希望の豚/佐野広記

文字数 2,572文字

文芸誌「群像」では、毎月数名の方にエッセイをご寄稿いただいています。

そのなかから今回は、2021年1月号に掲載された佐野広記さんのエッセイをお届けします!

希望の豚/佐野広記



 ボクタチ ワカモノハ、ズット、豚ト ヨバレテ キマシタ


 その番組は、こんなカタコトの日本語で始まった。


 デモが続く香港の1年を記録したドキュメンタリーである。香港で「豚」というのは、平和ボケして、政治に無関心な人のことを揶揄する言葉。豚のままではダメだと気がつき、立ち上がった若者たちの物語だ。


 声の主は、撮影を担当した現地の香港人カメラマン。だが彼は、顔も名前も明かさない。いや、身の危険を感じ明かせないのだ。自由だった香港は今、それほどまでに不自由な街となり光を失いかけている。


 はじまりは、2019年6月から続く、「中国化」に反対する大規模な抗議活動だった。私も香港に入り、デモ参加者たちと語り合い、時に酒を酌み交わし、取材を進めた。逮捕の危険があるにもかかわらず密着ロケに協力してくれる若者たちは、「ただ自由を守りたいだけ」と口を揃える。


 だが自由とは、大きな代償を伴うものだと知った。若者と警察の衝突は過激さを増し、デモは暴力と血でまみれていった。実弾で撃たれた若者もいる。命を落とした若者もいる。遺書をしたため、警察に火炎瓶を投げつける若者。警察の催涙弾を浴びて涙をこぼし、自宅に帰ると悔しさでまた涙を流していた。ここは本当にあの先端都市、香港なのだろうか。


 誤解を恐れずにいえば、それでも私は、彼らが羨ましいと感じていた。政治に自分事として向き合い、議論し、声を上げる。10代のあどけなかった顔が、たちまち大人びていく。自分の人生を生きている顔がまぶしい。一度、若者にそのことを伝えたことがある。「日本人の私は、君たちを羨ましいと思ってしまう」。すると「いやいや、平和な日本の方が絶対にいいですよ」と笑われてしまった。


 2020年2月、コロナウイルスの蔓延で、ドキュメンタリーの制作現場は突如、変容を迫られた。密の回避が至上命令。取材先に対面で会うのは原則無し。密着ロケなんてもってのほか、「●●さんに密着!」という定番の宣伝文句も消えていった。世界の報道はコロナ一色に染まり、香港から若者たちの叫びが聞こえてこなくなった。


 事態はその間、容赦なく進んでいた。5月、中国が香港国家安全維持法(国安法)を採択する方針だというニュースが飛び込んできたのだ。国安法は、国家分裂や政権転覆などにつながる行為を禁止し、最高刑は無期懲役となる。このままでは自由にモノも言えなくなってしまうと、人の気配が消えていた街で、再び若者たちが声を上げ始めた。


 私も現地に入りたかった。だが感染防止対策のため入国が出来ない。仕方なく現地のコーディネーターとカメラマンだけで急ぎ取材を再開してもらったものの、現場が命であるドキュメンタリーのロケが、果たして「遠隔」で成り立つだろうか。


 もう香港は変わり始めていた。快く取材を受けてくれていた人たちが次々と出演を辞退していく。まだ施行前のはずの国安法に、すでに怯えていた。テレビは、どんなによい話を聞けたところで、それを撮影していないと始まらない。活字メディアとの決定的な違いだ。映像メディアの宿命を恨めしく思った。


 取材は一層、難航していった。香港政府が感染防止策として出した「集合制限令」。3人以上で集まることが禁止、つまり2人までしか集まれなくなってしまった。2人だけ……!? カメラマンと取材先だけで、もう定員である。コーディネーターの同行も不可。取材先が2人いる場面には近づくことすら出来ないではないか。


 負けじと浅知恵を働かせてみる。よし、コーディネーターには遠くから大声でインタビューしてもらおう。よし、超望遠レンズを用意し、カメラマンには距離をとって撮影してもらおう。どれも不自然な映像しか撮れそうもないのは自分がよく分かる。結局、香港人カメラマン1人に取材も撮影もすべて委ねることで腹を決めた。あとは撮れたものでなんとか頑張ろう。


 映像がポツポツと届き始めた。普段ならば撮るべきものが、やはり色々と撮れていない。にもかかわらず私は、映像メディアの力を思い直していた。断片的な映像の中にも、香港の現実が詰まっている。自由が次々と奪われ、殺伐としていく街の空気感。市民たちの絶望、怒り、悲しみ、焦り。言葉は分からなくても、撮影が不完全であっても、ストレートに伝わってくる。むしろ私たち外国人が同行していないことで、より現実に迫れているとさえ思えた。希望も映っている。それでも前を向き、声を上げ続ける若者たちの姿。彼らの心の中に自由が見えた。そしてそれは、まぶしかった。


 ただ、編集機で映像を紡いでいくにつれ、「何か」が足りないと気づき、歯がゆくなる。説明しにくいのだが、いつもならば現場で勝手に体にまとわりつき、編集室まで持ち帰ってきてしまう、「何か」なのだ。そこで、カメラマン本人にナレーションしてもらうことを思いついた。幸い彼は日本語が少しできる。ナレーションの収録は、必然的に国境を越え「遠隔」で行なうことになる。ディレクター人生で初めての経験だが、大変だとか不安だとか、何とも思わなくなっていた。そういえば、「遠隔」に不安を覚えた時もあったと思い出す。


 映像にのった撮影者の声は、切なくて力強かった。香港人ならではの言い回しも随所にまぶされる。その1つが冒頭に紹介した豚の台詞だ。「僕たち若者は、ずっと、豚と呼ばれてきました。平和ボケして、政治に無関心、食べることにしか興味がない豚」。妙に日本人と重なり合って響いてくる。


 香港の若者たちは、目を覚ますことができた。では私たち日本人は、どうだろうか。


 番組を観てくれた若い視聴者から感想をもらった。「日本では考えられない光景です」。私には、「日本には香港以上に希望がない」と言っているように聞こえた。



※番組は、NHK−BS1スペシャル「ただ自由がほしい~香港デモ・若者たちの500日~」(NHKオンデマンドで配信中)

佐野広記(さの・ひろき)

NHKディレクター、1980年生まれ。

2022年2月号「群像」に、ノンフィクション「まぶしすぎる太陽」が掲載されています。

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