「コジモール?」/大川史織

文字数 2,425文字

文芸誌「群像」では、毎月数名の方にエッセイをご寄稿いただいています。

そのなかから今回は、2022年7月号に掲載された大川史織さんのエッセイをお届けします!

「コジモール?」


 ひとりの客が店内に入ってきた。同僚のマイネンが商品棚の陰から様子を見守る。レジで会計中の人がその入店客に購入したばかりのコーラを手渡した。彼らがいなくなると、キャッシャーたちは誇らしげに言った。「マーシャルにホームレスはいないよ。人をひとりにさせないからね」。


 マジュロ島で働き始めて一年が経とうとしていた。わたしは日々、島の人たちから実に贅沢なものを受け取っていた。『愛するということ』を書いたエーリッヒ・フロムは、愛をこう定義する。「愛とは、特定の人間にたいする関係ではない。愛の一つの「対象」にたいしてではなく、世界全体にたいして人がどう関わるかを決定する態度、性格の方向性のことである」。フロムが言う「愛」をマーシャルの人びとは様々なかたちで実践しているように見えた。


 高校三年生の時に訪れて以来、わたしはこの島のドキュメンタリー映画を撮りたかった。太平洋の真ん中に位置するマーシャル諸島共和国が、かつて大日本帝国の統治下にあったことを知らなかった。わたしにつながる歴史と、大国の思惑に翻弄されながらも強くしなやかに生きる人たちのことを知りたいと思った。首都マジュロにある日系企業が求人募集をしていた。役職は経理。志望の動機をありのままに伝え、新卒で雇ってくれたMJCCは、ブロックの製造工場を持ち、船外機やボート、日用品の販売から旅行代理を請け負う。


 営業担当のマイネンは、わたしと同世代で、初めて会った日から心を開ける存在だった。真面目な仕事ぶりで同僚たちからの信頼が厚く、細かな在庫確認も正確で、わたしの苦手な仕事を助けてくれた。愛嬌があり、屈託のない表情でいつも陽気に笑うマイネンがいれば、任期満了まで楽しく働けそうだと思えた。バリカンで短く刈り上げた頭のてっぺんから、ピンクの輪ゴムで結んだ一本の細く長い三つ編みが揺れる。「女の子のハートを射止める釣竿だよ」と微笑み、おさげをヒョイっと持ち上げる。そんなマイネンの冗談ひとつひとつに「コジモール?」(ほんとうに?)と返し、本には書かれていない雑学をノートに綴った。


 ローカルスタッフの時給は二ドル。物価は日本より高いからどう考えたって家計は回らない。毎月の給与はツケ払いに回り、店舗で販売する食料品、生活雑貨、携帯の通信料をチャージするカード代購入に消える。欠勤の理由が交通費を持ち合わせていなかったということもあるから、現金を貸して欲しいと相談されることもしばしば。ドルで生活が回る首都には、進学や通院のために上京した親戚が居候する。その日食べる分だけの魚を釣り、ヤシガニを捕り、現金を介さず海の恵を分け合うような離島での暮らしとはかけ離れていた。母系社会のため結婚したら基本的に夫が妻の家族と暮らす。マイネンも妻の親戚とともに二人の子どもを育てていた。


 マジュロ島にはいくつかナイトクラブがある。日本から遊びに来た友人を連れて、外洋沿いのクラブを訪れたときのことだった。小さなステージホールの外看板には「YAKUZA CLUB」と書いてある。戦時中、軍事施設の工事に動員された住民のなかには、ヤクザ出身の現場監督と働いていた人もいると知ったのは最近のこと。


 潮の満ち引きを一望できるテラス席から、海にできた月の道をこの日初めて見ることができた。日本よりも大きく見える月の光の中、大きく揺れる人影が近づいてくる。お腹を抱えて笑い転げるマイネンだった。


 その日の帰り道、珍しくマイネンと二人きりだった。六月七日、金曜日。マイネンの誕生日。助手席に座るバースデーボーイは穏やかな顔をしていた。買い物袋が多かったので、家の裏口までぐるりと車で回り込んだ。真っ白なお墓が辺り一面に並んでいる。その向こうに鏡のように凪ぐ青い内海が見える。家の前の一本道からは想像もできなかった景色の広がりに目を奪われた。車から降りて荷物を下ろすと、ハンドルを思いっきり切るように彼は言った。下手くそな自分の運転に嫌気がさし、音を上げるわたしをよそに、マイネンは大丈夫とオーライを続ける。どうにかUターンに成功すると、少しだけ自信が湧いてきた。ありがとう、また来週ね。バックミラー越しに手を振る友の、二七歳の一年の幸せを祈った。


 月曜日の朝、いつものようにマイネンの家の前で車を停めた。しばらく待ってみたが、誰も姿を見せない。職場に到着すると同僚が、マイネンは病院にいると言った。昔、酔っ払って喧嘩をしたマイネンが瞼に大きなアザを作って出勤してきたことがあった。今日もあの日のように気配を消して、黙々と商品を拭く姿が浮かぶ。と思ったら、「バカなやつ」と首を横に振った同僚が呟いた。「あいつは死んだよ」。


 最後に別れた自宅裏の墓地で、マイネンは発見された。墓石の上で、居場所を指し示すように。


 病院から自宅へ柩が運ばれてくると、マイネンのママが蓋をゆっくりと開けた。中を覗いた途端、叫んだ。怒っているようだった。床に顔を伏せ、泣き叫んでいる。他の女性たちも柩を覗くと、声をあげた。不謹慎にもクスクスと笑いを堪えている人もいる。「知らないおばあさんが中に入ってたんだって!」


 マイネンはやっぱり生きている。そう信じたかった。挨拶の次に覚えたマーシャル語、「コジモール?」。マイネンが教えてくれたこの言葉を、あの日ほどくり返したことはない。あれからコジモール? な出来事が起こるたび、おや? マイネンのいたずらかなと思う。

【著者プロフィール】

大川史織(おおかわ・しおり)

映画監督。1988年生まれ。編著に『なぜ戦争をえがくのか 戦争を知らない表現者たちの歴史実践』

2022年9月号「群像」に、エッセイ「Tの家があるところ」が掲載されています。

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