はまぐりの話/山家望

文字数 2,347文字

文芸誌「群像」では、毎月数名の方にエッセイをご寄稿いただいています。

そのなかから今回は、2021年11月号に掲載された山家望さんのエッセイをお届けします!

はまぐりの話


 土に絵を描こうと娘が指先ですべらせた小石が勢いあまってざらついた縁石を擦り、カリ、ともコリ、ともつかない音をたてた。


 私はその音を聞いたことがあった。家族が寝静まった深夜のリビングで本を読んでいる時で、思いがけない音に私は顔をあげた。声を抑えてひそひそ話をするようなトーンの音で、暫くしてまた鳴るのを聞いてはじめて蛤が砂を吐く音だと気がついた。砂を吐こうと口を開けたことで殻が別の蛤の殻を擦るのだった。冷蔵庫では寒すぎるためリビングのテーブルにボウルを置いてそこで一晩休ませることにしていた蛤で、そっと被せてあった新聞紙を持ち上げて覗いてみるとなるほど澱のようなものが底に沈んでいる。私はなぜだかとても嬉しくて、新聞紙を戻すのが名残惜しく、しかしそんなことを続けていれば貝たちの方でも砂を吐くに吐けないだろうとなんとか区切りをつけた。妙に気持ちにやり場がなく、しんみりと本に目を戻すと、ややあってまた先ほどの音がひっそりとリビングに響いた。脳裏に明滅したのは子供の頃に飼っていた雌の柴犬だった。ベランダから飛び降りて脚を痛めたり、入浴が好きで十分以上も肩まで浸かり幸福そうに舌をたらしたり、よく家出をし、けれど自分では帰ってこられずに家の人間に探させ、見つかると大喜びで駆けてくるような犬だった。筋肉質で、ありえないほど足が疾く、躍動するとき背筋が細かく盛り上がるのがみっしりと生えた体毛越しにもハッキリと見てとれた。私としては一心同体一緒に育っているという感覚があり、いつもそばにいたし、夜に寂しければ小屋に潜り込んで一緒に寝た。頻繁に風呂に入るので全然臭わなかった。私が風呂に入っているとドアを前足で軽く擦って自分の存在を知らせ、開けると湯船に飛び込んできた。浴室のドアは手触りのある磨りガラスになっていて、爪があたるとコリ、ともカリ、ともつかない音を風呂場を満たす水蒸気に反響させて私を幸福にさせた。風呂場の壁と床のタイルは明るいオレンジ色で、天井にはいつも行き場を失って水に戻った水蒸気が氷柱みたいな形でびっしりとぶら下がっていた。ちょうどいい温度になるように水とお湯を混合するタイプだったから、私はいつ犬が来てもいいように自分が入る時には少し水を足しておくようにしていた。ある冬の日、犬は私が小学校で授業を受けている間に積もった雪を踏み台に塀を飛び越えてどこかに行ってしまった。私は走り回り、目につく家という家のチャイムを鳴らしては住人に写真を見せて所在を尋ねたが、誰も私を喜ばせてくれなかった。私は雪が家に帰るための匂いを全部消し去ってしまったのだと恨んだが、そもそも自分で帰ってくる能力のない犬だったから雪は関係なかった。犬はそれきりもう戻ってくることはなかった。それから積雪の度、犬が踏み、駆けたはずの雪の冷たさを想うようになったが、その冷たさと深雪のイメージの連なりは昔隣に住んでいたおじさんの事も思い出させる。大酒飲みで、それで暴れたり騒いだりすることはない人だったけれど、おもらしをして周りを騒がせた。いつもニコニコしていて、奥さんに酒量を管理されていたので好きなように酒が買えず、お小遣いと湯呑みを握りしめては酒屋に行き、みりんを買って店先でこっそり飲んでいた。瓶で買うのではなくて、湯呑みに量り売りみたいにしてもらっているようだった。小学校からの帰り道、私は何度も道端で幸せそうに湯呑みを啜る姿を見かけたけれど、おじさんの方では全然気づいていないようだった。ある日私が学校から帰ってくると、隣の家の玄関先の雪の中におじさんが埋まっていたことがある。雪かきをして集まった雪をブロック塀のところに寄せてあって、おじさんはその雪に頭からうつ伏せに埋まっていた。びっくりして駆け寄り、やっとのことでひっくり返して仰向けにしたおじさんの顔は真っ赤で、しかし表情を見るといかにも幸せそうだから私は困惑した。チャイムを鳴らしておじさんが家の前で寝ていることを告げると、おじさんの息子が大慌てで家に引き摺って行った。背中側から両脇に腕を差し込み、その手を首の後ろで組み合わせて後ろ向きに運んでいくのを見て、酔っ払いはああやって運ぶのがいいのかと私は思った。何日か経ってもおじさんの顔は赤いままで、霜焼けになっちゃったよ、と言ってタハハと笑い、酒というのは大変なものだという感想を私に抱かせた。おじさんには全然及ばないものの今では私も酒を飲むようになって、七輪なども買い、春になると蛤を焼いたのを肴にする。溢れ出る汁に嚙めばぷっくり甘い身は一年の楽しみのひとつである。蛤を焼く時には傾いたりして汁がこぼれないように椎茸の軸を支えにするのがいいのだと最近になって知ったが、高校の時の友達が原木椎茸の工場でのアルバイトのことを熱心に話していたことを思い出す。工場に入ると木の幹の切ったのがごろごろしており、刷毛で菌を塗って転がしておくとやがて椎茸が生えてくるのだという。どこかお伽話のような話だったが、後から調べてみると彼が菌だと思っていたのはどうやら封蠟で、木の表面に傷をつけたところに菌を塗るなり挿すなりし、その上を蠟でコーティングする栽培方法があるらしかった。


 縁石についた小さな傷は、唾で濡らした指先で擦ると目立たなくなった。娘はずいぶん絵を上手に描くようになったと最近思う。


山家望(やまいえ・のぞみ)

作家、1987年生まれ。近刊に『birth』。

2022年3月号「群像」に、中篇「そのあわい」が掲載されています。


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