野生の、カン/佐々木まなび

文字数 2,189文字

文芸誌「群像」では、毎月数名の方にエッセイをご寄稿いただいています。

そのなかから今回は、2021年12月号に掲載された佐々木まなびさんのエッセイをお届けします!

野生の、カン


 ある集まりの夜、占いの簡単な無料サイトに、男の人たちは自分の名前や年齢を入力していた。画面に答えが現れる。「あなたは生まれながらの帝王です」「あなたは生まれながらの富豪です」盛り上がる中、私も軽い気持ちでやってみる。


「あなたは野生です」


 異質な回答が出たのに、その場にいた皆は笑わない。それぞれ黙ってうなずいていた。


 以来、「野生」という二文字に囚われているのか、気がついたら自分の中で、記憶をつなぎ合わせる作業をしている。


 最初に浮かんだのは「匂い」。私にとって「未だ納得できない匂い」がある。小学生の頃に何度か経験したその匂いは「甘い匂い」と「甘にがい味」とともにやってきて、物語は始まる。だんだん大きくなるお経の声、老人のけたたましい笑い声、憶えのない木造建築の長い廊下で、おじいさんに固くおんぶされている幼い自分は離れることができない。突然階段から転がりだすと、全ての毛穴から羽根が生えてくるのかと思うほどの鳥肌が立ち、ビーンという頭が割れそうな大音量のあとは喉に拳が突っ込まれて地面に押さえつけられるのだ……金縛りという現象は解明されているという。もどかしいのは、この物語に入る前の、匂いと味と音を感じ取っているのが、臭覚や味覚、聴覚でもなくて、もっと奥のほうの背骨の奥あたりなのだ。「感覚」という不確かなものは、人を不安にさせるには充分な材料だが、私には「第六感」という言葉が浮かぶ。調べると「鋭く物事の本質を感知できる説明のつかない直感」などなど書いている。


 いつの時代も「目に見えないもの、説明のつかないもの」は不安定で、確かめる術がなく否定されやすいが、私にとっては惹かれてやまない世界だ。世の中に、「光チーム」と、「闇チーム」があったら迷うことなく「闇チーム」を選んでしまうだろう。たくさんのことを教えていただいた書の師は、墨の色のことを闇に喩えて「闇の中には無限の色が含まれている」という。黒ではなくて闇なのだ。 以来、自分の中での闇は、魅力ある言葉から、さらに色、空間まで広がってしまった。闇の奥行きに想像はつきない。


 情報の溢れるこの時代、あらゆるデータは分析され、また蓄積されてAIが人間の話し相手となり、どれほどの時間を割いて、子供の無限の想像力をゲームが製作してくれているのだろう。その時代のなかで私もパソコンに向かう時間が一日のほとんどを占める。


 虹を見つける時間はあるのだろうか、深呼吸する時間は? 目に見えない世界を想像し、説明のつかない出来事に、そして未だ追いつくことのできない自然界そのものに畏れを抱く時間がなくなってきている。もちろん、数値の予測は必要だと思う、でも「闇が、少なくなってしまった」。


 相手を思いやることにも想像力は必要なのだと思う。


 人は「言葉」を持ったことで多くのものを得てきた。それぞれの国の背景を含みつつ時代は進化し、文字は整えられ、組み合わせて言葉となる。自分たちの中に溜め込んだたくさんの気持ちを表現し、伝え、繫がることができるようになった。文化が育まれ、美しく書かれた文字や言葉に感動し、本の中で見つけたひとかけらの言葉に心を動かされ、涙したり背中を押されたりする。ただ、皮肉なことに言葉は表現の手段でしかない。伝える術は、その人の知っている言葉の数だけに過ぎず、ましてやそれ以上に多くの言葉を、現代の便利なプログラムは吸い込んでしまうのだ。


 でも何かが足りない。そう、「言葉にできないくらい……」という感情はプログラムには収まらない。


 先人達の残した美しい物語や言葉は、季節を詠み、情景を写し、時代を超えて私たちの心を動かす。それは多くのものごとを見つめる目と心、想像力を以て、筆先の闇色の向こうまで深く心を寄せていたからなのだ。好奇心も、忘れてはいけない。「感覚」という言葉で説明できない存在があっても良いのだと思う。自分は、やはり不安定な感覚派で、「闇チーム」に収まりたいのかもしれない。理由は無い、惹かれるままに。「本能」という言葉がよぎる。言葉を持たない野生の動物たちが、研ぎ澄まされた耳や鼻という、生きるためのシンプルな答えを持っていることにも憧れる。もしかしたら皆、この時代のなかで葛藤しているのかもしれない。


「第六感」。自分の直感や感覚は、信じたい。仕事に限らず責任は自分のものでありたいからだ。情報や言葉に左右されずに過ごすことが出来たら誇らしいだろう。難しいことかもしれないが……と、そんな折にさらなる出会いがある。迷いのなくなったタイミングでの「縁」は不思議と繫がる。念を押すように、初対面の女性からはっきりと指摘されたのだ。「あなたは、たくさんの人から言われてそう思ってるかもしれないけどね、あなたに霊感は、まったく無いの。でもね、生きるためのカンが、普通の人より何倍も強いの」ハッとする。野生のカンやん。と心の中で突っ込んでしまった。


 今も事あるごとに問いかけてみる。自分のなかの野生はまだ存在しているのだろうか。

佐々木まなび(ささき・まなび)

アートディレクター。1965年生まれ。近刊に『雨を、読む。』。

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