温度と目/高瀬隼子

文字数 2,316文字

文芸誌「群像」では、毎月数名の方にエッセイをご寄稿いただいています。

そのなかから今回は、2020年10月号に掲載された高瀬隼子さんのエッセイをお届けします!

温度と目


 じろじろ見ないでほしい。じろじろ見るのが仕事なのだろうけど、とにかく、見ないでほしい。職場の入り口にサーモグラフィーカメラが設置された。わたしたちの温度を、赤や黄や緑のちぎり絵に置き換えて映し出す。赤が濃かったら呼び止められる。「ちょっと」


 COVID–19の感染拡大を受けて通用門が閉鎖され、全員がひとつの入り口を使うことになった。自動ドアの外側に〈確認のため、ゆっくり歩いてください〉と注意書きが張られている。それを見るわたしの目・張り紙・カメラの横に立つ人の目は一直線に並んでいて、ガラスドア越しに相手のまばたきすら察せられるけれど、自動ドアが開くまでは「全然目なんか合ってないですよ」みたいな顔をしてしまう。自動ドアが開く。一人ずつ自動ドアをくぐり、カメラの前までまっすぐ五メートルほど歩かなくてはならない。カメラの横に立つ男の人が「おはようございます。検査にご協力ください」とはきはきした声で言う。この間まで警備員をしていた人が、紺色の警備服は同じままで検査の人になっている。


 カメラに向かって歩く数秒の間、うまく息を吸ったり吐いたりできない。わたしは今見られている、と強く意識してしまう。汗でひたいにくっついた前髪を、ほほえんで見えるように力を入れた目を、動いている腕や足を、つま先の傷んだ靴を。マスクに隠れている口元まで、口角をやや上げているのがばれているような気がしてしまう。「カメラの方に顔向けてくださいねー」と声をかけられ、とっくにカメラの方を向いているのだけれど「はーい」と返事をする。


 検査の人が見ているのはわたし自身ではなく、色に置き換えられたわたしの像だ。歩いているわたしに視線を向ける時間よりも、カメラの後ろ側に設置されたスクリーンを覗き込んでいる時間の方が長い。なのに震える。汗をかく。喉がからりとする。


 子どもの頃から、人前に出るのが苦手だった。国語で一人ずつ音読させられるのがつらかったし、音楽の歌のテストで歌うのなんて地獄だった。「三十七」と一秒しか言葉を発さない、数学の計算問題を答えるだけでも顔に熱が集まって赤くなった。一度顔が赤くなると、冷めろ冷めろと念じても熱はなかなか引かず、誰もわたしのことなんて意識していないのに見られていると感じるなんて自意識過剰だと、自分が恥ずかしかった。


 赤面症は、社会人になるまで治らなかったが、仕事で大勢の前で話す機会が増え、「今見られているのはこの会社の人間としてのわたしで、話す内容もわたしの意思とは関係ない。会社の見解をわたしの口から出しているだけだ。そこにわたし個人のああだこうだはないんだ」という立場を発見すると、しだいに赤面度が下がっていった。わたしは会社員だ、わたしは「会社員の高瀬さん」という人だ。うまい方法を見つけたと思った。


 それでもふいに、見られるしんどさがやってくる。電車で近くに乗り合わせた人がちらりとわたしの顔を見た時。その人がこちらを見たのは一瞬だけのことなのに、その一瞬に妙にとらわれてしまって、スマートフォンに視線を落としているその人が気になり、思わず窓の反射でその人の手元を確認すると動画をみていて、なんだとっくに別のことに集中しているんだ、とばかばかしいけれど安心してしまう。服を買いに出かけて、店員さんが話しかけてくるタイミングをうかがっている気配を察知すると、途端に欲しかった服のことが考えられなくなる。スカートを見たらスカートを探しに来たと思われるだろうか。何か服が欲しいだけでスカートを買うかどうかは決めていないけど、そう思われてしまったら買わないといけない気がする。と勝手にそわそわし、話しかけられる前に店を出てしまう。


 これはなんなのだろう。どうしたら逃れられるのだろう。別に見られたって困ることはないはずなのに、なんでおそろしいんだろう。見られたら困るのか。何を見せたくないんだろう、わたしは。



 入り口からサーモグラフィーカメラまで、五メートルの廊下を歩いて検査を終える。検査の人が「ありがとうございました!」と快活に言い、わたしは小さく会釈を返す。右に曲がってカメラに映る範囲から逃れるとふっと息が吐ける。通用門を使えないので部署のあるフロアまで遠回りになっている。階段を登って廊下を歩いていく。腕にぶら下げたコンビニの袋の重さが気になる。昼休みに外に出なくて済むように、出勤前に弁当を買っている。ビニール袋のひものところが細くなって肉に食い込んでいるのを広げて、重さが分散してかかるように正し、ふと、今日カメラの横に立っていた検査の人は昨日と同じ人だったかなと考える。目を合わせて挨拶を交わしているのに、自分が見られている意識でいっぱいで、相手の顔を認識していなかったと気づく。昨日と同じ人だったかもしれない。一昨日も同じ人だったかもしれない、と気になり始める。明日も同じ人か見よう、と思う。見られる前にこちらが見よう。あの五メートルの距離を歩いて行くのに、こちらが「見る側」になれば平気になるかもしれない。


 無理やり考え出した新しい立場を強く念じて、平気になるための思考準備をすすめる。蒸れたマスクの下で息が苦しい。指でそっとつまんでずらし、口で空気を吸う。

高瀬隼子(たかせ・じゅんこ)

作家、1988年生まれ。近刊に『水たまりで息をする』。

2022年1月号「群像」に、中篇「おいしいごはんが食べられますように」が掲載されています。

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