地図から消える女/東辻賢治郎

文字数 2,743文字

文芸誌「群像」では、毎月数名の方にエッセイをご寄稿いただいています。

そのなかから今回は、2021年6月号に掲載された東辻賢治郎さんのエッセイをお届けします!


※東辻さんの「辻」の字は、正しくは二点しんにょうではなく、一点しんにょうです。

地図から消える女


 パンデミックの影響からイベントやリソースのオンライン化がすすみ、とりわけアカデミックな情報についてはアクセスへのハードルも下げられている。もちろんそれは場所の使用や移動を封じられた者の便益のためなのだが、それなりの関心を払えばさまざまな告知が舞い込むようになり、誰であれわずかな登録作業でどこからでも参加できるイベントが増えている最近の事情は、一方で「観衆」の裾野をひろげるという図らざる余波を生んでいるのではないかと想像する。


 そんな世間に乗じて、自室に居ながらいろいろな会合の立ち聞きをしていると、時には意外なことを教えられることがある。たとえば先日、オックスフォード大学地図学セミナーが開催した「女性と地図」というカンファレンスの中で印象に残る報告があった。それは中世から近代の地図史を専門とする発表者による、地図の中に描かれる大陸の寓意像の変遷についての短い報告だった。


 それによれば、世界の諸大陸の象徴としては長らくノアの息子たちが描かれるが、ルネサンス期以降、古典復興の影響もあり女性像で表されるようになる。その端的な例は近代的アトラスの嚆矢として知られるオルテリウス『世界の舞台』の扉絵に見られるもので、そこには建築要素を背景に四体の女性像とひとつの胸像が配置され、頂部にはヨーロッパが叡智を備えた着衣の女性として鎮座し、その下にアジアを表す香炉を持つ女性およびアフリカを示す黒い肌の半裸の女性が立位で描かれ、そのさらに下に、野蛮な裸女として北米の横臥像が、その足元にはまだ全体像が判明していない南洋の大陸を示す胸から上だけの像が置かれている。やがて慣習的な地図装飾の一部として、諸大陸を示す地図にはそれぞれの大陸に該当する女性の寓意像が衣服や武具、植物や動物など、さまざまなアトリビュートとともに描き添えられるのが一般的となる。


 そこまではさほど目新しい話ではない。興味を惹かれたのは、十八世紀に訪れるその種の図像の変化である。報告者によれば、大陸の寓意として描かれる女性像は次第に減ってゆくのだが、そのアトリビュートはその場に置かれたままなのだという。示される例を見れば、たしかにさきほどまでそこにいた女が不意に消えてしまったかのように、アクセサリーや衣服やさまざまな小道具がその場に取り残されている。いわば寓意像から女性の身体だけが消えているのだ。


 発表者はその変化の背景について質問を受け、地図装飾が全体的に簡素化されてゆくという、その時期の一般的な傾向について述べていた。このカンファレンスは発表時間も短く内容も多岐にわたり、この主題が深く掘り下げられることはなかったが、西洋近代の地図の片隅でまず女の身体が消えるという話がしばらく頭に残った。


 地図装飾であるならば、ひとまずはそれが添えられている地図の内容や形式との関連に関心が向く。その時代には、大陸や世界を描く地図は大勢において有用性や合理性が指向されるようになり、図像としては古典的なものよりも経験主義的な科学のモチーフなどが好まれるようになる。軌を同じくする変化はおそらく定型的な装飾のディテールにも及んでいたはずだが、そうした文脈は果たして女性の身体が第一に退場する理由を十分に説明するだろうか。そして、指摘されていたのはあくまで大陸の寓意像の変化なのだが、それはたとえば新大陸や未踏の地をめぐるヨーロッパ人の認識の変遷と関連する事象なのだろうか。


 ついでにいえば、「慣習的に男性の職能とされる諸分野と関連づけられることの多かった地図や地図製作において女性や女性性の所在を探求する」というその会合の主旨は、多少深読みすれば地図製作術という十九世紀的な理念への批判を念頭においているようでもあった。その種の規範性の再考は、地図の「余白」を飾る図像たちの地歩にもなにか変化をもたらすのだろうか。


 とりとめもなくそんなことを思う一方で、消える体という主題についてもうひとつ思い当たっていたのは、昨夏からしばらく翻訳を進めていた、レベッカ・ソルニットが昨年刊行した自叙伝のことだ。自叙伝の中でソルニットは、自分が生き延びてきた、あるいは生かされてきた場所と時代を回想しながら、フェミニズムの論客として知られるようになるよりもはるか以前に、いかにして自分が「声」を獲得し、書くことを通じて発言するようになったかを語っている。


 一人の作家の形成の過程であると同時に、一人の女性が女性であるがゆえに差し向けられる否定性に抗い、言葉を通じて存在をつくりあげてゆく過程でもある、ソルニットがそんな文章の出発点においたのは、ある時ふと鏡の中で自分の体が消えてゆくように感じたという経験の記憶であり、その自伝に与えられた原題は「私の非在の追憶」だった。


 その翻訳作業は、言葉の交通の中で性差や人種を含めたさまざまな身体の輪郭が意識されるという意味において、翻訳という作業がいかに翻訳者を身体ごと動員する行為かを改めて気づかせるものだった。地図から消える女の像という話が気に留まったのは、書くことによって消されることを拒んできた、そんなソルニットが自らの半生を語る言葉の感触が残っているせいかも知れないとも思った。


Chet Van Duzer, “The rise, persistence, and surprising end of female personifications of the continents on maps”, in The Oxford Seminars in Cartography “Women and maps” (March 25, 2021, online).

Matthew H. Edney, Cartography: The Ideal and Its History (The University of Chicago Press, 2019).

Rebecca Solnit, Recollections of My Non-Existence (Granta, 2020).


東辻賢治郎(とうつじ・けんじろう)

翻訳家・地図製作者、1978年生まれ。訳書に『迷うことについて』。

2021年10月号「群像」より、「地図とその分身たち」を連載中です。


※東辻さんの「辻」の字は、正しくは二点しんにょうではなく、一点しんにょうです。

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