみ)

ライター、1982年生まれ。近刊に『水納島再訪』。

『水納島再訪』(著:橋本倫史)

離島と沖縄。埋もれていた近現代史が見えてくる4泊5日の旅の記録。


沖縄のやんばるにある「クロワッサン・アイランド」と呼ばれる小さな島・水納島。開拓、戦争、産業、海洋博、そして現在……。再訪を重ねてきた気鋭のライターが綴る、エッセイ・ノンフィクション。


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