艱難の雲を抜けて/青野暦

文字数 2,229文字

文芸誌「群像」では、毎月数名の方にエッセイをご寄稿いただいています。

そのなかから今回は、2022年4月号に掲載された青野暦さんのエッセイをお届けします!

艱難の雲を抜けて


 ある知人の状況について、そのよろこばしいニュースにつづく、なぜそうなるのか、詳細は伏せられておりわからないのだが、どうも理不尽にふりかかってきたらしい「仕事」について、聴き知った。わたしは励ます力もないままに、「すこしでもはやく艱難の雲を抜けられますように」と返信の、電子メールの最後に書き送っていた。


 メールを送ってしまったあとで、あるいは声に出してしまったあとで、ほかでもないじぶんが発したはずのことばに、遅れておどろき、つまずいていることがある。いまになって思う。艱難の雲? なんだろう、それは。いったい、どんな雲だろう。いつもひととのあいだに生まれることばに、てのひらに束ねかねる抵抗を感じる。


 だがたしかにそう感じた、そのイメージを受け取り、つたないながらもことばにした。わたしがそのときにつくったことばではもちろんなくて、この世界にすでにあるものを、どこかから借りてきて、仮に提示してみせたにすぎない。


 何かを思うということすら、わたしたちはひとりではできない。いつも誰かが思ってきたこととの共振を感じながら、それでも同時に全くはじめての、みずからの思いを受けとめる。あまねく他者と常に分かち持ちつつも、決定的にべつべつであるはずの記憶において、それは、いつどこでみられた雲であろうか、と改めて時間をかけて探してみたくなる。


 本を読むことは、仕事上の必要においても、単純に楽しみとしても、心身の健康のためにも大切だが、それと同じか、もしかしたらそれ以上に、絵をみる、という行為がわたしは好きだ。それは、自他の境をあやふやにしながらも、ときにこの胸を突きあげて感受される、記憶のあり方について、思いを馳せることにつながるからかもしれない。


 はじめてみた絵でも、その前に長い時間立ちどまっていたくなるときには、その絵に描かれていることを、わたしはすでに知っている気がする。未知と既知は、隣り合って、すこしずつ互いの輪郭を溶かし合っている。そのあわいに、香りがあり、音楽が聴こえる。あなたはこんな色を、かたちを、みたことがありますよね? と、絵のほうが、わたしに話しかけてくるのだ。


 ここ二年ほど、美術館に行く時間がとりづらくなった。日曜日と月曜日が休みの仕事をしているわたしは、日々を覆う流行り病の状況もあいまって、日曜日にでかける元気がでないことが多い。洗濯や、かんたんな料理をして、ゆっくり本を読んだり、いましているように、書きたいものに向き合ったりしているうちに、歩きたくなって、近所の川に散歩に行く。そうした時間を過ごすことで、やっと翌日に、比較的すいている街にでかける準備がととのう。映画館や書店に行くことはよくあるが、月曜日が基本的にお休みである美術館からは、足が遠のきがちだ。


 なので、日曜日に、それなりに遠出をして、美術館に行くことができた、絵をみることがかなった機会は、以前よりもつよく記憶に残るようになった。二〇二一年の秋に、神奈川県立近代美術館に、「生誕110年 香月泰男展」を観に行った。雨で、寒い日だった。朝起きて、どうせ洗濯はできないじゃないか、と思うところから、しばらくぶりに、一日のルーティンを抜けだせた。初期の画業にあたる《水鏡》、《風》、《草上》など、無意識をのぞき込むような緑と青の画面の息遣いが、いまもこころに根を張っている。《つわぶき》の黄色の鮮やかさも。


 画家が戦後になって、じっくりと自身の抑留体験に向き合い、描き継いだ「シベリア・シリーズ」は圧巻だった。実際に、からだの軸線を揺らす震えが来て、それを抑え、呼吸をととのえながら観るうちに、いままでに感じたことのないしずけさが、じぶんのなかに広がるのがわかる。だが、確信めいたものは疑わずにはいられず、これはいったい何なのか、繰り返し目を凝らした時間だったと、図録を眺め、日記を読み返しながら、たしかめている。


 ここにも「雲」があった。「シベリア・シリーズ」では、画面の地に黄土色や、黒の入り混じる量塊が延べられてあり、層雲のような、可塑性の高いフレームに包まれて、主題が浮かびあがってみえる。モチーフがあの仮面にも似た、特徴ある顔のときは、聖ヴェロニカの布に現れたキリストの顔のように、イコン化され、強調される。一方で、風景のときにはあいまいにフレームとモチーフのあいだが揺らぐ。《雨》はそのいい例だろう。その雨が晴れ、灰色の雲のあいまから空の青と、全くべつの種類の、どこかのびやかな雲がのぞく過程が、隣に展示されていた《雲》をみている時間、ふいにあかるいひかりのなかで、思われていた。そのひかりは自然と、《青の太陽》のおおきさへと、わたしを導いてくれた。


 いつか話せるときがきたら、聴かせてほしい。どんな雲だった? 空はみえた? その色を、かたちを、どうむしりとり、つき抜けて、きょうの日の青とふたたび会えたのか。綿のように軽かった? 砂のように重く濡れた? あなたがそれを何と呼ぶのか、わたしにはやはり、わかってなどいないのだから。

青野暦(あおの・こよみ)

作家、詩人。1992年生まれ。近刊に詩集『冬の森番』。

2022年12月号「群像」に、中篇「雲をなぞる」が掲載されています。

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