「歴史家」山川菊栄のオーラル・ヒストリー/伊藤春奈

文字数 2,446文字

文芸誌「群像」では、毎月数名の方にエッセイをご寄稿いただいています。

そのなかから今回は、2021年12月号に掲載された伊藤春奈さんのエッセイをお届けします!

「歴史家」山川菊栄のオーラル・ヒストリー


 今年の大河ドラマの主人公は渋沢栄一だった。始まるまでは官製っぽさにしらけていたが、幕末編のおもな舞台である水戸藩が「山川菊栄史観」で描かれたので、図らずも見入ってしまった。


 水戸藩は、栄一が仕えた一橋慶喜の実家である。慶喜の父で藩主の徳川斉昭は、尊王攘夷派の巨頭として絶大な影響力をふるった。尊王攘夷はドラマでは「曲がりなりにもいいもの」として描くのが普通だが、なぜか肝心の水戸藩は敬遠されてきた。だが今回は、維新後まで続く水戸の内紛劇や尊攘派の醜態をつぶさに見せた。人物像もいきいきとして噓くさくないし、歴史はきれいごとではないという当たり前のことも突きつける。このおもしろさ、どこかで……と思い出したのが、菊栄による歴史書『覚書 幕末の水戸藩』(以下『水戸藩』)だった。


 菊栄は、自伝を『おんな二代の記』と題して母親・青山千世の時代から書いているように、母方の思想的影響が大きい。千世方の祖父、曽祖父とも水戸藩を代表する儒・史学者だ。こうした親戚筋からの聞き書きや史料を駆使して書いたのが『水戸藩』だ。


 安政の大地震の際の斉昭について菊栄はこう書く。─「斉昭はこの地震を天変地妖の一種とすると共に、夷賊が国をうかがうしるしだろうと古代人のような原始的恐怖感を示している。彼はまだ自然現象と外交問題の区別のつきかねる心理状態からぬけきれぬ人類の未開時代の発展段階にいたらしい」。ドラマでは、斉昭が外国人の命を軽視する発言を臣下に諫められるなど、排外保守ぶりを辛辣に描いていた。また、やや珍妙に見せていたのが、斉昭が元旦だけ妻を生家の皇族の地位に戻して、臣下にへりくだらせるという習わし。この件を菊栄は「夫人の人格を尊重したり、その人自身に敬意を表する意味でなく、夫人によって象徴される皇室、とりわけ南朝の幻影に対する斉昭個人のあこがれや、センティメンタリズムや、こっとう趣味の現われとみてよさそうだった」「南朝びいきの水戸家では、南朝の正統といわれる有栖川家の姫宮ときいてありがたくもあったのであろう」と、斉昭のトロフィーワイフ志向をなで斬りにしている。


 菊栄といえば鋭く論旨明快な文章が魅力だが、歴史記述、人物描写の巧みさこそ真骨頂だといいたい。『水戸藩』をはじめ、前述した自伝や社会史『武家の女性』、同時代史『日本婦人運動小史』など、どれも逸品。なかでも、「「女子供」として問題にされなかった平凡な家庭の女たち」に目を向けた『武家の女性』『わが住む村』には、彼女が編み出した思想が色濃い。水戸藩の歴史編纂事業『大日本史』の向こうを張るように地道な女性たちの歩みを見つめつつ、背後の社会構造もとらえている。晩年、「(自分の考えは)平凡な常識的なものばかり」「平凡で常識的なのが婦人解放論の真理であることを知ってほしい」と語っているのは、その到達点だろう。


 89歳まで生きた菊栄は戦時中の50代から「歴史」、とくに聞き書きに力を入れた。これは大きな意味がある。


 菊栄には「社会主義フェミニスト」の印象が強いが、当時は庶民の生活史を強く意識していた。農村暮らしをするなかで、かつて理論で描いた「大衆」を実地で知り、その言葉に耳を傾けることで地に足の着いた思想を練り上げていく。


 菊栄は武家社会の抗争劇や支配構造のいびつさを見つめるうちに、上下・男女など視点の違いで歴史解釈が変わることに気づき、歴史的事実にこだわるようになった。水戸藩をルーツとする彼女は、歴史を書くことの高度な政治性を熟知していたはずだ。だからこそ、オーラル・ヒストリーを丁寧に拾う使命を感じたのだ。


 幕末をどう読むかは、その後の戦争の読み方に影響する。戦中に水戸藩が称揚されたこともあってか、戦後に出した『水戸藩』はじつに辛辣な書きぶりだ。彼女の歴史書からは、歴史を知ると現在の権力を相対視できるということも強く感じられる。


 近ごろ菊栄が再評価されているという。それはそうだろう。格差や分断が進むこの社会で、「女性」はますます抑圧されている。女性の労働問題を軸に差別構造をこそ批判し、複合差別、ジェンダー視点の必要性を戦前から説いた菊栄の言葉は、いまこそ刺さる。さらに、彼女は生活上の問題は公共の問題だとも言った。そう、「個人的なことは政治的なこと」だ。そこに「歴史」が加わることで、時代を読み破り、権力を見据える普遍的な視野も得た。


「他のフェミニストと違い戦争協力しなかった」ことを彼女の魅力にあげる人も多い。たしかに家族そろって病弱なため隠棲生活が続き、結果的に抵抗し得た。ただ、戦争がもつ複雑な経路や緊張状態を検討せず、単純なくくりでそう「評価」することは避けたい。正史の向こうを張り、市井の人の声を拾い続ける─菊栄はこの仕事をして戦中を過ごした。これは長く官憲にマークされた身としては折よく発禁対策にもなったし、心身が弱りがちな中年期に「これならできる」と、持続可能な仕事に出会う喜びや使命感もあったと思う。


「女性と戦争」を考えるとき、女性=平和主義者とする回路にはまりやすい。菊栄はこの本質主義も批判したが、いまもこの思い込みは根強い。女性も戦いと暴力を志向したことは古今東西の歴史が証明している。それに悲しいかな、戦争において「歴史」に学ばないのも人間だし、女性の平和運動が戦争を止めたことはない。歴史を読み直し、戦争をする家父長制支配構造をこそ問う─これも歴史家・山川菊栄が教えてくれたことだ。

伊藤春奈(いとう・はるな)

編集者・ライター、1978年生まれ。近刊に『「姐御」の文化史 幕末から近代まで教科書が教えない女性史』。

2022年5月号「群像」に、「ふたり暮らしの〈女性〉史」連載第1回が掲載されています。

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色